徒然なるままに

日常を取り留めなく書きます

眠い!

2007-09-30 23:15:40 | 働く
今日も出勤してしまった。
今月日曜だけで、3日出勤。プロジェクトが佳境だからなあ。
週末の大騒ぎはなんとかなったもよう。
それにしても疲れてるな。
今日は車の運転してても、時々、意識が飛びそうになって、やばかった。
さて、来週がいよいよ山だよ。
何が起こるか?うまくいくのか?ドキドキしてきた。

最終回

2007-09-29 23:18:15 | Weblog
「それは、人にはね、その時はわからなくても、後になって幸せだなって思うときがあるんだよ。例えば、親になってはじめてそれに気がつくとかね。
君にもいつか必ずわかる時がくる」

「いいかい、君の人生には、まだまだこの先もいやなことや、うまくいかないことが、たくさん起きる。
でもわすれるな。君は何度つまづいても、そのたびに立ち直る強さだって持っているんだぞ」

ドラえもんの旧キャストの最終回「45年後」より。
45年後の、のびたが小学生ののびたにいった言葉。
泣ける!

大問題発生

2007-09-29 00:24:12 | 働く
プロジェクトにて、またまた、大問題が発生!
あるシステムでのレスポンスが大幅に低下している。
実は9月最初にわかっていたのだが、対応が遅れていた。
「それは致命的な問題だ」
「おまえら、あと2週間で解決できるのか?」
と、大騒ぎになった。
テスト環境では問題なかったのだが、本番環境で発生した。
データベースに接続するとき、本番環境でなぜか遅い。
何が違うのか?
プログラムコードは同じ。
Webサーバもアプリサーバにも違いが見当たらない。
データベースも同じものを使っている。
リーダはぼく。どう対応するのか?
開発チーム、運用チーム、ベンダーからの情報が次々と入ってくる。
ぼくはパニック状態。
誰が何をしているのか?
どのような指示を出せばいいのか?
全く動けないまま、ただ時間だけが過ぎた。
最悪のシナリオが頭をよぎる。
もう自分が何を言っているのか、わからない。
1日半たって、ようやく原因がつかめた。
ソフト、ハード、ネットワークあらゆるところをすべて疑って、ようやく「これだ!」という原因が判明した。
ユーザ、部内のプロジェクトメンバー、上司、ベンダーさん、メーカーさんなど対応に関わった人は100人を超えるだろう。
原因はあるソフトウェアライブラリのバグ。テスト環境と本番環境で異なるバージョンのライブラリがインストールされていた。
表面には現れないたった一つのファイル。バージョンによる違いは報告されていない。ただ、ファイルの更新日時だけが違っていた。
何万ステップにもおよぶプログラムコードのたった1行のコードだけが、このバグによって影響を受けた。ライブラリのバージョンアップによりあっさりと解決した。
ぼくはふらふらになりながら帰宅した。
今日は煙草をすう時間もなかった。
ああ、神よ。これは何かの罰なのか?
あとひとつ厄介な問題がある。
今まで順調に思えたプロジェクトが崩壊しつつある。
眠れない夜はしばらく続きそうだ。

