ターザンが教えてくれた

風にかすれる、遠い国の歌

ブルースを歌いてえ 2

2012-03-14 15:24:51 | 物語という昨日


忘れたころに続くものがたりですけど

よろしければお付き合いのほどを・・・


       前編はこちら ブルースを歌いてえ


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窓の外には
午前中まだ早い時間の
白い陽に照らされた木々の若葉が
その伸びた幹が風になびいて
大きくしならせているのが見える。

木々の間には
規則的な間隔で設けられた
幅の細いコンクリートの歩道が通っていて、
周りのビルから溢れ出てきた人や
大きなカバンを持って
早足で急ぐ人たちが頻繁に行き交いながら
慌しい一日の活動というものが
もうすでに始まっているんだと言うことを
それを眺めるものに強く思い知らせた。

横に広い窓を背にして
ちょうど一列に並んだデスクの
一番奥にある自分の席に座って、
浩介は先ほど給湯室に行き自分で作ってきた
大きなカップに入った珈琲を飲んでいた。

「水谷さん、今日は香水付けてんるんですか、
 いつもと雰囲気が違う感じですね」

「ああそうだよ。な、すげーいい匂いするだろ」

声を掛けてきた同じ課の女性社員に浩介がそう答えると
隣の席にいた浩介の同僚の男が遮って言った。

「いやいや、こいつはそんなのとは違うんだよ、
 夕べの深酒を隠してるんだよなそうやって。
 ほら、中川さんこいつの側へ来て見てよ、
 たいへんに酒くさいからさ」

「おまえなぁ、そんなのと違うって何だよ」

浩介はそう言って同僚の顔を見た。

「そんないい匂いはおまえには似合わないんだってよ、
 ね、中川さんそう言ってやってよ。
 おまえにはもったいないってさ」

同僚は笑ってそう言った。

中川さんと呼ばれた女性社員は
話しにつられて
ふたりの側に立ちながら
しばらく笑って聞いていたが
最後に「とても素敵ですよ」とだけ言うと
奥にある会議室の方へ歩いて行った。

「ほらみろ、素敵ですっだてよ、俺」

「何が素敵なもんか。
 彼女は気を使ったんだよ。
 いつだって飲んだくれてばかりいる
 ひとりもんの男にさ」

「何だよそれは、
 おまえもそんなひどいこと言うなよな」

「他の奴にも言われてるのか?」

「ああ、ついこの前も友達に言われた」

「な、そうだろ。その相手も思ってるんだよ。
 ひとりぽっちで毎晩飲み歩いてばかりで
 いったいこいつは何やってんだって」

「そういうのがいいんだよ、俺は、気楽でさ」

「まぁ、そうだけどな」

同僚が続けて何かを話そうとした時に
浩介のアシスタントの女の子が
そろそろ会議が始まる時間だと言って浩介を呼びに来た。

浩介は「ありがとう、すぐに行く」と答えると
デスクの上にある必要な書類を持ち部屋を出た。

通路を歩いてちょうど中程の階段で
一階下のフロアに降りると
エレベーターホールの脇に設けられている
厚いガラスの囲いで仕切られた
誰もいない喫煙ブースの扉を押して中に入った。

ズボンのポケットから煙草を取り出すと
パッケージから一本つまんで口に咥え
ライターで火をつけた。

片手をポケットに入れたままでそこに立ち
浩介は煙草を吸った。
肩をゆっくりと持ち上げながら
煙草の煙を吸い込んだあとで少し止め、
今度は煙草を口から離して静かに息を吐いた。

ほんのりと青白い煙のかたまりが
行き場をなくしたように浩介の目の前に浮かんだ。



 

 

それからの2週間ほどは
浩介の所属する部署が今度新しく手がける
新規事業のための準備で公私共に忙殺された。
週の中ほどになって高橋英司から飲みに誘われたのが
唯一といっていい浩介にとっての息抜きになった。

浩介の前の会社で一緒に働いていた高橋は
お互いに歳も近い事もあって何かと馬が合い、
浩介がその会社をやめて今の職場へ移った後になっても
そうやって事あるごとにお互いに呼び出しては一緒に酒を飲んだ。






