MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1934 高齢者と免許返納

2021年08月13日 | 社会・経済


 東京の池袋で2019年4月、乗用車が暴走し、交差点を横断中の松永真菜さんと長女の莉子さんが死亡した事故は、乗用車を運転していた飯塚幸三被告が90歳という高齢であったこと、また元通商産業省技官であったことなどから(「上級国民」と揶揄する言葉とともに)ネットの世界を中心に様々な議論を呼び起こしました。

 7月15日には、東京地裁で検察側の求刑や弁護側の最終弁論があり、検察側は「ブレーキとアクセルを踏み間違えた過失は基本的な操作の誤りだ」として禁錮7年を求刑しました。一方、飯塚被告側はこれまでの審議において、「車のシステムに何らかの異常が発生した」として一貫して無罪を強く主張しています。

 飯塚被告のこうした態度に対し、被害者の夫で父親である松永卓也氏はメディアなどを通じて「無反省」と厳しく糾弾しており、裁判所に対しても重い実刑判決を求めています。テレビや大新聞などのマスコミも注目する中、ネット上ではこの求刑について、早くも「軽すぎる」という声があがっているようです。

 自動車運転処罰法5条では過失運転致死傷罪の量刑は「7年以下の懲役もしくは禁錮または100万円以下の罰金」とされているので、求刑された「禁固7年」は90歳と言う被告の年齢を考えれば最も重い部類に入ります。しかし、いたいけな子供と若い母親の命を一瞬で奪った上に反省の言葉を口にしない被告の態度は、(例え無過失であったとしても)この日本の社会では到底許されないということでしょうか。

 ともあれ、この事件を大きな景気の一つとして、自動車を運転する高齢者への対策が様々に進んだことも事実です。連日報道される「アクセルとブレーキの踏み間違い事故」に対応する装置の開発も各メーカーで進んでいるほか、高速道路などの逆走対策や高齢者の免許制度の見直し、免許返納の促進など、各方面において対策が講じられるようになりました。

 もちろんそれは大切な事なのですが、その一方で生活上の理由で車の運転を余儀なくされている多くの高齢者からは、「肩身が狭い」「厄介者扱いされている」といった声も聞かれるところです。
 運転する高齢者は、私たちの社会にとって本当に(それほど)危険な存在なのか。7月4日の総合経済サイト「PRESIDENT Online」に国際医療福祉大学大学院教授で精神科医の和田秀樹氏が、「高齢者に免許返納を迫る人が犯している意外な"勘違い"」と題する興味深い論考を寄せています。

 一昨年の4月に東京・池袋で車を暴走させ、次々と人をはねて死傷者11人の大事故を起こした旧通産省工業技術院の元院長・飯塚幸三被告が、過失を一切認めず、無罪を主張する姿に非難が高まっている。だが、私が一人の医師としてこの件で心配をしているのは、90歳の飯塚被告に象徴される高齢者への差別意識が高まるのではないかということだと、和田氏はこの論考に記しています。

 近年、高齢者の違反運転や交通事故がクローズアップされることで、「高齢者は免許返納すべし」という声が高まり、2017年に道路交通法が改正された。飯塚被告の動向もあり、「高齢者=危険」だから車を取り上げてしまえという潜在的な意見がにわかに膨れ上がったように思えるというのが、現状に対する氏の認識です。

 警察庁の「交通安全白書」を見ると、確かにかつては運転手が75歳以上、もしくは80歳以上の場合の死亡事故はほかの年齢層と比べても多かった。しかし、この10年で運転者10万人当たりの死亡事故件数は80歳以上で15.2人から9.8人へ、75歳以上で13.0人から3.1人へと大きく減少し、高齢者が加害者となる死亡事故は減り続けていると氏は説明しています。

 特に、人をはね殺す「人対車両」の事故で言えば、75歳以上では19%と、75歳未満の38%の半分となっている。池袋の事故をイメージして、「人を轢いて社会に危険をもたらすから運転するべきでない」という考え方でいけば、16~24歳までのほうが断然多くの人を轢き殺しているというのが和田氏の指摘するところです。

 加えて、それ以上に問題なのは、高齢者の免許返納は高齢者の事故を減らす可能性がある一方で、副作用が大きいということだと氏は続けています。
(詳細は省きますが)筑波大学の市川政雄教授らが愛知県で行った調査では、高齢者のうち「運転をやめた人」は「運転を続けた人」に比べ、“要介護となるリスク”が2.09倍に上るという結果となった。国立長寿医療研究センターが65歳以上を対象に行った調査でも、運転をやめた人が要介護状態に陥るリスクは、運転を続けている人の約8倍に迫るという結果が出ているということです。

 これでは、(シンプルに計算すれば)高齢者に免許返納を強いても事故のリスクは劇的に減ることはない上に、6年後の要介護の可能性を2倍にし、75~79歳なら要介護率を13.7%から27.4%に上げてしまう可能性があるということになる。(免許返納により)社会に要介護の老人が増え、さらに介護にかかるコストのために介護保険料と税金が増えるとすれば本末転倒とも言える。高齢者に(無理に)免許返納を迫ることよりも、サポカーをさらに普及させ、自動運転の開発を急ぐのが合理的ではないかというのが氏の主張するところです。

(人間なので)「自分は悪くない、車が悪い」といった態度を貫き、罪を認めようとしない飯塚被告の態度を見ていると「罪を憎んで人を憎まず」という気になれない人もいるかもしれない。しかし、事故の再発予防や高齢者のQOL(生活の質)の維持のためには、高齢者を一律に危険視し、免許返納を迫るより、何が本当に危ないのかの分析が必須だというのが、この問題に対する和田氏の見解です。

 運転への適性や老化の進み方に個人差が大きいのは当然のこと。であれば、高齢者だから危ないと一律に免許証を取り上げるのではなく、社会全体の利益のために必要な対策を講じる必要があると考えるこの論考における和田氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。


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