単位の話

2007-09-23 00:10:53 | 思い出
大学生だった頃、何も考えずに生きていた、と思う。
前日、朝まで飲んでいたりして、午前中の講義にはほとんど出席しなかった。
午後の講義もなんとなくめんどくさくなって、途中で抜け出したりしていた。
講義で使う教科書は1年生の頃は買っていたが、2年生以降は専門科目以外はほとんど買っていなかった。
だから試験前は教科書を持っている友達にかりてコピーしていた。
勉強をするのは試験の前だけ。いや勉強というか、カンニングペーパーを作る方が多かった気がする。
そもそも3年生のはじめくらいまでは、全然わかっていなかった。
4年生になって、研究室に配属されるには、講義を終了してもらえる単位が、ある一定数なければならないということを!
ぼくらの仲間で最初にそれに気づいたのはkachan。入学した当時にもらった、青い本を読みながら、「なんか、まずいぞ、おれら。このままじゃ単位が足りない。留年しちゃう」
それでこれまで取得した単位数をみんなで数えた。ochもkachanもぼくもやばい状況だということがわかった。
ぼくは専門科目を多少落としていた。
ぼくは工学部にいながら、語学や一般教養の単位は結構取っていた。
ochとkachanは語学だとか一般教養の科目の単位が不足していたと思う。
ぼくは1単位オーバーでなんとか進級できた。
なんで講義にでてないやつが進級できるのだ!とみんなに言われた。
奇跡的だったと思う。
ちなみにochとkachanは…。
4年生になって研究室に入って、何とか卒論も書いた。
しかし、1科目必修の単位がまだ取得できていなかった。
今でも覚えている。「数理工学原論第一」
テスト受けなきゃならんと思い、大学の掲示板を見たら、すでにテストは終了していた。
卒論も書いて、就職も決まっていて、卒業できないのか!とかなりあせった。
先生の部屋に行ってみた。
最初は
「何言ってるの。テスト受けてないなら、話にならん」
と言われた。
もういとど、部屋に行ってみた。
「もう卒論も書いて、就職決まってるんですけど…」と言ったら、
「じゃあレポート書いて、提出して」と言われた。
テーマは忘れたが、適当にレポート提出したら、単位がもらえた。
とにかく4年で卒業できたのは奇跡的だったなあ。
まあその後就職して、想像絶する苦労をしたのだが…・
その話はまた今度。

日本記録

2007-09-19 22:50:32 | ボクシング
亀田トレーナーのもとに3兄弟と一緒にトレーニングしていた「牛若丸あきべぇ」が15連続K勝ちを記録して、連続KO日本記録の元世界チャンピオン浜田剛史に並んだ。
相手の質はともかく、いつのまに!って感じである。牛若丸あきべぇは日本ランキング1位。12月に日本チャンピオンに挑戦するそうだ。
ちなみに世界記録は
44連続 ラマール・クラーク (米国)1958年~60年に作られた記録。
だそうだ。全然知らない選手。
世界3位に
36連続 ウィルフレッド・ゴメス (プエルトリコ)
が入る。ゴメスは世界タイトル戦で17連続KO勝利という怪物。日本にも来た。ロイヤル小林を3RでKOした。
またまたちなみに
連続1ラウンドKO勝利は
18連続 エドウィン・バレロ (ベネズエラ)
日本の帝拳ボクシングジム所属で現在22連続KO中。
そんな怪物が何故日本に?
実は米国ニューヨーク州コミッションの検査で脳に異常が発見され、ライセンス停止となった。その後は異常が見られなくなり、試合のできない米国から日本にやってきたそうだ。
牛若丸あきべぇは日本記録を更新できるかな。
試合はほとんどみたことないので、実力はわからないが…

プロジェクト終盤

2007-09-19 21:58:44 | Weblog
10月第1週に本番リリースを予定しているプロジェクト。
ここまでは順調にすすんできたが、ユーザテストにて、問題点続発。
ほとんどは修正可能だが、ひとつだけ、全く想定外の設計ミスが発覚。
なんでもないことだが、今まで、誰も気づかなかった。
「そういえば、XXXXってどうなるんだっけ?」
というユーザからの指摘で、気づいた。
「そんなの考えてませんでした。対応を検討します」
と打ち合わせでは言ったが、
「おまえら馬鹿か?なんで考えていないんだ。できませんじゃ済まない」
とお叱りを受けた。
その他いろんな問題が出てきて、本当に10月に本番移行できるのか?
ユーザも開発も不安になっている。
ぼくはリーダーなので、いろんなことが一気に襲ってくる。
ユーザから
「あれはどうだった」
「なんでこうなってるんだ」
「おまえらテストしたのか?」
「こんなんで本番移行できるのか?」
「今さらできませんではすまんぞ」
上司から
「ばたばたしているが、どうなんだ。現状報告しろ」
「で、対応策は?」
「ありませんって、なんだ!考えろ」
などと、この2,3日責められ続けて、メンバーも休んじゃうし、自分ではどうにもならない。
いろんなことが頭を支配して、もはや何がなんだかわからん状態!
それで今あがっている問題と対策と誰ができるのかをエクセルで整理してみた。
それまでは、問題続出でこりゃダメだと思っていたが、冷静に整理してみると、そうでもないことがわかった。
最終的にできなかった場合には、「ごめんなさい」だな。
気楽にいこう。
Take it easy!
ダメならダメでしかたないよな。
och君の言葉を思い出した。

