メグブログ(美咲歌芽句)

Jeane+荒涼天使
 (ex.Mr.Kite)

働かないアリ

2007-05-30 23:36:51 | 日記
私が鬱病になり、対人恐怖症になり、昼夜逆転に近い生活になり働けなくなってからもう15年くらいになる。その間、母親の介護生活に突入したこともあるけれど、今となってはもはや毎日タイムカードを押して出勤退社する、いわゆる“お勤め”をすることは不可能だと思われる。
私が自分はアリではなくキリギリスだと悟ったのは、セツ・モード・セミナーに入学した22歳くらいの時だった。

しばらく前に新聞におもしろい記事が出ていたので切り取っておいた。それは「働かないアリになろう」という小文で、それによるとアリは皆同じようにえさを運んでいるように見えるけれど、実はその中の一割から二割は何もしていないのだという。しかもその二割を取り除いても、また二割が働かなくなる。これはどういうことなのだろう。解釈はいろいろあるが、環境の変化に対応する力、つまり種を維持するために必要な幅であるという見方に、私は共感する。単一の遺伝子では繁栄しないということだ。さらにインターネットで検索すると、おもしろい新聞記事を見つけた。
働かないアリはえさ集めの効率は悪いが、うろうろする分、新しいえさに出会うチャンスは大きいというシュミレーションがあるらしい。怠け者のほうがいいと言うつもりはないが、ちょっとほっとする話ではないか。という内容だった。

私はアリたちが働いている脇で、ロックンロールしているキリギリスなのは間違いないけれど、
視点を変えれば働かないアリだとも言える。









勘違い自殺

2007-05-29 23:29:38 | 日記
昨日、この国の農水大臣が「国民におわび」という遺書を残して自殺したそうだ。
談合事件絡みの献金疑惑やその他の問題で追求の渦中の出来事だったらしいが、この手の自殺で
いつも思うことは「ただ死ねば、それでお詫びになるのか」ということだ。気に入らない。
甘いよ、アンタ。おそらく良心がとがめるようなことをしておいて、それを追求されたからといって、あっさり首吊りなどしてもそれは“逃げ”でしかなく、国民の誰もけっしてアンタを許しはしないだろう。遺書は8通もあって、そのうちの1通には「家内だけが内情を知っている。それは家内にいってある場所にあるので捜さないでください」とあったそうだ。
自死してもなお自分の罪を隠し通そうとするこの潔の悪さには、呆れるより他はない。
彼はサムライではなかったということだ。もっとも今この国の政治屋(もはや政治家という言葉は使いたくない)にサムライなどいやしないのだが。

彼がとるべき行動はけっして自殺なんかじゃなく、事実をありのままに明らかにし、その腐りきったシステムと悪習間を断罪することではなかったのか。そうすれば国民はアンタを責めるどころか拍手喝采して、その勇気と行動を褒め讃えたことだろうに・・・。
勘違い自殺なんてサイテーだ。ニッポンの脂ぎった政治屋たちよ、国民をなめんなよ!







長湯とタバコ

2007-05-28 23:21:15 | 日記
毎日やるべきことが山積しているのに、一日のうちにやれることはほんの少し。
一日が24時間ではとても足りない。私のようにドラキュラのような夜人間は、普通の人よりも昼間が短いせいもあるけれど、一番の原因はやっぱり何をやるにも念が入りすぎて、手抜きということができない私の性格にあるように思う。中でも私の長湯はいつも人を呆れさせる。何しろ入浴に1時間半もかかる。一日の中で私の一番重要なこの入浴という“儀式”を毎晩欠かしたことはない。風呂に入らずベッドに入ることができない一種の病気なんだ。
だから私は人の家には泊まれない。こんな長湯は人の家では迷惑になるのはわかりきっているからだ。
私は最近は年に1、2度は上京している。その際も親しい友人に泊まるところがなかったら泊めてあげると言われたりもするのだけど、自分の長湯を思うとつい辞退してしまう。
東京には親戚もあるけれど、毎朝6時には起きるような人たちとはあまりにも生活リズムが違いすぎるし、何よりも人の家に泊まるとなにかと気を遣わなければならず、それだけで気疲れしてしまうので泊まらない。その上私はタバコを吸うので、吸わない人の家に泊まるのはこれまた気が引けてしまう。10月頃にはまた上京して、今度は1ヶ月ほど滞在することになりそうなのだけど、ホテルは高くてビンボー人の私にはとても泊まれない。ウィークリー・マンションはホテルよりは少しは安いけど、それでも1ヶ月もいるとかなりの金額になる。どうしよう・・・。









