みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

(15) 歌「侍の娘」と「Song for Sadako Sasaki」 (2012年)

2021年08月10日 | サダコの千羽鶴
 2012年に佐々木禎子さんに捧げられた歌がロシアで2曲発表されました。

 一つはタンボフのミュージシャンの曲「日本の鶴 Song for Sadako Sasaki」です。「日本の鶴」という歌はもう1971年に作られたので、タイトルに差別化を図らないと、同じような題名ばかりになってしまいますね。
 と思えてくるぐらい大量の「サダコの千羽鶴の物語」がロシア語圏内に生まれているのです。
 
 「日本の鶴 Song for Sadako Sasaki」は作詞タチヤーナ・クルバトワ、作曲オリガ・エゴロワ、作曲パーベル・エゴロフ、歌アントニーナ マシェンコワです。
 YouTubeのオリガ・エゴロワのチャンネルで視聴できます。
「Песни Ольи Егоровой.Японский журавлик.Song for Sadako Sasaki」で検索してみてください。
 歌手の声がとてもきれいです。声域が広くて、熱唱系バラードで、平和希求、鎮魂のメッセージが熱唱されています。動画の映像も広島の原爆やサダコの千羽鶴の物語に忠実であろうという真摯な姿勢が感じられます。反戦ソングのお手本のような歌です。

 タンボフのミュージシャンが作った歌ということで思い出すのはタンボフの詩人イワン・クチンの「千羽の白い鶴」です。


 同じく2012年にロシアのサンクト・ペテルブルグのバンド、スプリン(2014年結成)が「Дочь самурая(侍の娘)」という楽曲をリリースしました。
 この歌はアルバム「Обман зрения 」に収録されており、佐々木禎子に捧ぐと献辞されています。
 しかし、歌詞にはサダコの名前もないです。「田んぼの上を飛行機が飛ぶ」という歌詞はあるので、日本の上空を飛んでいるエノラ・ゲイのことを歌っているのかと予想はできます。「真剣になれ、侍の娘!」というフレーズもありますが、これがサダコのことを指しているのかも不明。日本人の少女という意味で侍の娘という表現を使っているように思えます。

 そしてメロディーはSong for Sadako Sasakiのような今までの「サダコの千羽鶴の物語」にありがちなバラード調ではなく、ロック調です。時代ですねえ。
 21世紀のロシアのロックバンドが、「佐々木禎子に捧ぐ! 『侍の娘』!」と歌って、ファンは「クール!」と喜び、しゃれたプロモーションビデオまで作ってしまう時代になりました。
  
 さて、この歌のプロモーション・ビデオですが、TouTubeで視聴できます。
 歌詞の内容より、動画のほうがある意味において日本らしかったです。
 関心のある方は「Дочь самурая Сплин」で検索してください。
 
 舞台はロシアのどこかの高校。なぜかチャイナドレス姿の先生が、生徒に習字を教えている。書いている言葉は日本語で「侍の娘」。そこへ日本人の転校生が入ってくる。これこそ侍の娘。その姿は本当に原宿にいそうな女子高生。その子も習字を始めたら、後ろの席の誰かが半紙を丸めて投げ、日本人女子が書いた習字の紙は破れてしまう。クラス中に起こる嘲笑。(いじめ・・・)
 侍の娘は立ち上がり、周囲にガンを飛ばす。喧嘩が始まるのかと思いきや、日本人女子は半紙を折って、鶴(日本と平和のシンボル)を作る。何してんの?と覗き込むロシア人高校生。誰も喧嘩はしなかった。(かと言って侍の娘が敗北したのではない。)

 いやあ、すてきな内容の動画ですね。そうそう、喧嘩やいじめ(戦争)より、平和ですよ、平和。
 
 はっきり言って、献辞があるところ以外、「サダコの千羽鶴の物語」に直接通じる部分は少ないですが、今の時代、世界に平和を!と叫んだり祈ったりするより、まずは「クラスに平和を! 人種差別はやめよう!」と若者世代にロックで訴えるほうが、世界平和につながるのですよ・・・というミュージシャンの姿勢にとても共感できました。

