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都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

【9Ⅰ-01】 都会の<武器>

2018年08月15日 22時43分14秒 | 第9部 映画館の片隅で
<第1章> 夏。早朝のできごと
〔第1回〕 都会の<武器>

――都会である。
都会は、<日常の時間>と<非日常の空間>が入り混じって、ひとつの街を形成している。アスファルトの道端から空を見上げると高いビルが連なり青い空は、そのビル群の合間にしか見ることができない。
街中には大勢の人で溢れ、誰もがぶつかることもなくスレ違いながら自分の目的地に向かって歩んでゆく。観察するともなく人の流れを見詰めていると、カーデガンを首下からボタン二つを止めて歩いているのは地方から出て来たばかりの女子だろうか。都会の女子はカーデガンの裾ボタンを軽く止めるか全く止めずに軽く羽織るように歩いてゆく――。

1960年代半ばに単身上京し、気付くと自分が都会の真ん中に立っていることの不思議を思う。「都会は魔界だ。都会は生き馬の目を抜く」と言われ続け、そんな都会で生きぬくためには「自らを武装する<武器>を持たねばならぬ」と考えるのだが、「ハテ?自分にはこれといった<武器>は何もないではないか」ということに気付く。
しかしね。都会で生きていくためにわざわざ「自らを武装する」必要はないのだが、新聞店に住込みながら大人の店員たちと共同生活をしていくなかで「自分の立ち位置」を確保するためにも、「武装する<武器>を持たねばならぬ」と思い至ったというわけサ。

武器は相手を傷つけ攻めるための道具であるとともに自らを守る役割もある。――とここまで考えて、「自分の<武器>とは何か」考え込んでしまう。「相手を傷つけ攻めるため」というよりも、「自らを守る役割」としての<武器>。いくら思考回路をめぐらせても<武器>となる金銭はもとより名誉も権力もない。ましてや可愛い女の子が寄ってくるような魅力に乏しぃ~し、ルックスに自信がないかなぁ。でもね。時折、オジ様に声かけられることがあるの…うふ。イヤ~ン♪――ナイナイづくしのなかで、ある日、気づいたのサ。

電車に乗って座席に座っていると、吊り革にもたれた乗客が私の前に立ちふさがっている。何気ないいつのも光景だ。降車駅に近づきやおら席を立つと吊り革にもたれた乗客が急に私の視界から消える…彼らの頭が私の視線から消えて首ひとつ下に。そこで「うん?」と思うわけ。「なるほど。これはオレの背が高いから彼らが視線の下になるのか」――いつもの光景なので気にも留めなかったことが、「自分の<武器>」を思案していた最中だけに新しい発見として現われたのサ。「…そうだ。私が都会で生きぬく<武器>は何のことはない。自分の背の高さだ」とね。

私の身長は約180センチ。正確に言うと178・7センチなので靴を履くと180センチを超えることになる。まぁね。目の位置が170センチ以上の所にあるわけで、この高い位置から世界を覗くと様々な発見があるのサ。
街を歩くと人混みのなかで遠くを見渡すことができる。満員のエレベーターに乗っても皆より首ひとつ飛び出ているわけで、取り囲まれた小柄な女性が天井見上げて口をパクパクしているのを冷ややかに眺めることができる。本屋で本棚の高い所にある本を気軽に取り出すことができる。重いバックも電車の網棚にヒョイと置くことができ、吊り革などつかまらず横棒につかまって身体の安定を図るのサ。高身長者の特権かな。え?その横棒は誰も触らないから汚れている、だって?…でも冷たくて気持ちいいんだモン。

時には、満員電車で立っていると吊り革に手の届かない人々が「大樹の陰」よろしく背中を支え柱のように寄りかかってくる。「なんじゃ」と思ってチラリと振向いてオトコだったら身を捩って相手がよろめくのを冷ややかに見つめる。でもでも女性だったら「あ。いいですよ。いつまでも大樹の陰に寄りかかってくださいな。なんなら…」これってヘンですよね。
圧巻は夏の日。満員電車のなかで向かいあった女性の胸元が高い位置から見渡せるわけでね。深い渓谷に吸い込まれないよう必死に吊り広告へ眼を向けてね。でも、ついチラッと深い渓谷に眼がいって「嗚呼。あの渓谷に吸い込まれたら救難信号を発しても誰も助けに来ないだろうなぁ…。筑波山で白骨死体になった二の舞か」と呟く。ん?ひょっとして私は己の<武器>を単に優位的立場で利用しているだけではないのかしら。

