最初私は横浜に下宿していたが、大学の近くだったせいで、下宿が学生たちのたまり場になってしまい、帰ってみたらだれか知らない人間が寝ていたこともあった。当時は下宿に鍵をかける習慣がみんななく、鍵があってもおもちゃのようなものしかなかったので、入り込もうとすればけっこう入ることができた。さすがの私もこれではいかんと少し離れた場所に引っ越すことにしたのだが、引っ越しして一息ついたころ、完全に昼夜逆転状態になってしまった。昼過ぎに起きだして、ただひたすら本を読み、明け方眠るというような「悪循環パターン」にはまってしまった。遅れてやってきた五月病みたいなものだ。
そのころよく聴いていたのが「12ページの詩集」で、カセットテープにとってとかしていなかったため、LPの最初に収録されている「あさき夢みし」をよく聴くことになった。この曲のドンチャンチャンチャチャ~ンというイントロを聴くとどうしてもそのころの自分を思い出してしまう。
歌詞のほうは、そんな悪循環パターンにはまった女性の生活を描いているわけではなく(笑)、朝がたの眠っているわけでもなく起きているわけでもない半覚醒の夢うつつの状態を描いている。これもとりとめのない世界だ。
歌詞の中に「牛乳屋さん自転車の音遠のいて」という個所がある。カチャカチャといういまではもう聞くことができない牛乳配達の牛乳瓶の音に朝を感じながら、もう5分夢の世界にいさせてというくだりなのだが、聴いているこちらは牛乳屋さんの自転車の音が聞こえるころ眠りにつくのだから、へんな話だ。なんか私の生活はまどろんでいた。たぶん若い自分のエネルギーを向ける方向を失い、内向するしかなくなったせいでくすぶっていながら、くすぶることで疲れてしまったような状態だった。よせばいいのにサルトルなんて読んだりしているもんだからますます「出口なし」状態になってしまった。
そんな「閉塞」した私はともかく、阿木燿子と宇崎竜童のコンビは、1976年6月1日発売の「横須賀ストーリー」で初めて山口百恵作品をてがけ、これが成功したものだから、以降このコンビが山口百恵ワールドを作り上げてゆくことになる。おもしろいのは「横須賀ストーリー」の編曲が萩田光雄で、それ以降の阿木・宇崎作品のほとんどの編曲を萩田光雄がやっている。太田裕美側が松本隆+筒美京平+萩田光雄なら、山口百恵側は阿木燿子+宇崎竜童+萩田光雄だったわけだ。
阿木・宇崎コンビはシングル「横須賀ストーリー」がヒットしたあといったん休み、作詞千家和也・作曲佐瀬寿一が山口百恵作品をてがけているようだ。アルバムだと「横須賀ストーリー」(1976年8月1日)のたぶんA面側を阿木+宇崎が担当し、「パールカラーにゆれて」(1976年12月5日)では2曲程度しかかかわっていない。そんないったん休みの時期にこの「あさき夢みし」が提供されたことになる。私は山口百恵にほとんど興味がないので、これ以上書くとボロが出るに決まっているのでもうやめよう。
阿木燿子と宇崎竜童のコンビは、1979年7月21日発売の「シングル・ガール/想い出達の舞踏会」でもう一度太田裕美作品をてがけている。書いていて初めて知ったが、阿木燿子の「燿子」は「耀子」ではなく「燿子」(火へん)だった。それと「輝」という字の部首は「光へん」でなく「車」で、「光へん」という部首はないようだ。
なんかまた思い出話とやくたいもない話で終始してしまった。どうも学生時代のまどみからまだ抜け出せていないのかもしれない。
作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 編曲:萩田光雄
腕をのばして時計を見れば…あと5分
カーテン越しの朝の気配が眩しくて
お休みの日のあてどもなさに…あと5分
時に逆らい眠りの中に身をくるむ
まどろみ まどろむ
まどろむ まどろみの中
まどろみ まどろむ
まどろむ まどろみの中
あなたの顔が想い出せない
あさき夢みし
色の褪せてる絵のように
そのころよく聴いていたのが「12ページの詩集」で、カセットテープにとってとかしていなかったため、LPの最初に収録されている「あさき夢みし」をよく聴くことになった。この曲のドンチャンチャンチャチャ~ンというイントロを聴くとどうしてもそのころの自分を思い出してしまう。
歌詞のほうは、そんな悪循環パターンにはまった女性の生活を描いているわけではなく(笑)、朝がたの眠っているわけでもなく起きているわけでもない半覚醒の夢うつつの状態を描いている。これもとりとめのない世界だ。
歌詞の中に「牛乳屋さん自転車の音遠のいて」という個所がある。カチャカチャといういまではもう聞くことができない牛乳配達の牛乳瓶の音に朝を感じながら、もう5分夢の世界にいさせてというくだりなのだが、聴いているこちらは牛乳屋さんの自転車の音が聞こえるころ眠りにつくのだから、へんな話だ。なんか私の生活はまどろんでいた。たぶん若い自分のエネルギーを向ける方向を失い、内向するしかなくなったせいでくすぶっていながら、くすぶることで疲れてしまったような状態だった。よせばいいのにサルトルなんて読んだりしているもんだからますます「出口なし」状態になってしまった。
そんな「閉塞」した私はともかく、阿木燿子と宇崎竜童のコンビは、1976年6月1日発売の「横須賀ストーリー」で初めて山口百恵作品をてがけ、これが成功したものだから、以降このコンビが山口百恵ワールドを作り上げてゆくことになる。おもしろいのは「横須賀ストーリー」の編曲が萩田光雄で、それ以降の阿木・宇崎作品のほとんどの編曲を萩田光雄がやっている。太田裕美側が松本隆+筒美京平+萩田光雄なら、山口百恵側は阿木燿子+宇崎竜童+萩田光雄だったわけだ。
阿木・宇崎コンビはシングル「横須賀ストーリー」がヒットしたあといったん休み、作詞千家和也・作曲佐瀬寿一が山口百恵作品をてがけているようだ。アルバムだと「横須賀ストーリー」(1976年8月1日)のたぶんA面側を阿木+宇崎が担当し、「パールカラーにゆれて」(1976年12月5日)では2曲程度しかかかわっていない。そんないったん休みの時期にこの「あさき夢みし」が提供されたことになる。私は山口百恵にほとんど興味がないので、これ以上書くとボロが出るに決まっているのでもうやめよう。
阿木燿子と宇崎竜童のコンビは、1979年7月21日発売の「シングル・ガール/想い出達の舞踏会」でもう一度太田裕美作品をてがけている。書いていて初めて知ったが、阿木燿子の「燿子」は「耀子」ではなく「燿子」(火へん)だった。それと「輝」という字の部首は「光へん」でなく「車」で、「光へん」という部首はないようだ。
なんかまた思い出話とやくたいもない話で終始してしまった。どうも学生時代のまどみからまだ抜け出せていないのかもしれない。
作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 編曲:萩田光雄
腕をのばして時計を見れば…あと5分
カーテン越しの朝の気配が眩しくて
お休みの日のあてどもなさに…あと5分
時に逆らい眠りの中に身をくるむ
まどろみ まどろむ
まどろむ まどろみの中
まどろみ まどろむ
まどろむ まどろみの中
あなたの顔が想い出せない
あさき夢みし
色の褪せてる絵のように