メグブログ(美咲歌芽句)

Jeane+荒涼天使
 (ex.Mr.Kite)

なぜか、また間章

2007-07-09 02:11:39 | 日記
“文は人なり”という言葉があるけれど、最近私は今は亡き間章(あいだ あきら)氏についてのシンクロがあり、彼のことに思いを馳せている。
その繋がりで再びブリジット・フォンテーヌを聴き返してみたい気分になり、昔LPで持っていたけれど今は手元にない3枚のCDを買い直した。それを聴きながら今書いている。
間章氏の文章に初めて接したのは1978年のロック・マガジンだったと思う。ちょうど私がミスター・カイトを始めた頃で、東京ロッカーズの特集の次のページが間氏の文章だった。

「アナーキズム遊星郡」・・・。私はこの文章を読んで一撃を食らい、そして強く魅了され「間章」という名前を深く心に刻みつけた。文章を読んだだけでその人間に強く興味を惹かれ、まるで恋に落ちたような気持ちになれることは、そうざらにはないことだ。
私は彼の文章をもっと読みたいという衝動に駆られた。そんな時ロック・マガジンのA氏に「間章君があなたに会いたがっているよ」と言われた。その意外な言葉に驚きながらも私はうれしさを隠せなかった。彼に会いたい! 私は心ときめかせた。
でも運命は時に皮肉で残酷なものだ。ほどなくして私は彼の突然の訃報を聞いた。
「アナーキーな記憶の中の人達と、僕はランチに出かけてゆく」と言い残し、彼はちょっとあの世のランチに出かけていってしまった。ロートレアモンやエリック・ドルフィーやマーク・ボランのいる世界に・・・。

私が読んだ数少ない彼の文章から溢れ出ていたものは、評論を越えた清冽な一つの思想だった。
彼は音楽評論という一本の鍵を使って、見事に思想の扉を開いた一人の思想家だったことは間違いない。私はそのゆるぎない、真の厳しさと優しさに満ちた彼の思想に惹かれたのだと今思う。
人は言葉でできている。ゆえに文章はその人の思想だ。
私は彼の文章は読んだことがあっても写真を見たことはなかった。いつも黒っぽい服を着てサングラスをかけていたということは聞いたことがあるけど。
それが先日、ある人から・・・その人とはまだ面識もないのだけれど、間章氏の遺影が送信されてきた。その写真の彼は肩に届くくらいの長髪でサングラスはかけていなかった。

ほんのちょっとしたすれ違いで、この世で彼と会えなかったことが本当に残念だ。
彼は書いている。
「本当に生き続けてゆくのは、単に生きていくことよりずっとむずかしい。だってちょっと気をぬけばもう“なしくずし”が待っているのだから」と。
いつかゆっくり彼の著書を読みたい。
彼の好きな冬に・・・寒い夜の底で・・・。