新しくパンツを買求めて裾上げをお願いすると女性店員が寸法を測ってくれて、「まあ。股下が80センチありますヮ…♪」だって。ああ。石原裕次郎と同じだね。しかし「股下80センチ」だからといって裕次郎になれるわけでもないし、「わたし股下80センチに恋をしたの♪」などという女性が現われたためしがない。そこで考えたのサ。「これはきっと私のPR不足だ。誰も私の股下が80センチあることを知らない。知らないのに恋することはできない。それじゃ背中に『わたしの股下80センチ』と書き記した看板背負って街中歩くか」。しかしなぁ~股下が80センチあっても何のメッリトがあるというのだ。

せいぜいGパン穿いて鏡に向かい足が長く見えることが確認できることか。足が長く見えたところで何ら<武器>として役に立つとは思わない。ここで己の思考回路の混迷に気付くわけです。「嗚呼。なんてことだ。私は己の股下80センチにこだわって自滅するところだった。自らの<武器>で自分を虐げているだけではないか」とね。ふむ。では「背が高いこと」が自らの<武器>となりえるのか――ここで初めて根源的な課題にぶつかるわけです。

■<武器>は、いかなるときに活用するか。
私が担当していた新聞配達区域の後半に、ある官庁の家族用宿舎(官舎)の共同住宅が11棟ありました。鉄筋コンクリート造りの4階建て10棟に1棟だけ5階建てで総世帯数は約260戸。高台下の淵沿いに国道と並行して細長く配置されています。各棟に3ヵ所階段が設けられており、この階段を使って上階の各家庭に新聞を配るわけ。それも毎朝夕、5年間ね。



この官舎に向かうとタメ息がでる。そこで4年目頃から最初の棟の最上階に非常用の梯子階段を見つけて登ってみたのサ。開口部に扉はなくそのまま屋上へ出ることを発見。そこで雨でも降らない限り屋上に座込み眼下の国道の車の流れを見たり、遠く武蔵野の大地を望むなど長いときには30分ほどボンヤリ過ごしていました。「自分だけの自由な一時」をみつけたのサ。「新聞は早く届けるべし」なんて言葉は私には通用しない、ね。

官舎に向かってタメ息が出たのは、その世帯数の多さとともに階段を幾段も上り下りしなくてはならないからサ。そこで計算してみました。「私は新聞配達を通じて、この官舎階段を何段上り下りしたのか」とね。1階から2階へ上るには、まず7段上って踊り場を左折。さらに7段上って2階へ達するわけですが、その順番で4階に至るには7段×6回=42段だから、この官舎全体で約1300段あるわけです。これを毎朝夕2回で約2600段(日曜日などの休刊日を除く推計)。
この約2600段を5年間上り下りすると計約468万段となるわけです。しかし実際には他紙との競合もあって官舎全世帯に本紙を配達していたわけでもなく、全館4階まで上っていたわけではないので仮に6割としても5年間に約280万段上り下りしたことになります。ここには日常の配達以外に集金や、6年目に代配で配達した単発的な数字も含まれています。いずれにしても私は新聞配達を通じて15歳から21歳にかけて、この官舎群を約280万段上り下りしたことになります。改めて「股下80センチの脚よ、ご苦労様!」と申し上げたいね。

日頃、スポーツ選手や体育系の方々は身体を鍛えるために神社やビルなどの階段を上り下りされている方は多いと思います。でも私の官舎階段の上り下りは「身体を鍛えるため」ではなく、ひとえに「生活のため」だけです。雨の日も雪の日も、また体調が悪くとも多少の怪我でも、ただひたすら階段を上り下りしなくてはならない。ある時、高校で体育の授業中にいきなりに「兎跳び」をやらされ、膝の靭帯に負荷がかかって両足を引き摺るようにして数日、階段上り下りしたことがありました。
でも、「5年間約280万段の階段上り下り」は生活のためとはいえ、気づくと自然に身体の基礎体力を鍛えていたことになっていたわけですね。今日的にいえば「体幹」が鍛えられていたのです。15歳で新聞配達を始め、高校卒業後も町工場や印刷工場などで重たいものを終日運ぶ作業を続けていましたので、在京中の10年余りをどちらかといえば肉体労働中心の生活を続けていたことから少年時代に華奢な身体だったものが、いつのまにか頑強な肉体をもつ青年に仕上がっていました。そうなのです。「お姫様ダッコ」など平気でした。でもお姫様がどこにも現れない…ショポン。