 2010代にロックバンドのメンバーになっている世代が、侍の娘といえば日本人女子でしょ、日本人少女と言えばサダコでしょ、サダコといえば折り鶴でしょ・・・という発想になるほど、「サダコの千羽鶴の物語」が頭にインプットされるようになりました。
 ただ、もうサダコはおかっぱ頭に着物姿のステレオタイプではなく、その時代の最先端ファッションに身を包んだティーンエイジャーに変身までしているのです。

 そして、侍の娘は強い侍の子どもなんだから、精神的に強い日本人少女という意味が込められていると思いました。
 病と闘いながら折り鶴を作り続けた佐々木禎子さんは精神的に強い少女であるという捉え方です。
 そして、人種や性別に関係なく精神的に強い侍の娘にみんななれと、応援している歌なのだと感じました。
 だからこの歌は「強い精神力を持っていた佐々木禎子さん」に捧げられているのです。

 Song for Sadako Sasakiはソ連時代からの流れに続く典型的反戦ソングです。ある意味ステレオタイプです。しかし「侍の娘」は世界平和に目を向けているのではなく個々の心の中に向けて、メッセージを送っています。精神的な闘いに注目しています。
 個人としての強さがテーマです。これも「サダコの千羽鶴の物語」が持つ一面だと言えます。佐々木禎子さんは病床で黙々と鶴を作っていました。「世界が平和になりますように。」と考えながら折っていたのではなく、「自分の病気が治りますように。」とあくまで個人的な願いのために鶴を折っていたはずです。そして最後まであきらめようとしませんでした。
 「サダコの千羽鶴の物語」は世界平和という大きな目標を持っているように見えますが、その出発点はただ1人の少女のプライベートな願いという小ぢんまりとしたものでした。
 ただ小さい出発点から、今はグローバルに広がったということです。
 そして捉え方も多様化していきました。


 余談ですが・・・この動画の中で転校生の役をした人が、かわいいし、本当に東京に行ったら道端で会えそうというぐらい、日本にいそうな女の子なので、どこの誰なのかネットで調べてみました。
 するとこの歌がリリースされたときのロシアの芸能ニュースサイトで「ロシアに留学中の本物の日本人が出演した。」と書いてある記事を見つけて、やっぱり日本人なんだ! と思い,さらに調べると「モスクワに住んでいるクリスチーナ・リーさん」であることが分かりました。名字がリーって・・・本当に日本人なの? 私のカンではちがいますね・・・。
 クリスチーナ・リーさんがネットで公開しているお誕生日から計算すると、動画の撮影当時は16歳か17歳。(高校生でロシアに留学?)母国語もロシア語みたいなので、生まれも育ちもロシアという東洋系の方ではないかなと思いました。日本人ではなさそう。
 でもクリスチーナ・リーさんはかわいい。折り鶴も上手に折れる。新しいサダコ像になりました。人種などもうどうでもよいと思いました。

 画像はスプリンのYouTube公式チャンネルからのスクリーンショットです。
 おかっぱ頭の女子小学生が折り鶴を持っているというステレオタイプから、スタイリッシュな女子高生に進化しましたね。

(16)に続く。
 

(14) 詩と俳句 2010年以降

2021年08月10日 | サダコの千羽鶴
 ソ連が崩壊し、15の共和国が独立国家として歩み始めます。
 経済的にも混乱し、文化などに心の余裕もない時期がしばらく続きました。
 この時代は目の前の問題に精一杯で、第二次世界大戦の反戦アイコンを思い出すことも少なくなった時期でした。ロシア語圏における「サダコと千羽鶴の物語」の広がりが停滞した時期です。

 一方で、ソ連時代の表現の自由の制限もなくなりました。
 そしてインターネットの時代が始まります。
 ロシア経済が持ち直すと、余裕も生まれました。

 その結果、詩作が趣味です、というロシア人(ロシア語創作者)が、プロアマ問わず、詩を作ってはサイトに投稿し、広く読んでもらうという新しい表現の場が生まれました。
 そんな中で「サダコの千羽鶴の物語」をテーマにする詩人が驚くほどたくさんいることが分かりました。

