タイ・バンコクの庶民の生活に迫る!

~タイの庶民の生活とは? 一歩でも近づくために~

プーケット最後の日

2005年03月31日 | 今日の出来事
3月31日。今日は調査の事実上最終日。明日8:30の飛行機でバンコクに戻る。
午前中、アポを取っておいたNGO団体、World Vision(以下WV) のオフィスに出かけて、支援の方法論について聞き取り。
WVは世界的に展開するキリスト教系NGOで今回もどこの被災地に行っても、WVが作った仮設住宅がある。資金は世界中のキリスト教関係団体から集まっているようで資金は潤沢のようだ。プーケットにある事務所は3階建てで、日本政府からの寄贈である。本来はミヤンマー人労働者などの外国人合法・不法労働者の人権を支援していたようであるが、活動サイトの場所が近かったことから、今回のタイ南部津波災害にいち早く支援の手を差し伸べたようである。
運転手さんの杞憂実を利用して、彼の自家用オートバイに3人またがって、プーケットを走る。
私はずいぶんこんなことをしているが、浦野先生は初の経験(?)で大変気に入られた様子だった。
午後はプーケット日本人会別同部隊とも言うべき「プーケット復興委員会」の矢野氏にお会いする。
「私なんか飲み屋ですから」とは言うものの、大変見識がある方で、いろいろ展望とご意見を賜って大変勉強になった。帰りは二人を再びビーチまで連れて行っていただき、お食事をして、ビーチを散策して、軽4輪タクシーを雇ってホテルに帰るが途中から大雨!。
帰り道は急な坂があるので押し寄せる雨水に流されるのではと思ったくらいだ。
ちょっと道が込んだが、街に入ると、雨はほとんど降っていなかった様子。道もぬれていなかった。
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プーケット調査始まる。

2005年03月30日 | 今日の出来事
3月30日、昨日の夜にプーケットタウンに戻ってきた。
今朝は東大組5人は専攻してバンコクに入る。私と浦野先生が残って、引き続きプーケットの様子を調べる。彼らを飛行場に送ったVANを待っている間、プーケットの一番大きな書店を聞いて、言ってみる。
「津波」と題した本が4,5冊ある。ただし、地図のいいものが無い。詳細なものを手に入れるには陸軍地図局に行くしかないようである。
空港送りを終えた車が本屋にやってきたが、運転手が替わっている。どうやら昨日までの運転手さんは弟のことで裁判所に行っている様だ。この運転手さんもいい人だが、昨日までの事情を知っている運転手さんだともっといいのだが、、、。
車で有名なパトンビーチ、(性格にはパートーンビーチ)にまず最初に入る。結構観光客が戻ってきているのであろうが、これでも30%の戻りだという。
順にビーチを巡るが、Merlin Beech Resortに来たところで、ちょうど経営者のスパチャイ氏にお会いした。あさって再び開業できるということで、作業が大詰めを迎えていた。250million bahtを投じて再建したそうである。(8億5千万円・約)1階は全て水に浸かってしまったが、2階以上は何とか無事だったようだ。ここは、背後を海に囲まれていて、リゾート都市手の立地は抜群だったが、前からも後ろからも津波にやられてしまったわけである。
この後、私と先生はシージプシーの村などを訪ねて、見晴らしのいい高台からプーケットのビーチを見下ろして、ホテルに戻った。

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カオラック3日目、津波再び!?

2005年03月29日 | 今日の出来事
3月29日:朝カオラックのリゾートをチェック・アウトして、プーケットの街にもどる。私が普段農村調査をするときはホテル、リゾートなどには絶対泊まらないが、今回は世界各地から学生さんが来ているし、自分だけわがままを言っていてもはじまらないので、従うことにしたが、たまにはこういうのもいいのかもしれない。次のような貴重な経験ができたからだ。
28日23:30、再びスマトラで地震があった。佐藤仁先生の携帯が鳴って、バンコクのお友達からスマトラ地震の第一報を聞いた。
バンコクからチュラー大、政治学部のブーンヨン先生も加わって、皆心配そうにしばらくTVの画面を見ていた(写真)が、客は私たちと台湾人、数名の西洋人で、TVからの情報は私たちとホテルの従業員にしか分からなかったであろうが、みな真剣に画面を見詰めていた。
私達は潮が異常に引くのを察知したら、一斉に高所に逃げようと言っていたが、実際に津波が再び起こっていたら、そんなことでは間に合わなかったかもしれない。
危機管理というのはまったく難しいものである。正しい情報+普段の訓練、リーダーの能力などいろいろな面からの力が求められる。
この日は津波災害の時、遺体がずらっと並んだお寺ワット・ワンヤーンに行った。まだ身元がわからない遺体が5,000体あって、冷蔵コンテナに保管されている。
お寺のお堂には、身元を捜すために、掲示ボードに遺体の写真がずらっと並んでいて、とても痛々しくて直視できない。女子学生はとうとう逃げ出してしまった。無理は無い。