――そんな官舎での配達を毎日続けていたある日のことです。
夕刊を手に階段を上っていました。7段の階段を俯きながら1・2・2段と飛んで踊り場へ、さらに1・2・2段と飛び2階へ。そして踊り場から3階へ向かおうとしたとき何か気配を感じ、顔を上げると3階のドアが半開きになって、そこに棲む奥さんが顔だけだして私を見詰める眼差しに気付きました。考えてもご覧なさい。階段を上ることだけに集中していたのに半開きのドアに女性の顔だけが出ている。どうみても女性の生首だけが浮いているような錯覚に陥りますよ。それは恐怖以外の何ものでもありません。
しかも、その生首が無表情に声を発したのです。「…待っていたのよ」。待っていた?…ボクをですか。続けて生首は「あがって…」と。あがって、と言われてもねぇ~。ボクは夕刊を配っている最中で汗をかいていますしね。あ、外国映画で観たことのあるシャワーを浴びて白いバスローブを羽織ってね…髪を拭きながら歩く自分の姿を想像し「主人のバスローブですけど…」なんて言われるのかなぁ~などと僅か数秒の間に頭をよぎったのですが、何ら根拠のないことなのですよ、ね。ん。

奥さんはドアを大きく開けて振り向きもせず狭い廊下を奥へ進んでいきます。言われるまま玄関口でクツを脱ぎ「あの~お風呂場とか…」などとは後で思い出したのですが、このときは奥さんの後ろを黙って付いていきました。やがて和室の前で止まった彼女は室内に向かって高く指を差します。指の先に見たのは片隅に置かれた洋服ダンス上の大きめの段ボール。
「あれ、取ってくださらない…」私は奥さんの言われるまま、やや重量感のある段ボールを手に畳へ降ろしました。すると奥さんは「暑くなってきたでしょう。扇風機を取り出そうとしたら、あんな高いとこに置いてあるのに気付いたの。でも主人が出張でいないし、誰も手伝ってくれそうな人がいなくてね…そうしたら背の高い新聞屋さんのこと思い出して。そろそろ現れるころね、と待っていたの。お蔭で助かったわ。ありがとう」と一気にまくし立てます。――白いバスローブが入っているわけではなさそう、だね。

まぁね。結局のところ、この官舎では何故か私を見つけては「台所の電球が切れたのよ。取り替えて下さい」とか、「タンスの上のオモチャを自分で取りたいと子どもが言うので、抱えてくださらないかしら…」などと、私の背の高さに期待した要件が幾つか舞い込みましてね。時には、「子供が思い切り走って部屋の窓ガラスに当って怪我して…。救急車を呼んだとこなのよ」と言ってはグッタリした子どもを抱えた母親に遭遇し、不安そうな様子なので救急車が到着するまで側に黙って付いていたこともあります。
5年もの長い間、仕事とはいえ毎日、新聞を配っていると読者との交流はお互いの信頼関係として育まれていたのでしょう。でもね。せっかくの「都会を生きぬくための<武器>」が、自分を守るためではなく他人を手助けするために使われていただなんて。

■攻めるための<武器>
しかしね。やはり「都会の<武器>」は己を守るためだけではなく、たまには「攻めるため」に使うことも考えなければならない…。そこで思案したのサ。まぁね、私の思案というのは底が知れているわけで、ここで大胆な発想として「女性を攻める」ことにしました。
いつもオナゴから誘われ結果的に「ポイ捨て」状態にある自分に、生きる自信と活力を求めて「都会の<武器>」を使うことにしました。できれば東京都に「男ポイ捨て禁止条令施行を求める運動へと発展させたいものだ」と日頃考えていたので、ミツマメ帝国の宝刀「都会の<武器>」をおもむろに鞘から抜くことにしました。

――ある秋の夕暮れのことです。小柄な女性と並んで広い公園を歩いていました。

夕暮れ晴れた 黄昏の街
あなたの瞳 夜にうるんで…

ここで、ちあきなおみの歌う『黄昏のビギン』でも流れればよいのでしょうが、無言で歩く二人には遠く車の騒音と木々のザワメき小鳥の小さなさえずりしか聞こえません。
ボクはといえば両手のやりばがないので、Gパンの後ろポッケに突っ込んで歩いています。もし両手をブラブラさせていると片方の手が勝手に彼女の肩に回ってしまって、「なによ!」とバッシと叩かれる恐怖があったからです。<武器>を使うとき、己に恐怖心があってはなりません。

まばらな雑木林のほうへ歩きながら、やや太めの樹木に背中をあずけ彼女の腰に両手をまわしグイと引き寄せました。そしてボクを仰ぎみる彼女の30センチほど離れた瞳に向かって、こう囁きました…。
「ボクの瞳をみてごらん…君しか映っていないだろう。。。。。」とね。
――するとしばらくして彼女は、こう言いました。
「…いいえ。あなたの瞳にわたしは映っていないわ。あなたの瞳には遠い未来が映っているわ。そうよ、あなたはいつも遠くをみつめているのよ。。。」だって。

…相手、間違えたみたい。


【写真②】1969年夏。勝浦「臨海学校」(2)






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