 日本人の私からすると、まず思ったのは、ロシア人(ロシア語創作者)は詩が好きだということです。日本人の感覚では、ピンとこないと思います。
「趣味は何ですか。」
と尋ねると、
「詩を書くことです。」
と答える人がたくさんいます。ただし、詩というものにすごく高いレベルをみんな(聞く側、読む側)が求めるので、詩作が趣味でも、自信のない人は「趣味は詩を書くことです。」となかなか言いません。「趣味は詩を書くことです。」と堂々と答える人は、相当自信がある人です。
 誕生日に詩を書いてプレゼントするのは普通。もらった側もすごく喜びます。
 学校の国語の授業のテストは詩の暗唱ばっかりです。
 プロの詩人はすごく尊敬され、大統領選挙に出馬する人もいます。詩人から政治家に転身する人も多いです。(マクシム・タンクルスラン・ガムザトフもそうですね。)

 「佐々木禎子さんに捧げられたロシア語の詩がこんなにあるんですよ。」と言われても、多くの日本人は「詩? ふーん。」で終わってしまうと思いますが、ロシア語圏では、詩という文化に重きを置いているということだけは認識してもらったうえで、この記事を読んでほしいです。

 さてこのように詩という文学スタイルがレベルの高いものとされているロシア語圏で、プロアマ問わず「サダコの千羽鶴の物語」を詩題に選んで書いては、ネット上で公表する人が多いので、びっくりしました。
 私がネットで検索しただけで18作品ですが、実際にはもっとたくさんあると思います。また今日書いている人も世界のどこかにいると思います。
 多すぎるので詩の内容は著作権の問題もあるし訳しません。でもタイトルは作品発表年の古い順からざっと訳してみます。

「鶴(複数形)」作品中にサダコと明記。2010年の作。

「少女、佐々木禎子とその記憶に捧ぐ」2011年8月号の雑誌に掲載。

俳句形式(三行詩)で題名はないが、「佐々木禎子さんと長崎と広島で白血病で亡くなった全ての子どもたちに捧ぐ」と献辞。

「サダコ・ササキに捧ぐ」

「ああ、人々よ!」作品中にサダコと明記。ロシアの女子高校生が作者。

「鶴(複数形)」佐々木禎子に捧ぐと献辞。

「千羽鶴」黒い雨、白血病という言葉が作中にあり、406羽の折り鶴を作ったともありますが、これも詩人としての語感で書いた数字と思われます。 

「鶴よ、鶴」作中にサダコ・ササキと明記。

「サダコ」5行詩なので、題名はあるけれど短歌形式の詩と思われます。

「佐々木禎子と千羽鶴」

「少女サダコへの祈り」600羽と少し折ったと作中に書かれています。担当医の名前は「マコト・オサム」にしているので、クチンの詩「千羽の白い鶴」が下敷きにした作品だと思われます。

「サダコ・ササキの記憶に捧ぐ」

「鶴(複数形)」勇気ある日本の少女サダコ・ササキに捧ぐ、と献辞。作中に664羽折ったとあります。

「サダコ」作品最後に佐々木禎子さんの紹介文まで書いてあります。ここでも664羽折ったと説明しています。

「サダコ・ササキ」

「鶴(複数形)」作品中にサダコと明記。

「折り鶴は幸運のシンボル」作品中にサダコと明記。

「鶴」佐々木禎子に捧ぐと献辞。2019年の作。

 こんなにロシア語でサダコの名前が詩の中に出てくるのです。
 詩という言葉の力によって鎮魂ができるとロシア語詩人は考えているのだと思いました。また反戦の声を上げることもできるし、平和を訴えることもできると信じているのでしょう。

 日本人の感覚では分かりにくいかもしれません。
 例えば、日本人で「私の趣味は俳句です。句会の会員です。」「短歌を作ることです。」という人が、「アンネの日記」を読んで、
「すごく感動した! やっぱり人種差別も戦争も反対だ! この気持ちを俳句にしよう! 『ああ、アンネ・・・』」と句や短歌を書き始める人はあまりいないと思うんですね。

(とここまで書きながら、いや、もしかしたらいるかも、と思ってネットで検索したら、アンネという名前をちゃんと入れた日本人歌人による日本語の短歌を一首だけ発見しました。)