問題児

2007-09-19 00:59:17 | 思い出
ぼくは幼稚園のころ、問題児だったらしい。
後から母親から聞いた話だが、何回か呼び出しを受けたと言っていた。
・体操服に着替えなかったらしい。体操服は毎日持って行ったのに。
・乱暴だったらしい。何度かクラスの子を泣かせていたらしい。ぼくにやられて、鼻血を出した子がいるらしい。
・幼稚園で配られる粘土。これは粘土細工をするためのものだが、ぼくは粘土を食べていたらしい。
・これはまったく記憶にないのだが、女子便所を覗いていたらしい。
 たまたま女の先生がトイレに入っていたのを覗いて発覚したらしいが、まったく記憶にない。
・たまに幼稚園を抜け出して、どこかへ行ってたらしい。先生が必死になってさがしたらしい。

いやあ、全然覚えていない。覚えているのは年長組の担任の先生がとても好きだったこと。当時の夢に出てくるくらい好きだった。
先生が親父の実家の近くに住んでいるということを聞いて、親父の実家に行く時に偶然、先生と会わないかなあ。などと期待していた。
卒園式の日、先生と一緒に写真を取った。
「ぼくらは小学生になるけど、先生はまた先生なの?」
って聞いた。
先生はちょっと間をおいて、
「先生はお嫁さんかな」
と言った。
お嫁さん、すなわち結婚するということがどんなことなのか、その時はよくわからなかったが、なんとなくさびしかった。

ごめんね

2007-09-18 01:33:04 | 思い出
ぼくはあなたにとてもひどいことをした。
あなたの心と体に、一生残るような、ひどいことをした。
こめんね。
ごめんなさい。
すっかり忘れていたけど、一度も謝ってないんだ。
こめんね。
ごめんなさい。
あなたは、あの時のことが、まるでなかったような笑顔と態度で、ぼくをむかえる。
でも、そうだったんだ。
ぼくは一度も謝っていなかった。
ごめんね。
ごめんなさい。
今さら、そんなこと。だめだよね。
ごめんね。
ごめんなさい。

死ぬかと思った

2007-09-17 23:53:48 | 思い出
今まで死ぬかと思ったことが何度かある。

・小学校3年のころ
「サーキットの狼」という漫画がはやっていて、家の周りの道を公道サーキットとして自転車で友達とタイムを競った。
ぼくの記録が抜かれたため、新記録を狙っていた。
第1コーナーで、車と衝突。公道なので車は走っている。
3メートルくらい、飛ばされた。
自転車はくしゃくしゃ。靴は10メートルくらい飛ばされていた。
衝突した後、意識はあったが、気持ち悪くて吐き気がした。
衝突した車のドライバー(若者)が降りてきて、「大丈夫か?」と言った。
ぼくは以前もこの道で車と衝突事故をおこしており、今回、親に見つかったら、すごく怒られるだろうと思い、
「大丈夫ですよ。なんともありません」
と言ってしまった。
ドライバーはそのまま車に乗って立ち去った。
今思うとひき逃げ!のような気がする。
2週間くらい体中が痛かったが、病院には行かなかった。
くしゃくしゃになった自転車は「どぶに落ちた」と言って親父に直してもらった。

・スプリンターマリノで大回転
会社に入って2年目くらいのころ、会社の寮の周りに曲がりくねった道があり、そこを走り回っていた。
タイヤをハイグリップタイヤに替えた。
「おおっ!すげえ。こんな速度でも曲がれちゃう」
なんて思っていたら、限界を超えると、唐突に挙動が乱れて、あれっていうまに横転。
転地がひっくり返った時は、「だめだ、こりゃ」と思った。
車は廃車になった。フロントウインドウ、サイドウインドウ、すべてのガラスが割れていた。ぼろぼろになった車は事故の凄惨さを物語っていた。
ぼくは救急車で病院に運ばれた。でも腕を7針縫ったくらいで命に別状はなかった。警察の人に、「普通なら死んでる」って言われた。

