望月けんいち 活動日記 

国立で生まれ育った普通の男が、お金も地盤も看板もなく、国立市の市議会議員になる。
国立を愛してやまない男の日記です。

南相馬市でボランティア(2)

2011年08月09日 | 日記
こんにちわ、望月けんいちです。

今日は暑かったですね。熱中症などならぬよう、皆様ご自愛くださいませ。

さて、昨日の日記の続きです。

作業は、大変きついものなので30分に一度くらいは休憩が入ります。

休憩中、いろいろなことを話しましたが、その中で、ハリーポッタの主人公を細くしたような方がいて、その方がすごい放射能のことに詳しかった。

私も今までいろんな勉強をしてきましたが、彼の説明が一番わかりやすかったと思う。

彼は、床下の泥出しにも積極的に参加し、全身泥まみれになっていました。彼はおそらく自分の取れるリスクを冷静に計算したうえで、その作業に参加したのだと思います。

理論だけではなく実際に行動できる人。すごいと思いました。

さて、ボランティア作業終了後、みんなで集合写真を取りました。一期一会の出会いですが、一緒に作業をした仲間です。なぜだかぐっとくるものがありました。みんな関西や九州など遠くから来ている方も大勢います。

知り合いになった方と何人かでお風呂に行きました。ボランティアに参加した方は安くお風呂に入る割引券がもらえます。

まだ、会って一日しか経っていないのに高校生のような打ち解けた感じで話すことができました。

そして、今日帰る人を除いて、飲みに。屋台村で飲んだのですが、夜風が心地よかった。あんなに純粋にビールがうまいと思ったのは久々です。

えらいこと盛り上がっていると、地元のNPO団体の代表の方と知りあうことができました。その方は、南相馬で除染作業を進めるため、脱原発をしている有名な先生方と打ち合わせを進めているそうです。

そこで、南相馬の人口がおよそ半分になってしまったこと、自分は残っているが妻と子どもは避難させたこと、相馬は東京と仙台に挟まれている土地であるが千年の歴史があり侵略されてこなかったこと、などを伺いました。

一番印象に残っているのは、我々はボーダーラインのところに住んでいるんだとおっしゃったことです。図らずも原発事故によってテストケース(言葉は間違っているかもしれません)にされてしまった。

南相馬が住めないと認定されたとしても、そうしたらそこの周辺部の町がボーダーラインの町になる。だから、我々は懸命にやらなければならない。

言葉の一つ一つの重みが違いました。

私にはやはりこの問題の収束をどうしたらわからないところがまだあります。

ただ、言えること、また南相馬に行きボランティア活動をしたいと思います。