望月けんいち 活動日記 

国立で生まれ育った普通の男が、お金も地盤も看板もなく、国立市の市議会議員になる。
国立を愛してやまない男の日記です。

高齢者施設慰問

2011年08月30日 | 日記
こんにちわ、望月けんいちです。

今日は午前中議会運営委員会傍聴、そして議会の一般質問のヒアリングを担当部局としていました。

質問のひとつにジェネリック医薬品の普及をいかにすすめるかがあります。毎年、国立市では国民健康保険税の赤字がおよそ毎年9億円あります。それを一般財源(すなわち、みなさまの税金)から補てんしています。つまり、企業などで国民健康保険以外の医療保険に加入しているという方にとっては、保険料が二重取りされている(給料天引きの保険料及び税金という意味で)という論理もなりたちます。また、本来、一般財源として他の福祉やその他の財源として使えるお金が、国民健康保険税の補てんにまわっているということがいえます。

ただ、この問題は単純ではありません。国民健康保険は、高齢者ややむなく仕事を辞めざるをえなくなった方も多く加入しており単純に値上げすれば良いという議論でもありません。ほんとうにやむなく値上げせざるをえないにしても、その前にできることはすべてしなければならないという意味で、今回質問項目に加えさせていただきました。

さて、話題を28日日曜に戻させていただきます。

午前中、防災訓練に参加した後、午後、調布の高齢者施設に慰問に行きました。私は趣味の一つとしてゴスペルという合唱サークルに参加しています。その仲間達と一緒に老人施設でご高齢の方達の前で歌わせていただきました。

この話、6月に中学時代の同窓会があり何十年ぶりで同級生達と再会しました。その中で、老人施設で働いている友達がいて、歌わせてほしいと頼んだら、快く責任者を紹介してくださりとんとん拍子で、今回のゴスペルライブとなりました。

ゴスペルというのは、『天使にラブソングを』という有名な映画でご存じな方もいらっしゃるかもしれませんが、いわゆる黒人霊歌です。奴隷として連れてこられ虐げられた黒人たちがみずからを励ますために歌った歌、それがゴスペルです。ですから、歌詞も前向きになれるものがほとんどです。

ゴスペル、ほとんどが英語の歌なのですが、今回はお客様がおじいちゃんおばあちゃんなので英語の歌は一曲のみ。後は、『ふるさと』や『四季の歌』など日本の歌を歌わせて頂きました。

いや~良かったです。歌いながら涙が出たのは初めてです。ゴスペルの仲間達も泣きながら歌っている方が何人もいました。

とくに『四季の歌』は涙をこらえるのに苦労しました。

『冬を愛する人は心広き人 根雪を溶かす大地のような ぼくの母親』と歌っていた時、おばあさまと目があって号泣しそうになりました。あのおばあさまは、うちの母親とさほど歳は変わらないと思います。

あそこで入居しているような普通のご高齢の方が、戦後がれきの中から苦労されて日本を復興させてきたんだよなあ~と感慨にふけりました。

私達、若い世代もがんばって日本を復興させないと。

今回、おじいさんおばあさんからたくさんエネルギーを頂けました。ありがとうございます!

防災訓練と老人施設慰問

2011年08月29日 | 日記
こんばんわ、望月けんいちです。


9月議会が近づいてきました。一般質問のヒヤリングの他、福島県復興支援のお手伝いの業務連絡などで駆けずりまわってました。結局、夏休みでどこかにプライベートで行くというのもなさそうです(泣)

さて、昨日のお話し。どうしてもブログの日時がずれてしまう、反省です。

昨日、朝8時頃から第五小学校で防災訓練に参加しました。第五小学校の校舎、私が通っていたころ(30年前です。)とみごとなまでに変わっていなかった。変わっていたのは、耐震化されていたことと体育館の壁にクッションができていたことぐらいでしょうか。

懐かしかったです。小学生の頃は、勉強できない、野球は補欠、目立たないというある意味三拍子そろった子どもでしたが、5年生の担任に、ある時、歌を歌ったらほめられ、それから妙な自信がついたのか、勉強のほうも少しずつできるようになってきました。人間、ほめられると変わるものです。

