つづりかた

音楽・文学・日々・時々将棋

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壊れかけ壊れて壊れた、壊れたのに。

2013年03月27日 | 文学
「大好きが虫はタダシくんの」阿部共実/秋田書店がヤバい。



内容は著者のブログで↓。
http://blog.livedoor.jp/ikaruga99999/archives/cat_50041748.html


そもそも題名がヤバい。
おそらく正しくは「タダシくんは虫が大好き」だろう。
と書きながら、いや、「虫が大好きタダシくん」かもしれない
という気がしてきた。
もしかしたら「タダシくんの虫が大好き」か?
ファンタジックに「虫はタダシくんが大好き」もありか?
それならシュールに「大好きなタダシくんは虫」も許容内か?
…やめよう、基準がブレてきた。

と、このように日本語、特に発語の不愉快さに
遭遇してしまう漫画なのである。
私達が発している日本語がいかに不確かで
会話がいかに不毛であるかに気付かされてしまう。
主人公の発語には、色々なツッコミどころがあるが、
流れのままに会話を追っていると細かい間違いに気がつかない。
そのうえ、復唱するだけにも関わらず、
なんとなく会話が成立しているように見える不毛さ。
お互いに意思疎通が出来ていないことは
明らかだというのに。


かつての親友の高校での友達が登場すると、
別の問題が立ち現れる。
発語のブレは発語者の世界観のブレと見なされる、という事だ。
なぜなら、悲しい私達は
自分の世界を表す術を言葉以外に持っていないからだ。
つまり、理論でも感情でも、
アウトプットする時は言葉に変換するしかない。
変換が正常に行われなければ、
変換元になる理論も感情もブレていると認識されてしまう。
それがどんなに正当なものであっても。


この主人公の場合、感情は壊れていない。
理性は壊れかけている。正確にいえば壊れかけているがまだ壊れていない。
(状況は理解出来るが会話内容は理解出来ない、まだら理解の状態である。)
発語機能は壊れた。全く働いていない。
復唱の吹き出しと真っ白の吹き出しは、
自身の思考をアウトプット出来ないという意味で同義である。
そして、発語機能が著しくツブれているが為に、
「壊れている人」と認識されるに至る。



力なく道に膝をついた主人公が
かつての親友との会話をひとり反芻する場面。
かつての親友の「会えてうれしー」の一言に
自分を取り戻し、絶望の中にあっても再び歩き出す主人公は
ひどくまともな感性の持ち主に見える。
しかし彼女は社会的には「壊れている人」だ。
この辺りをどう取るか。
つまり「壊れたのに歩き出す健気な人」なのか
「壊れたのに歩き出すあぶない人」なのかが、
作品の好き嫌いを分けるポイントになるだろう。


所で、もう一点この作品について気になる事がある。
この作品はインパクトの強さもあって、
様々なブログやサイトに取り上げられている。
そこに寄せられるコメントが気になる。
もっと言えば、気にするべきだと思っている。
「コワい」「イミフ」「つまらない」等のコメントは想像の範疇だが、
一方で「これ解る」「オレこれ」「泣いた」等のコメントが意外に多いのである。
コミュニケーションに何らかの不安を抱えている人は案外多いという事だろう。
だとすれば、重要な問題を扱った作品だ。




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自らが燃えなければ何処にも光はない・文学

2013年01月17日 | 文学
大島渚監督が亡くなった。
大島監督の座右の銘は
「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」
というものだったそうだ。
毎日新聞のコラムで知った。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130117k0000m070179000c.html

これは明石海人(あかし・かいじん)という歌人の言葉。
海人とは怪人に掛けたのだろうか。
明石の名は岡山の離島に隔離された
己の境遇を表したものだったろうか。
明石はハンセン病(癩病)だった。

明石の「白描」という歌集。
くだんの一節はその序文に出てくる。
http://web.thn.jp/kaijin/index.htm

「癩は天刑である(略)
私は苦患(くげん・地獄に落ちて受ける苦しみ・仏教用語)の
闇をかき捜って一縷(いちる)の光を渇き求めた。

深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない

(略)
人の世を脱(のが)れて人の世を知り、
骨肉と離れて愛を信じ、
明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった。」


もののけ姫に全身に包帯を巻き、銃を作る集団が出てくるが、
あれはハンセン病患者をモチーフにしたものだろう。
あの映画にみられるように
歴史上ハンセン病は不治の病で、偏見と隔離の対象だった。
(現在ではレクチゾールなど特効薬で治る。)

また、遺伝性があると誤認されており、
家系から放逐された。
(実際は感染病である。)

