太田裕美について語ろうと思ったら、この「木綿のハンカチーフ」について語らないわけにはいかない。いかないのだが.....いまや国民ソングになってしまったこの曲についていったいなにを語ればいいのだろうか.....
たとえば、アルバムに収録されているものと、シングルで発売されたものでアレンジが異なっていて(シングルは筒美京平と萩田光雄の編曲、アルバムは萩田光雄の編曲らしい)、ラジオでよく聴いていたものはシングル盤のものでかなり歌謡曲っぽいが、アルバムのものはもっと明るい曲調になっているとか。シングル盤とアルバムのものとで一部歌詞が違っているとか。
当時、男と女のかけあいの形態をとっている歌詞がめずらしかったが、Bob Dylanの1964年発売「The Times They Are A-Changin'」(邦題「時代は変る」)に収録されていた「Boots of Spanish Leather」(スペイン革のブーツ)を下敷きにしていたとか。じつは私はつい最近までそのことを知らなくて、「え、そうなの?」と思ったとか。「時代は変る」ならよく聴いていたがまったく気づかなかった......お恥ずかしい......とか。そういえば晶文社から発売されていた「ボブ・ディラン全詩集」(片桐ユズル・中山容訳)はたしか箱入りで、欲しかったが高くて手が出ず、書店でずっとながめていたなぁ....とか。
シングルが1975年に発売されているが12月21日ということで、実際には翌年1976年の前半によく聴こえてきて、ちょうど私が大学に入学した時期だったなぁ。東へと向かったけど、列車でなくて父親が運転する軽トラックに下宿生活で必要なもの(と言ったって小さな箪笥と机くらい)を積んで、東名高速を行ったっけ....とか。そのとき車のラジオから「木綿のハンカチーフ」が流れた、とでもなればまだいいが、そんな記憶はないし....とか。そもそも高校では理系の進学クラスに押し込められたものだから、周囲に女子はほとんどおらず、木綿のハンカチーフを欲しがる人などいなかったじゃないかとか。それでも「気分は木綿のハンカチーフ」だったようなとか。きっとそんな「気分は~」の男がけっこうこのころいたんだろうなぁとか。
まったくこの曲の男は自己中心的で、1番はまだしも、2番では「都会で流行の指輪を送るよ 君に君に似合うはずだ」とモノでつろうとしているし、3番では「見間違うような スーツ着たぼくの 写真 写真を見てくれ」と自慢げに写真を送っている。それでも女性は「星のダイヤも 海に眠る真珠も」いらないとこたえ、自慢されても怒るどころか「木枯しのビル街 からだに気をつけてね」と男の体の心配さえしている。涙を拭く木綿のハンカチーフを送ってもらおうという、そんなささやかな願いすら自分の「わがまま」だと思っている。いじらしい女性だなぁとか。最近、太田裕美本人は、この曲は「母親と息子」の関係を描いているのではないかと言っているらしい。う~ん。母親に対しては私はずいぶん自己中心的だったなぁとか。
4番まで歌詞があるものだから、歌番組ではよく2番か3番をはしょっていて、2番だったかなぁとか。「およげ!たいやきくん」もヒットしていたけど、そうかオリコンじゃ結局抜けなかったのか。太田裕美は賞とかそういうものには恵まれなかったなぁとか。それでも1976年の年間売上金額では1位だったんだぁとか。この年、太田裕美は21歳、松本隆が27歳、筒美京平36歳、萩田光雄30歳で、なかなかいい年齢構成だなぁとか。
雑然といろいろなものが浮かんでは消えてゆく。私はこの曲を嫌いではないが、好きでもない。シチュエーションがぴったり自分にあてはまりすぎていたせいもあるし、太田裕美の名前を出すと「ああ、あの木綿のハンカチーフの」と話がなってゆく決まりごとがこのあと続くのもいけなかった。
しかし、なぜこの曲は1976年にあんなにヒットしたのだろうか。と考えてもなんとなく答えがわかるような気もするが、説明しようとするとうまくできない。ただ、1975年でも1977年でもなく、1976年でなければならなかったような気はたしかにする。
いずれにしろこの曲はヒットしてしまった。そのことで、すでに売れっ子だったはずの筒美京平はともかく、駆け出しの作詞家松本隆が業界の中である程度のポジションを占めることとなり、仕事がしやすくなっただろうことは想像できる。歌謡曲という手かせ足かせの中で、それまでなかったような実験をこころみて、結果的に少し風変わりな歌謡曲が誕生していたように思うが、この曲のヒットでそんな時代がやがて終わろうとしている。
