【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会副会長 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

火神主宰 俳句大学学長 Haïku Column代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

寺澤佐和子第一句集『卒業』論

2018年06月19日 06時33分23秒 | 句集評
寺澤佐和子第一句集『卒業』論
~身体性の俳句~

永田満徳

 寺澤佐和子句集『卒業』は句集刊行が待たれた句集である。熊本を離れても、佐和子さんは「幹の会」に欠かすことなく欠席投句して、高点句を浚っていたからである。それらの句を纏まった形で読むことができる幸せは格別である。
 「漱石俳句かるた」大会のお手伝いをお願いして知り合いになった夫の始さんが「火神」に入会し、始さんに伴われた佐和子さんが俳句に興味を持ち始めるのはそれほど難しいことではなかった。文学部の大学院を卒業し、文学への熱い気持ちを抱いていることを感じたからである。その分、初期の佐和子俳句は文学臭があり、「意余りて言葉足らず」の感が無きにしも非ずであった。
あひびきや梨の莟の紅うすく
無理のない表現で、きっちりとした俳句表現を手に入れたとき、佐和子俳句はみごとに開花した。
佐和子俳句の特色は何と言ってもその身体性にある。第一章の「肥後椿❘❘熊本」にすでに出ているが、「傾きし月きんいろに人麻呂忌」の「きんいろ」は視覚、「老鶯のあとは水音ばかりなり」の「水音」は聴覚、「偽物の風なまぐさき扇風機」の「なまぐさき」は触覚、「冷房の壊れて夜の匂ひかな」の「匂ひ」はもちろん「嗅覚」、「悪人になつて飲み干す黒麦酒」の「飲み干す」は味覚、まさしく五感をフル稼働している。その代表が巻頭の二句目である。
雪なだれ大地どくんと胎動す
「雪なだれ」の瞬間を体全体で掴みとっている。
どの章も心惹かれるが、第四章の「卒業❘❘家族の物語」が佐和子さんの日常を少しく知っている者にとって尚更である。
   子を叱りつつ栗の実を甘く煮る
「幹の会」に子連れで参加した時も、熊本から離れて電話で遣り取りした時も、やんちゃな子供を窘めていることがあった。しかしそこには少しも邪険に扱うことなく愛情溢れる接し方で微笑ましく思えたものである。
句集『卒業』は子育ての真っ最中の句群である。子育て俳句の先蹤をなす中村汀女俳句にも見られない子育ての貴重な記録ともいえるべきものがある。「春浅し妊婦判定まで二分」の妊娠から「蝉の声湧きて胎動たしかなり」の胎動、「今日よりは臨月に入る良夜かな」の臨月、「陣痛の合間合間や虫の声」の陣痛を経て、ついに「産声や金木犀の香に乗つて」の出産に至る過程を詠み込んだ句を例にとっても、一連の出産の様子が時間軸に従って克明に描かれている。往々にして、子育て俳句は報告的になりがちであるが、佐和子俳句は一句として成り立っている。いずれも、季語と取り合わせていて、季語の斡旋に狂いがない。
ところで、文学少女然としていた佐和子さんが俄かに母親になったと思うのは次の句である。
   乳房持つ幸せ春の土偶かな
明らかに授乳を経験したことによる母親宣言の句である。「月見草母性は乳の辺りより」の句から分るように、「乳」を子に含ませる行為によって母体を意識し自認することで、母親へ脱皮したと言ってよい。
 このように、子育ての中から生み出された句はどれも体ごとの表現になっていて、体全体で俳句を詠むところに佐和子俳句の真骨頂がある。ここに、寺澤佐和子俳句を身体性の俳句と名付ける所以である。
【ながた・みつのり。俳人協会幹事】
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