母が旅立った初盆のため、いつもとは異なった
心持ちでお盆を迎えた。
行年90歳(一年生さんのお父さんと同い年)で
眠るように息を引き取った母を看取り、葬儀を滞
りなく終え、長男として責任を果たす事ができた
ことにほっとした気持ちさえ抱いて、日々過ごし
て来た。
もともと仏教の考え方に関心はあり、深く勉強し
ていたわけではないが、真理を説いていると漠
然と思っていた。
一方、葬儀などにおける僧侶の説教などを聞く
につけ、僧侶に対しては、懐疑的な印象を抱い
ていたのは、偽らざるところ。(我が家のお寺
のご住職には、お世話になっており、決してその
ような気持ちではないことを、申し添える。笑)
どちらかと言うと、宗派ではなく、仏教の教義その
ものに私の関心は向いている。(殆ど勉強してい
ないし、教義そのものも良くも知らないが)
そんな心持ちでお盆を迎え、先祖、父、母、そして
兄(戦後の混乱期に生後5ヶ月で急性肺炎で逝去)
を迎え、そして見送ったが、我が家のお寺「高野山
真言宗八葉○寺」(我が家は檀家にはなっていない)
から、8月16日にタイトルの行事を行うとの案内が、
届いた。
熱心な信者ではない我が家には、いままでこのよう
な案内は届いた事はなかったが、母の初盆でもあり、
どのように行われるのか興味もあり、妻と出てみる
事にした。
「服装は」「お布施は」「卒塔婆のお金は」など、事前に
お寺のご住職のお母さん(現在のご住職が就任される
まで、倒れられた先代ご住職に変わって、住職をつとめ
ておられた方)に電話で聞いての参加である。
失礼ながら、決して豪華な造りのお寺ではない。どちらか
と言うと、質素で本堂も大きくはない。
その本堂に、百数十人も詰めかけ、メンバーも私より
年配の方が大半と思い気や、若い30代のご夫婦が
小学生くらいのお子さんを2〜3人くらい連れて来られ
たり、中高校生くらいの女の子が浴衣を着て参加して
いる風景を見て、まずは驚いたのが、率直な感想。
4人の僧侶による読経の後、餓鬼供養を行い、本堂に
釣るされた灯籠を持って、石狩川へ向かう。
本堂につり下げられた灯籠の数は、参加者の数を越
える。
地域毎につり下げられているが、道外のものも多数
あった。
本州に移られた方が、お寺に頼んで灯籠を用意した
もののようだ。灯籠流しには、来られなかった方々の
灯籠も含めて、竹竿につり下げて、川まで運んだ。
このお寺は、北海道八十八カ所お遍路の75番札所になっている。(スマホ撮影)
妻に写真を撮ってみてはと言われて、
周囲の人に聞いたところ「始まる前ならいいのでは」と言っていたので、
スマホで撮影したが、果たして良かったのか。(スマホ撮影)
このように、来ておられない方々の灯籠も参加者が手分けして
竹竿に吊るし、川まで持って行く。
ご住職が法螺貝を吹きながら先導する。(スマホ撮影)
折悪しく、予報されていた事ではあったが、
台風7号の影響による雨が降り始めた。(スマホ撮影)
川岸におりつつあるところ
お寺から石狩川までの距離は、おおよそ100mくらい。
ご承知の様に、わが町の石狩川は、川幅が数百メートル
の大河の様相。
川岸は、洪水に備えて堤防が築かれ、一般的な灯籠
流しの様に、川岸に足をつけて灯籠を1個1個流すという
事ができない。
係の人とご住職が、船にのり、灯籠を船に積んで、川の
真ん中程まで行って、そこで住職が灯籠を流すという
方法をとるため、最後の灯籠を流し終えるまで
かなりの時間がかかる。雨が本降りになり、私もずぶぬれになってしまった。(スマホ撮影)
「般若心経」を覚えたいと気持ちがありながら、なかなかそれができないでいた。
母の旅立ちを契機に、毎朝「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」を唱えていると、
だんだんそらんじる事ができるようになって来た。