MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2580 いちご白書をもう一度

2024年05月08日 | 社会・経済

 昨年の暮れにNHKのBSで放送され、(その際)録画しておいた1970年制作のアメリカ映画「いちご白書」を本当に久々に通しで見ました。本邦では、映画そのものよりもユーミンの楽曲「いちご白書をもう一度」で知られているこの映画。題名は知っていても、映画自体は…とおっしゃる方も多いかもしれません。

 私自身、何十年も前に一度見ているはずなのに、今回、まるで初めてのような新鮮な感覚でストーリーを追ったのも事実です。舞台となっているのは、ベトナム戦争さ中の1960年代のアメリカ西部の学生街。この街の大学で実際に起きた大学闘争をモチーフに、学生運動に身を投じる若者たちをセンセーショナルに描き、カンヌ映画祭審査員賞を受賞しています。

 キャンパスの近くの公園を軍の施設にしようとする大学側に反発し、キャンパスを占拠した学生たち。映画は、そうした危うい雰囲気の中で運動にのめりこんでいく一人の(ノンポリ)学生の心の動きと恋、そして挫折を描いています。

 第二次大戦後のベビーブーマーを中心に、(当時)世界中の都市で燃え広がっていた学生運動の炎ですが、この映画が描くアメリカの学生運動の雰囲気が日本のそれと大きく違うのは、日本的な悲壮感とか貧乏くささと一線を画している点。あくまであっけらかんと理想や自由を語る彼らの姿に、「ああやっぱりアメリカだな」思わざるを得ない自分がありました。

 さて、それはそれとして。現在、そうした歴史を持つアメリカの大学の多くで、中東問題、特にパレスチナ問題への米国政府の対応について反発する学生たちの運動が日に日に激しさを増しているという報道が続いています。最近の状況に関し、5月1日の総合情報サイト「Newsweek日本版」に在米ジャーナリストの冷泉彰彦氏が『パレスチナ支持の学生運動を激化させた2つの要因』と題する論考を寄せているので、参考までに小欄にその概要を残しておきたいと思います。

 アメリカの大学におけるパレスチナ支持の学生運動が拡大し続けている。コロンビア大学に始まり、NYU(ニューヨーク大学)、イエール大学、MIT、ハーバード大学、UPenn(ペンシルベニア大学)など東北部で火が付き、西海岸のUSC(南カリフォルニア大学)やスタンフォード大学でも「テント村」が出現。これを排除するために警察が導入され逮捕者も出ていると冷泉氏は話しています。

 運動の起点になったコロンビア大ではキャンパスは立入禁止(ロックアウト)とされ、これを受けて学生たちの行動はさらにエスカレート。一部校舎が占拠され、大学は占拠者に対して退学処分を通告したということです。

 こうした状況に対し冷泉氏は、(今回の学生運動に関しては)ベトナム反戦運動やウォール街「占拠デモ」など過去のアメリカにおける若者の政治活動と比較すると、大学当局や警察の姿勢がかなり強硬という印象があると指摘しています。

 一方で、そうした強硬姿勢への学生側の反発も強く、相互に対立が激化していると言える。学生たちが主張する「イスラエルが行っているのはジェノサイド(大量虐殺)だ」という主張に対し、当局サイドには「アンチ・セミティズム(反ユダヤ)」は人種迫害を伴う重大な犯罪だ」というロジックが共感を持って受け止められているということです。

 それでは、これまで平静さを保ってきた米国の大学において、パレスチナ支持の学生運動はなぜこれほどまでに支持され、さらにそのことが米国世論に大きな対立生むことになっているのか。その背景には、米国国内の世代感覚のズレという問題があるというのが冷泉氏の認識です。

 現在の大学生、つまり18~22歳というのは、2001年の「9.11テロ」以降に生まれた若者たち。氏によれば、(彼らは)物心がつく頃にはブッシュ政権がイラク戦争の失敗で批判され、オバマ政権からトランプ政権の時代に10代を過ごした人たちだと氏は言います。

 なので勿論、全米がテロの脅威を感じた時期の空気感は知らない。反対に、イラク戦争の行き詰まり、アフガン戦争の泥沼化と撤兵といった時代の空気を吸って成長した世代であり、パレスチナが多くの国に承認される前に、PLOやPFLPなどが武闘路線を取っていた時代のことなど知る由もないと氏は話しています。

 学生たちは現在、イスラエルによるガザ攻撃で多くの民間人犠牲者が出ている事態の中で、パレスチナ側を被害者として連帯を表明している。そのシンボルとして、学生たちは黒、白、緑の三色に赤の三角を入れたパレスチナ国旗を掲げ、そして白黒のバンダナを身につけることにも何の抵抗感もないように見えるということです。

 そのこと自体は、アメリカ社会が「9.11テロの呪縛」から自由になったことを示していると氏はここで指摘しています。しかし、イスラエル支持の各家庭では、親の世代が「あれではテロリストに連帯しているようなもの」だとして激しく抗議をしている。金融機関などユダヤ系の大企業も、そうした学生運動を制圧できない大学に対し寄付を止めるなどの動きを見せているということです。

 学生側は現在、「大学の基金がユダヤ系の金融機関で運用されている」ことへの激しい抗議を始めていると氏はしています。その趣旨はつまり、ガザでの民間人犠牲に加担しているユダヤ系金融機関や軍産複合体とは大学は「縁を切るべき」であり、そのための情報開示を強く要求するというもの。そして、その根底にあるのは、米国の社会や経済が抱える大きな欺瞞や権力システムの在り方に対する、学生なりの(ある意味大変素直な)反応なのかもしれません。

 「いちご白書」はもう一度繰り返されるのか、予断を許さない状況にあると聞きます。そこには、リーマン・ショック以来の若者世代による「ウォール街不信」のトレンドが投影されているとも言えると記事に記す冷泉氏の指摘を、私も今回興味深く読んだところです。



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