前記事「最近の若者は内向きだ」仮説の誤謬-My Life After MIT Sloan では、最近の若者が「内向き」、つまり海外留学や海外赴任などの「お外」に出たがらないとマスコミなどが言っているのに対し、そんなのはデータの読み方からして誤り、という反論をした。それどころか私は「最近の若者の方がずっとグローバル化している」と考えている。もちろん世代内の二極化は進んでいるし、昔の人に比べるとハングリーさは減っているかもしれない。しかし「外向き」側にいる今の若者は、昔の「外向き」の若者に比べたら、圧倒的にグローバル化している。「内向き」側にいる若者だって、昔の「内向き」若者に比べたら、圧倒的な量のグローバルな情報にいつのまにか接し、慣れている。むしろそういう情報に接して、苦労しているからこそ「俺は海外は嫌だ」とか明確に意思表示ができる「内向き」層が出てきているかもしれない。
最近私は、物心ついたときから、グローバルな情報をリアルタイムで共有するのが当たり前で、ネットなどででグローバルに交流ができる環境にある世代、その結果、何の抵抗も感じずに最初から自然と世界に発信したり、活躍出来る人もいる世代を「グローバルネイティブ」と呼ぶことにしている。物心ついたときから、携帯電話やインターネットなどのITに触れて、何の抵抗もなく使える世代を「デジタルネイティブ」と呼ぶのをもじったわけである。グローバルネイティブは、帰国子女である必要はない。小さなころから、情報といえば世界中の話が耳に入ってくるのが当たり前、さらにはYoutubeやTwitterなども活用して、世界中の人々と情報をリアルタイムで共有するのが当たり前、という世代だ(たとえ日本語であっても。Google Translateなども使って)。そしてインターネットなど各種メディアを通じて世界に発信をしたり、SkypeやSNSで世界中の国の人たちと交流できる世代である。
どちらかといえば「内向き」という若者だって、上の世代に比べたら圧倒的な量のグローバルな量に日々接している。やはりインターネットの力は大きい。新聞なんか読まなくても、英語のWebニュースやそれを日本語に訳したものが毎日たくさん流れてくる。高い値段で衛星放送を契約しなくてもYoutubeや、最近流行のTEDなどで海外の映像を見ることも気軽に出来る。語学が分からなくても、誰かがすぐに訳してネットに流してくれたりするだろう。Facebook、TwitterなどグローバルなSNSプラットフォームが日本でメジャーになったことで、どこかの国で面白い画像や情報が出てくれば、数日のうちにグローバルに同じ情報が共有される。iPhoneやアンドロイドのアプリだって、いいものは一日のうちに世界中に浸透する。このように、今の若い世代は、50代、60代以上の人たちには考えられないほど、インターネットを通じて自然とグローバルな情報に接しているのである。
グローバル化してるのはインターネット上だけではない。たとえばスポーツ。今の50代、60代が若いころは日本のスポーツを見るのが普通だったと思うが、今の10代、20代にとっては物心ついたころからスポーツはグローバルだ。野球ならアメリカのメジャーリーガーの名前をたくさん知ってるし、バスケならアメリカNBA、サッカーならイギリスのプレミアリーグやスペインのリーガ・エスパニョーラを見ている若者も多いだろう。その結果、観客が選手のプレーにどう反応するのかを見て文化を知ったり、あるいはNBAでストライキが起こって、バスケのシーズンが始まらないなんてことがあるなど(スト、昨日漸く終わりましたね!)各国の社会問題を知ったりして、自然に各国への理解が深まるわけである。「自分は海外なんか出るつもりはない」と何故か固く決意しちゃってる10代の若者だって、これらの情報にいつのまにか、自然と接しているから、上の世代よりはよっぽどグローバル慣れしているわけである。
そして、グローバルネイティブ世代の「外向き」層は本当にすごい。今の10代、20代の「外向き」層には、帰国子女でもなんでもないのに、最初から世界を目指して発信したり、世界で活躍できる人たちがいるのだ。それこそきっと、何の抵抗も感じず、普通に日本でやるのと同じ感覚で、最初から世界にいけてしまうのだろう。これは私を含めて30代や、それ以上の世代の人たちには少し隔世の感があるのではないだろうか。