次の週の金曜日になって
浩介はようやく実家のある房総へ向かった。

地下鉄で東京駅まで出たらあとは特急電車へ乗り
およそ2時間ほどで浩介の生まれ育った港町へ到着した。
東京駅から走り出した特急電車は
そのまま地下トンネルを走った後、
東京湾の埋立地の中ほどでのっそりと地上に出た。

その後は一度だけ途中の駅に止まったあとは走り通して
そのままゆるやかに千葉県に入った。

房総半島の内側を走る路線を走って
最初の大きなターミナル駅に停車したあたりから
それまで窓の外に見えていた
都会の閉塞感が急速に消えて行き、
そのあとは、
のどかな風景と言っていいような房総の土地を
電車は幾分スピードを落としながら進んで行った。

浩介は東京駅の売店で購入した
1ダースパックの缶ビールを
途切れることなく飲み続けていて、
一本を飲み終えて缶が空になると
それを丹念に靴の裏を使って平らに潰したあと
ビールを買った売店の女性が一緒に付けてくれた
大きな紙の袋の中へ溜めていった。



「水谷くん」

浩介が線路の向こうにちらちらと見え始めている
外房の海を眺めながら
新しい缶ビールに口をつけたところで
不意に浩介の肩越しに女性の声がした。

浩介が振り返ると、
嬉しそうに笑いかける女性が立っていた。
そろそろ気持ちよく酒に酔った自分の記憶の中で
もう随分昔の事のように思える
田舎町の高校生だった頃の自分たちが蘇った。

「おお、すっげえ久しぶりだなあ。びっくりしたぞ」

「やっぱりね。向こうの車両から見ていて
 すぐにわかったわよ、あ、水谷君だって」

「相変わらずいい男だろ?」

「あはは、そうね、そうそう今も変らず色男の水谷君だわ。
 ねえ、ここいい?」

「お、いいぞいいぞ、座ってくれ」

女性は浩介の隣の席へ腰を下ろした。

「みんなどうしてんだ? 元気なのか?」

「高校出てから随分経つんだもの、みんないろいろよ。
 もう3回も離婚を経験したのもいるわよ」

「それは、それは」

「なんて言ってるこの私はまだ一度目だわ」

「結婚してたのか」

「ええ」

「で、離婚したのか」

「ええ、離婚したの」

「子供は?」

「できなかったわ」

「そうか」

そう言って浩介は頷きながらビールを飲んだ。
ビールのパックから一本抜き取ってに勧めてみたが
相手の女性は首を小さく横に振った。

「水谷君はどうなのよ」

「まぁ、相変わらずだな。
 ちょっとは変わってもいーんじゃね?って、
 自分で思うほど相変わらずだなぁ」

「相変わらずっていうのも貴重な事だわ。
 久しぶりじゃないのこっちへ帰ってくるの」

「そうだな、すげえ久しぶり」

「ゆっくりしていけばいいのに」

「まあな、いろいろ忙しくてな」

「水谷君ってお酒が強いのね」

すでに半分以上を抜き取った後の
缶ビールのパックを見て女性が言った。

「自慢できんのはこれだけだな、俺は」

浩介はそう言って笑った。

「飲める間にたくさん飲むといいわ。
 歳を取るなんてすぐよ」

「おまえ、いい事言うなぁ」

浩介は一度真顔になったあとに
もう一度笑ってそう言った。

「あの優等生だった恵理がそんなことを言うのか。
 随分と変わったなぁ」

「それはそうよ。いろいろあったのよこれでも。
 でもおかげでやっと少しだけ大人になったのかもね」

「大人になったのか、俺たち」

「ええ、そうであって欲しいわ」

彼女はそう言って
薄手のカーディガンを羽織った自分の肩に
身体の前で交差させた両手を当てると
ほんの少しだけ身をすくめて笑って見せた。

彼女が電話番号を教えて欲しいと言うので
浩介は自分のメールアドレスと共に彼女に教えた。



列車の窓の外には
すぐ目の前を走り去る民家の屋根の向こうに
穏やかな房総の海原が見えていた。

昼下がりの穏やかな日差しが
浅い角度の上空から満遍なく照らしていて、
浩介が高校を出るまで過ごした田舎町の風景が
久しぶりに浩介の目の前に広がった。