熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

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ケイト・ウィルヘルム「遭遇」(『街角の書店 18の奇妙な物語』収録)

2015年09月14日 | SF
創元SF文庫で数々の傑作SFアンソロジーを編んできた中村融氏が、幻想文学寄りの名品選
『街角の書店 18の奇妙な物語』を刊行した。
雑誌の対談で「SFは広義の幻想文学に含まれる」という趣旨の発言もある中村氏だけに、
今回のアンソロジーは満を持しての刊行であり、読みごたえのある作品が揃っている。

なお、今回の選定基準は「奇妙な味」と「ブラックユーモア」ということで、濃淡はあれど
全体的にひと癖もふた癖もある異色作が揃った。
ただしこの手の作品で重視されがちな軽妙な語り口やインパクトの強さを売りにするのではなく、
むしろ情景や心情のこってりした描写やねじれた発想の広げ方などを楽しむ作品が集められた、
いわば技巧派ぞろいのアンソロジーといえるだろう。

そんな収録作のうちでもひときわずば抜けたテクニックを見せつけた作品が、いまや女性SF作家における
グランドマスターであり、心理サスペンスの名手とうたわれるケイト・ウィルヘルムの「遭遇」である。

猛吹雪の夜、アメリカの田舎町にある停車場に長距離バスが到着する。
ここを経由しての乗り継ぎバスは翌朝まで到着せず、乗員とほとんどの乗客は近くの食堂へと
避難していったが、セールスマンの男とイラストレーターの女だけが停車場の待合室に残った。
男は女をどこかで見たことがあると思うが、特徴のない顔だちは記憶にないものだ。
閉ざされた室内で自分が扱う保険証券を眺めながら、男はスキー場に置き去りにしてきた妻を思い出す。
妻は夫の内にある二面性をなじり、夫は妻の不貞を疑っていた。
やがて雪はさらに激しく降り、暖房は不調のきざしを見せる。二人は協力して暖房機の調子を保とうとするが、
まるで心のうちを見透かすような女の言動は男の心を徐々に蝕み、閉ざされた室内の緊張は高まっていく。
その緊張が頂点に達したとき、男の、あるいは女の身に何が起こったのか。

多くの人は一読しただけでは何が起きているのかほとんどわからず、ひたすら高まっていく緊張感と
居心地の悪さに圧倒されてしまうだろう。
その筆さばきだけでも名手の名に値するものだが、ウィルヘルムの真骨頂は編者の紹介文にあるとおり
「理知的」という点にあると思う。
これを手がかりに最初からじっくり読んでいくと、情景描写や登場人物の服装、そしてそれぞれの
行動ひとつひとつに対して、隠された意味が与えられていることに気づかされる。

たとえば男の仕事や服装が女とどう対応し、何を連想させるか、男と女、そして男の妻との関係は
どのようなものか、そしてなぜ乗り継ぎ駅で二人は出会ったのか。
また、窓の外に見える灯りやドアから吹き込む雪にさえ、何らかの意図が隠されているのではないか。
さらに言うなら、この停車場はどのような構造であり、見取り図はどうなっているのかという点だ。

巧みな筆致を堪能しながら細部にまで目を凝らしたとき、なかったはずの物語がいくつも浮かんでくる。
もちろんその物語が真実であるという保証はないが、読者が探せば探すほどに新たな手がかりが見つかり、
答えは少しずつ絞り込まれていく。
見事なサイコホラーにして絶妙な心理サスペンス、そして巧妙な推理小説とも読める解釈の多様性は、
ウィルヘルムの伴侶であるデーモン・ナイトが見出したジーン・ウルフの作品にも通じるものだろう。
なお参考までに触れておくと、「遭遇」が初掲載されたOrbit8には、ジーン・ウルフの短編「ソーニャと
クレーン・ヴェッスルマンとキティー」も収録されていた。

さて、この作品を極めてSF的に解釈する場合、タイトルで真っ先に連想するのは異星人との遭遇だろう。
しかし『未知との遭遇』の公開年は1977年で「遭遇」の発表年は1970年であり、この読みはやや厳しい。
むしろ密室に閉じ込められたという設定を重視して、かつ今の流行に沿ったものをひとつ挙げるとすれば、
やはり○○○○○が一番ありそうに思える。(いちおう伏せ字)
これはさすがに先進的すぎるという声もありそうだが、そもそもこの作品が発表された2年後の
Orbit10には、あの多様な解釈で知られる傑作「ケルベロス第5の首」が掲載されているのである。

その「ケルベロス第5の首」でも著者名がほのめかされた人物であり、ウルフにとって「もう一人の親」
ともいえるウィルヘルムの「遭遇」こそ、未来の傑作への先触れにして産婆役だったのかもしれない。
信用できない語り手を扱った短編としても一級品なので、一読をおすすめする。

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