と、先日発表された、ワールド・エコノミック・フォーラムの今年の日本人若手リーダー30人のプロファイル(PDF)を見て思ったのだった。選ばれた30人は、全員が30歳以下の若手リーダーだが、全員がグローバルというわけではない。しかし中には、大学で留学した後に最初から海外で起業する人がいたり、海外でNPOを作ってみる大学生がいたり、震災後に最初から海外に向けて発信している高校生がいたりする。それぞれに、30代以上の世代にはあまり見られない、面白いことをやっている人が多くいる。
そう、この若い世代は、外向きになろうと思ったら、もう私たち30代以上の世代とは比較にならないほど、いくらでも外に行けるのだ。インターネットなどのメディアを使って、最初から世界に発信し、SNSやEメールで世界中の人とつながって、世界をまたにかけて活躍できる。ここに選ばれた30人以外にも、今の高校生や大学生で、最初から世界に発信したり、他の国で活躍したり、ということをやっている人はたくさんいるだろう。そういうグローバルが当たり前、という若者がたくさんいるのが、グローバルネイティブ世代なのだ。
上の世代は、現在グローバルに活躍している人でも、そこにいたるまでは苦労して、それなりの壁を越えてきた人が多いのではないか。英語ひとつとっても苦労して身につけ、また文化的違いにも慣れるのに苦労して、何とかグローバルの土台に上がってきた。もっとも、私も含めた今の30代前半の世代が、その上の世代よりグローバルな経験を若いうちにしているのは確かだ。たとえば私なんかも、留学先のMITで、日本人は出来ないと言われたティーチングアシスタントを二期務めたり、米国でインターンをやったりしたが、これらは昔の日本人MBAには珍しいことだったようだ。でも同じ30代前半のMBA生には、インターンのみならず、在米企業にそのまま就職したり、MBA全体の総長に就任したりする人もいた。その他、MBAに限らず海外で仕事をしている同世代もたくさんいる。そんな30代前半の私たちは「いやー、今の若手はほんとグローバルに活躍するね~」と上の世代の先輩方に言われて育ってきた。そこに至るまでの努力だって、それなりに必死でやってきた結果だ。
しかし、今の10代、20代の「外向き」層は、そんなレベルじゃない。もっと若い時期から、もっとグローバルだ。最初から、当たり前にグローバルに行こうと思っているし、実際に行けてしまう。英語力ひとつとっても、今の10代、20代の「外向き」層は、私のような30代の「外向き」層よりはるかに能力が高いと、実際に接していて感じる。中学生、高校生などの最も好奇心旺盛で記憶力がある時期に、インターネットがあり、Youtubeがあり、Skypeで世界中の人と安く英会話できるサービスがある世代は、同じくらいの努力をしている人でもやはり違うのだと感じる。発信力も違う。私が30代になって、漸くBlogやTwitterで発信し始めているようなことを、彼らは20代のうちからやっている。しかも最初から世界に向けて。
あと20年たって、彼らのような日本人のグローバルネイティブたちが、40-50代になり、リーダー的な役割を果たすようになったら、世界における日本の位置は大きく変わるだろう、と思う。日本人から、グローバルなリーダーになる人は今より増えるだろうし、世界各国のリーダーと対等に戦えるようになるだろう。デジタルネイティブにしても、物心ついたときからインターネットや携帯電話に慣れ親しんだ子供たちが、製品やサービスを作る側にたったら、きっと世界が変わるだろう、といわれている。グローバルネイティブもそれと同じである。
これからの日本には、物心ついたときから、情報は世界中で共有され、世界に発信するのが当たり前だと思っているグローバルネイティブが、どんどん生まれてくるだろう。いや、最近の新興国のグローバル化のスピードを見ていたら、もっとグローバルネイティブが生まれてきてくれないと困るのだ。そういうグローバルネイティブたちが、社会の中でリーダー的な役割を果たすようになったら、日本は普通にもっとグローバル化し、世界における日本の位置づけもはるかに良くなるのではないか、と私は淡い期待を抱いている。その世代がリーダーになる間のつなぎとして、30代の私も出来るだけ頑張りたい。
本当に、生まれたときからグローバルなのが当たり前な世代に早く活躍してほしいです。Twitterなどでも指摘が出ていたように、他のアジア各国のグローバルネイティブの数の多さは半端じゃないですから、それを追い越すほどの勢いがほしいですけどね。
これからも週末中心にUpしていきますので、よろしくお願いいたします
@Fearonさん
そうですね。若手リーダーの選抜は、企業に勤める人と、企業などをしている人と両方が選ばれるようにした結果なのでしょうね。。
