↑観光案内所でゲット。ちょっと力を入れて押したら滲んで、デザインが分かりにくくなってしまいました…。(^_^;)
↑竹田城の縄張り平面図
パンフレットより抜粋
前の日記に「山名宗全が…」と書きましたが、正確には家臣の“太田垣”氏が築城に着手しました。
調べた所によると竹田城主は
太田垣氏が7代まで
8代目 羽柴小一郎秀長
9代目 桑山修理太夫重晴
10代目 赤松広秀
となり、最後の城主の赤松広秀の時に豪壮な石積の城郭が整備されたそうです。
竹田城跡を後にします
帰りは駐車場に出る山道を下山しました。
↑下山途中で観た景色。
先人も同じ景色を眺めたのかな~と思うとホントに歴史はロマンを感じますよね。
帰りは車道を歩いて下山しましたが、50分ぐらいかかり、腰が痛くなりました。(^_^;)
ところで、竹田城跡は“天空の城”と言われ、雲海が観れる季節の時は、たくさんの人が訪れるそうです。9月下旬~12月上旬の明け方から午前8時まで、雲海の観れる条件がバッチリと合えば、幻想的な景色が観れるそうです。
↑竹田城の縄張り平面図
パンフレットより抜粋
前の日記に「山名宗全が…」と書きましたが、正確には家臣の“太田垣”氏が築城に着手しました。
調べた所によると竹田城主は
太田垣氏が7代まで
8代目 羽柴小一郎秀長
9代目 桑山修理太夫重晴
10代目 赤松広秀
となり、最後の城主の赤松広秀の時に豪壮な石積の城郭が整備されたそうです。
竹田城跡を後にします
帰りは駐車場に出る山道を下山しました。
↑下山途中で観た景色。
先人も同じ景色を眺めたのかな~と思うとホントに歴史はロマンを感じますよね。
帰りは車道を歩いて下山しましたが、50分ぐらいかかり、腰が痛くなりました。(^_^;)
ところで、竹田城跡は“天空の城”と言われ、雲海が観れる季節の時は、たくさんの人が訪れるそうです。9月下旬~12月上旬の明け方から午前8時まで、雲海の観れる条件がバッチリと合えば、幻想的な景色が観れるそうです。
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