話を戻すと、防災訓練、実際やってみると得るものが多くありました。バケツリレーひとつを取ってみてもやり方がきちんとあるのですね。知りませんでした。

そして、簡易トイレを市の職員の方と富士見台二丁目及び三丁目の自治会の方達と作ったのですが、意外とこれが設置に時間がかかる。普段からの訓練が大切だと痛感しました。

トイレを設置した後、車いすの方がいたので、実際にしょうがいしゃの方が使用できるかを試して頂いたのですが、まず車いすが簡易トイレのテントに入りません。もちろん、介助者の方も入れません。この簡易トイレは、健常者は使用できるがしょうがいしゃの方は使用がほとんど困難であることがわかりました。

今日、防災課の方にこの件についてお話しをしたのですが、しょうがいしゃ用の非常用トイレはまだ整っておらず順次整えていくそうです。担当の方もこれはまずやっていかなければならない問題であるという趣旨のことを熱意を持ってお話してくれましたが、話していくとやはり問題はお金のことにぶちあたります。国立市は、『こころざしは高くともお金がない』のです。でも、やらなければならないことは、前倒しで進めていかなければなりません。食べること、そして排泄することは人間にとってもっとも基本的なことなのですから。

国立市は、『しょうがいしゃがあたりまえに暮らせるまち宣言』をしたまちです。

しょうがいしゃ用のトイレの問題などとっくにクリアーした問題だと思いましたが、現実はまだまだなようです。

さて、先週、福島県の須賀川市に行き、あちらの市長ともお会いしてきました。須賀川市は、福島県の内陸にある町です。ですが、今回の震災で津波ではなく地震で町の建物が何軒もやられてしまったそうです。市庁舎も使用不能になり、隣の市の体育館のホールが市役所の代わりとして使用されていました。

須賀川市の市庁舎は、国立市の市庁舎と築年数もさほど変わりません。いつ、ここ東京にも大震災が起こるとも変わりません。市の防災対策の充実を図らなくてはならないと須賀川市の市庁舎を実際に見て思いました。

備えあれば憂いなし、です。

やはり、ブログ長くなってしまった(汗)

日曜午前中、防災訓練に参加した後、午後、老人施設にゴスペルという合唱のサークルで慰問に行ったのも私にとっては印象深いエピソードでここで書きたかったのだったのですが、明日また書きます。

国立発いわきボランティアバスツアー

2011年08月16日 | 日記
こんばんわ、望月けんいちです。

そろそろ、9月議会も近づき少しづつ一般質問の準備も始めました。今日は、一般質問の通告書(自分の質問事項を並べた書類)のゲラを作り、市役所の担当部局の方と打ち合わせをしてきました。

まだまだ詰めが足りない部分がたくさんあるので、これから勉強開始です。気分的には、夏休みの宿題を終えていない小学生のようなものでしょうか。他にもやることがたくさんあるので少し焦ってます。

昨日は終戦記念日。政治的立場がどうあれ、みんな、戦没者の方々のご冥福をお祈りし平和が続くように祈ることに変わりはありません。私は、静かに平和が続くよう祈り、そして活動していきたいと思います。

空襲を受けた後の東京の映像を見ましたが、ある種の既視感を覚えました。

いわき市のボランティアに行った際に見た被災地の被害が大きかった場所に若干似ているのではと。

我々は、『戦後』ならぬ『震後』の時代を生きている、と誰かがおっしゃっていた記憶がありますがそれはあながち外れていないのかもしれません。

さて、先週の木曜、日帰りでいわき市にボランティアに行ってきました。この前行った南相馬市は交通手段などすべて調べていったのですが、今回のいわき市へのボランティアは、NPO団体がすべて仕切ってくれるボランティアバスツアーなのでとても楽でした。

参加費が4500円で昼食及びドリンク、温泉付きです。これは、東京発いわき市行きの高速バス料金往復の値段(片道3350円×2)よりも安いです。しかも、普段は旅行会社の添乗員やバス運転手をしている方が、休みを使ってNPOを運営しているのでなにかといきとどいていました。


しかも、なによりうれしかったのが、バスの車庫が国立市にあり、その日たまたま、多摩地区から参加する人が僕だけだったので、国立集合になったこと(前回も多摩地区で参加者が国立の方だったので、国立集合になったとのことです。)

