望月けんいち 活動日記 

国立で生まれ育った普通の男が、お金も地盤も看板もなく、国立市の市議会議員になる。
国立を愛してやまない男の日記です。

石巻でボランティア

2012年03月27日 | 日記
おはようございます!

二日遅れになってしまいましたが、土日、石巻でボランティアをしてきました。

非常に印象深いボランティアとなりました。

そのなかでのエピソードを2つ紹介します。

金曜夜、埼玉県川口市をバスで出発し、石巻には土曜朝着きました。最初、被災した小学校を見学させて頂いたのですが、小学校以外は、きれいに整地されそして雪が積もっていたせいもあって、もとの状況がわからなくなっていました。それはそれで物悲しい景色でありました。

そして、仮設住宅の集会室で、仮設住宅に入っている方達に、フリーマーケットやカラオケなどを楽しんでもらうイベントのお手伝いをさせていただきました。

お手伝いがひと段落したのち、仮設に入っている子ども達と遊びました。子ども達がなじんでくると、ひたすら肩車をさせられたのですが、そのうち、こどものうちの何人かが、私のことを”お父さん”と呼び始めした。

これは非常に戸惑いました。

普段もほぼ毎週土曜日、駄菓子屋くにちゃんという地元のイベントに参加させていただき、子ども達と遊びます。

駄菓子屋くにちゃんも、いろんな境遇の子ども達が集まってきます。そのイベントで、6歳の子と遊んでいた時、つい、「お父さんは?」と聞いて、その子が何秒が沈黙ののち「いない。」とぽつりとつぶやいて、気まずかったのを思い出しました。

まして、被災地です。事前のスタッフさんの説明で、「話すことは慎重に」ともうかがっていたので、仮設に入っている子ども達の家庭環境を聴くことはできませんでした。

また、そのイベントは16時までだったのですが、終わりのころ、遊びに来た子どもがいました。カラオケがしたいというので、一緒につきそったところ、彼が「カントリーロード」という有名な曲の日本語版を歌い始めました。

著作権の関連があるので、歌詞の引用は控えますが、歌の内容は、「もう故郷には帰れない。」とういうものでした。

その子も、家を失い仮設に入っている子です。どんな気持ちで歌ったのでしょうか。かなりせつなくなりました。

次の日は、女川町の町立病院に行きました。海からは、おそらく30mぐらい高台にあります。しかし、その高台にある駐車場まで津波は押し寄せ、そこにいた方は亡くなってしまったそうです。

その話しを聴いて、自然には勝てないと思わざるをえませんでした。私達が泊まらせて頂いたご住職がお話しされていたのですが、みな一度は心が折れたそうです。

そういった状況のなかで、東京に住む私達がなにができるのか、今一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。

少なくとも一度現地へ行ってみてください。ネットではわからないことがたくさんあります。

3月22日(木)のつぶやき

2012年03月23日 | 日記
19:23 from Twitter for Android
DVに関する超党派の勉強会に参加。この分野は初心者しっかり勉強したい。DVに関する相談は、心理的なカウンセリングだけでは足りないとのアドバイスは、カウンセラーの資格を取ったばかりの自分にとっていい勉強になった。これから財政改革審議会傍聴。

by mochiken46 on Twitter

本はトモダチ

2012年03月16日 | 日記
こんばんわ、望月けんいちです。

明日(正確に言うと今日)の総務文教委員会の準備が終わりません。現在、夜中の2時52分。

予算委員会が水曜に終わり(これも激動でした。また、書きます。)、今日(正確に言うと昨日)は、午前中、議会運営委員会で傍聴。

議会運営委員会の議題は、全員協議会を市民の公開にすべしという趣旨の陳情。

私は、すべての議会の会議を公開にせよという立場です。全員協議会は、現在非公開ですが、議会運営に関わることはわりとここで決められることが多いです。

たとえば、議員の期末手当の問題、公用車の問題、議会費にかかる(要するに市民の皆様からの税金)問題も、”議会のことは議会で”というルールのもと白日にさらされず、非公開で決められます。

私は、議会に関わることであっても、皆様の税金から運営されていることなので公開すべきと考えています。

さて、午後は図書館協議会でした。

図書館事業計画、平成23年図書館主要施策の総括、平成24年図書館費、などが話し合われました。

この会議は、市民の方など図書館に関わっているいろいろな方が委員となっております。共通するのは、みなさん当然のことに”図書館熱烈ラブ!”な方ばかりです。話しを聴いてていつも面白いなと思います。

私も、ひとごにおちず”図書館ラブ”な人間です。幼少の頃、小学校の頃は、中央図書館が家から100mも離れていないせいもあって、ほぼ毎日行ってました。あまりに毎日行っていたせいもあって、5歳くらいの頃、図書館2階で絨毯に座り込んで児童書を読んでいたら、職員の方に写真撮られ(もちろん同意あり。)、図書館パンフレットの表紙に自分が本を読んでいるところの写真が載っていました。今でもそのパンフレット残っています。

私にとっては、”本は借りるもの”でした。(たぶん、このキーワードがわかる人はなかなかの図書館好き)

特に幼少期は、家が貧しかったせいもあって、”本を買う”という発想があまりなく、毎日図書館に行って、繰り返し”つり入門”や”日本の歴史”を読んでいました。また、両親とも日中仕事でいなかったので、図書館は家に代わる“居場所”でした。

おかげさまで、本の読む習慣がつき、それは自分の人生の各所で役にたちました。

たとえば、国語力がついたおかげで、難関ともいわれる国立高校・一橋大学にも合格できました。国語力は、すべての学習の基本。それは図書館で培われたものです。

そんな大変お世話になった図書館ですが、3月に職員さんが一人、定年でおやめになるそうです。図書館協議会の最後にその方がご挨拶されました。

その職員は覚えていないでしょうが、私は、その方に幼少期や小学校の時、大変お世話になりました。その方はだいたい2階の児童書の担当で、私はほぼ毎日図書館に行ってたので良く覚えています。

その職員の方がご挨拶された時、図書館に通っていた頃の記憶がよみがえって泣きそうになりました。つりが大好きで友達とよく多摩川に行っていましたが、つりに行けない時でも”つり入門”を読むだけでわくわくしたこと。なにかさみしいことがあった時も、図書館に行ったこと。いろいろなことを思い出しました。

しかし、つり入門とマンガ日本の歴史は繰り返し読んだなあ~あれはいったいなんだったんだろう。

図書館は、ただ本を借りるだけの場所ではありません。多くの方にとっては居場所であり、そして、失業中で家にいずらい方にとっては避難所(防災的な意味でなく)なのです。

そして、図書館司書という仕事は、単にカウンター業務だけではなく、実はとても専門性が高い仕事です。きちんと仕事を覚えるには何年も時間がかかる職人的な仕事です。

本を読むだけで、先人の知恵に学び、世界を旅し、いろいろなドラマの主人公にもなれます。

しばらく図書館に足を向けていなかった方、くにたちの図書館にいってみませんか?いろんな工夫がされていて楽しいですよ。空調も変わって、地下はほのかなアロマな香りもしますし。

最後に、退職される職員の方にはお礼をいいたいです。ありがとう、あなたのおかげで本を読む習慣がつきました。おかげさまで、自分の人生が危機な時、本に何度救われたことか。感謝です。

現在、真夜中3時53分、2時間ほど寝て仕事に戻ろう。