MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2043 ポピュリストの見分け方

2021年12月17日 | 国際・政治


 岸田文雄首相は11月10日の記者会見で「コロナ禍で国民の思いが政治に届いていないのではないか」と話し、現在の日本が、政治の説明が国民の心に響かない「民主主義の危機」の状況にあるとの懸念を表したということです。

 岸田首相は同会見において、「国民との対話、意思疎通、丁寧で寛容な政治姿勢をとり続けることが、国民の政治への距離を縮める重要なポイントだ」と語ったとされています。しかし、自身の思いがなかなか国民に伝わらない(現在の)状況を、「民主主義が機能していないせいだ」と感じているのだとすれば、それはそれで「ちょっとどうかな…」と感じないわけでもありません。

 そもそも民主主義(民主制)とは、紀元前5世紀ごろの古代ギリシャの都市国家アテネで始まったと歴史の教科書で読みました。当時のアテネは市民全員が参加する直接民主制で、最高権力者である執政官も(貴族ではなく)平民からくじ引きで選ばれていた。この制度を完成させたとされるアテネの政治家ペリクレスは、民主制を「少数者の独占を排し多数者の公平を守る体制」だとして、多数の意思が民衆を正しい方向へ導くと評していたということです。

 しかし、その後のアテネには、詭弁によって大衆を動かす扇動政治家(デマゴーゴス)が登場。大衆を政治的判断力が不十分なまま誤った方向に誘導し、アテネをペロポネソス戦争の大敗へと導いたとされています。こうした歴史を踏まえ、それから約20年後のアテネに生まれた哲学者プラトンは、民主政を「衆愚政治」として批判しています。判断力が不十分な市民が意思決定に参加することを「下層の貧民による支配」と位置づけ、コミュニティ全体が不利益を被ると批判していたということです。

 さて、時は現代に戻って、ヨーロッパ諸国での極右政党の勢力拡大や米国におけるトランプ大統領の登場などによって、確かに「世界は民主主義の危機を迎えている」と評されることが多くなったのは事実です。「移民の排斥」「自国ファースト」から「メキシコとの国境に壁を作る」というものまで、耳目を奪う極端な政策が(プアホワイトのような)仕事を奪われた人々を熱狂させ、収まる気配は未だありません。

 こうした動きを「ポピュリズムの台頭」と一言で言ってしまえば簡単ですが、コロナ禍で多くの国民が苦しんでいるのに政治家が納得のいく説明ができない現在の状況は、確かに「ポピュリズムの台頭に適した環境」といえるかもしれません。そんな折、12月1日の日本経済新聞のコラム「やさしい経済学」に、早稲田大学教授の浅古泰史氏が「ポピュリズムは先鋭化する」と題する一文を寄せているので、参考までに小欄で紹介しておきたいと思います。

 選挙において、有権者が政治家の過去の業績に基づいて投票するのはままあること。それは、能力が低く有権者と利害が対立するような政治家は、有権者の利益に反する行動を取りがちだからだと浅古氏はこのコラムに記しています。民主制の下では、有権者の利益に反する行動を取った政治家を排することは、望ましい資質を有する政治家を残す事に繋がる。なので、政治家の資質を直接知ることができない有権者は、過去の業績から政治家の資質を推察するしかないということです。

 しかしながら、こうして政策から資質を推察しようとする有権者の行動は、(しばしば)ポピュリズムを生み出す土壌となるというのが氏の指摘するところです。

 「ポピュリズム」という言葉は様々な意味で用いられるが、ポピュリズム的政治家は(得てして)「人民」の味方として「腐敗したエリート」である従来の政治家を糾弾するように振る舞うと氏は言います。しかし、「自分は人民の味方だ」といくらアピールしても、口先だけでは有権者は信じてくれない。そのため、(代わりに)有権者のアピールしやすい「極端な政策」が選択されることが多いということです。

 従来の政治家とは異なる「(我こそが)人民の味方」であることを証明するためには、効果的なメッセージを送る必要がある。そのひとつが、従来の政治家なら絶対に主張しないような政策を提言・実行することだと氏はしています。

 例えば、米国や欧州における移民排斥などはその典型といえるかもしれない。欧州統合や移民受け入れを進めてきた政治家が主張できない政策を求めることで、従来の政治家とは異なることをアピールできるというのが氏の認識です。その内容は右翼的なものばかりでなく、あえて急進的な左翼を演じる場合もある。いずにしても、(ポピュリストは)従来の政治家には主張できないような政策を提言するところに特徴があるということです。

 さて、氏によれば、このように「人民の味方」など相手に伝えたいことがあるにもかかわらず、直接相手に伝えられないときに、政策など間接的な方法を通して推察してもらおうとする行為を、ゲーム理論では「シグナリング」と呼ぶということです。従来の政治家が選ばないような極端な政策を主張した方が、より効果的に政策がシグナルとして機能する。このため、ポピュリズム的政策は往々にして極端なものになりがちで、特に政治家の当選意欲が強い場合は過剰なアピールをしようとするため、政策はより極端になる可能性が高いと言えると氏はしています。

 わかりやすい言葉で(腐敗した)既存の権力や体制を糾弾し、(政治にあまり興味のない人たちにも)シグナルとしてアピールできるような極端な政策提案を行うというのも、思えば(どこかで)思い当たる節がある話です。「いつか来た道」だとはわかっていながらも、同じ過ちを繰り返してしまう。私たちが(ついつい)そうしたものに惹かれてしまうという事実は、(古代ギリシャの昔から)人間の性がいかに成長しないかを物語っているようです。



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