メグブログ(美咲歌芽句)

Jeane+荒涼天使
 (ex.Mr.Kite)

水からの伝言

2008-02-20 10:31:52 | 日記
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いい天気だー。
朝は室内でも気温が0度まで下がっていたが、10時頃になるとお日さまがポカポカ暖かい。
庭の梅の花も満開になり、ふくよかな香りが辺りに漂い、スズメやウグイスが枝から枝へ飛び回っている。その下で「♪1万年と2000年前から愛してる~♪」と鼻歌を歌いながら、洗濯物を干していると、青空に吸い込まれそうだ。こんな日は天使が降りてくる。

思えば私は子供の頃から、すべてのものは固有の波動を持っていて、それが周りの物や人の心にも影響を与えていると信じて疑わなかった。その考えは今も変わっていないどころか、ますます確信を深めてきている。
例えば選挙の投票の際、誰を選ぶかという時には候補者の顔写真を見て選ぶに限る。選挙ポスターの売り文句などというものは、どれも美辞麗句を並べた有権者への媚びにしか見えず、所詮は絵に描いた餅のようなもの。そんな誠のない言葉よりも、その人の顔写真から受ける波動で判断するのが一番間違いがない。特に政治家の言葉というのはまったく当てにはならないが、人相やその波動は嘘をつかない。実物ならもっといいけど写真からでも充分波動は伝わる。
もっとも最近は顔写真で選ぶにしても、いい波動を感じる人がいなくて仕方なく白紙投票する場合があるのは、なんとも哀しい限りだ。

体質的なものもあるのだろうが、このように波動というものに少なからぬ興味を持って、重要視してきた私は、その流れで言葉の持つ波動(言霊)には特に強い関心を持ってきたのだけれど、先日親しい人から1冊の本をプレゼントされた。それは『水からの伝言』という写真集である。
著者の江本勝氏は独自の発想と視点から、じつにユニークな実験を積み重ね、水の研究を続けている人で、1999年にこの本を出版して以来、一躍世界中で評価され海外でも11ヶ国語に翻訳されている。
彼は水が「字を読む」ことを発見し、それを実証した。信じられないような話かもしれませんが、真実なのです。それは水に言葉をかけたり、文字を見せたり、あるいは音楽を聴かせると、その水の結晶つまり氷の形が、その言葉や音楽に影響されるというものだ。
中でも最もインパクトがあるのは、水に「ありがとう」という文字を見せたものは本当に美しい結晶に変化するが、同じ水に「ばかやろう」という文字を見せると結晶はバラバラに崩れ、見るも無惨な姿になっていることだ。
私はこの2枚の写真を見て思わず手を叩いた。私がずっと密かに信じてきたことを見事に実証してくれたという思いだった。

人間の体の80%は水であることを思えば、この水の反応はそのまま私たち人間の反応だと考えるのが自然ではないか。でも言葉や写真、あるいは想念や音楽が物質に影響を与えるということを実証するこの研究は、当然ながら社会の規範への挑戦であり、これまでの科学のメインドグマにひびを入れるものなので、既成の科学にしがみついていたい人たちからの、批判とバッシングも相当あるだろうことは容易に想像がつく。
何を認め、何を認めないかは信仰の自由と同じく、まったく個人の自由だ。私はただ著者の波動に対する考え方が自分とまったく同じだったので、とても感激してワクワクしながらこの写真集を眺めた。

世界は波動である。私はそう認識している。
波動とともに電気的宇宙論(プラズマ宇宙論)も非常に魅力的で、私の想像力をかきたてる。
もしも世界中の人々が憎しみ、怒り、恐怖、戦争といったネガティブな想念を捨て、代わりに「愛と感謝」の波動をいっせいに発したとしたら、世界にはいったいどんな変化が起こるだろうか。想像しただけでもゾクゾクしてしまう。
ちなみにオノ・ヨーコは2004年のクリスマスメッセージでこの本の内容を詳しく紹介し、「私たちは皆、同じ海の水なのです。私たちはもう行進する必要もなく、家の中にいながら、ただ人々が平和に暮らしているヴィジョンを鮮明にイメージする、そう、イメージするだけで、世界を変えられるのです!」と絶賛している。そして、何百人、何千人の人々がその想像の力を合わせれば山をも動かせるという信念の元に、実際に人々に呼びかけ行動に移している。さすがだ。  

私たちはみんな、はるか遠い宇宙からこの地球という美しい星にやって来た地球巡礼者。
そしてこの星で様々な人と出会い、そして学び、体験し、自らの魂を磨いているのではないのか。
「ありがとう」という言葉は目を見張るような美しい結晶を作り出した。
「ありがとう」という言葉ほど人をしあわせにするものはない。    
そして最も美しい結晶が「愛してる」という言葉だった。私もひとりの地球巡礼者として、いつの日かこの星を去る時には、この地球(テラ)と愛するひとに「ありがとう。愛してる」と言いたい。 
光となって永遠に、ともに在りつづけることを信じて・・・。