予感

2007-05-27 23:31:12 | 日記
最近しきりに、何かが始まろうとしている予感がする。砂漠で聞く遠雷のように・・・それはとてもポジティヴで何かワクワク心ときめくもので、こんな感覚は久しく味わっていなかったものだ。
再び物語が始まろうとしているのかもしれない。マジックのように・・・。
新たな出会い。人は人との出会いによって魂が磨かれ、生きる喜びや闘う勇気を持つことができるのではないかと、ふと思う。古い友、新しい友らが混じり合い、今、友の輪が広がりつつある。
よき友、魅力的な友、インスパイアし合える友を持つことは、どんな財宝や名声を持つよりはるかにしあわせなことだ。私はひたすらポジティヴに生きようとしている。ネガティヴな想念を持っていれば必ずネガティヴな現象が出現するということを、私は身をもって知っているからだ。

人生は一つの素晴らしい夢なのよ。友よ、同じ“人生の夢”を見るのなら楽しい夢を見ようよ!
暗い陰気な夢ではなく・・・。心に柵を張り巡らせ、疑心暗鬼になって世界に対して心を閉ざして引きこもっているのは、人生の喜びを自ら捨て去っているようなもの。

昼間、今日はなんだかやけに暑い・・・と思って部屋の温度計を見ると、なんと30度。
真夏日じゃないか! 夜の風呂上がりのビールがおいしい。こんな至福の時間に傍らに親しい友人たちがいれば楽しい会話とともにビールも進むのだけど、一人で飲むには500mlの缶ビール一本が限度。東京の友人たちが恋しい。早く東京に戻りたいなあ。






アルトーの季節

2007-05-26 01:11:31 | 日記
仏文学者でアントナン・アルトーの専門家でもあり、ジャベス、ソレルスなどの翻訳や、『アントナン・アルトーの帰還』、『中島らも烈伝』などの著者で知られる鈴木創士氏が、猫額洞を通じて私のサイン入りの詩集を買っていただいた。光栄だ。彼は私の詩の中でも「ジム・モリソンに捧げる詩」と「ブライアン・ジョーンズに捧げる詩」が気に入られたようで、とてもうれしい。
私の詩集の装幀をやってもらった藤本真樹さん経営の、外苑前にあるサロン風の洒落たバー「詩人の血」に先月初めて行った時、店の壁にアントナン・アルトーの小さな肖像画が飾られていて、彼はそれをひょいと外して私に手渡し、「アルトーだよ」と言って見せてくれた。彼もどうやらアルトーがお好きなようで、私の周りには最近なんだかアルトー好きが集まっている。アルトーの季節か・・・。好ましい現象だ。

私の昔の友人が今、麻薬取締法違反の罪で投獄されている。
詳しいいきさつは知らないけれど、たぶんマリファナの一本でも所持していて捕まったと想像しているのだけど・・・もしそうだとしたらまったく馬鹿げてる! オランダではすでに合法のマリファナだ。
そもそもマリファナは麻薬なんかじゃないし、洋の東西を問わず古代から神聖な儀式の際に使われてきた薬草だ。ガッデム! まったく馬鹿げてる! 彼は2年程の求刑を受け、来年の春頃までは“別荘暮らし”らしい。その彼の元へ私の詩集が送られた。刑務所の中まで入ってゆけた私の詩集はしあわせだ。猫額洞に送られてきた彼の手紙によると、独房の中に鈴木創士氏の『中島らも烈伝』と私の『荒涼天使たちの夜』が並べてあり、「僕は今この2冊があれば何もいらない」と書かれていたという。私はそれを聞いて笑いながらも、胸が詰まりそうになった。友の置かれている立場と、そう言ってもらえるありがたさに対して・・・。彼が一日も早く自由の身になることを祈らずにはいられない。