 ところが、ロシア語圏では「サダコの千羽鶴の物語」を読んで、「すごく感動した! この気持を詩にしよう! 『ああ、サダコ・・・』」と作品にしてしまう。しかもそうしている人がとても多い。

 他にも日本人が句会で「今日のお題は『戦争反対・平和への願い』です。」というのはあっても、個人の名前を入れよう、というのはあまりないのではないかと思います。「今日は『アンネ・フランク』という言葉を入れた短歌をみんなで作ってみましょう。」ということ、あるのでしょうか?
 ところがロシア語圏では、詩の中に人名、しかも外国人の名前が「サダコ!」「ササキ!」と繰り返し多数登場するのです。

 このように日本人の想像していないことがロシア文学界では当たり前のように続いているのです。
 それにしても佐々木禎子さんのご遺族は、禎子さんの名前がこんなに詩の中で書かれていることも、献辞を捧げられていることも知らないんですよね。
 驚くのか、サダコはとっくに世界的反戦アイコンになっているから今更何とも思わないのか、それとも嬉しく思うのか、あるいは不愉快に感じるのか、私は遺族ではないから分かりません。
 でももし遺族だったら、とりあえずどんな作品に名前を(ある意味無断で)書かれているのか気になるとは思います。
 もっとも佐々木禎子さんのことを悪く書いているロシア語作品は私が知っている限りではありません。

 また上記の詩の大部分は、アマチュア詩人、つまり詩作が趣味という一般人が書いているうえ、ソ連も崩壊した後のロシア語圏に住んでいる普通の人々が自ら「サダコの千羽鶴の物語」をモチーフにして書いたものです。
 ここにソ連時代のような「原爆を落としたアメリカは非道な国である」という宣伝を文学作品でするようにというプロ詩人への、政府からの隠れた指示はありません。
 ソ連はなくなり、核兵器ちらつかせながら牽制し合う米ソ冷戦時代は終わり、国家公務員でもないアマチュア詩人が書く「サダコの千羽鶴の物語」は純粋に鎮魂、戦争反対、平和希求の内容ばかりです。
 さらにネットの力により、大量に発信され、数え切れないほど多くの人が目にするようになりました。

 こうして大量の「サダコの千羽鶴の物語」がロシア語で詩に書かれる中で、曲をつけられる作品も再び出てきます。

(15)に続く。


(13)  児童文学「四人の少女への心」と文学賞(1988年)と四人の少女記念賞(1989年)

2021年08月10日 | サダコの千羽鶴
 1986年チェルノブイリ原発事故が発生してから、被爆して白血病に罹る子どもが増えたベラルーシとウクライナでは、別の視点で「サダコと千羽鶴の物語」を紹介する流れが生まれました。
 
 すでにロシアの児童文学作家ユーリー・ヤコブレフ(1922-1995)が1962年に「白い鶴」という短いお話を書いていましたが、同じくヤコブレフが1988年に「四人の少女への心」という文学作品を発表しました。
 この作品はユーリー・ヤコブレフ選集に収録されています。

 「白い鶴」より量も内容もずっと多いです。
 作家のヤコブレフは反戦をテーマにした児童文学作品を執筆するにあたり、当時すでに反戦のアイコンとなっていた4人の少女を選びます。そしてそれぞれを主人公にした4つの短編を書き、まとめて「四人の少女への心」を発表しました。
 今回私は原題「Страсти по четырём девочкам」を「四人の少女への心」と訳しましたが、「心」というより「情念」とか「魂の叫び」などに訳したほうがいい言葉です。でも、原題そもそもが児童文学作品らしいタイトルではないのですよ。
 作者の反戦、平和を求める気持ちが前面に押し出されているタイトルです。

 この選ばれた四人の少女は、ターニャ・サヴィチェワ、アンネ・フランク、サマンサ・スミス、佐々木禎子です。
 アンネ・フランクは日本でも有名ですが、ターニャ・サヴィチェワ(「ターニャの日記」を書いたロシアの少女)は知らないという日本人が多いと思いますので、リンク先を貼っておきます。

