メグブログ(美咲歌芽句)

Jeane+荒涼天使
 (ex.Mr.Kite)

モブログの誘惑

2007-07-29 01:59:46 | 日記
夜人間の私が、この2日ばかり早寝早起きをして朝7時半には起きている。
ドラキュラもこう暑いととても昼近くまで寝ていられない。鹿児島はもう一週間も気温が36度以上の日が続き、昭和17年以来の記録更新となったそうだ。今までクーラーまではいかなくてもドライをかけっぱなしにして寝た年はなかったけど、今年はドライをかけて寝ないととても寝られない。朝方の最低気温でも27度を下回らない。やはり異常だ。

今日、携帯を新しく買い替えた。
今までの携帯はもう5年も使っていてカメラ機能も付いていない旧式のもので、友達からは「それってもう博物館に置いてもいいような感じだね」と言われていたシロモノだ。
先日デンデンがラピスの写真と「なーんだ。元気だったよー」というメールを送ってきたのだけど、写真が見られないのでさっぱりわからない思いをした。あとで原因がわかり苦笑いしたのだった。そんなわけで、そろそろちゃんとカメラのついた機種にしようと思った次第。
このスピードの時代には4、5年前のものはすぐに旧式となってしまうのだから、お金もついて行けないけど頭の方もついて行けない。

でも新しい携帯を買って気分もちょっぴり新しくなった。帰るとラピスからコメントが来ていた。
最近は携帯で送れるモブログというシステムがあるから、携帯からブログに日記を書けてコメントも読めるそうで、彼は行った先で写真を撮ってメールでブログを書いてる、とある。
このタイミングでこのコメントとは出来過ぎだ。
ほんとかよ~! 世の中そこまで進んでいるのか。
文明ってやつは加速するのみで立ち止まることを知らない。旧人類の私はただ唖然とするばかり。
でもたぶん遅ればせながらでも、私もいずれはモブログするんだろうなぁ。
モブログの誘惑には負けそうだ。

走っている電車の中を、更にひたすら前へ前へと走っているような、あるいは動く歩道やエスカレーターの上を走っているような・・・私たちは一体どこへ向かっているんだろうか。
ICチップに宿る神に帰依させられながら、私は今日もソーメンをすすっている。

セピア色の夏休み

2007-07-25 23:57:39 | 日記
連日35度以上の猛暑日が続き、ブログを書く元気もない。
いっそ夏の間はブログを休みにしようかとも思う。でも10月の1カ月、いや、ひょっとしたら9月末頃から東京にいることになりそうだ。その間はパソコンが使えないのでブログは休みにするしかない。その前のブログの夏休みまではとてもとれないなあ。
カンカン照りの中、虫取り網を担いで蝉を捕りに野山を駆け回ったり、川で泳いだ子供の頃の夏休みは、もう遠い思い出になった。セピア色の夏休み・・・。

そう言えば子供の頃は、夏はけっして嫌いではなかったような気がする。
夏休みという非日常的なファンタジーの世界で、永遠のような夏の日を遊び戯れていたような気がする。ラピスって今でも“夏の少年”そのままだなぁ。
私は夏休みを失ってから、夏が嫌いになったのかもしれない。でも今こんな愚痴をこぼしてはきっとバチが当たる。柏崎の人たちのことを思えば・・・。
あーちゃんも未だ水道もガスもない日々を一生懸命にがんばっている。
私もただ暑いからと言って怠けてはいられない。






夏、夏・・・

2007-07-23 02:08:20 | 日記
昨夜は夜が明けてから眠りについたので起きたら午後の1時。
じっとりと汗をかいて目が覚める。暑い!温度計を見ると35度。暑すぎて体が重い。
動作が緩慢になり思考も働かないので家事もなかなかはかどらない。とりあえず軽く腹ごしらえをしたあと、市場とスーパーに野菜と食材を買いに行く。市場は今日は日曜日だったせいか、もう野菜はほとんど売り切れていて何も買えなかった。しかたなくスーパーへ行って漬物用のゴーヤと、茹でて酢醤油で食べるとおいしい「つるな」を買う。
こんなうだるような日は料理も作る気がしないので、ハマチの刺身も買う。