最近の米国MBAに受かる人の傾向を見ていると、外資のコンサルティングファームや投資銀行から来る人が圧倒的に増えました。トップスクールの半分以上がそういう人たちに占められている感じです。そういう意味ではグローバルなビジネスな世界での日本のプレゼンス、という意味では米国企業の日本支社に勤めて、国境なく仕事をしている社員というのはひとつの軸なのだろうとも思います。
@Emi-starさん
全くそうですね。今の日本では、グローバルな人材の必要性は歌われており、皆理解していますが、実際にそういう人材を雇うための役職がなかったり、仕組みがなかったりして、結果として根付かない。まだ空回りしている感じがしますね。
今後そのあたりを整備していくことが重要になるのでしょうね
@Ke Vinciさん
コメント有難うございます。「出身:地球」そうですね。今の10代はまだそこまでは行かないと思いますが、100年後にはそうなっているかも知れないと思います。
「つなぎ」という意味では、全ての世代は実は「つなぎ」ですよね。もちろん、私たちの世代は、その前の世代が苦労してきたように、日本発でグローバル化に向けてまい進するんだろうけれど、その先の世代がもっとそうなるようにしていきたいなーとは思いますね。
やはり個人の力というのは限界があり、世代が持つ力、というのはありますからね・・・
私としては、自分自身が仕事などを通じて日本企業のグローバル化に貢献していくほかに、こういうブログなどを通じて、次の世代がグローバルな方向に目を向けて、生きやすくなるような素地を作っていきたいと思っています
@dさん
本当にそうですよ、昔FEN、今Youtube、という感じです。
Youtubeを使った英語勉強法については、以前エントリを書いたこともあります。
是非御参照!
英語をモノにしたい人のためのお勧めYoutube動画。
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/d4f56eb29bd4952e0b3283f716ae6b68
@鈴木英介(aceusuzki)さん
お久しぶりです。せっかくなので「グローバルネイティブ」流行らせて下さい。そういう世代がどんどん出てきて、「若者は内向きだ」なんていわせないように(笑)
これからも週末中心ですが書いていきますので、よろしくお願いします
@とある高校生さん
全くその通りで、グローバルに必要なコミュニケーション力は、英語力だけではなく、文化的背景の理解、価値観の理解が不可欠ですね。そのために、いろいろなニュースや本を英語で読み、Youtubeを見てコメントを呼んで、日本以外の国の人たちが、どういう感覚でどういう理解の仕方をしているのかを、理解していくことが、コミュニケーションのレベルを上げていくためには非常に大切だと思っています。
@Willyさん
コメント有難うございます。そう、中年以上のほうがずっと内向きですが、「自分たちは海外旅行などもたくさんしてずっとグローバル」とか平気で言いますからね。ただおっしゃるとおり、東南アジアや東アジアのほかの国では、グローバル・ネイティブたちは日本より圧倒的に数も多く、相対的には日本はまだまだかもしれません。日本国内で世代で比べることには全く意味がありませんが、同じ世代の中で国比較をするのは良いと思います。
是非東京発でグローバル展開できるケーキ屋を起業してくださいw
@Heinekenさん
私は「グローバルエリート」は別の文脈で捕らえており(もともとはグローバルに広がることでより富を得る富裕層という意味で使われていたことを知った上で)、日本という国に富をもたらすグローバルに活躍できる人材、という意味で使っています。
こういう人たちが増えていかないと、日本という国は国富を維持することは出来ないでしょう。
今までも日本は科学技術で付加価値をつけて、海外(主に先進国)に輸出することで国富を得てきました。今後はこのモデルでは難しい。先進国経済は衰退し、新興国に技術を持っている国は増えています。
だから私はグローバルエリートが増えて、新興国・先進国全体をリエゾンしながら価値を作り出していく人たちがいないと日本という国は成り立たなくなるだろうと思っています。
今日、世界中の人々が、望む、望まないにかかわらずグローバル化に直面している。その流れの中で「先進国」では、中間層が、ごく一部の「グローバルエリート、グローバルリッチ(とも呼ばれる)層」と多数の没落層とに急速に分解している(その一方で「途上国」では新たに中間層が形成されてきている)。