パティ・スミスの「12」

2007-05-24 02:47:13 | 日記
ゆったりとしたリズムのイントロから、静かにパティの深い声が立ち上がり、私の胸に・・・はらわたに染み渡る。その瞬間、思わず鳥肌が立つ。その声、声、声・・・それがすべてだ。
誰の曲をカバーしてもすべてが彼女の曲になる。選曲も涙が出そうなほど懐かしいものばかり。
彼女は私より1年と1ヶ月年上だけど、私たちは確かにあの時代を、同じ時代を生きてきたのだと
改めて確認する。しあわせだ。60年代から70年代の風が吹いている。でもここにあるのは
決してノスタルジアではなく、未来へ羽ばたいてゆける力を持った美しくも普遍的なものだ。

パティはまた一つ珠玉のアルバムを生み出してくれた。彼女がロックの殿堂入りをしたのは、
女王の頭に冠があるのと同じくらい当たり前のことだ。時代に媚びへつらうことなく、今もこうして自分の信念を歌い続けている彼女は真に美しい。彼女がグレース・スリックに敬礼したように、私はパティに敬礼する。

名前と運勢

2007-05-21 02:18:24 | 日記
私は本名の三坂恵美子の他に、二つもの名前を持っている。
親しい友人たちは私のことをメグとかジーンとか呼ぶ。ジーンというのはミスター・カイトを始めてから付けた名前で、メグというのは東京に出てきて間もない頃、たぶん60年代の半ば頃だったか・・・。当時、新宿の要通りあたりにあった“Check”というディスコによく行っていたのだが、ある夜私がオーティス・レディングの“ドック・オブ・ザ・ベイ”の曲に乗って踊っていると、いつの間にか7、8歳くらいの小さな女の子が私のそばに来て、私をじっと見つめ「メグ! メグ!」と言ったのだ。私は一瞬、「こんな所になぜこんな子供がいるの?こんな夜のディスコに・・・」と思ったのだが、少女はすぐにいなくなってしまった。
あの少女は幻だったのか・・・。もはやそれが夢かうつつか知るよしもないけれど、とにかくその日から私はメグと言う名前になったのだった。

そして2年ほど前、友人の鳥井賀句がロック評論やミュージシャンの他に、中国算命術の師範もやっているというので試しに占ってもらったところ、彼が知るはずもない私のことを例のマシンガントークでズバズバ当てるので、すっかり感心してしまった。彼は姓名判断もやるので、そちらも見てもらったところ、私の本名は「いまいち良くない」と言うので新しい名前を考えてもらうことにした。そこで誕生したのが美咲歌芽句という名前。友人に、ちとめでたすぎやしないかとからかわれたけれど、私自身がどちらかというと地味な人間なので、これくらい派手な名前の方がちょうど釣り合いがとれていいかも・・・と思ったのだ。
名前と運勢の関係には、それまであまり興味もなかったのだけれど、不思議なものでこの名前を使うようになってから、流れをせき止めていた障害物が取り除かれた川のように、急に物事がスムーズに展開するようになった。
詩集も発売になったし、入所願いを出してから何年も待たないと入れないと言われていた老人ホームに、思いがけず早く母を入所させることができた。そして何よりも私自身にやりたいことがたくさん出てきた。これも名前のなせるワザか? 賀句さん、ありがとう。
いつもエネルギッシュでポジティヴな賀句さんにはパワーをもらっている。
彼の算命術は確かによく当たる。悩みをお持ちの方はぜひ彼に占ってもらうことをおススメします。彼は今、算命術の本を執筆中とのこと。発売が楽しみだ。
















旬の野菜

2007-05-19 23:38:17 | 日記
新鮮な旬の野菜をたくさん食べること。
これが私の体と魂をいつまでも若く(?)保つための唯一の秘策。
肉や魚を食べなくてもどうってことないけど、野菜が不足するととたんに体調も精神状態も悪くなる。私は基本的に外食はしない。完全自炊。間食もしない。今夜はふっくら炊きたてのごはんに、
チンゲンサイと舞茸のみそ汁、今が旬のつわをゆでてしょうゆとザラメで味付けし炒めたものと、やっぱり今が旬の柔らかい春キャベツのコールスロー、それにたらこを焼いて食べた。
やっぱり自分の好みの味付けで、自分で作る料理が一番おいしい。
こんなメニューだと体が素直に喜んでいるのが本当に実感できる。食は体だけでなく魂も育てるのだから、食をおろそかにしてはいけない。私はけっして菜食主義者ではないし肉も魚も大好きだけど、食の中心はやっぱり野菜だ。
新鮮な旬の野菜は生命力に満ちていて、血をきれいにし魂を浄化する。
私のようなケガレた血と魂を持った人間には、よけい野菜が必要なんだ。
ミュウもちゃんと野菜を食べなさいよ。
Happy Birthday ミュウ!