私の住んでいる町はおそらく地形の関係だろうけど、冬はめっぽう寒く夏はひどく暑い。
我が家は目の前が中学校で後ろには高校があるので、いつもは学生たちの黄色い嬌声が響いているのだけれど、もう夏休みに入ったので学校はひっそりとして、あたりは蝉時雨に包まれている。
私の部屋からは八幡神社のまんまるい森が、まるで巨大なブロッコリーのように見える。

夏は大嫌いだ。
騒々しく浮き足立った軽薄な季節・・・。
冬の間、深海の底にたゆたっていた思考は無惨にも浅瀬に打ち上げられ、すべてが露骨にあらわになり、はなやいでしまう。
間章も確か日本の夏を呪っていたという記憶がある。夏の嫌いな理由として彼は「夏があまりに遠く存在の寒さと死から離れているからだ」と書いていた。
私はその言葉にいたく共鳴した。

夏、夏・・・狂おしい7月
すべてが浮かれ、騒ぎまくる季節
メメント・モリから最も遠ざかる夏
静寂を保っているのは、空の青と入道雲だけ
私は冬が・・・
あの凛とした冬が狂おしく恋しい















荒涼天使たちの日々

2007-07-22 00:53:42 | 日記
マヤ文明というものにはなぜか心惹かれるものがある。
そういえば昔、銀座でバニーガールのアルバイトをしていた時、マヤという名前を使っていたっけ・・・。マヤ文明の一番の特長は、彼らが生活者としては最低限の物しか持たず、原始的な生活をしていたにも関わらず、現代の天文学をもはるかに越えるような天文学の知識を持っていたということだ。この点が他の多くの文明といちじるしく異なる。 

マヤ文明には「マヤ歴」というものがあって、彼らはその壮大な宇宙的カレンダーに基づいて一大文明を築いていた。そしてそのマヤ歴が2012年12月22日で終わっているという。
それが知る人ぞ知る「マヤの予言」だ。ちなみに12月22日は冬至。それによると、この日はいわゆる世界の終わりの日であり、同時に人類が進化する日であるという。
世界の終末といえば例のノストラダムスの大予言を思い出すが、「1999年7の月」には結局ハルマゲドンは起こらなかった。このマヤの予言もこれと同じくとんでも本の一種なんだろうか。2012年まであと6年・・・私たちはぜひそれまで生き延びて見とどけるしかない。

マヤの予言が当たるか当たらないかは誰にもわからないことだけど、いずれにしろ地球が危うい状態になっているのは確かで、いつまでも地球が安泰だとはとても思えない。
だから荒涼天使たちは忙しい。それぞれが毎日忙しい日々を送っている中、先日もリハをやってくれたらしい。私は遠く離れた鹿児島にいて、ドラマーは今、新潟地震の被災地である柏崎にいる。
この時代に何も危機感を抱かずにただ漫然と生きている人たちに、何かを伝えるのが荒涼天使たちの役割だろう。でんでんはCDを焼く機械を買ったそうだ。早くリハの音を聴いてみたい。
今はあちこちに散らばってそれぞれの役目をこなしているけど、10月には集結して人々に何かを伝えたい。
迫り来る危機に、薄汚れた天使たちには休息はない。














梅雨明けと焼きなす

2007-07-18 23:41:25 | 日記
今日、梅雨が明けた。
久々に見る青空には綿飴のような白い雲がぽっかりと浮かび、完全に真夏の空。
あーちゃんの両親も家も無事だったとわかりホッと一安心。この2日ばかりあんまり食欲もなかったけれど、安心したせいか急に食欲が出てきて今夜はちゃんと食事を作る気分になった。
でも潰れた家々や被災者の疲れた表情を見るにつけ胸が痛む。また原発の存在は、この地震国においては何よりの不安の種であることに間違いはない。政府は原発に代わるエネルギーを早急に真剣に考えるべきだ。

さて今の時期、焼きなすほどおいしいものはない。
なすは今が旬で最もおいしい。秋なすになると種がたくさん入っていて、今頃のものより味も落ちる。なすを直火で焼いて少し冷めてから皮をむき、冷蔵庫で冷やしておいて削り節をたっぷりかけて食べる。そのやわらかく冷たい焼きなすは口に入れるととろけるようなおいしさで、やみつきになる。2本ぶんくらいはペロリと食べてしまう。そんなわけで最近はほとんど毎日焼きなすを食べている。
今夜はネギとアサリのみそ汁、ホタテ貝のムニエル、きゅうりとオクラの酢の物に焼きなす。
でも、なんといっても私の一番の得意料理はみそ汁。フランス料理のように手の込んだ難しい料理は全然知らないけれど、みそ汁だけはどこの料亭にも負けないくらいのものを作る自信はある。
というか、自分の作るみそ汁よりうまいみそ汁を一度も食べたことがない。
手前味噌という言葉もあるにはあるけど・・・。店で出てくるみそ汁ほどまずいものはない。
だしも利いていないし、みそは薄くて「あんた、それでも日本人か」と言いたくなるようなシロモノを平気で出す。まったく信じられない。

