MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2550 和尚さんの知恵

2024年02月29日 | 国際・政治

 古典落語の良く知られた演目の一つに、「締め込み」というものがあるそうです。

 ある日、戸締まりされていない長屋の留守を狙って泥棒が忍び込む。ヤカンが火にかかったままなのを見て住人がすぐに帰ってくると判断した泥棒は、急いで物色した衣類を風呂敷に包む。そこへ部屋の主が帰ってくる足音が聞こえてきたので、泥棒はとっさに台所の床板を上げ、縁の下に潜り込んで身を隠したということです。

 部屋の中に(泥棒の残した)風呂敷包みを認めた住人の男は、中に自分や妻の服が入っているのを見つけ、「あのアマ、荷物をまとめて駆け落ちをするつもりだな」と勘違い。妻が帰ってくるなり、「出て行きたければ出て行け」と怒声を浴びせたのが騒動の始まりとなりました。

 事情が飲みこめない妻に男が風呂敷を見せると、今後は妻が(その中に)自分の服を見つけ、「私の知らぬ間に女をこしらえて贈ろうとしたのね」と泣き出す始末。早口で男を罵倒する妻の剣幕に言い返せなくなった男は、ついにそばにあったヤカンを妻に投げつけたということです。

 咄嗟にヤカンを避ける妻。ヤカンは台所へ飛び、湯がこぼれて床下の泥棒にかかる。熱さに耐えかねた泥棒が飛び出して、「熱っつ!待ってください、落ち着いて…。この風呂敷包みは私が作ったものです」と白状する。そこで夫妻は、「よく出てきてくださった。あなたが正直に話してくれなければ、自分たちは別れるところだった」と泥棒に感謝するという落ちに続いていくわけです。

 さて、この演目ばかりでなく、「喧嘩の仲裁」は、八っあん熊さんやご隠居が活躍する落語の世界でも極めてスタンダードな状況設定です。4代目三遊亭圓生や3代目柳家小さん、5代目古今亭志ん生らの(名だたる)名人が好んでこうした演目を取り上げたのも、この「仲裁」の局面には、市井の人々の機微や知恵が詰まっているからなのでしょう。

 思えば、芸能人の離婚問題からパレスチナ問題や台湾有事に至るまで、夫婦やご近所間のトラブルはいつになっても絶えないもの。長屋の店子のもめ事を親身になって仲裁してくれる大家さんのような人は、現代ではなかなか現れないのかもしれません。

 そんな折、1月15日の経済情報サイト「PRESIDENT Online」が、ジャーナリストの池上 彰氏と作家の佐藤 優氏の共著となる『人生に効く寓話』(中公新書ラクレ)の一部を紹介していたので、小欄にも(ちょっとだけ)概要を残しておきたいと思います。

 この記事で作家の佐藤優さんが紹介しているのが、『猫の草紙』と題する(日本の古典)『御伽草子』の一篇です。

 昔々の京の町。鼠たちが、台所の食べ物を盗んだり、戸障子をかじったりのいたずら放題で、みんなが困ったことがあったということです。そこである時お上から、家々の飼い猫の首につないだ綱を解いて放すようお触れが出された。自由になった猫たちは、大喜びで町中を駆けまわり、世の中はさながら猫の世界のようになったとされています。

 天敵の跋扈に困った鼠は、寺の和尚に「もう一度猫を家の中につなぐよう、お上に頼んで欲しい」とお願いに行くが、「悪さをしたお前たちの自業自得で、どうしてやることもできない」と断られてしまう。一方、鼠がお願いに行ったことを知った猫も和尚のもとを訪ね、「我々が再びつながれたら、鼠はまた悪さをするに違いない」と話し、和尚は「鼠の言うことは取り上げないから安心しろ」と対応したということです。

 そこで、追い詰められた鼠たちは猫と戦うことを決意。迎え撃つ猫と正面から対峙するに至ったまさにその時、話を聞きつけた和尚が押っ取り刀で仲裁に入った。さて、その内容は…。

 鼠の軍に対し、「お前たちが死に物狂いになっても、猫にはかなわない。悪さをしないと誓うのならば、猫にお前たちを取らないように取りなしてやろう」と諭す和尚。

 一方、鼠が喜んでその提案を受け入れると、今度は猫の軍に向かって「ああ言うのだから、これからは鼠をいじめるな。ただし、もし鼠がまた悪さを始めたら、食い殺してもかまわない」と話し、猫もこれを受け入れたというのが話の大きな流れです。そして、(最終的には)「咎のない鼠を取るのはやめましょう」「よけいな人のものを取ったりいたしません」と口々に言いながら、猫と鼠たちはぞろぞろ帰っていったということです。

 さて、主として室町時代から江戸時代の短編物語である「御伽草子」だが、ここに出てくる猫や和尚さんの言葉には、時代を超えて迫るものがあると佐藤氏は話しています。特に、「停戦」を受け入れた猫と鼠たちに対して最後に和尚の述べる言葉を、我々は虚心坦懐に耳を傾けるべきだということです。

 「戦いになれば鼠は猫にはかなわないし、猫はやはり犬にはかなわない。上には上の強いものがあって、ここでどちらが勝ったところで、それだけでもう世の中に何もこわいものがなくなるわけではないし、世の中が自由になるものでもない。」「まあ、お互いに自分の生まれついた身分に満足して、獣は獣同士、鳥は鳥同士、人間は人間同士、仲よく暮らすほどいいことはないのだ。その道理が分かったら、さあ、みんなおとなしくお帰り、お帰り。」というのが、和尚が最後に残した言葉とのことです。

 いつの時代にも、どんな世界にもトラブルはつきもので、喧嘩の結果得られる勝ち負けなどは所詮一時のもの。傷つけあって生まれるさらなる恨みに比べれば、戦いによって得られるものなどたかがしれているということでしょう。

結局のところ、皆がずっと満足するようなことはない。で、あれば、人間は人間同士、妥協しつつ、知恵を絞りつつ仲良くやっていくしかないと諭す先人の知恵を、私も(「御伽草子」の一遍から)興味深く読んだところです。



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