デイ・アフター・トゥモロー

2008-02-11 08:16:18 | 日記
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最近なんだか次々とシンクロニシティが起こるようになって、自分でも驚いているのだけれど、一昨日もまたそれがやって来た。
2004年に制作されたローランド・エメリッヒ監督の映画「デイ・アフター・トゥモロー」を、私はまだ観ていなかった。それをどうしても観たくなって、車で40分もかかるレンタルショップへ行って、借りてきて観た。それは、地球温暖化によって突然訪れる氷河期の話で、よくこんなモノを作れたもんだと思うほどに、リアリティのある映画だった。そのあとコーヒーを飲んでパソコンに向かい、あるサイトを開いたところ、そこには一つのニュースがあった。

それは「太陽活動周期と気候」という見出しで、NASAは次の氷河期が始まると・・・つまり次の持続的な寒い時代を引き起こす大きな変化が、太陽の表面に起こっていると2008年1月9日に発表した、とある。
いつまで隠し通すのかと思っていたが、ついにNASAも太陽の異変と氷河期到来を認めたのだ。
その記事によると、フロリダのSpace and Science Research Senter(SSRC)は、繰り返し暖まるようなサイクルの結果、太陽の変化が寒冷気候へのシフトをもたらすと発見した。
SSRCディレクターのジョン・ケーシーは「NASAが示したように太陽の表面流動は劇的に遅くなっているとし、これらの変化はごく自然であり、表面運動が減速すると太陽カウントは著しく低下する。太陽黒点カウントが意味するのは、50より1つだけ低くても厳寒の気候へ広範囲に移行する」と述べている。
NASAは太陽活動周期が25であると発表した。SSRC科学者の一般的な見解は今春始めが50以下で、3年以内にさらに早く次の太陽活動周期が24で始まるという。
なおケーシーは「両院科学委員会を含むブッシュ政権すべての主要なオフィスに、この見解が通知された」と付け加えた。

まさに今私が見終わったばかりの映画「デイ・アフター・トゥモロー」そのままの展開となっているわけだ。この信じられないようなシンクロニシティに私は唖然としながらも、心中はきわめてクールで、また一つ大きなパズルが合致したという喜びがあった。
でも、人類の存亡に関わるこのメガトン級の重大ニュースは、本来ならば世界中のメディアのトップニュースとして扱われるべきものだけれど、現実はけっしてそうはならないのだ。
このニュースは温暖化の原因を、人間の営みによるもの=CO2としてきた論理を180度ひっくり返すもので、権力者側にすれば今さら引っ込みはつかない。
だからアメリカでもおそらくニュースにはならなかっただろうし、そのアメリカの奴隷となっている日本に至っては、そんな情報など知らされるわけもなく、相変わらず中国ギョーザと茶番的ねじれ国会のニュースを垂れ流すだけだ。

以前にもこのブログで書いたけれど、世界中のメディア(特にテレビと新聞)は完璧に押さえ込まれ、コントロールされている。本当のことを知りたければ、自分の直感を頼りにネットの海に飛び込んで探り出すしかない。悲しいけれど報道の自由なんてものはないのです。
でも、私の知る限りただ一つだけ、すでに2005年11月30日付けのAFP通信の記事で、実際にヨーロッパにおいて映画「デイ・アフター・トゥモロー」ほどの急激さはないものの、映画と同じ理論で、今後10年単位で平均気温が4度低下する恐れがあるとの、科学者の見解を伝えている。

ちなみに私が読んでいる南日本新聞に1週間ほど前、ほんとに小さな扱いのニュースを見つけた。それは例年の2月の平均気温が17度のベトナムに突然の大寒波が押し寄せ、それが停滞を続け田植えを終えたばかりの稲がしおれ、家畜や水牛が凍死しているというショッキングなものだった。
しっかりとアンテナを立てて気をつけていれば、サインはあちこちにある。

宇宙にはサイクルがある。だから歴史は繰り返す。
そのサイクルは当然ながら人知人力の及ぶところではなく、人はただただ、ひたすらに太陽を拝む(おろがむ)にしくはないのである。
古い太陽が死に、新しい太陽が出現するにしても・・・。
来たるべきこの宇宙のビッグイベントで、もし生き残れたなら、私たち人間が長らく失っていた「謙虚さ」を取り戻すことを願いたい。
謙虚な人こそ光の天使なのだから。