私が一番おいしいと思い、冬の間はほとんど毎日のように食べるのが、春菊と里芋のみそ汁。里芋のこくとうまみが出て春菊の香りがプーンと漂うみそ汁は、食欲を誘い本当においしくて飽きない。でも今の季節、もう春菊も里芋も終わってしまった。夏場はみそ汁に入れる青物野菜があまりないので具に窮する。
私が家で日常作る料理はほとんど和食。圧力鍋で作る煮物は得意だ。そういえば、この数年ほとんど食べなくなったものがある。それは揚げ物だ。フライ類の油で揚げたものを体が欲しがらなくなった。見ても食欲をそそられない。たまに食べてみても、なんだか胸焼けしてどうもよくない。歳のせいなのかな。
油を使わない料理は体にすんなりと入る。

冷たく冷やした焼きなすや、きゅうりとオクラの酢の物を食べているとしあわせだ。こんな粗食こそ本当は豊かな食事だと思えてならない。マクドナルド・ハンバーガーばかり食べているアメリカ人は本当にかわいそうだとつくづく思う。あんなものばかり食べてコーラをがぶ飲みしていれば体にいいわけがない。マクドナルドとコカコーラははっきり言って毒だ。
なんとゆーか、だんだん自分が虫のようになってきてる気がするなぁ。
植物を食べて樹液すする虫のように・・・。















新潟で大地震!

2007-07-16 22:51:07 | 日記
今日、新潟で大地震があったと知ったのは、午後3時頃花屋に花を買いに行き、その店の奥で付けっぱなしになっているテレビを見た時・・・。なんだかいやな予感がした。
今日は花を見回してもほしいと思うのがなかったので、何も買わずに店を出た。
パソコンを開くのはいつも夜の9時半から10時の間と決まっている。
いつものようにまずメールチェックをすると、あーちゃん(ドラムの荒木君)からメールが来ていた。いつもとてもほんわかとした文面のメールをくれるのだけど、今日は見て驚いた。
「わー、実家が震源地だ。柏崎。電話も通じない」とある。
たいへんだ~! 彼の実家は柏崎だったのか。知らなかった。
テレビを付けるとたいへんな被害のようだ。心配だ。
あーちゃんの家族がご無事でありますように。

嵐とともに

2007-07-14 23:48:33 | 日記
今日、嵐とともにまた私をしあわせにする一通の葉書が舞い込んだ。
台風4号の激しい雨の中配達されたその葉書は、所々濡れていてインクがにじんでいた。
やわらかい角張った文字でびっしりと埋められた文字は葉書の一面では足りず、裏の住所の面にまで書かれている。差出人は中上哲夫氏。
そうだ、私は中上さんにも自分の詩集を贈っていたんだった。
ビート詩人で翻訳家の中上さんは、ジャック・ケルアックやチャールズ・ブコウスキーなどの翻訳の他にも、パティ・スミスの詩集「バベル」の訳もされていて、白石かずこさん同様私の尊敬する詩人だ。こちらもまた返事をもらえるなんて思っていなかったので、またしてもドッキンドッキンと胸が高鳴る。

「あなたのビートニックな生き方と詩に圧倒されました。わたしたちがビートを読んでいたとき、あなたはビートを生きていたんですね。やわなわたしにくらべて、あなたは百倍もビートニックです」
という言葉には感激する他はない。日本のビート詩人の代表者でもあるような人から、こんな言葉をいただけるなんて信じられない。思わず我が目を疑う。
そして、どの詩もパワフルだけど特に「ジプシー・ソウル」、「憧れ」、「Beautiful Violence」
、「ポーズ」、「Set Me Free」などがすばらしいとある。また「海とミウ」、「月夜」は叙情的でいいと。更に「最後の“希望”は一種のビートニック宣言ですね。わたしはすっかり歳をとりましたけど、この詩集を読んで生涯ビートニックとして生きる決意を改めて強くしました」という下りを読んでは、感激のあまりもう言葉を失うしかない。
これは誰あろう中上哲夫氏からの私への言葉なんだ・・・もったいない。ゆめゆめ忘れるなと自分に言い聞かせる。
そして最後に「和製パティ・スミスに拍手」とある。
最上級の褒め言葉。うれしい!

