メグブログ(美咲歌芽句)

Jeane+荒涼天使
 (ex.Mr.Kite)

マークエステル「日本神話」(その2)

2009-03-05 05:20:33 | 日記
拡大


前回のブログで(つづく)としておきながら、すぐつづかないのが
亀の時間を生きている私の私たるゆえんです。

さて、私の魂を虜にした「日本神話」に透明感あふれる美しい色とにじみで、新しい息吹を吹き込んで、本当にタイムリーに今この時代によみがえらせたことには、何か神意が働いているような気がする。そしてやはりその人が日本人ではないというのが、最初の驚きだった。
マークエステルは1943年生まれのフランス人である。
1970年にフランス政府の外交官として来日し、初めて日本の土を踏んだ途端に、
日本の美しい国土と文化、そしてその精神性に一目で恋してしまったのだという。
そして京都の清水寺で見た掛け軸の墨絵に、衝撃と深い感銘を受けて画家に転身。
同時に日本神話を知って、日本中の「気」のある様々な神社を参拝し、そこで受けたインスピレーションを絵画に仕上げ奉納するようになった。
また天皇家の伝統儀式にも非常に魅惑されたという。
以来、古事記をはじめとする日本神話の素晴らしさを、世界に紹介し続けている。
世界の神話に詳しい氏によれば、どの国の神話も素晴らしいが、その中でも日本の神話「古事記」は、物語の宇宙的壮大さにおいて比を見ないものであるという。
私も世界のおおかたの神話は読んでいるが、まったく同感だ。
一人のフランス人によって鮮やかによみがえったこの「日本神話」は、
古事記がまさに世界最高の創世神話であることを証明していると思う。

人間は言葉で出来ている。
そして白状すれば、というか去年その事実に気づいたのだけど、わたしを「わたし」たらしめている言葉が古事記だったと。
古事記の世界は単なる昔話や空想の世界ではけっしてなく、私は確かに・・・
かつて「そこにいた」という気がするのはいったい何なのだろう。
古事記を読んでいると確かな感覚でよみがえってくるものがある。
とてつもなくリアルな原初の記憶・・・。
古事記は人類の記憶を刻み込んだアーカシックレコードなんじゃないのか。
そして、じつは人間誰もがかつてそこにいたのではないか・・・と。
なぜなら、人は皆神なのだから。
だから私は今ふたたび、宮島で出会ったこの古事記に回帰しているわけだけれど、
それもただ単に回帰するのではなく、私が私自身の次なる創世神話を生み出そうとする道行きのような気がしている。
つまり、新しい良き世界を・・・私の想念で。

今、一つの文明が終焉を迎えようとしているこの時代に、
私たちは立ち合っている。そして私たちはすでに書かれた神話の中に、今生きているのだという認識を、この機に及んでもまだ持ち得ていない人は
幸せと言うべきか、それとも不幸と言うべきか。
少なくともそんな人たちは皆一様に落ち着きがなく、漠とした不安と疑心暗鬼を
抱えて、ただ意味もなく歩き回っているように見える。
それに対して、認識できている人は私が「今、新しい世界を生むための
準備をしてるの」と言っても、けっしてきょとんとした顔はしないだろうし、
「精神科へ行ってみたら?」なんてことも言わないだろう。(笑)。

神道の世界観である古事記を、おばあさんやおじいさんから、その子や孫へ連綿と語り伝えてきて、その豊かな精神性を保ち続けていた戦前の日本人は、世界にも類を見ないほどの誇り高き民族だったけれど、敗戦によって一転して「西洋コンプレックスの塊り」となったのだ。
それはアメリカのGHQによって押し付けられた、「日本人としての誇りを失わせ、西洋文化を崇拝させるための洗脳教育」が見事に成功したということでもある。
その結果、日本的なものはダサイ、西洋のものはカッコいい、と刷り込まれた
我ら戦後生まれの哀れな日本人は、外国人を驚嘆させる伝統文化を放り投げ、
ひたすら西洋に憧れたのである。
家具というものをほとんど置かない清清しい空間と、温かみのある畳の部屋を、
ひんやりと冷たいフローリングにし、西洋風の家具を所狭しと詰め込んで、西洋人のように振る舞い、しぐさまで真似て、髪は茶髪金髪に染め、鼻はシリコンを詰めて高くし、一重まぶたを二重まぶたに整形してまで西洋人になりたがっているのだ。西洋かぶれもここまで来ると、もう滑稽を通り過ぎて空恐ろしいとさえ思う。
そんなに日本人であることが恥ずかしいのか? 哀れである。

ちなみに、私は20代の頃外国人の友人が結構いたが、彼ら全員が事あるごとに
私に訴えていた。
「どうして日本の若い女性は、美しい黒髪をわざわざ西洋人みたいに赤や黄色に染めるんだ。信じられないよ。僕たち外国人にとっては、黒髪の日本女性こそが憧れの的なのに。」と首を振って嘆いていた。
彼らにしてみれば、半ば西洋的なるものに空しさを感じ、日本的なるものに憧れてはるばるやって来たのに、来てみればみんな西洋かぶれしていて、がっかりしたというのが本音だったと思う。
昔も今も、外国で高く評価されるのは日本独自のものである。
だから余計なお世話かもしれないけれど、日本の若い女性たちよ、もし外国人の恋人が欲しければ、髪は染めない方がいいと提言します。(笑)。

でもそう言う私も髪こそ金髪にはしなかったけれど、人並みに大いに西洋かぶれしていたのだけど、それでもそんな私の心中に幸いなことに、いつも一本の柱のように立っていたのが古事記の世界観だった。
まるで日本人であることは恥ずかしいことだと、暗に思い込ませるような戦後教育の洗脳を受けて育った私も、その洋魂に違和感を覚える時は数多くあった。
そんな時、その催眠状態のような呪縛のような状態から、ふっと我に返って本来の自分に立ち戻ることが出来たのは、和魂の原典とも言える古事記の存在があったからだと思う。ロックバンドで歌っていた時でさえ、その柱は少しもぶれることはなく私の心の庭にに立っていた。

この画集は2006年に出版されているが、
ここまで深く日本を愛し、日本神話を理解するマークエステルという人の魂は、
和魂そのものであり、日本に深い縁(えにし)を持つとても古い魂だと感じる。
写真を見ても、その姿や雰囲気にそこはかとない品があり、波動も優しく
穏やかでとてもいい顔をされている。
実際に会ってお話してみたい・・・などと限りなく恋心に近いものを感じながら、
今夜も私は古事記(ふることふみ)の世界に、せっせと卵を産み付けている。
感謝の卵と喜びの卵を・・・
来たるべき新つ世(さらつよ)という新創世記のために。