メグブログ(美咲歌芽句)

Jeane+荒涼天使
 (ex.Mr.Kite)

ぶり大根

2008-01-27 05:31:24 | 日記
寒い! ほんとに寒い!
大寒とはいえ、この南国鹿児島で昼間でも気温が5度しかないというのは、私の記憶にもない。異常な寒さだ。この2日間で指はしもやけになって赤く腫れ上がってしまった。痛がゆい。
この鹿児島でもここ数年、年々冬が寒くなっているのは確かだ。一体どうなってるのか。
地球温暖化なんて、ほんとかなあ。じつは地球は氷河期に向かってるんじゃないのか?近年、ニューヨークやパリやロンドンでも異常な寒波が押し寄せて、凍死する人たちがいるというのに、なぜかメディアは大きく取り上げないのが、かえって気になる。

この寒さに加えて、石油、ガソリン、食品などの価格上昇、はたまた航空運賃、電気料金、ガス料金の値上げなどとどまるところを知らず、一般市民にとっては懐の寒さも一段と増している。
私のようなビンボー人は果たして生き延びられるだろうか。前代未聞の世界大恐慌の足音を聞きながら、そう思わずにはいられない。

でも、どんよりとした空に溜息をついていても、この3次元世界では時間が来ればお腹はへる。
今夜の夕飯は何を作ろうか。とりあえず近くの物産館(市場)へ野菜を買いに行く。私の場合は野菜次第でメニューが決まるのだから。
私の田舎は白菜とスイカが特産品なので、今の季節は本当に見事な大きな白菜が、まるまる1個、たったの100円で買える。すぐ近くのスーパーでは小ぶりの白菜を半分に切ったものが120円ぐらいなので、市場はいつも活気づいている。
白菜はまだ家にあるしと思いながら店内をまわると、目に飛び込んできたのは巨大な大根。持ってみると片手ではとても持てない。掘り出したばかりのようで白さが輝いていて、みずみずしくてズッシリと重い。それがなんと、たったの80円! これで決まり。

大根とくれば今の季節はなんと言っても「ぶり大根」だ。大根を1本買って、あとはスーパーに今が旬の寒ぶりを買いに行く。いつもはぶりのアラを使うのに、今日はなかったので仕方なく切り身を買う。それでも400円。大根とぶりで480円。大きめの圧力鍋で一度作れば3回は食べられるので、1回分のおかず代はたったの160円。これが貧しい者の知恵。赤唐辛子を効かせたぶり大根は、よく味がしみていてほんとにおいしい。
アツアツの大根を、ふーふーしながら夢中で食べていたら、ほっぺたの内側まで噛んでしまった。
ポエトリー・リーディングをやる時にも、私はよく噛んでしまうのだが。おいしいものを食べているときは、やっぱりしあわせだ。そして、そのしあわせを誰かと分かち合いたいと思う。

でも、そのしあわせを噛みしめながらふと思う。
今の世界の流れを見れば、食糧危機は必ずやって来るだろう。それもかなり近い将来に。
第一次産業である農業を切り捨てて輸入に頼り、今や世界で最も自給率の低い国にしてしまった愚か者の政治屋(政治家と呼べる人は、もはやいない)たちは、その時いったいどんな懺悔をするのだろうか。
ぶり大根など、もういくらお金を積んでも食べられなくなるかもしれない。
ぶりさん、大根さん、ありがとう。
だから今日も感謝して、そのいのちをいただきます。
「いただきまーす!」。

SUN SUN 太陽

2008-01-23 08:54:26 | 日記
もっと光を!と言ったのは誰だったっけ。
このところずっと、どんよりとした天気が続いていて、青空にSUN SUNと太陽が輝かないのが寂しい。一週間も太陽のエネルギーを浴びないでいると、精神的にも肉体的にもパワーダウンするのがはっきりとわかる。ああ、太陽が恋しい。それに私は最近、太陽がとても気にかかる。
太陽といえば、古代邪馬台国の女王卑弥呼(日見子)は、皆既日食の太陽が欠けていって世界が暗くなったことで、パニックに陥った民衆に暗殺されたという説がある。太陽を見てすべてを占い、まつりごと(政治)を行う文字通りの「日見子」にシャーマンとしての霊力がなくなったせいだと判断されて…。