さて、5時40分に国立を出ていわき市に着いたのが10時半過ぎ。

それから、ボランティアセンターで受け付けを済ませ、津波の被害にあった高校で、スコップを使って砂かきをさせていただきました。その高校は、一階部分は津波で使えない状態になっていました。写真でお見せできないのが残念ですが、かなりひどいものでした。

そんななかでも希望を感じたのが、津波でぼろぼろになった武道場で高校生たちが、太鼓などの楽器を使ってお祭りのお囃子?の練習をしていたこと。

私は、作業開始前に、ぼんやり腰掛けて聴いていたのですが、その音色は、とても地方色豊かで、一瞬そこが被災地であることを忘れてしまうほどでした。

そして、彼らが時折浮かべる澄んだ笑顔。人は状況がどうあれ笑えるのだ。

そして我々ですが、砂かきの作業は炎天下厳しいものがありましたが、他のボランティアの参加者の方とも打ち解けることができ、こちらも高校の部活のように楽しいボランティアでした。

今回のボランティアツアー、僕のようなボランティア初心者にはとても入りやすいものでした。主催者自身も、このボランティアツアーは『ゆるさ』がいいところであるみたいなことをおっしゃってました。

自分も国立市でボランティアバスツアーを企画してはどうかと6月議会で質問させていただきましたがみごとに却下されました。残念なことですが、今回改めて思ったのが、結局本人のやる気だなと。

このボランティアバスツアーの主催者の方は、震災後思い立ってゼロからNPOを立ち上げたそうです。本業も忙しいのに大したものだと思いました。今回のバスツアーでも、参加者が20名近くいて剰余金は1000円位しか出ていないそうです。まあ、普通に考えて4500円で昼食ドリンク付きそして温泉も付いてペイできるはずがありません。

このバスツアー、震災ボランティアの入り口としては、とても良いツアーだと思います。8月22日(月)と9月11日(日)にもあるようですから、お時間ある方は参加してはいかがでしょうか。

普段は立川集合のようですが、多摩地区で参加者が国立の方のみだったら、国立集合にしてくれそうな気もします。


念のため、連絡先を記しておきます。

NPO ゲットライブリー

代表 浅野

TEL:070-6486-6769
E-Mail:get-lively@willcom.com

http://www.tvac.or.jp/tuna/22199.html


写真は、ボランティア先の高校にて被災の犠牲者の方々に対して黙祷をさせていただいた時の一枚。ボランティア終了後、被害の大きなところに行きました。どこの家も土台から上がなくなっており、遠くから海が見通せる哀しい光景でした。土台だけになった家のたもとにご遺族が植えられたであろう赤い花が何輪かぽつんと咲いていました。あの花は、一生忘れないと思います。












南相馬市でボランティア(2)

2011年08月09日 | 日記
こんにちわ、望月けんいちです。

今日は暑かったですね。熱中症などならぬよう、皆様ご自愛くださいませ。

さて、昨日の日記の続きです。

作業は、大変きついものなので30分に一度くらいは休憩が入ります。

休憩中、いろいろなことを話しましたが、その中で、ハリーポッタの主人公を細くしたような方がいて、その方がすごい放射能のことに詳しかった。

私も今までいろんな勉強をしてきましたが、彼の説明が一番わかりやすかったと思う。

彼は、床下の泥出しにも積極的に参加し、全身泥まみれになっていました。彼はおそらく自分の取れるリスクを冷静に計算したうえで、その作業に参加したのだと思います。

理論だけではなく実際に行動できる人。すごいと思いました。

さて、ボランティア作業終了後、みんなで集合写真を取りました。一期一会の出会いですが、一緒に作業をした仲間です。なぜだかぐっとくるものがありました。みんな関西や九州など遠くから来ている方も大勢います。

知り合いになった方と何人かでお風呂に行きました。ボランティアに参加した方は安くお風呂に入る割引券がもらえます。

まだ、会って一日しか経っていないのに高校生のような打ち解けた感じで話すことができました。

そして、今日帰る人を除いて、飲みに。屋台村で飲んだのですが、夜風が心地よかった。あんなに純粋にビールがうまいと思ったのは久々です。

えらいこと盛り上がっていると、地元のNPO団体の代表の方と知りあうことができました。その方は、南相馬で除染作業を進めるため、脱原発をしている有名な先生方と打ち合わせを進めているそうです。