「明を失って」とは、病気が進行し目が見えなくなった事を指す。
深い絶望の中で、光さえ失っても、なお力強く。
生きる事へにじり寄ろうとする明石の、渾身の一文だ。





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3月のライオン8巻が凄すぎる件

2012年12月13日 | 文学
3月のライオン8巻の発売日。
購入、即読了。
いやー、スゴイ。今回も凄すぎる。



この漫画はすでに将棋漫画のカテゴリに
入っていないと思います。
むしろ少女漫画の王道の系譜。
萩尾望都や大島弓子に流れる、
人物に憑依して物語を紡ぎ出すDNA。
その正当な後継者、それが羽海野チカだっ。
たとえヤングアニマルとかいう生臭い名前の
青年誌に掲載されていたとしてもだっ。
(もっとましなネーミングなかったのか?)
そうだったらそうなんだっ。

さて、8巻です。
宗谷名人の難聴もさることながら、
圧倒されるのは柳原棋匠のくだり。

60歳を超えて、A級棋士であり続け、
タイトル戦に出続ける老棋士のお話です。
老いゆえの避けがたい苦しみ。
過ぎ去った時間の重さ。
棋士人生の先が短い事への恐怖。

そんな荒涼とした内面が
羽海野DNAにより、
見てきたかのように描き出されており。
凄すぎて涙も出ない感動というものがあるんですね。

読んでいない方には意味不明でしょうが、
柳原先生がたすきをつかみ、引きずるシーン。
あの表情、鬼気迫る物がありましたね。
胸を突かれました。



いつか。
いつか誰しも道を譲らねばならない時が来る。
その時がくるまで、
わたしも精一杯やろう、そうしたい。
心からそう思いました。


みなさんも元気が出ないときに
読んでみて下さい。







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ゲームの達人

2012年09月09日 | 文学
シドニィ・シェルダン「ゲームの達人」。





ダイアモンドラッシュに沸く南アフリカで企業し、
世界の頂点へ登り詰めた一族のお話。


上下巻だが、下巻の途中で先が見え、
読むのをやめてしまった。
まるで昼ドラなのだ。
どうせ最後に大どんでん返しが
仰々しく待ち構えているのだろう。


この著者の作品で「真夜中は別の顔」というのを
中学生の時に読んだ。

ずいぶんセクシュアルな内容だったが、
それが物語の原動力となって一気に読めた。

著者の癖なのか、
あの時は何とも思わなかった設定の雑さが

今は気になる。


なにせ用済みの登場人物は
みんな突如亡くなるか、気がふれるのである。



なんだか読むのが馬鹿らしくなってくるのも
お解り頂けるかと思う。









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小川洋子と死者

2012年08月16日 | 文学
作家・小川洋子先生のインタビュー記事を読む。
(毎日新聞8/6夕刊)
http://mainichi.jp/feature/news/20120806dde018040055000c3.html



「言葉を持たないものが
隠し持っていることの中に物語がある。
言いたいことがあるけれど、言葉を持たないから、
声に出せない。
あるいは、うまく言う術を知らない。
それで自分の中にじっと抱えている。
それを架空の世界に移動させると、
しゃべり始めるのです。
死者は語る術を持たない最たるものです。
(略)小説を書くとは、死者と会話することなのでしょう」


この「死者」は「弱者」に等しいだろう。
言葉を持たない者、伝える術をもたない者の中にある、
意思表示したいという欲求のマグマ。
伝えたい事を心の中に抱えている時間に比例して
はち切れそうなほど腫れ上がる、
理解されたいという欲望のエネルギー。
それを文字にする。
死者に口を持たせる事が作家の仕事なら、
作家は現代のシャーマンだ。