現に没落しつつある層、あるいは没落を予感しつつある層には、グローバル化は不安や疎外感、場合によっては敵意を持って受けとめられている、としても不思議でない気がします。
不安・疎外感・敵意は、「先進国に生まれた既得権」を失うことへの非建設的な抵抗感情とも考えられるが、グローバル化の持つマイナス面である、経済恐慌や伝染病が一気に世界中に広まること等のリスクの存在は認識されるべきであり、対策も可能な限りなされていくべきであると私は思う(個人的には、企業間、国家間、部族間など、人間同士の競争へ今現在向かっているエネルギーを、もうほんの少しでもいいから、こちらに配分できないものかと思うが)。
グローバル化の根底には、二つの原動力があると思う。
一つは、動物としての人間が持つ「進歩」への衝動、「勝って生き残る」ことを目指す闘争本能である。これこそが、地球45億年(生命誕生からは約35億年)の歴史の中で、人類という生物種をわずか1万年程度で地球上いたる所で合計70億超という個体数まで繁栄させた原動力となったのであろう。少なくともこれまでは。(そしてこれからは、その闘争本能・前進衝動を余程賢く制御しないと、人類という「種の滅亡」すら招くリスクが出てきている。そしてアンチグローバル化、アンチ経済成長を唱える人の一部には、動物的本能でそれを感じている人たちがいるのではないか、(←私もその一人かもしれないw)というのが私の仮説。)
もう一つは(前者と完全に分離できるものではないが)、この世に生を受けた全ての人間が、飢えから解放されること、可能な限り多くの人が、健康で、物質的にも精神的にも豊かな生活を送れる世の中を目指すべきであるという態度に対しては、各民族の文化の違い、宗教等の違い等をおそらくは超えて、普遍的な支持が全人類的になされていることだと思う。(例えば1979年のイランのイスラム革命は、アメリカ的豊かさが拒絶されたというよりも、ごく一部の特権階級だけが豊かになり、残りの国民が踏みにじられている状況をイスラム教が解決してくれると期待されたからであろう。)
私は、この2つ目のことこそ、グローバル化に対する人々の不安感や疎外感を、建設的に昇華させることのできる原動力ともなると思う。
世界史を振り返ると、人間同士の絶え間ない闘争の中で、「弱い」文明は(片方の当事者は決して闘争を望んでいなかったのかもしれないが、それでも一方的に闘争を挑まれ)、征服され、「淘汰」されてしまった。スペインに征服されたインカやマヤの文明しかり、「奴隷狩り」の標的にされたアフリカの諸文明しかり、保護区に追いやられたネイティブアメリカンの文明しかり、今でも、ギリシアやイタリアやスペイン、フィリピンなどの「ゆるく、そして優しい(見方によれば「だらしない」?)文化、ライフスタイルは、根本的に資本主義経済システム下での競争には根本的に向いてないんじゃなかと思う。それを無理やりシステムに組み込んでおきながら、「お荷物」扱いしてはかわいそうというか、「違ったあり方」に対して失礼でもあると思う。
だからそういった多様性を尊重しつつ、おそらくは全ての人から根本的には支持されるであろう、「とにかくご飯が食べられて、家族が健康に暮らせること」という最低限のラインについて、まさに、「グローバルな実現」を目指すことをもし目標にできれば(そしてこの目標のためにこそ経済成長が必要であり、かつ、この目標こそが経済成長をもたらしてくれる原動力となると思う)、これまでのような先進国の中での仕事がオフショア化等でなくなって「要らない人」となりつつある中間層の人々には、本当は世界中で果たせる役割が膨大にあると思う。そう考えることで、「競争が厳しい時代だから負けないように頑張れ!」という言い方では、「しんどいから俺はいいよ」となってしまう「内向き」の人々にも、前向きなやりがいが感じられる可能性を信じたい。勿論、これはこれで危険な側面もある。アフリカの植民地化を推進したのは「(野蛮人どもを文明化するという)白人の重荷を背負え」という「使命」感だったという。そんなハタ迷惑な押し付けではなく、その地の文化に十分な敬意を払い、現地の人々からも理解と敬意を得られるくらいの仕事ができないとならないだろう。こうなるためには、グローバルというよりむしろ「グローカル」な視点が必要なのではないだろうか(そういえば、文脈を忘れてしまったのですが、Lilacさんも暫く前TLでグローカルという言葉を使われていたような…)。