なばなとギョーザ

2008-02-07 10:31:19 | 日記


今日はスーパーで今年初めての、なばな(菜の花のつぼみ)を見つけてうれしくなり、早速2パック買って帰った。なばなは一般的には「おひたし」にして食べられているようだけど、塩もみにして食べるのが断然おいしい。ゆがいたり煮てしまうと香りや歯ごたえばかりでなく、ビタミン類も失われるからもったいない。よく洗って天然の塩でもむと、目にも鮮やかな緑色になる。5分~10分おいて、塩は洗い流さずに水気を絞ってあとは食べやすい大きさに切るだけ。それだけでプチプチ、コリコリと本当においしいくて止まらなくなる。塩は洗い流さない分、少な目にしないとしょっぱくなる。この塩加減だけがおいしさの決め手だ。
私はこの「なばなの塩もみ」を食べると、大寒の中にあっても、俄然春の足音を聞いた気になる。これぞまさに春の味。絶品です。野菜に目のない方は、騙されたと思ってぜひお試しあれ。

私の祖母がよく言っていた。「遠くのものより近くのものを食べろ」と。
「身土不二」という言葉があるように、近くの大地で採れた旬のものを、ただ天然の塩でもむだけというこんなシンプルな形で食べると、血がきれいになるのが実感できて、本当に体が喜んでいるのがわかる。
体が喜ぶということは魂も喜ぶということだ。こんなケガレのない食べ物は、今時外食ではまず食べられない。

ケガレといえば、目下話題の中国ギョーザだが、
この事件で中国は自ら、その国民性や利潤追求のためならなんでもやるという体質を世界にさらけ出した形になった。北京オリンピックを控えながら不信を買うことになったのは確かだろう。中国は恥ずかしい。けれど日本はもっと恥ずかしい。なぜなら日本は近年、生きるために必要な食べ物を自ら作らず他国任せにして、ひたすらエコノミック・アニマルの道を突き進んできた。これで国際情勢の悪化や、はたまた戦争や地球の異常気象が進めば、このままでは日本が真っ先にくたばることは容易に想像できる。何しろ石油資源はまったくの他国頼みだし、食糧自給率はたったの39%で先進国では最下位だ。ましてや世界の食糧危機は目前に迫っている。

他の先進国では来たるべき食糧危機に備えて、もうとっくの前から国を挙げて農地を広げ、農業推進に力を入れている。これに対して日本はまったく無策だ。この危機感の欠如は本当に恐ろしい。この事件以前にも、中国野菜から基準外の農薬が検出されたり、その他の食品も薬品まみれだということが指摘されていたけれど、中国にしても利潤は考えても、日本人の健康など考えるわけはないのだ。そうやって食料のほとんどを他国に依存しておきながら、やれ農薬が入ってた毒が入ってたと騒ぐのは、ちょっと虫が良すぎるのではないか?

そして、面倒な料理よりも安直な加工食食品に頼っている家庭の主婦にも、その矛先が向けられるのだろうけど、私はその奥に、メディアがまったく取り上げない、もう一つのもっと大きな社会問題が潜んでいると思う。それは、主婦が子供の弁当や家族の食卓に冷凍食品を多用せざるを得なくなったのは、ただ単に手抜きをしたいという理由ばかりではなく、今、実状として上流階級以外のほとんどの主婦は外へ働きに出ているということがある。つまり一時期おおかたの日本人が中流意識を持っていた時代は終わり、バブル崩壊後のこの国の生活水準は一気に下がって、今や主婦も働きに出なくては夫の給料だけではとても生活できないのだ。それまでは主婦は家にいて家事をすべてこなし、食事も手料理を作り、子供たちとも会話をする時間もあった。その分精神的には豊かな生活があったように思うし、子供たちの心も今ほどすさんではいなかった。

でも主婦が働きに出なくてはならなくなったら、とても手料理など作る時間はない。その結果が加工食品や冷凍食品の需要の増加となっていることは間違いない。今や共働きしなければ生活できないほどに、この国は貧しくなったのだ。
グローバル化を進めてしあわせになった国など、世界中捜してもどこにもありはしない。グローバル化はまさに悪魔の囁きだ。
「みんな違って、みんないい」という認識に立って、人種や文化の多様性を認めない限り、人類に未来はない。この根本的な事実を直視しないで、中国ギョーザだけを問題にするのは、いかにも視野が狭いと言わざるを得ないのでは?

私は今回の事件は、日本人の食のあり方と同時に、この国の社会問題を根本から見直せという、天からのメッセージと受け止めるべきだと思う。
もっと言えば、世界的大転換の年となるだろうこの2008年は、私たち個々人が自分の「生き方」について見直しを迫られているのだと感じている。
日本はこれから重要な役割を果たす国なのだから、今こうして「みそぎ」をやらされているのだ。他人や他国をジャッジメントするよりも自らの浄化を・・・。