ターザンが教えてくれた

風にかすれる、遠い国の歌

今日はだれにおやすみっていえるかな

2011-10-21 11:27:33 | モノローグ



たとえば この目の前にある赤い花だって

見る人によってはきれいな青色に見えることだってありなんだよ

そんなはずはない、と、思ったりもするけれど

やっぱり みんな違うんだ

10人いれば 10通りの常識がある

人はそれぞれみんなだれもが違う

自分と同じ人なんて滅多にはいない

つうか、自分と同じ人なんてこの世のどこにもいないんだよね


あたりまえだけどさ、


経験がちがって その性格だってみんなちがっていて

やさしさの定義も 愛の定義も

やさしさの形や方法も 愛の表現もその温度感だって

みんな みんな てんでちがうもの


だから、


そんなことで傷つかないで欲しい

そんな至極当たり前のことで 

ひとつひとつ傷ついて寂しい気持ちにならないで欲しい


これだけ あいつは 自分とちがう考えだと

これだけ あなたは このわたしとちがう生き方だと

そうやって 人を責めて 人を裁かないで欲しいんだよ


人は だれもが温かな赤い血が流れていて

人は だれもが眼をつぶって眠ったり 

電車に遅れそうだと 息を切らして走ったりするものだから

つい

つい、さ

自分と同じものだろうって思ってしまう



でも、ちがうんだ

だれもがみんな てんでちがうもの


それをしっかりと認識していたら そのあとはしめたもの

そいつを いつだって どこでだって

この腹の底でもって ずっしりとわかっていれば

人が自分とちがうことがあたりまえになって

そして

傷つかなくなるものだろうって

寂しくなくなるものだろうって

そう 思うんだよ。今 ぼくはさ。




正しいっていく通りだってあるんだと思う

すばらしいことっていく通りだってあるんだと思う


状況によって

世の中によって

世代によって

歴史によって


その正しいということは変わり行くものだったりする

その常識というものだって

ずっと変わり行くものだったりする




誰かに対して不平や文句を言うだけだったら

たやすいこと ありふれていること

あまりにありふれているものだから

ぼくにはそれは景色と同じに見えてしまう

周りの風景の中で

だれがどこにいつのかがわからなくなってしまう


そのことに対して

わたしはこうこう思ったの

俺はすごくこんな風に感じたんだ

だから

自分は気をつけようと思ったし

わたしは相手とうまくやっていくためには

どうしたらいいのかなって考えるのよ

って

そんな言葉が聴けるときに

ぼくはひとを感じられるんだ

ひとをそこにようやく見つけることができるんだ

そして

世の中は決して寂しくはないものだって

そう思えるんだ。


こういう、実感の伴った「生きた」言葉

それをぼくはもっと聴きたい

それぞれが違う人間を

ふっと束の間でも結びつけるもの

それはそういった「共感」なんだと思う

「わかる わかる そうなのよねぇ」

「そうだそうだ わかる お前の気持ちわかるぞぉ」

といった共感。

でも、こんなに共感して同じだからと

舞い上がってはいけない

違う人間同士、 この部分では一緒だった

でもその他はてんで違うものかも知れない

そのあたりのことをちゃんと理解していないと

あいつはあんなヤツだとは思わなかった

とか

信用していたのに裏切りやがって

という不平不満を口にしなけりゃいけなくなってしまう



様々なちがう人間同士

ほんの少しでも共感し同じ時間を分かち合えたことだけでも

十分に良かったことだと

そんな風に思って生きて行きたい



相手と自分の違いを

許容できないことは

うらをかえしたら

それはこの自分を認めて欲しいということかもしれない

この自分を正しいと言ってくれ

この自分のやり方をすばらしいと言ってくれ


昨今流行の(他人からの)承認欲求

これは厄介

マジに厄介

誰かに認めてもらうことで

何とかして自分の中に自尊心を保とうとする行為

これ、ほんとうに厄介

いい大人がやめてくれと、正直ちょっと思う


本当の自尊心や本当の自信は

自分自身で作るものだよと思うんだ

ほんのわずかずつ ほんのちょっとずつでも

それでもそういったわずかな自信を積み重ねていくこと

薄紙一枚の自己肯定を積み重ねてゆくこと

それはそんなに難しいことではないように思うんだけど


ちゃんとすればいいんだもん

たとえば今まで吸っていた煙草を止めるとか

会社に遅刻をしないようにするだとか

人との約束を違わないとか


そんなことだって

ちゃんと実行すれば自分に自信ができるじゃん

つうか自分に納得できるじゃん

ほんの小さいんだけれどもさ


誰かに褒められなくても

ちゃんと大丈夫になることって

とても大事なことなんだと思う。


たださ、ひとつ思うのは

自分はこんなに大きな仕事をしていて

自分はこんなに人望があって高い給料をもらって

というような自信のことについては

ちょっとわからないかなぁ

っていうか、そういう人を目の前にすると

「危険だぁ、デンジャラス!」って感じることが多い。



(ぼくなんかよりすばらしいお仕事をされている方々

 ゴメンナサイ、
 
 これは心根の話なんで許してくださいね、

 お仕事の話をしてるわけではないですので)



確かに社会の中で実績を積むってすごく大事なこと

ちゃんと自立して生きてゆくことに直結するから。

でも、忘れちゃいけないって思うのは

会社っていうのはやはりその目的は「利益を上げて金儲けをする」

ってことなんだと思う。

ある意味とっても非人間的で冷酷なものの上に成り立っている。



だから、それこそリストラや事業の縮小などで

自分が会社に離職を迫られたりなんかすると

とたんにその大きな自信は木っ端微塵になってしまう。

自分はあれだけ会社に貢献したのに!