ところでこの小川先生が芥川賞を受賞した
「妊娠カレンダー」という作品がある。
この本を、貸してあげるから読んで、と
私に勧めた女教師がいる。

農薬のたっぷりかかったグレープフルーツでジャムを作り、
胎児に悪影響がある、と知りつつ、むしろそれを目論んで
妊娠中の姉にせっせと食べさせる妹のお話である。

なぜ女教師が私にそれを勧めたのか、
今をもってよく解らない。
英語の先生で、剣道の免状を持っており、
凜として美しい女だった。
彼女は今どうしているだろう。


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「大奥」有功降臨

2012年08月01日 | 文学
よしながふみ原作の「大奥」が
再び実写版で登場するらしい。

http://www.hakusensha.co.jp/women/movie.html

ドラマは、涙なくしては1ページも読み進めない有功編。

究極の草食系男子・有功は、
優男を演じたら至上の能力を発揮する
堺雅人。

勝ち気で寂しがりやな家光には
ライアーゲーム再生で可憐なヒロインを務めた
多部未華子。

映画版もあるらしく、そちらは綱吉編で、
綱吉は鬼才・菅野美穂。
右衛門佐はドラマと同じく境雅人。



よしながふみ先生は堺雅人ファンなのかも。







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ブラックジャック

2012年07月07日 | 文学
ピノコ誕生の話が急に読みたくなり、
ブラックジャックを読み返しました。

ピノコは卵巣嚢腫の中身を
BJが繋げて出来た娘、というか嫁。
という話を職場で披露してみたのですが、
みなさん「初耳」というお顔をされていたので、
記憶に自信がなくなったのです。

読み返してみると色々間違っている。
卵巣嚢腫ではなく、畸形嚢腫だったり、
双子の姉の体内で大きくなったという部分を
すっかり忘れていたり。
割と自信あったのにな。
結構いい加減に覚えているものです。
職場のみなさんに訂正しておかねば。

ところで、BJの魅力って、なんでしょうね。

考えるに、「男臭い」って事なのかなと思います。
BJの灼熱かつ超クールな「男くさい」性格。
その性格の矛盾が物語の軸になっている。
それは、世のほとんどの男性が抱える矛盾なんだろうな。
男性読者は共感しやすいんだろうな。

一方で女子読者用のアイコンとして
ピノコを周到に配置してあったり。
あざといと言っては失礼ですが、
読者の心をわしづかみにする事に関しては手抜かり無し、と言った所。

つまりこれはキャラクターの勝利。
こんなに魅力あるキャラクターを生み出せる手塚先生は
さぞ深いお人柄だったんだろうな、と思いを馳せました。

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ボビー・フィッシャーを探して

2011年04月10日 | 文学
「ボビー・フィッシャーを探して」を鑑賞。



チェスに特別な才能を持つジョシュ(7歳)と
彼を囲む家族・友人の物語。

チェスとその勝敗にのめりこんでいく大人たち。
それを淡々を見つめる少年の目線がうつくしい。

たとえばこのシーン。

ポーン・ナイト・クイーン・キング・・・と駒を並べて、
ジョシュのコーチであるブルースが問う。
「君はどれだと思う?」
ちなみにブルースはプロ棋士みたいなもので、
ガチの勝負師である。

ジョシュは問い返す。
「何のこと?」
ジョシュは質問の意味を完全に理解している。
だが、問い返す。

「この中で君はどの駒だと言ってるんだ」
いらだつブルース。
ジョシュが質問の意味を理解していると知っているからだ。
ブルースはキングと言わせたいのである。

対戦に勝つには、勝者、つまりキングになりたいと願う
強い欲求が不可欠だと考えているからだ。

ジョシュは答える。
「どれでもないよ。だってそれは駒じゃないか。」
それに対して、チェスはただのゲームである。
自分は自分であり、
その意識の中には勝者も敗者もない、と答えるジョシュ。




さらにブルースは言う。
「軽蔑の意味を知っているか?
相手を自分より価値のないものだと思うことだ。
対戦相手を軽蔑するんだ。憎むんだ。」

ジョシュはおどけた表情で返す。
「僕はイヤだ。」

子供だな、という顔で、軽く笑って横を向くブルース。
「天才ボビー・フィッシャーは世の中を軽蔑していた。」
君も天才と呼ばれたければそれにならえ、
軽蔑を覚えろと教えるブルース。

そのブルースをまっすぐ見つめて、ジョシュが答える。
当然の事なのにどうしてわからないのか、という表情。
「僕は彼じゃない。」



この映画が制作されたのは1993年のアメリカで、
湾岸戦争の2年後である。
wikiによると、この年2月に世界貿易センタービルの爆弾テロが起きている。
(なんでもアルカイダがビル地下駐をボムでぶっとばしたらしい。)

このような世相の中で作られた映画だと思うと
上記のシーンや、決勝戦の勝敗を「引き分けにしよう」と
ジョシュに提案させるシナリオにした制作者側の思いが
より伝わるように思う。

勝敗にこだわる大人たちの世界に反して
そうではない新しいやり方を次の世代に期待しているのだなあ
ということも。

ややこしい事はさておき、
主役の少年、マックス・ポメランクのうつくしさ、聡明さと
全編をおおうジョシュの母親・ボニーの暖かさを感じるだけで
心が洗われる映画です。
ぜひご覧ください。




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