このインクのにじんだ葉書を眺めながら、やっぱり私はあの詩集を出してよかったんだと改めて思う。人の心に届くものを送り出せた私はしあわせだ。外は嵐。屋根を打つ大粒の雨音と、ゴウゴウと吹き荒れる風の音を聞きながら・・・こんな嵐の夜でさえ人はこのように言葉によって、心の中に暖かくてやわらかい“しあわせのともしび”を灯すことができるのだという確信を新たにする。
私の宝物がまた一つ増えた。
中上哲夫さん、ありがとう。

ブライアンとゴッホの夜

2007-07-13 01:51:12 | 日記
昨夜、詩人の東雄一朗さんから電話をいただいた。
近々、自分の詩を携えて一人で日本行脚の旅に出るという。素晴らしいことだ。旅は人間を大きくたくましくする。旅から得るものは限りなく大きい。若い時こそ大いに旅をするべきだと私は思う。ここで言う旅とはもちろんけっしてパックツアーなどではなく、見知らぬ人間同士の出会いと生々しい体験を伴う、サバイバル的な本当の意味での旅という意味だ。
特に詩など書くような屈折した魂を持っている人間は、旅をしなければならない宿命を背負っている人種だとも言える。真の旅の中にあってはそのひりひりするような生の実感が、すべての人々を詩人にするとさえ思う。詩人は旅をすべし。
元来、旅をしない詩人なんてものはあり得ないのだから。彼には心からのエールを送った。

彼としばらく話したあと、東京で見逃したブライアン・ジョーンズの映画「ストーンズから消えた男」のDVDを観る。そしてそのあと鈴木創士氏にいただいていた、彼の訳し下ろしであるアントナン・アルトーの「ヴァン・ゴッホ 社会による自殺者」を読む。
ブライアン・ジョーンズとヴァン・ゴッホは一見まったく関連がなかったはずだったけど、観て読んだあとに奇しくもなぜかこの両者には、呪われた運命を生きなければならなかった者としての、共通した魂の叫びを聞いた気がした。

ゴッホは自殺し、ブライアンは殺されたのだとしても両者が偉大な何か・・・人の魂を震撼させるものを残したことに違いはない。なぜなら彼らは今こうして画家としてミュージシャンとしてカリスマとなっているのだから。
狂人として精神病院に9年間も監禁されたゴッホ。かたや、自己中心的で刹那的で放蕩の限りを尽くしたブライアン。でもこの二人が生前は狂人扱いされ、社会の厄介者扱いされたにもかかわらず、今や人々はこの二人を愛してやまないのだ。後悔と謝罪の念さえ持っているかもしれない・・・。

このことについて私は、ふとガリレオ裁判のことを思う。
当時ガリレオは地動説を唱え、断罪され裁判にかけられた。今、地球が自転しているということに異議を唱える人などいないけれど、バチカンがガリレオに謝ったのはつい最近のことだ。
なんてこった! 社会とはかくも鈍く愚かで遅れているものなんだ。芸術家の直感と真実を見抜く目と、人々に喜びを与える才能の前には、愚鈍な社会と民衆はいつか必ずひざまずき謝らねばならない日が来るのだから。

そうだ、アルトーは正しい。ゴッホは狂人ではなかった。そしてブライアンは天使だった。
狂っているのはまさに社会の方であって、ともあれこんな狂った世界で生きていくためには、私たちも狂わずには生きていけないのだ。
現に私ももうとっくに狂っております。














「神の目」のその後

2007-07-10 01:24:07 | 日記
例の「神の目」を何人かの友人に転送したところ、U君から「これ、明らかにチェーンメールです。
見破るとは、さすがじゃ芽句さま」というメールが来た。
チェンメの添付ファイルはウィルス付きの可能性が高く、こういう時にMacはウィルスに感染しない(相手にされていない)から便利だけど、気を付けましょう。人に配ってはいけませんよ。という内容だった。時すでに遅く、数人の友人に配ってしまった。Windowsの方々、ウィルスに感染していないことを祈ります。ちなみに私はMacなのだが。
そんなわけでミュウや茨城の聖二さんや、その他の人にも送るつもりだったけどやめておきます。
悪しからずご了承の程を。
あと、猫額洞の反応がおもしろかった。「あれは星の最後の姿らしいが、“神の目”っていうのはねぇ。時々都営住宅の壁なんかに、あんなシミが見えます」というものだった。