「グローバルエリート」の仕事は、文字通り飛行機と新幹線で世界中を飛び回るような仕事なのだろう。これに対して「グローカル」な仕事は言わば各駅停車である。エリートにはエリートにしかできない極めて重要な役割が確かにあると私は思っているが、各駅停車の旅でしか見えないものも沢山ある。ここと決めた場所に根を生やし、長い年月をかけて信頼関係を醸成し、その土地に通暁し、その人にしかできない仕事を成し遂げる。アメリカの戦後の世界政策を見ると、仮想敵国でもあった日本については戦前からかなり研究もなされ、そのためもあって占領政策はうまくいった(と言われている)ようだが、韓国で軍政を敷いた時は全くの準備不足。南ヴェトナムのことも、ほとんど何も分かっていないまま軍事介入を実施したらしい。いかにキッシンジャーが天才だったとしても、世界中を一人で統治できるスーパーマンではないのである。しかし、パーレビ国王時代のイランでも、イラク戦争後のイラクでも、全く同じ失敗が繰り返されているようにも見える。
アメリカの代わりを一部でも務めるのは、簡単ではないどころか、可能かどうかすら分からない極めつけの難事業だろうが、トップエリートだけではさらに難しいだろう。何といっても絶対数が足らない。「中間層」にも必要とされている役割は沢山あるのではないだろうか。少なくとも、先細る国内市場で限られたパイを奪い合うような仕事よりも、遥かに有意義でやりがいもあり、押し付けにならなければ、関わった国の人々にも感謝される仕事となりうると思う。
このように考えることで、グローバル化への不安や疎外感を建設的に昇華できないでしょうか。
ちなみに、娘の英語口語運用能力は(語彙を除けば)私とほぼ同じになり、間もなく抜かれると思いますが、
大人になったら東京でお花屋さんかケーキ屋さんになりたいそうです(笑)。
現在某大学附属高校の3年生です
同世代の自分から見ても「外向き志向」の学生は本当にすごいと思います
自分が通っている高校でも、やる気のある学生は頻繁に国際交流の催しに参加したり、SNSを通じて自分たちで国際交流の機会を作り出しています
そんな友人の中の一人はこのように語っていました
「英語を喋れるようになりたいと言ってるだけじゃダメ。英語を喋る機会なんて身近にいっぱい転がってるんだから、それを利用する努力が必要。」
そのような学生たちに感化され自分も英語でのコミュニケーションの機会を増やし、今となっては支障なく英語による交流ができるようになりました
違ったバックグラウンドを持った人と交流し、知見を広げることはとても自分にとってとても有益です
周りにも英語が達者な人(中には中国語や仏語、独語を加えたマルチリンガルな人)が多くいることから、いまどきの高校生にとっては英語でのコミュニケーションは前の時代と比べて、普遍的なものになりつつあるように感じます
しかし一言付け加えるならば、自分も含め、現代の若者は核となる知識、教養が欠けている気がします
英語は自分が伝えたいことをもっと多くの人に知ってもらうための"道具"なのであるから、自分の意見を生み出せなければそれは無用の長物として終わってしまいます
日本人にグローバルなコミュニケーション能力が欠けていると言われる所以は、確かに英語のコミュ力自体にその原因を求められるでしょうが、それに加えてグローバルな問題に対する関心、知識の欠落もある程度寄与しているのではないでしょうか
英語能力を引き上げることは、他人への自分の意見の浸透度を限界的に高めることである、と自分の中では解釈しています
このような考えに立ちこれからも知識や思考能力と英語でのコミュ力を同時に磨き上げることで、グローバルな感覚を養っていこうと思います
結構長々と語ってしまってすいません
Lilacさんの意見にとても共感してしまってついつい熱くなってしまいました
これからもLilacさんの鋭い意見を楽しみにしています
意識しなくても自分がやっていることがグローバルに繋がっちゃっているというのは、強く同意です。
ここのところ思っていたのが、英語が使いこなせる事が自己のグローバル化である時代はそろそろ終わり、極めてローカル(日本語オンリー)でいても、いやむしろそうであるからこそグローバルに通用する時代になるのではないかな、ということです。
翻訳エンジンが長足の進歩を遂げるからというのがその理由だったのですが、Lilacさんの指摘されているように、誰かが勝手に翻訳してくれるみたいな話もありますね。
そうなると、何が勝負のポイントかというと、知的な部分では絶対的に面白い事考えているかになり、この部分では日本人は相当いい勝負できると思うんですよね。
それにしても、Lilacさんがこうしてまた良エントリーを重ね始めた事、嬉しいですね。また次を楽しみにしています。
また面白く拝読させて頂きました.
