1968年から雑誌「少年マガジン」に連載が開始された「明日のジョー」(原作:梶原一騎、画:ちばてつや)では、詐欺で警察に捕まった15歳の主人公矢吹ジョーはまず少年鑑別所に送られ、そこで牢名主的な存在だった後の親友、西寛一(マンモス西)に出会います。
その後、ジョーと西は家庭裁判所の審判を経て「東光特等少年院」に送られ、生涯のライバル力石徹との運命的な出会いを機に、ボクシングに目覚めていくことになります。
ドラマや小説などにもしばしば登場する「少年鑑別所」(いわゆる「年鑑」)は、罪を犯した少年に対し、家庭裁判所が審判を行う前に、対象少年の非行性や性格などを「鑑別」するための法務省が所管する施設です。少年たちの非行の原因や更生の方法などを、医学・心理学・社会学・教育学・人間科学などの専門的知識や技術により明らかにすることを目的として、都道府県に1ヵ所ずつ(北海道は4ヵ所、東京と福岡は2ヵ所)設置されています。
一方、全国に52か所ある少年院(しょうねんいん)は、家庭裁判所の審判の結果、保護処分として少年院送致を言い渡された未成年者を収容する施設(少年院法1条)です。また、少年院では、懲役や禁錮の言い渡しを受けた16歳に満たない者のうち、少年院での矯正教育が有効と認められた者を16歳に達するまで収容することもできるとされています(同法56条3項)。
なお、少年刑務所は、家庭裁判所による少年審判の結果、保護処分(保護観察や少年院送致など)よりも懲役や禁固などの刑罰を科すことほうがふさわしいと判断され、刑事裁判にかけられ実刑となった場合に収容される施設ということになります。
厳密に言うと、通常は逮捕された少年は一度検察官から家庭裁判所へ身柄を送致されるわけですが、家庭裁判所の少年審判の結果刑事処分にすべきと判断された場合は、「逆送」(検察官送致)といって検察官のもとに戻され、成人とほぼ同等に刑事裁判にかけられることとなります。そこで実刑判決を受けた場合、(逆送になる時点で凶悪な犯罪が多いため)ほぼ100%実刑となり少年刑務所に入所することになるようです。
さて、5月16日の産経新聞では、東京都下の多摩少年院を取材し、一般にはあまり知られることの少ないこの少年院に収容されている若者たちの現状について、ページを割いて紹介しています。
記事によれば、「振り込め詐欺」に手を染める若者が後を絶たない中、少年院で保護されている若者も際立った変質を見せており、少年院の指導現場もこうした変化に合わせて急激に様変わりしつつあるということです。
収容者に粗暴犯が多かった時代の少年院の人間関係は、(ある意味)面倒見の良いリーダーが他の少年を統率するという“ピラミッド型”の秩序構造だった。しかし、最近は知能犯の増加もあり、集団生活になじめない少年同士が話し合いをしたり、法務教官が少年と膝をつき合わせたりする“フラット型”の指導に移行していると記事は指摘しています。
「昔は暴走族や粗暴行為者が多く、やんちゃな子がたくさんいた。喜怒哀楽がはっきりしていて打てば響く子たちばかりだったが、最近は振り込め詐欺や性非行など特殊な非行で入ってくる子が増え、元気がなくなってきた。うれしくても悲しくても無表情で気持ちを適切に表現できない。なぜ悩んでいるのか、何を考えているのかを引き出すだけでも大変になってきています。」多摩少年院に20年勤務する生活指導主任は、現場の変化をこう説明しているということです。
多摩少年院に昨年中に収容された男子少年たちを犯罪種別にみると、窃盗に次いで2番目に多いのが詐欺(21・5%)であり、平成24年(5・4%)、25年(17・0%)と急増していると記事はしています。昨年、全国の少年院に収容された男子少年全体を見ても、詐欺による収容は5・9%で、3年前に比べ3倍以上増えているということです。
こうした少年たちの中には集団生活に馴染めない者も多く、実際、個別対応が必要なケースも増えているのだそうです。
収容者の多様化がもたらすドライな人間関係が、少年たちの間では当たり前になりつつある。他人のことが考えられない者も多く、「仲間を大切にしたい」「守りたい」という感覚が少年たちの間から失われつつあるということです。
多摩少年院においては、こうした少年達の変化を踏まえ、現在は収容された少年たちの「処遇の個別化」と「集団生活を通じた社会化」を、指導に当たっての原則としているのだそうです。
例えば、少年それぞれの特性に合わせて何を求めているのかを見つけ、教官が個別に指導し、トラブル時には少年同士で話し合いの場を設け自分たちでの解決を促したりと、時間はかかってもデリケートな対応が心掛けられている。また、集団生活の中で「運動会で優勝する」といったような1つの目標を据え、団結する中で社会性を身につけさせるなど、集団生活を通じて社会化を進めるための丁寧な取り組みが進められているということです。
さて、いわゆる「番を張る」タイプの強力なリーダーの不在が、こうした特殊な現場においても顕在化している事実は、昨今の若者社会の変化を如実に表しているといえるでしょう。
マンモス西が牢名主のように腕力で年鑑を牛耳ったり、力石がボクサーとしての迫力で少年院に収容された若者の尊敬を集めたりした時代は、既に遠い過去のものとなりつつあるようです。
何の気なしに目にとまった記事ではありましたが、若者の更生の現場で行われている、バラバラに浮遊する人間関係の中で犯罪に走った若者達を「社会」の中にひとりひとり取り戻していくための地道な挑戦の大変さと大切さに、この記事を読んで私も改めて思いを馳せたところです。
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