ウィルス感染や迷惑メールに関して、最近もう一つ気付いたことがある。
パソコンを始めてから3年ほどになるが、Macはウィルスに感染しにくいと聞いていたので、今まで対策も何もしていなかったのだけれど、その間、ウィルスはもちろんのこと迷惑メールもただの一通も来たことはなかった。それが最近IP電話に加入した際、ウィルスや迷惑メールをブロックする「安心セレクトパック」なるものを勧められたので、それに加入したところ、待ってましたとばかりに「迷惑メールボックスに隔離されたメールのお知らせ」が、1週間に1度くらいの割合で定期的に送られてくるようになった。それも1度に5通も隔離されている時もある。

これって、おかしくないか?
なんにも対策をしていなかった時には3年間も1通もなかった迷惑メールが、対策を講じたとたんに来るようになった。
これは明らかにサーバーと迷惑メール(主にアダルト系)側が、つるんでいるとしか思えない。
だいたい迷惑メールなど送っていったい何の得になる? 時間の無駄ばかりで一銭の得にもならないはずだ。来てもいないものを「迷惑メールをブロックしました」と言って、その代金(月々400円ほど)をサーバーがかき集めているのが実体ではないのか。
OCNよ、お前もか。私は近々「安心セレクトパック」をやめるつもりだ。
あたしは騙されないぞ。なめんなよ。

















なぜか、また間章

2007-07-09 02:11:39 | 日記
“文は人なり”という言葉があるけれど、最近私は今は亡き間章(あいだ あきら)氏についてのシンクロがあり、彼のことに思いを馳せている。
その繋がりで再びブリジット・フォンテーヌを聴き返してみたい気分になり、昔LPで持っていたけれど今は手元にない3枚のCDを買い直した。それを聴きながら今書いている。
間章氏の文章に初めて接したのは1978年のロック・マガジンだったと思う。ちょうど私がミスター・カイトを始めた頃で、東京ロッカーズの特集の次のページが間氏の文章だった。

「アナーキズム遊星郡」・・・。私はこの文章を読んで一撃を食らい、そして強く魅了され「間章」という名前を深く心に刻みつけた。文章を読んだだけでその人間に強く興味を惹かれ、まるで恋に落ちたような気持ちになれることは、そうざらにはないことだ。
私は彼の文章をもっと読みたいという衝動に駆られた。そんな時ロック・マガジンのA氏に「間章君があなたに会いたがっているよ」と言われた。その意外な言葉に驚きながらも私はうれしさを隠せなかった。彼に会いたい! 私は心ときめかせた。
でも運命は時に皮肉で残酷なものだ。ほどなくして私は彼の突然の訃報を聞いた。
「アナーキーな記憶の中の人達と、僕はランチに出かけてゆく」と言い残し、彼はちょっとあの世のランチに出かけていってしまった。ロートレアモンやエリック・ドルフィーやマーク・ボランのいる世界に・・・。

私が読んだ数少ない彼の文章から溢れ出ていたものは、評論を越えた清冽な一つの思想だった。
彼は音楽評論という一本の鍵を使って、見事に思想の扉を開いた一人の思想家だったことは間違いない。私はそのゆるぎない、真の厳しさと優しさに満ちた彼の思想に惹かれたのだと今思う。
人は言葉でできている。ゆえに文章はその人の思想だ。
私は彼の文章は読んだことがあっても写真を見たことはなかった。いつも黒っぽい服を着てサングラスをかけていたということは聞いたことがあるけど。
それが先日、ある人から・・・その人とはまだ面識もないのだけれど、間章氏の遺影が送信されてきた。その写真の彼は肩に届くくらいの長髪でサングラスはかけていなかった。

ほんのちょっとしたすれ違いで、この世で彼と会えなかったことが本当に残念だ。
彼は書いている。
「本当に生き続けてゆくのは、単に生きていくことよりずっとむずかしい。だってちょっと気をぬけばもう“なしくずし”が待っているのだから」と。
いつかゆっくり彼の著書を読みたい。
彼の好きな冬に・・・寒い夜の底で・・・。