・ビートアンダーステアで
ホンダ・ビートを買った頃、うれしくて、毎週末に峠道に走りに行っていた。
ビートは基本的に遅いので、走り屋さんがいなくなった後、早朝に行くことが多かった。
コーナーでブレーキングが遅れて、あわててフルブレーキングしたら、前輪ロックして、制御不能になり、ガードレールに突っ込んだ。
フロントウインドウの助手席側がガードレールの下にめりこんだ。
助手席に人が乗っていたら、危なかった。
近所の人に助けてもらって、なんとかガードレールから脱出し、ぼろぼろのまま、自走してディーラーまで行った。
「廃車ですね」と工場長は冷静に言った。

・スパーリングにて
ボクシングジムで始めてスパーリングをした。
2ランドになると、ぼくはスタミナがきれて、棒立ち。
30秒くらい、防戦一方で、相手の攻撃をもろにくらった。
ダウンはしなかった。パンチによる痛みはなかったが、頭がくらくらした。
その後、頭痛が1ヶ月くらい続いた。脳内出血でもしているのか?と思い、CTをとったが、異常はなかった。
急な運動により、頭痛がおこることがあるらしい。

この他にもあるが今日はこの辺で

スーパーカーその2

2007-09-16 01:16:05 | 思い出
バブルの頃、再びスーパーカーがブームになった。
少年達ではなく、バブルで儲けた人達が買いあさったのである。
フェラーリF40が1億円以上だった。
8気筒のフェラーリ348なども新車より中古車の方が高額だった。
当時のバブリーな日本。国産でもスーパーカー?が出てきた。

・HONDA NSX
オールアルミのボディに3LV6エンジンをミドに横置き。
VTECによって超高回転エンジンに仕上げられていた。
リアのオーバハングが長いなどと、デザインについて、いろいろ言われているけどぼくは結構好きだ。
コーナリングの限界値は軽のミドシップBEATの方が高い!などといわれていた。
BEATもバブリーな車だよなあ。

・NISSAN SKYLINE GT-R
R32で復活したGT-R。アテーサと呼ばれる4WDシステム。
2.6Lツインターボエンジン。
サーキットで活躍するために生まれてきた車。

・アンフィニ RX-7
世界唯一のロータリーエンジン。スタイルもかっこよくなって、なかなか良い感じ。このころのマツダは多チャンネル販売でいろんな車が出た。
ユーノス、アンフィニ、オートザム他は忘れた。
ロードスターが出たのもこの頃。

・三菱 GTO
もともとFFのギャランを4WDにして、いろんな電子デバイスを組み込み、フェラーリルックとした車。本来、エンジンへの空気取り入れ口やブレーキ冷却のためにある、ボディの穴がGTOではすべてギミックで、カッコよくするために取り付けられた。自動車に詳しい人は「あんな車恥ずかしくて乗れない」って言っていた。
それでも買う人が結構いたのだから、やっぱバブルはすごい。

・スバル アルシーネSVX
実は結構好き。程度のよい個体があれば、今買ってもいいかと思っている。

日本ではバブルがはじけて、スーパーカーの価格も急落しつつあるころ、F1コンストラクターであるマクラーレン社がとてつもない車を発表した。
「マクラーレンF1」である。
6.1リッターV型12気筒48バルブDOHCエンジンで、出力はリッター100馬力を超える627馬力を達成している。あらゆる軽量化でボディは1,140kgと、驚異的な軽さ!
これで遅いはずがない。最高速度391kmはすごい。
しかし上には上がある。
2005年に発表された「ブガッティ・ベイロン」の最高速度は407Km。
この車は8リッターW型16気筒にターボを4つつけて1001馬力!
価格は1億6千万だって