グローバルネイティブ,すなわち,「出身:地球」か.今の子供たちを正直羨ましく思う.
どこぞのSF映画にもありましたね,,,ネットが世界を覆い尽くし,でも「国家や民族が消えてなくなるほど,情報化されてはいない」くらいの未来….か.
確かに,国際学会とかでも,10年くらい前に,我々がラボに所属したばかりのころは,(分野にもよるが)M2で国際学会に参加するのも早いくらいだったのに. 今や下手すりゃ,いや,上手くいけば,B4でも国際学会に参加して(させて(笑)?でも本人達にとっていい経験.本当に.)いるし,,,,.素直に羨ましい.
選択肢が多数にあるということは素晴らしいですからね.自主的に判断・行動することができる人間達にとっては.逆にそのような人間になるように教育することが確実に必要だと考えます.
できるだけ幼い段階から,情報の正確さを自分自身で,もしくは自分とそのコミュニティによって判断できるかどうか.....情報はネットで世界中から得られるようになる以上,究極の教育とは,「これらの溢れている情報から,如何に限られた時間内に,より正確に内容の正しい・正しく無いを見極め判断できるように育てるか」に収束するかもしれませんね.そして,その方法自体がまたネットに載るわけでしょう.グローバル・ループか.
んー,,,,,
あとはまぁ,個人的な意見・感想ですが,
Lilacさんの最後の一行「その世代がリーダーになる間のつなぎとして」に関して↓.
小生も30代に入ってしまった(涙)ものの一人なのですが,正直,「つなぎ」で終わるのはご自身もったいないかな…と.(#誤解があったらゴメンなさい.)
少なくとも,小生は彼らと一緒に地球進化に取り組みたい,,,,過渡期に生きていることをチャンスにしたいと思う.元老と呼ばれても構わない(笑).的確なアドバイスを与える努力・エネルギーは惜しまないから.
Lilacさんこそ,いい意味で,未来 元老(?)みたいな感じで,取り組まれては? 当ブログを拝読するからに,真面目にご自身向かれていると思うんだけどな...皆さんに元気与えているし.まぁ,このブログこそが,既に上記の役割の一端を担っているとも言えるかな.
今回も元気付けて頂き,どうも有難うございました.
Ke Vinci
現在の課題は、こういう感覚を持っている人が、日本でそれを活かした仕事を持てるか、創れるかにあるのかなと思っています。
趣味やボランティア活動では沢山この経験・趣味・スキルを活かした事は日本でもあるのですが、「職」が人財はいても足りていない感じがします。香港やシンガポール、イギリスに行ってしまう優秀な女性もいます。
豊富な国際経験を生かして、どう日本でも生かせていけるか、Lilacさんのような非常に優秀な方よりもう少し(私を含め・笑)そうでない人々にも裾野が広げられたらな、と思っています。
今の学生さん、10代には国際経験を生かして就職できる環境が時代の変化により出来つつあるかと思われます。気になるポイントは、既に社会人経験のある20-30代の国際経験のある女性が活躍できるキャリアの裾野を日本でも広げられるか。そこが非常に興味深いです。
あぁ、1982-1983の方が当然多いですし、自分と同じ学年の方達ばかりですね。まぁ、別次元の方達だなてのが率直な意見です。職例がコンサルとか投資銀行ばっかですね。
また、「大人になっても夢を持ってよいということ」を読んで、何かを忘れかけていた自分を痛感し、とても刺激を受けていました。
これからも楽しみに読ませていただきます。