私たちは学校で、したり顔の先生から宇宙で繰り広げられている星々の誕生と死のドラマについて教わったにも関わらず、なぜか理由もなく「明日の朝も必ず太陽は昇る」と信じて生きているまったく楽天的な生き物である。でも宇宙的スパンで考えれば、宇宙的ビッグイベントによって、今私たちが見ている太陽が消える可能性だってゼロなわけじゃない。
その意味では日本の「天の岩戸開き」の神話はとても興味深くて面白い。

ひるがえって、最近は地球温暖化に対する取り組みでアル・ゴアさんがノーベル賞を受賞したり、世界を上げてCO2削減に焦点が集まっている。でもその一方で、まだ少数派ではあるけれど、地球温暖化はじつはCO2ではなく、太陽の異常活動が原因だとする科学者たちもいる。
その一つの証拠として、温暖化しているのは地球だけではなく、火星や冥王星でも温暖化が進んでいることや、20世紀後半から太陽をはじめ惑星の動きが活発化していて、たとえば金星の光度は2500パーセントも明るくなっていることなどをあげている。

どちらの説を信じるかは個人の自由なわけだけれど、自分なりにいろいろ調べた結果、私は地球温暖化の原因は一般的なCO2説ではなく、マイノリティの太陽説を信じている。
これは一見、自分の日常からは遠い問題に思えるかもしれないけれど、これからの自分の生き方にまで関わってくる重要な問題で、どちらの説をとるかでまったく異なる世界を選択することになると思う。

この大寒の季節に早くもちらほらと開きはじめた梅の花が愛しい。私たちは本当はすべてを知っているんだ。ただ忘れてしまっただけなんだ。私たちはもうすぐすべてを思い出すだろう。
すべてはすでに書かれている。私たちは今まさに神話の世界を生きている。ただ、そんな気がする…気がするだけ。

京みやげ

2008-01-12 04:20:20 | 日記
昔から「馬鹿は風邪をひかない」と言われているので、私はずっと自分のことを馬鹿だと信じて自慢してきたのに、その信念がくつがえされてちょっとショックを受けている。
京都から帰ってきたらこの1週間ずっと喉が痛くて、咳は出るわ鼻水は出るわで参った。京都のお土産だ。原因はわかっている。一晩中ついていたホテルの暖房のせいだ。それを4泊もやったので小学生の時以来、風邪なんてひいたこともなかったのに、さすがの私もやられてしまったのだ。ひき初めには知恵熱らしきものも出たので、ちっとばかりは賢くなったのかと思いたいけど…今さらね。
でも、寝込むほどではないので病院には行かず、市販の薬を買って飲んでいる。ラピスも風邪をひいているらしい。今流行っているのかなあ。

私はエアコンの暖房が苦手だ。足元はちっとも暖まらないのに、頭だけが暖まってボーッとなるのが嫌なので、家では冬はコタツと小さな石油ストーブしか使わない。
エアコンで暖めた春のような室内と、真冬の室外を出たり入ったりしていれば、その温度差で風邪をひくのは当然で、やっぱり「頭寒足熱」が一番体にいいのだ。
さて、今日は風邪薬も飲みきってしまった。今夜はコタツでぬくぬくしながら、しょうが湯でも飲んで寝よう。

天橋立(籠神社・真名井神社)

2008-01-10 10:46:38 | 日記
「鞍馬寺の続編」
大晦日の鞍馬寺のあと、丹後半島の天橋立へ向かった。
予報通り、日本海側は一面の雪、雪、雪・・・。鉛色の空からは梅の花びらのような雪が降りしきり、南国育ちで雪などめったに見られない私は、その北斎の絵のような風景に子供のように感動して、はしゃいでしまった。正月を雪の中で迎えるのも初めてだったし、日本海を見るのも初めてだった。元旦も雪は降り続き、30センチぐらいは積もっていて天橋立を歩くこともできず、午前中はホテルの窓から日本海に降る雪を眺めて過ごした。

