メグブログ(美咲歌芽句)

Jeane+荒涼天使
 (ex.Mr.Kite)

ブライアンとゴッホの夜

2007-07-13 01:51:12 | 日記
昨夜、詩人の東雄一朗さんから電話をいただいた。
近々、自分の詩を携えて一人で日本行脚の旅に出るという。素晴らしいことだ。旅は人間を大きくたくましくする。旅から得るものは限りなく大きい。若い時こそ大いに旅をするべきだと私は思う。ここで言う旅とはもちろんけっしてパックツアーなどではなく、見知らぬ人間同士の出会いと生々しい体験を伴う、サバイバル的な本当の意味での旅という意味だ。
特に詩など書くような屈折した魂を持っている人間は、旅をしなければならない宿命を背負っている人種だとも言える。真の旅の中にあってはそのひりひりするような生の実感が、すべての人々を詩人にするとさえ思う。詩人は旅をすべし。
元来、旅をしない詩人なんてものはあり得ないのだから。彼には心からのエールを送った。

彼としばらく話したあと、東京で見逃したブライアン・ジョーンズの映画「ストーンズから消えた男」のDVDを観る。そしてそのあと鈴木創士氏にいただいていた、彼の訳し下ろしであるアントナン・アルトーの「ヴァン・ゴッホ 社会による自殺者」を読む。
ブライアン・ジョーンズとヴァン・ゴッホは一見まったく関連がなかったはずだったけど、観て読んだあとに奇しくもなぜかこの両者には、呪われた運命を生きなければならなかった者としての、共通した魂の叫びを聞いた気がした。

ゴッホは自殺し、ブライアンは殺されたのだとしても両者が偉大な何か・・・人の魂を震撼させるものを残したことに違いはない。なぜなら彼らは今こうして画家としてミュージシャンとしてカリスマとなっているのだから。
狂人として精神病院に9年間も監禁されたゴッホ。かたや、自己中心的で刹那的で放蕩の限りを尽くしたブライアン。でもこの二人が生前は狂人扱いされ、社会の厄介者扱いされたにもかかわらず、今や人々はこの二人を愛してやまないのだ。後悔と謝罪の念さえ持っているかもしれない・・・。

このことについて私は、ふとガリレオ裁判のことを思う。
当時ガリレオは地動説を唱え、断罪され裁判にかけられた。今、地球が自転しているということに異議を唱える人などいないけれど、バチカンがガリレオに謝ったのはつい最近のことだ。
なんてこった! 社会とはかくも鈍く愚かで遅れているものなんだ。芸術家の直感と真実を見抜く目と、人々に喜びを与える才能の前には、愚鈍な社会と民衆はいつか必ずひざまずき謝らねばならない日が来るのだから。

そうだ、アルトーは正しい。ゴッホは狂人ではなかった。そしてブライアンは天使だった。
狂っているのはまさに社会の方であって、ともあれこんな狂った世界で生きていくためには、私たちも狂わずには生きていけないのだ。
現に私ももうとっくに狂っております。














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