五月の青空

2007-05-18 01:21:30 | 日記
今年3月から老人ホームに入所した母の所へ、夏物の衣類を届けに行く。
彼女はホールでみんなと七夕飾り用の色紙を折っていた。穏やかな顔をしていた。まだかろうじて
私のことを娘だと認識できているけれど、もう会話はまったく噛み合わない。
彼女が人生という夢の、そのまた夢の夢の中に生きるようになってから、もう10年になろうとしている。私にとってはとても長い10年だったけど、彼女はもう時間とは無縁の世界にいる。
2,3分前の出来事が脳の中で次々に消されていく。失われた記憶の中で生き続けている彼女には、もはや過去も未来もなく、まさに今この瞬間だけを生きている。たいしたものだ。

偉大な詩人たちの、その啓示とひらめき・・・。ウィリアム・ブレイクやランボーやブッダの悟りの中にさえ生きているようにも見える。彼女は今やすべての煩悩から解放されている。
そして、ただ生きている。帰り際に「また来るね』と言うと彼女は「ありがとう」と言った。
私は車のエンジンをかけながら、五月の青空に向かって大きく溜息をついた。





藤原新也の左の目

2007-05-17 00:07:54 | 日記
おととい、詩の欄にUPした2編の詩のうちの「赤い月」に関して少し書いてみたい。
私は藤原新也の著書『東京漂流』以来ずっと彼の愛読者であり続けている。『東京漂流』は私の視点に大きな影響を与えた一冊のバイブルのようなものだった。私の最も敬愛している人の一人で、彼の著書は手にいる限りのほとんどを持っている。
でも、写真集についてはかなり高価なのでビンボー人の私にはなかなか手がでない。悔しい。

去年の秋、彼の新書『黄泉の犬』が出版された。当然ながら私はすぐに買って読んだ。
それはまさに衝撃の書だった。読み終えたとき私は思った「東京漂流を越えたな」と・・・。
にもかかわらずマスコミやメディアは不気味なほどその本を無視し、出版元の文藝春秋さえも
その内容があまりに衝撃的であるせいか、プロモーションすることさえはばかったと思われる。
藤原新也は作家の域を超えた思想家である。彼の本を読めば、この現代のニッポンという国を
最もよく知ることができる。ちなみに彼のサイトにはアメリカのペンタゴンからちょくちょくアクセスがあり、どうやら彼の著書の愛読者がいるらしい。さもありなんである。

前著『渋谷』が出た時はマスコミもメディアもこぞって絶賛し大々的に取り上げたのに、
『黄泉の犬』については、まるで圧力をかけられたように沈黙し黙殺したのだ。
そう、それは“タブー”に触れているからだ。
オウム真理教はなぜサリンを撒いたのか。事件当時はどのテレビチャンネルでも学識者やコメンテーターが雁首を並べ、けんけんごうごうの論争を繰り広げていたのに、あれから12年が経った今も何ら真相の分からぬまま、人々はあの忌まわしい事件をもうすっかり忘れてしまったように見える。彼は風化しつつあるその凪いだ湖面に一つの“試論”という一個の石を投げた。
波紋は確かに広がったはずだ。自然の法則に従えば・・・。でも何らかの力でその波紋は消されたように見える。

藤原新也という人は、まれにみる“覚悟のできた人間”だと思う。
彼の文章が私は大好きなのだけれど、写真もまたあるがままの真実を写し出し、世界を肯定させる不思議な力を持っている。彼はファインダーを覗きシャッターを切る時は、いつも左の目を使うという。彼の左の目によって切り取られた永遠という瞬間に、なぜこんなにも私は魂を揺さぶられるのか・・・それは謎だ。
私は『黄泉の犬』を読み、それにインスパイアされて「赤い月」という詩を書き、歌った。
それは藤原新也の左の目に捧げたものでもある。