でも古事記などで、天界と地上界を行き来する橋が倒れて出来たといわれる天橋立まで来たからには、私にはどうしても行きたい場所があった。それは対岸にある籠(この)神社と真名井(まない)神社だ。以前から気になっていて、いつか行ってみたいと思っていたのだ。
フロントに尋ねると、天橋立から遊覧船が出ていて15分程で対岸の一の宮まで行けるというので、降りしきる雪の中初詣を決行した。
遊覧船から見る天橋立や雪国の風景は、初めて見るのに、なぜかなつかしい昔の風景のようで、タイムワープしたような気分になった。
たくさんのカモメが船にまとわりついて、対岸までついてきた。

船を下りると、いくらも歩かないうちにすぐ籠神社があった。
籠神社は元伊勢であり、アマテラスや豊受大神が現在の伊勢神宮に遷宮されるまでは、ここに祀られていた重要な神社である。「かごめ かごめ かごの中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀がすべった うしろの正面だあれ」という、あの謎に満ちたかごめ唄も、籠神社に関係があるとされている。籠(かご)はかごめであり、記号としては六芒星(ダビデの星)であり、そこからイスラエルとの関連が推測され、タブーとされている天皇家のルーツと、はたまた神道の原点の謎が、いにしえから古文書などに記されてきたのだけれど、私は近いうちにこれらの秘密の封印を解かれる日が来るのではないかと思う。
隠されていた諸々の真実が、これから次々と表に「出やる」ことだろう。

籠神社に足を踏み入れると、やはり伊勢神宮とよく似た清涼な気がある。明るく清々しく開放感がある。いいなあ。好きだなあ、ここは。神社はどこでもそうで、社殿奥の中央に丸い鏡が置いてあるだけのシンプルさだが、その何もない空間が何とも言えず清々しくていい。ごてごてした装飾も一切無い。お寺では様々な仏像=偶像を拝まされるが、神社では「この鏡に写る、あなた自身を拝みなさい」と言われているようで、そこが私の神社好きの要因ではある。
籠神社の気に清められてすっかり元気になった私は、ぼたん雪の舞う中、歩いて20分ほどの山の中にある真名井神社に向かった。

雪で滑るかなり急な山道を登っていくと、人の気に満ちた籠神社とはうって変わって人影もなく、辺りは静寂に包まれている。雪の中の竹林が夢のように美しい。登っていくうちに、だんだんと辺りの空気が変わってくるのを感じる。神聖で厳かな波動に、しんしんと身の引き締まる感じ・・・第2鳥居が見えてきた。はあはあ言いながらくぐると左手の岩から「真名井の水」が湧き出ている。空気が冷たいので水が温く感じる。いにしえからの御神水を柄杓で酌んでありがたくいただき、再び急な石段を登りつめると、神さびた小さな社殿がぽつんと建っているだけで社務所もない。でも境内と背後の鬱蒼とした森からは、何か神気のようなものが湧き立っていて、その神気に自分の魂を査定されているような感じがして、思わず身がすくんだ。

「ここには何かおわす」。それが私の直感だった。
いろんな神社を巡り歩いたけれど、こんな感覚はめったにないことだ。不思議に思って社殿の後ろに回って私は息を呑んだ。そこには大きな磐座(いわくら)が二つあり、それをまさに抱きかかえる形をして巨大な樹が二本、まるで意志があるかのように螺旋状に枝を広げて、天に向かっていた。磐座と樹は合体して、すさまじいパワーを放っていて、私はふと祝詞でよく使われる“畏み(かしこみ)”という言葉が浮かび、畏む(かしこむ)とはこういうことなのだろうなと思った。それはやはり畏れ多いことなのだ。携帯で鳥居や石段は写真を撮ったけれど、さすがにこの磐座を写すことははばかられた。

そして更に、磐座の背後の山を前にしたとき、私は「ああ、この山は神奈備(かんなび)だ」と思った。神奈備とは神聖な山、神の山という意味だ。私は真名井神社については、なんの予備知識もなく訪れたのだけれど、この磐座と山を見て直感的にここが籠神社の奥宮だと確信した。そして今回、はるばると丹後半島までやって来たのは、この真名井神社に来なければならなかったのだということもわかった。
それにしても、ここは本当にすごい所だ。そして何かとてつもなく重要な場所だという気がしてならない。帰りがけにふと見ると、山のあちこちに「禁足」の札が立っている。やはりここは、ただならぬ山なのだ。この山には何かがある。