たとえば、アルバムに収録されているものと、シングルで発売されたものでアレンジが異なっていて(シングルは筒美京平と萩田光雄の編曲、アルバムは萩田光雄の編曲らしい)、ラジオでよく聴いていたものはシングル盤のものでかなり歌謡曲っぽいが、アルバムのものはもっと明るい曲調になっているとか。シングル盤とアルバムのものとで一部歌詞が違っているとか。
当時、男と女のかけあいの形態をとっている歌詞がめずらしかったが、Bob Dylanの1964年発売「The Times They Are A-Changin'」(邦題「時代は変る」)に収録されていた「Boots of Spanish Leather」(スペイン革のブーツ)を下敷きにしていたとか。じつは私はつい最近までそのことを知らなくて、「え、そうなの?」と思ったとか。「時代は変る」ならよく聴いていたがまったく気づかなかった......お恥ずかしい......とか。そういえば晶文社から発売されていた「ボブ・ディラン全詩集」(片桐ユズル・中山容訳)はたしか箱入りで、欲しかったが高くて手が出ず、書店でずっとながめていたなぁ....とか。
シングルが1975年に発売されているが12月21日ということで、実際には翌年1976年の前半によく聴こえてきて、ちょうど私が大学に入学した時期だったなぁ。東へと向かったけど、列車でなくて父親が運転する軽トラックに下宿生活で必要なもの(と言ったって小さな箪笥と机くらい)を積んで、東名高速を行ったっけ....とか。そのとき車のラジオから「木綿のハンカチーフ」が流れた、とでもなればまだいいが、そんな記憶はないし....とか。そもそも高校では理系の進学クラスに押し込められたものだから、周囲に女子はほとんどおらず、木綿のハンカチーフを欲しがる人などいなかったじゃないかとか。それでも「気分は木綿のハンカチーフ」だったようなとか。きっとそんな「気分は~」の男がけっこうこのころいたんだろうなぁとか。
まったくこの曲の男は自己中心的で、1番はまだしも、2番では「都会で流行の指輪を送るよ 君に君に似合うはずだ」とモノでつろうとしているし、3番では「見間違うような スーツ着たぼくの 写真 写真を見てくれ」と自慢げに写真を送っている。それでも女性は「星のダイヤも 海に眠る真珠も」いらないとこたえ、自慢されても怒るどころか「木枯しのビル街 からだに気をつけてね」と男の体の心配さえしている。涙を拭く木綿のハンカチーフを送ってもらおうという、そんなささやかな願いすら自分の「わがまま」だと思っている。いじらしい女性だなぁとか。最近、太田裕美本人は、この曲は「母親と息子」の関係を描いているのではないかと言っているらしい。う~ん。母親に対しては私はずいぶん自己中心的だったなぁとか。
4番まで歌詞があるものだから、歌番組ではよく2番か3番をはしょっていて、2番だったかなぁとか。「およげ!たいやきくん」もヒットしていたけど、そうかオリコンじゃ結局抜けなかったのか。太田裕美は賞とかそういうものには恵まれなかったなぁとか。それでも1976年の年間売上金額では1位だったんだぁとか。この年、太田裕美は21歳、松本隆が27歳、筒美京平36歳、萩田光雄30歳で、なかなかいい年齢構成だなぁとか。
雑然といろいろなものが浮かんでは消えてゆく。私はこの曲を嫌いではないが、好きでもない。シチュエーションがぴったり自分にあてはまりすぎていたせいもあるし、太田裕美の名前を出すと「ああ、あの木綿のハンカチーフの」と話がなってゆく決まりごとがこのあと続くのもいけなかった。
しかし、なぜこの曲は1976年にあんなにヒットしたのだろうか。と考えてもなんとなく答えがわかるような気もするが、説明しようとするとうまくできない。ただ、1975年でも1977年でもなく、1976年でなければならなかったような気はたしかにする。
いずれにしろこの曲はヒットしてしまった。そのことで、すでに売れっ子だったはずの筒美京平はともかく、駆け出しの作詞家松本隆が業界の中である程度のポジションを占めることとなり、仕事がしやすくなっただろうことは想像できる。歌謡曲という手かせ足かせの中で、それまでなかったような実験をこころみて、結果的に少し風変わりな歌謡曲が誕生していたように思うが、この曲のヒットでそんな時代がやがて終わろうとしている。