自分はこれだけ人望も厚く利益だって出してきたのに!

とかいくら叫んでみたって

そんなことだけでは会社は動かないじゃん?

そんな人情沙汰では会社は成り立たないじゃん?

っていうか、そんなことで動く会社は逆にヤバイよ


だから、

たとえ、会社にお前はもう要りませんよ。とか

そんな酷いことを言われたとしても

それは悲しかったりとちょっと傷ついたりはするけれども

自分自身の中にある自尊心は大丈夫

そんなことで本当の自分自身の自尊心は傷ついたりしないもん

ある意味、どんな状況だってどんなところだっていつだって

自分の中に貫かれる大きな信頼こそが自尊心なんだと思う。



どんな状況の中だって

なんとか、こうとか、大丈夫、って思えること。

迷って、悩んだとしても

自分自身が崩れてしまわないこと。



自分がこころから信頼していいものと

本来はそんな心根では関係を持つべきではないもの

それをしっかりと見極めることって大事だよね


それは何も人を信用しないとかいう寂しい話ではなくて

本来は人情とか本音のやさしさで生きるのが一番素敵なこと

でも、この複雑で様々な人やシステムが動いている世の中

それだけでは済まない話や場面の方が圧倒的に多いんだよ

だからこそ思うんだけど

「ホットなハートとクールな頭脳」っていうのがいいね


世知辛い世の中だから自分だって冷徹に生きてやる

とかいう未熟な考えではなく

本来はやさしさとか人情で貫きたいんだけど

そうも言ってられないから

この熱い想いをなしとげるために

ちゃんと情報を収集して可能な限り対策や準備を検討しながら

人はみんな価値観の違う生き物なのだから

少々のことで寂しがったり傷ついたりせずに

相手との妥協点や共感できる部分を模索する

そんな温度をぐっと下げたクールな頭脳

たまらなく魅力的だし

そんな人と一緒にいると

こちらまで元気になるよね。



せっかく生まれてきたんだもん、さ

なるべく笑っていたいじゃん

大声じゃなくったっていいからさ

こころから笑っていたいじゃん

そう思わない?





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2 Comments

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Unknown (手帳)
2011-10-24 23:53:44
こんばんは。
働いている時耳に入ってくる
「あの人仕事出来ないよね。給料分働けって」
「あれじゃだめでしょ」
そんなギザギザした言葉に最初はショックを覚えたけれど、この頃は私なりの落とし所を見つけました。

評価をしたがる人ほど評価する立場にいない。
給料云々言う人、辞めればいいという人はそのポジションについてからサクッと行動すればいい。
だから気にスンナ、一緒に頑張っていこう、一緒に育っていこう!!オーです。

私は資本主義の考え方の厳しさもフェアーも理解できます。
でも日本人の社会独特の「いくつの家庭を支えられるか」という考え方はとても素晴らしいと思うのです。
能力に見合った報酬でなく、やっていける収入世帯の頭数を最重要に考えること。
それは一見公平でないように感じられるかもしれませんが。
せっかくだからこの際、国益なんて大きく広げて考えたりして。一握りのリッチとたくさんのまあまあの教育を受けられる家庭とどっちがこの国にプラスかな。

私の夫は大きい会社にいないので厚生も保証も薄いけれど大会社ならば病気や怪我でも守ってくれるでしょう。
いいなとも思うし、そこで文句言ってるのを聞くのは苦痛でもあるけれどそれでも「たくさんの家庭を守ろうとする会社」があって良かったと思うのです。
幸せになるのに近い人からとりあえず幸せになればいいのです。

いつでも似たようなもんだな、頑張ろうねって気持を失わず働いていけたらなって思います。
一人ひとりの幸福が社会の幸福につながる未来を選んでいける日本であってほしいですね。



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手帳さま (b-minor)
2011-10-26 16:19:51
こんにちは。

なるほど、なるほど

手帳さんのおっしゃる
日本の社会独特の
会社がいくつの家庭をささえられるか、
という考え方。
できればなくなって欲しくないものだと
自分も同じように思います。

ここ数年来から
グローバルだとか
はたまた最近では
これも自分の聞きかじりの情報だけだとしても
それは危ないんでないかい!?と感じる
TPPの問題だとか。

これからはそういった
日本以外のシステムが
一挙に襲ってくることは
残念ながら避けられないことのような気がしています。

>一人ひとりの幸福が社会の幸福につながる未来を選んでいける日本であってほしいですね

ほんとうに、ほんとうに同感です。
やはりこのような考えがないと
いくら世の中が発展し
科学技術が発達しようとも
人はそこに幸せを
見つけることはできないのではないのでしょうか。

おそらくこれからのこの国は
先進国のトップグループからは
こぼれ落ちてゆくことになるのだと
思いますけども、
そんな無常の中においてこそ
人間の知恵が生きる時なのだと
そんなことを思っています。


それから
夜中の焼きはまぐりですけど。

あれ、焼けて貝のふたが開くと
面積が2倍になるのですね。

最初網いっぱいに並べたんで
次々に網からこぼれて大変なことになりました。

網に乗せる貝の数は半分、
毎回自分に言い聞かせています。

(笑)

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