 それと他の3人とは違ってサマンサ・スミスは戦後生まれなので、どうしてこの作品で選ばれているのか分からない、という人のためにもリンク先を貼っておきます。
 サマンサ・スミスはソ連では反戦のアイコンとして当時すでに有名で、
「この本を読んでいるみなさんも、サマンサちゃんのように平和を愛する心を持った人に成長してくださいね。戦後生まれのお手本ですよ。」
と作者は言いたかったのだろうと思います。

 さて、この本の第4章に佐々木禎子さんが登場します。ほとんど作者の想像の世界が書かれており、その分悲しくも美しい文章で、一人称が多用され(サダコの独白シーンが多い。)子ども読者の涙を誘う文章です。
 見つけにくいのですが、ロシア語でこの作品の第4章だけ読みたいという人のためにリンク先を貼っておきます。
 
 ここでは折り鶴の数にはこだわっておらず「あと一羽・・・あと一羽足りない。」とサダコが独白しているだけです。
 要するに999羽作ったという設定になっています。これも作者の文学者としてそうした、ということだと思います。


 ソ連時代、「サダコの千羽鶴の物語」をロシア語で紹介することは、原爆の残酷さを広めることでした。児童文学の形では、子どもに教えることになりますが、それが奨励されたのは、裏に反アメリカ思想があり、「原爆を落とすのなんてひどい国だね、アメリカは。」という意識を子どもに刷り込ませる隠れた意図がソ連政府にあったから、ともされています。その裏で核実験をソ連国内(今のカザフスタン)で何百回も行い、核兵器を製造して、核こそが戦争抑止力になるとか国民に説明をしておきながらです。

 ソ連時代のプロの作家は、原則全員国家公務員みたいなものなので、政府の命令に従って文学作品を作っていました。
 皮肉にもそのおかげで「サダコの千羽鶴の物語」も広がりました。
 しかし、この「四人の少女への心」には、アメリカ人のサマンサ・スミスが選ばれています。サマンサは平和大使であり、ソ連にも訪問したことのある米ソ友好のアイコンであり、反核のアイコンでもありました。
(佐々木禎子さんやアンネ・フランクのように10代で亡くなったのが選ばれた理由かもしれませんが。)

 そのサマンサが選ばれたのは、反アメリカ思想に基づいて児童文学作品を作らなくてよくなってきた傾向がソ連時代末期には出てきた、ということです。
 1985年にレーガンとゴルバチョフが初めて握手を交わしたことも影響を与えたと思います。
 核兵器をちらちら見せながら、相手を威嚇する米ソ冷戦時代は終了し、核の削減交渉が始まります。
 そしてソ連崩壊後は文学者の自由な表現が増えていきます。


 さて、この「四人の少女への心」が発表された翌年、1989年にソ連の平和擁護ソビエト委員会付属「世界の子供に平和を」委員会が「4人の少女記念賞」という文芸賞を設立しました。
 この4人の少女もターニャ・サヴィチェワ、アンネ・フランク、サマンサ・スミス、佐々木禎子となっています。
 世界平和、そして反戦をテーマにした優れた文学に与えられる賞です。
 第一回受賞者はロシア人ではなくアメリカの作家、パトリシア・モンタンドンです。
 メダルも作られ、さらに年の明けた1990年1月にモスクワで授与式が行われました。
 そのニュースが1990年にソ連の子ども向け新聞「ピオネールスカヤ・プラウダ」紙に掲載されました。
 画像は「4人の少女記念賞」のメダルの写真と4人の少女の紹介記事です。
広島平和記念資料館サイトではこの賞は1988年に設立されたと説明されていますが、誤りです。)

 この新聞記事内では、644羽折り鶴を折ったことになっています。ヤコブレフ作の「四人の少女への心」では999羽でしたが、新聞記者はコア作の「サダコと千羽鶴」で書かれた数字をそのまま写したようですね。

 残念なことにこの賞は1990年の第1回授与式が最初で最後でした。
 当時はペレストロイカの時代で、いよいよソ連が崩壊へと進んでいった時代です。
 国内の混乱のため「4人の少女記念賞」は1回の授与で終わってしまい、ソ連という国家も消えました。
 
 (14)に続く。