流行当初、未知の病原体であった新型コロナウイルスの感染拡大は、世界の多くの国の社会・経済に、かつてないほどの「不確実性」を与えています。
これから先の世の中の動きを読み取るにしても、このコロナウイルスがいつまで、そしてどこまで私たちの社会・経済に影響を与え続けていくのかによって、その予想は大きく変わっていくことでしょう。
しかしその一方で、過去の歴史を振り返れば、社会の変動はこうした(コロナのような)社会の(瞬間風速的な)出来事の影響を越えて、もっと大きな(周期的な)動きを繰り返していると指摘する識者も多いようです。
お正月の1月4日、日本経済新聞のコラム「Think! 核心」では、同紙論説フェローの芹川洋一氏が、(そうした立場から)「2021年から始まる日本 局面転換はかる周期に」と題する興味深い論考記事を掲載しています。
2020年は、日本の歴史の大きな転換点となった第二次大戦の敗戦から75年、そしてその敗戦の年1945年から75年さかのぼった1870年は、「五箇条の御誓文」が発表され700年近く続いた武士の世が終わりを告げた年だったと氏はこの記事に記しています。
世の中の大きな移り変わりを歴史の物差しで眺めたとき、しばしばいくつかの周期性が現れていることが判る。特に経済の世界には波動があるとされ、いちばん短い在庫投資の40カ月のキチンの波から、10年の設備投資のジュグラーの波、20年の建築のクズネッツの波、そして50年の技術革新のコンドラチェフの波まで、様々な法則性が読み取られてきたということです。
日本の近現代史でも、しばしばある種の循環が指摘され、中でも代表的なのが「15年周期説」だと氏は説明しています。
これは、昭和の後期に社会学系の識者の間で広く語られた仮設で、鶴見俊輔、日高六郎、見田宗介、山本七平各氏らが唱えたことで知られるようになったもの。とらえ方にいくぶんの違いはあるものの、▼1915~30年=大正デモクラシー ▼31~45年=軍国主義 ▼46~60年=戦後民主主義 ▼61~75年=高度成長 ▼76~90年=低成長 …というようなくくりで語られるということです。
そして、こうした15年周期説は、平成の現代にもある程度あてはまるのではないかというのが、この記事で芹川氏が指摘するところです。
1991年から2005年は、経済的にはバブル崩壊の後の「失われた」期間と考えられる。政治的には統治機構の改革にもがいていた時代であり、国際的には冷戦がおわりグローバル化が進展した時期に重なるということです。
さらに、それに続く2006年から昨年2020年までは、逆に振れた時代だと氏はしています。経済は再生をめざし、政治は制度改革を使い、国際的には反グローバル化の動きが加速した。そして、コロナの影響ですべての動きが停止状態に陥ったとい氏は話しています。
一方、芹川氏はこの記事で別の周期説も紹介しています。
東京大学大学院の吉見俊哉教授は、日本の戦後史をふりかえり、①1945年から70年までを「復興と成長」、②1970年から95年までを「豊かさと安定」、③そして95年から2020年までは「衰退と不安」と位置づける「25年単位説」を唱えている。
同様に、④(さかのぼって、その前の)1870~95年は「開化と国家建設」、次の⑤1920年までの25年間は「帝国主義列強化と階級闘争」、さらに⑥1945年までは「経済恐慌と戦争」と区分けしているということです。
氏によれば、こうした見方の根拠となっているのは、親と子の平均的な時間距離である25年という世代の間隔だということです。
一定の期間、社会に強い影響力を持つ(いわゆる)「世代」の存在があって、彼らによって時代の流れが作られていく。「戦中派」「団塊の世代」「バブル世代」などという言葉からから思い起こされるような一定の傾向を持つ「世代」が、(四半世紀という単位で)社会に影響を与えていくということでしょう。
さらに、芹川氏はここで、「コンドラチェフの波」と呼ばれる(もうひとつの)周期論の存在を紹介しています。
この考え方では、資本主義経済の周期的な動きを「25年の上昇局面」と「25年の下降局面」を持つ50年周期が25年という世代周期にかぶさって、長期波動と世代間隔の共振作用が起こるとみている。その節目が2020年だとすれば、25年単位説に従っても日本は2020年から2045年に向けた次なる段階に入っていることになると氏は言います。
75は15と25の最小公倍数だから偶然かもしれないけれど、(先に述べた)「75年」という歴史の切れ目には何か因縁めいたものを感じるということです。
さて、(話を最初に戻して)これからの15年、25年について、日本経済はどのような局面を迎えるのか。
芹川氏によれば、前述の吉見教授は「今の仕組みが根本的にダメなのだから平成の失われた30年はまだ20年つづく。このままでは先がないと思った時に初めて構造転換がおこり社会が変わる。コロナは黒船だと思ったらよい」と厳しい見方を示しているということです。
明治国家は大日本帝国憲法が公布されたのが1889年で、国のかたちが整うまで明治改元の1868年から20年かかった。それを思えば、2021年は新しい時代を切り開いていくための20年の始まりと考えてもよいと氏は考えています。
繰りかえし指摘されていることではあるが、(そうした機会を捉え)高度成長の成功体験の記憶から抜けきれない戦後システムをこんどこそ本当に変革していくしかないと氏は言います。
世の中は、本当に大きな歴史的転換期を迎えている。明治の人たちも多分そうだったように、令和のわれわれも子や孫のために歯をくいしばって踏んばっていかなければならないしんどい時代を過ごしていると考えるこの記事における芹川氏の覚悟を、私も重く受け止めたところです。
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