徒然なるままに

日常を取り留めなく書きます

異質なものへの興味

2008-12-17 00:55:05 | 働く
今日は会社の忘年会だった。
今年は新人歓迎会がなかったため、新入社員が出し物をやった。
手品、漫才、ダンス等。
ぼくにとってネタが新しいので、いまいち乗れなかったが、まあ、おもしろかったと思う。
隣に座っていた女性が言った。
「なかなかmitさんの領域まで達している人はいないね」
そう、ぼくは会社では「生ける伝説の人」なのである。
数々の伝説を作ってきたらしい。飲み会のたびに話題になり、伝説が作られ、ぼくは人気者になる。
しかし、その伝説というのが、いまいち、ぼくにはピンとこない。
なぜ、そんなにおもしろいのか?
例えば、
「すみません。車が壊れました。今日は午後出社でお願いします」
「すみません。ガス欠です。ちょっと遅れます」
「昨日食べた餃子がなんかおかしくて気持ち悪いので休ませてください」
「気づいたら全然知らない家の前で寝てました」
「冷蔵庫ありません。電子レンジありません」
「車が壊れたので自転車で通勤します」
「いつのまにか骨折してました」
「ボクシングジムでスパーリングやったら後頭部が1ヶ月くらい痛いです」
「有休忘れて会社に来てしまいました」
「土曜日、ふと思い立って、四国に行ってきました」
などと、報告すると、なぜかみんな面白がる。
また、見た目もちょっとおもしろいのだろう。
以前、慰安会で、離島に言ったとき、
「おまえ、地元の漁師みたいだな。とても上場企業のプロジェクトリーダには見えんぞ」
と言われた。
みんなレールの上を歩いているのだろう。社会人とはかくあるべきか。
就職して、結婚して、子供ができて、家を立てて、仕事に尽くして。
そんなレールの上を歩いていくのが、幸せだと思っているのか。
そんなレールの上を歩いていくのが、普通だと思っているのか。
だから、結婚しない、家も立てない、子供もいない、仕事は適当であるぼくを、異質な存在であると感じていて、興味がわくのだろう。
でも、幸せの形は人によって色々だと思う。
結婚するのは幸せであると大多数の人は認める。ただし、子供が自立するまでの4年間くらい。
その後、男性は苦痛に感じる。自由を制限されることが多いからだ。
「ぼくは一生あなたを愛しつづけます」
というのは無理があると思う。
あなたは、ずっと今のままではない。細胞は次々と死んで生まれ、性格も、容姿も、考え方も変わっていく。
万物は変化するのが基本で、変わらないものはない。
だから、一生あなたを愛するということは、結局、相手の何が好きなのだろうか?
分からない。人は変わるものだ。それが基本だ。今のあなたは好きだけど、20年後のあなたを変わらずに好きと言えるのか?
物理的には全然別なモノなのである。
ちょっと話がそれたけど、人間は自分にない、異質なものに興味を覚える。
会社という環境の中では、普段のぼくの行動は異質なものに写るのだろう。
それが悪いのか?ぼくはそうは思わない。いろんな人生があって良い。正解はない。
経済が不安定で、もし会社が破綻することになったら、結婚して、子供がいて、家のローンがある人は大変だろう。
その点ぼくは、失うものはないので、気楽だ。
ぼくはサラリーマンには向いていないだろう。
ではなぜサラリーマンをやっているのか?
答えは楽だから。極端な話、全然仕事をしなくても、給料をもらっている人もいる。
全然仕事をしないということは、実は、仕事をするより、大変なことなのだが。
ぼくはさすがにそこまでではないが、まわりの人の感覚とはちょっと違っているかな。
まあ、ぼくの何気ない行動がまわりの人を楽しませているのであれば、それは素敵なことだ。
でも、ぼくはまわりの人を楽しくさせようなどと思ったことは一度もない。
天然なのだと言われた。ここしかないという絶妙なタイミングでボケるという。
また、突然、思いもよらない行動を起こすらしい。
まあ、そんな人が管理職にはなれないかもしれないが、それでいいじゃないか。