12月12日、ようやく一家そろって我が家に戻ることができた
8日(木曜)に学長と新年の挨拶と洪水被災のお見舞いで、Wan Noiのミネベア、シチズン、オカモト(すべて工作機器メーカー)に行く用事があったので、帰りは国道一号の途中で降ろしてもらい、(みんなこんなところで車をおりて大丈夫なのかと心配かけたが)地方から来たバスを拾って、Rangsitまで行こうと思ったら、この日8日の時点では、まだ地方からのバスは高速を上がってモーチットまで行くそうで、途中バンコク大学の前あたりでバスを降りる。ちなみにバンコク大学が今回のこうずいでは、一番被害がひどかったという話である。
バンパインから来たバス(確か358番)に乗り継いで、RangSitまでくるが、ここから家にどうして帰ったら良いものか,と考えていたら、オレンジの39番が来たのでとにかく乗る。いつになく,とても混んでいた。
洪水の道でも、FFのバスは走るのだ。
まだ,ジアーズのまえから、
私の家があるKM.25までは水は引いていないが、なんとか家に帰ることはできた。パークソイのセブンイレブンはまだひどい様子(ガラスも割れて、まるで強奪にでも遭ったかのようだ)だが、SOIの中は水が引いている。
今日は久々にわが家(と言っても借家だが)に泊まってここから明日通勤してみよう。 行けるようなら家内を子供をつれもどそうと思った。
家に着いたのは18:00.水浴びして、夕食を買おうと思ったら、もう閉店だとのこと、たいしておなかも減っていないので雑貨屋でビールとスナックを買って食べて寝る。店の前でビールを飲んでいるモーターサイのおじさんたちから「もう家に帰ってきたのか、」と声を掛けられる。
翌日05:30 洪水前と同様にPak Soiに行ってみると、114番のバスが折り返すところだったので、あわてて駆け寄って乗る。
ノンタブリーから来るこのバスは本来Rangsitまで行くのだが、これ以降はまだ道路が浸水しているので、ちょうど私の家があるK.M 25まで来て、折り返し運転をしているのだった。
これで、とにかく通勤できるのは分かった。9日(金曜)7時過ぎに大学に着く。10月20日以来、50日ぶりの自宅からの出勤。
9日、夕モーチットに行ってこのところ毎週お世話になっているBussarakham Tour社のバスに乗り、翌日朝三時、家内と子供が疎開している、コーンケンの田舎街に着く。
おかあさんに明日家内と子供(お母さんから見れば孫)を連れて行くことを許してもらう。
翌日11日は田んぼの中に休憩小屋を作るということでそれを手伝って、夜21:00のTransport社のバスでバンコクに家内と子供を連れて戻る。
家内と子供は11月1日以来一ヶ月ぶりのバンコクである。バス停まではお母さんと弟がオートバイ2台で送ってくれた、ありがとう。
12日、朝4時に今度は水が引いたと言うことで、RANGSITのメジャー映画館の前でバスを降りることができた。 ただし、この先にに行く方法がない、、、、。
タクシーに聞くがとても行けないという仕草。
ふとみると、ミンブリー行きの箱VANサービスが客待ちをしているので、聞いてみると、KM25を通るという。
大きな荷物を持っていて、ちょっと迷惑であったが、40Bで家に着いた。大成功である。
今日12日は大学再開の日。
やまちゃんのs大学は11月28日だかに新学期を再開したようだが、私の勤務するT-N工大は12月12日が新学期、まさに東北の田舎から妻子を連れ戻した今日が新学期だ。
なんだかとても気が抜けた。でもまた忙しい日々が戻ってきて、良かったかもしれない、私の場合は、、、。12日はThai PBS(テレビ局)に行って学生のボランティアグループと副学長と会ってから大学に行く。まだ、バンコク西地域(タリンチャン)では被災している家がおおく、学生グループはこれから食料を配りにいく。
ばたばたしているうちにとにかく時間だけは過ぎた。
このBlogもアップしたかったが、何しろ洪水後、まったくインターネットの調子が悪く、写真などまったくUPできない。
取り合えずここmaで.