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引きつつづき、カオラックの調査

2005年03月28日 | 今日の出来事
3/27、引き続き、東大院・佐藤仁先生(著書:希少資源のポリティックスはすばらしい名著)、早大・地域社会と危機管理研究所の浦野正樹先生と被害と支援の実態調査。現場に来なければわからないことがたくさんある。
観光の被害ばかりが取りざたされているが、住民の生活再建への課題は重い。被災地キャンプ(仮設住宅)では、被災した住民を職業グループに分けてまず、その住民が選んで加入した職業グループごとに何が当面必要かリストを作らせて、住民グループに予算管理をさせようとしている。
職業が無いことへの不満を最小限に抑えようとしている。今出来るのはその程度であろう。
一番被害が大きかったナムケム村は人口1,600人でタイで一番大き行政村である。7割以上はおそらく漁民で、3割が商人、および漁業周辺で働いている人で、わずかながら、鉱物採掘労働者もいる。
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カオラックの被害を調査

2005年03月27日 | 今日の出来事
3月27日、早速VANを雇って、被災地であるカオラックを見て回る。私達の泊まったカオラック・サンセットリゾートの隣は壊滅的被害で、どうやら再建は手付かずである。
聞いてはいたが、カオラックは相当な被害である。しかも現在進行形だ。ナムケム村の住人はほとんど漁で生計を立てているが、今回の津波で家と漁に出るための船を失った。
臨時仮設住宅は徐々に立ちつつあるが、漁に出るために海岸の近くに住みたという住民の要望とはかけ離れている。船については当初登録してある船しか補償しないということで、小さい、しかも登録していない船を所有しているほとんどの住民は補償を受けられずにいた。
最近では徐々に被害が立証されれば、補償の対象としているようである。
住民の臨時仮設住宅にも行ってきたが、現在タイは渇水で生活用水の確保が大変な様子である。私たちが泊まっているリゾートでは、お湯が使い放題なのに。(でも、ちょっと汚れている)
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研究室

2005年03月26日 | 今日の出来事
この研究室のもお世話になった。いつも早く来て88円のレーズンパンと牛乳を食べて18:30-21:30の授業に眠くならないように、またおなかが減らないようにした。
一緒に勉強したIさんと記念撮影。
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日本からタイに戻る。

2005年03月26日 | 今日の出来事
3月26日、東京文京区の「アジア文化会館」のボイラー室で目覚める。結構良く眠れた、結局昨夜は元同僚、留学生とAM1:00までカラオケ、山田さんが好きなんだなぁ、これが。
でも一番楽しそうだったのが、今日、卒業式を迎えたばかりの台湾の東大留学生周さんと妹さん。
妹もちょうど東京に遊びに来ていて、いきなり日本のカラオケを熱唱できるのは、脅威。日本の大衆文化もすごい。(写真」

8:30に受付の人にお礼を言って、京成線の特急の時刻を調べてもらう。9:18の特急で成田空港第2ターミナル10:31着。
ちょうどいい時間のがあったのでこれを目指すことにする。受付の職員は、私が退職した後にアジア文化会館に入職したということだったが、私のことを知っていると言う。「噂に聞いていた」らしい。絶対誰か悪口を言っている!。
12:00のAI(エアーインディア)で、17:00バンコク着。機内はほぼ満席。
すぐプーケット行きの飛行機を探す。18:20のはすでに満席。結構プーケットに行く人がいるものだ。次の便が19:25だったが、滑走路が込んでいて、結局離陸したのが、20:00を過ぎていた。
プーケットに着いたのが、21:00を過ぎていて、ホテルで専門家の先生と落ち合えたのが、22:00過ぎ。
ちょうど院生たちが先生とミーティングをしていた。私より一足先についていた早大地域社会と危機管理研究所の浦野先生とも今日からここで合流。阪神淡路大震災など、いろいろな被災地を歩いていらっしゃるとのことだ。
明日からの調査が楽しみである。こんな機会はそうあるものではない。
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ついに学位授与式!

2005年03月24日 | 今日の出来事
3月24日。法政大学の学位授与式に出席。~日本武道館~ 午前10時から。
もちろん父兄としてではなく、学生としてです。
私達の専攻科は社会人学生23人が修了。
授与式の後の午後1時から大学院の教室で各自に教授から学位記授与。
いつもあまり笑わない先生が、ニコーッと笑って学位記を渡していただいたのが、大変印象的。
よほど、出て行ってもらいたかったのだろうなぁ。
15:00からは私学会館で研究科のパーティー。絵所秀紀先生と写真を撮る。まったく不出来な学生ですみません。
写真はクラスで最も優秀な学生と、おまけで卒業した社会人学生
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謝恩会

2005年03月24日 | 今日の出来事
卒業式が終わって、私学会館での卒業記念パーティー。
おじさん卒業生集合。ある人は会社に勤めながら、ある人は仕事をやめて、
よくがんばったものである。
でも濃い-人が多かったなぁ。
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記念すべき3月24日!

2005年03月24日 | 今日の出来事
学位授与式が終わってみんなで乾杯!
研究科が違う仲だがみな社会人学生として共に苦労した。
よく2年で卒業できたものだ。
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