ここにあるのは社殿を拝するのではなく、山や樹や磐を神の依り代(よりしろ)として拝す、原始の祭祀形式だ。帰ってからパソコンで調べたところ、やはり真名井神社は籠神社の奥宮で、日本屈指の古社にして最大級の聖地。神代が現代に生きている聖地、とあった。
思いつくままに選んだ今回の鞍馬寺、籠神社、真名井神社は振り返れば、じつはとてつもなく意味のある旅だったのかもしれない。

雪ふかき 真名井の水に ちぎりおく
ちかき神代も きみとあらめと

鞍馬寺

2008-01-05 23:04:49 | 日記
2008年が明けた。
去年の暮れは30日に京都へ行き、新年は京都の北、丹後半島にある日本三景の一つ、天橋立(あまのはしだて)で迎え、3日に鹿児島に帰ってきた。
大晦日には、3度目となる鞍馬寺に行ったのだが、鞍馬寺という所は来る度にいつも思うのだけれど、普通の仏教寺院とはかなり異なる雰囲気を持っていて、一言で言えば「異端の寺」という感じがする。それは祀られているのが、仏教なのに仏ではなく「神」だという点が非常に興味深く、私をイマジネーションの世界へ深く誘う。

650万年の昔、人類救済の大使命をおびた魔王尊サナート・クマラが金星から地球に天降って来た。
その“地球の霊王”魔王尊の出現した場所が、鞍馬寺の奥の院“魔王堂”であるという、ある種神話的かつ宇宙的な寺の縁起によるせいだろう。
その教えもまたかなり特殊で、宇宙エネルギーや天変地異、そして人間の進化についてまで及んでいて、他の寺にはないコズミックなムードに満ち満ちている。
私はここは紛れもなく世界の聖地の一つであり、パワースポットだと強く感じる。本殿前のベンチに座って日の光の中で目を閉じていたら、網膜の真っ赤なスクリーンに三つの金色の光が出現した。あれは日月地の三位一体の光だったのだろうか。

私は十数年前に、5月の満月の夜に行われる鞍馬寺の「ウエサク祭」に訪れたことがある。
その時にもらった紙に聖詩「魔王尊に祈る」というものがあったので、一部抜粋してみよう。
「われらのおん父魔王尊  天地の秘密をもちたまう
力の神の魔王尊  進化の光 魔王尊
悪のこの世を破壊して  天地の心を花咲かせ
秘伝と善のためにとて

その不思議なる おん手には  他界の太陽シリアス(シリウス)の
くだしたまえる み力の  光の棒ぞ 燃えさかる
宇宙の進化に仕えんと  いやしき心を ふり放ち
み前にちかう われらをば  神の力に改めよ
崇高偉大の魔王尊  地軸を傾け 磁極をば
おきかえ移し 気候をば  一変したまう魔王尊

移る磁極は 大地震  大洪水の 地変をば
まきおこせども 大前に  ひれ伏す者を 助けませ
力と光の 魔王尊  苦しみまどう 人類に
至上の助け 早めつつ  つかわしたまえ 救世主」

私は寺には神社ほどの興味はないのだが、例外的に鞍馬寺が好きなのは、ほとんど死に体となってしまっている単なる葬式仏教ではないというところだ。
鞍馬寺はその磁場エネルギーと共に、現代人にもというより現代人だからこそ理解できる、明確なメッセージを発信し続けている。他の寺にはないメッセージと独自の姿勢を持っている。
聖詩の下には「人類の進化と発展を祈って」とあり、「今は、宗派も国境も超えて世界中の人々と共に、人類の進化とめざめを希い、真の平和の招来を心をこめて祈るのである」と結ばれている。


私は鞍馬寺に密教秘伝として伝えられてきたものは、サナート・クマラから降ろされた黙示録に他ならないと確信した。私が三度鞍馬寺に来なければならなかった理由もわかった。三度目の正直でまた謎が解けた。すべての出来事はつながってリンクしている。単独で存在しているものなど、この宇宙にはないということに気づく。
さて、鞍馬寺から次の目的である地天橋立へ向かうのだけど、続きはまた明日にでも書こう。
遅ればせながら、
あけまして おめでとうございます。
今年もよろしく。