そこで、南相馬の人口がおよそ半分になってしまったこと、自分は残っているが妻と子どもは避難させたこと、相馬は東京と仙台に挟まれている土地であるが千年の歴史があり侵略されてこなかったこと、などを伺いました。

一番印象に残っているのは、我々はボーダーラインのところに住んでいるんだとおっしゃったことです。図らずも原発事故によってテストケース(言葉は間違っているかもしれません)にされてしまった。

南相馬が住めないと認定されたとしても、そうしたらそこの周辺部の町がボーダーラインの町になる。だから、我々は懸命にやらなければならない。

言葉の一つ一つの重みが違いました。

私にはやはりこの問題の収束をどうしたらわからないところがまだあります。

ただ、言えること、また南相馬に行きボランティア活動をしたいと思います。

南相馬市でボランティア(1)

2011年08月08日 | 日記
こんばんわ、望月けんいちです。

時間が経つのはあっという間ですね。8月も前半を終えようとしています。日々あわただしく過ぎていきます。流されないように一日一日を大切に大切に生きようと思います。

さて、先週の木曜夜から日曜早朝まで南相馬市に滞在し、うち、木曜、金曜日と南相馬市の被災された一般のご家庭に泥出しのボランティアをしていきました。

その時の出来事を何回かに分けて書きたいと思っています。

まず、木曜日、その日は、午前中、市役所で会派代表者会議、午後は議会運営委員会の傍聴をした後、急いでボランティアに行く準備をし、午後6時に一日一便だけ運行している東京発相馬行きのバスに乗り込みました。

そして、南相馬市に着いたのが夜中11時半過ぎ。駅に近いホテルを予約していましたが、徒歩だと20分はかかる距離。しかも深夜、周囲は普通の住宅街(ちなみに海沿いではないので、被害はほとんどありませんでした)。ここはどこだ?という状況です。

若干不安に思いながら、バスに乗っていたご高齢のご夫婦に駅までの道を聴くと、向かえの車が来るから一緒に乗っていけば、といううれしい申し出。

その時の私の服装は、古着屋で買った赤いTシャツに短パンというみすぼらしいもの。そんな風体で見ず知らずの人間を、快く車に乗せてくださる。福島あたりには、まだ古き良き日本人の人情が残っているのかもしれまん。

次の日、ボランティア初日。一般家庭の泥出しのボランティアに参加しました。私は長靴・マスク・ゴム手袋など道具一式を揃えて参加しましたが、なければ貸出しもしてます。

残念ながら平日は人が足りていない状況のようです。

作業内容は、家の床下及びガレージの泥出し作業でした。私はガレージの泥出しをしましたが、これがきつかった。

途中で熱中症になりかけましたが、その家のおかあさんに出して頂いた自家製おにぎりときゅうりの漬物をたべて復活(持参した昼食は食べずに終わりました)。

また、大きな屋根付きの軒下で休憩をさせていただいたのですが、流れている風がほんとうに心地よい。こんな気持ちの良い場所にいるのは何年ぶりなんだろうとさえ思ってしまいました。

海の近い場所にあるのですが、海は見えず、見えるのは山の木々だけ。3月の終わりに同じ場所に来た時は海水にさらされ無残な姿をさらしていた畑や田んぼも雑草が生い茂り、震災当時の姿ではありません。

また、南相馬市は、津波の被害を受けていない場所は、美しい田園風景が広がるすばらしい場所でした。

震災がなければ、ここは本来風光明媚な土地であったに違いありません。

しかし、あらためて思いました。放射能は目に見えないものなんだなと。

美しい田園風景と放射能。この相容れない二つのことが問題を複雑にしているのではないかと。

私は、この問題をどう考えたら良いかわからなくなっている部分があります。

しかし、私は、同じ日本国民として、福島の人々を応援したいという気持ちに変わりはありません。それと同時に子ども達の未来を守らなくてはならない。

へたをするとバランスが崩れ、知らず知らずのうちに差別にすらつながりかねない可能性がある二つの問題を、どうバランスをとって考えていくか・・・それが知りたくて今回南相馬市に来たのかもしれません。

まだ書き足りないことがたくさんあります。また明日書きます。