ターザンが教えてくれた

風にかすれる、遠い国の歌

亀戸、日曜午後3時

2008-01-14 00:04:36 | 風に走る


ここからJRでひとつ隣の駅には
キムラヤっていうディスカウント屋があって、
その店内にはキラ星のブランド品が満載なんだけど、
ここはワタクシのお気に入りの店なのだ。
ブランドもののスーツにも鞄にも靴にも
とんと興味がないワタクシの向う先。
それはもちろん香水売り場でありました。

ブルガリをはじめ、
シャネル、グッチ、ラルフローレン、
ディオール、エスカーダにカルバンクライン。
そうそうたるブランドの香水が勢揃した棚の前では
もうワタクシ興奮して血圧も上がりそうです。
乱れた商品もちょっと並べ直したりなんかしてね。
それでその香水どれもが無茶苦茶安い。
定価というものの意味をちょっと立ち止まって
しばし考えさせられるほどに値段が安いですよ。

常日頃から香水の雑誌をめくり、ネットで価格を調べ、
それぞれの香水の相場価格と品薄情報は
だいたいこの頭に入っているので、
(憶えられるのはこーゆーことだけなんだけどね…)
「おっ、これ今の時点で底値っすよ!」と
興奮気味に手にする香水は1本プラスもう一本。
だってこの先この商品はいつか廃盤になるよね、
そのときに使うものが無くてすごく困るじゃんかよ。
と、自分自身に言い聞かせながら、
お気に入りの香水は2本買い。(アホだね・・・)
結局定価販売と変わらない金額の買い物になるのであった。

こうやって無限に香水の瓶が増えてゆく。

でも、このキムラヤで買う香水は、
ひとシーズン前の香水か、または昔から
ずっと売り続けられている名香と言われるものだけです。
シーズンごとに新発売される「旬」の香水は
いち早く我先にと勇み足になりながらも
ちゃんとデパートのカウンターで買いますですよ。
この「旬」の香水は、この今の時代今の世の中を
絶妙に反映していてそこが興味深いところだし、
また、その季節に流行の「香り」というものもあって、
これもそれぞれのブランドの
特色が見られてなかなか面白い。

少し前にベリー系、つまりイチゴやカシスなどの
美味しそうな果物の香りが一世風靡したころ。
学生をターゲットにした若いブランドは、
つけた瞬間から果物屋の店先のような香りの
とてもわかりやすいフルーツの香水を作っていたし、
それに対して、老舗と言われる昔ながらのブランドは
従来通りの格調高く落ち着いた香りの中に
ほんの少しだけ上質の果物の香りを溶け込ませていて、
それはまるで、
果樹園を吹き抜けてくるいい香りの風みたいだったしね。

で、こんなワタクシにも
お気に入りのブランドがいくつかありましてね、
カウンターで、顧客カードを差し出すと、
可憐で麗しいBA(ビューティーアドバイザー)さんは
自分のような坊主頭の男でも
ちゃーんと椅子に案内して座らせてくれる。
でもね、そのカードに記録された
前回の買い物の日付は半年前でほんとスミマセン。
で、ちょっと恐縮した素振りを見せながらも
偶然となりに座った他のお客さんとも
「そですねー、ほんといいですよねー、おゲランは」
などと愛想笑いもかましつつね、
そのカウンターの雰囲気を楽しむのだ。

で、いよいよ香水のテイスティングになるんだけど、
自分は必ず実際に肌へつけてみるようにしてる。
普通はムエットっていう濾紙を細長くカットしたものに
香水を吹き付けてくれるんだけどね、
やはり自分の肌と紙とでは香り立ちが全然ちがう。
特に要注意なのが、オリエンタルな香り。
お香のようにエキゾチックな香料の中に
ワタクシと甚だしく相性の悪いものがあるようで、
こいつが肌に乗るとまるでタイヤのゴムを焦がすような
何とも言えないイヤな香りになってしまうのだねー。
ムエットだけで試して「こりゃいい香りだよ♪」
なんて浮かれて買った香水をいざ自分の肌につけてみて
「くっさー。。。泣」となった思いはもうゴメンだしね。
そこはすごく慎重になるところであります。

香水は必ず自分の肌で。
己の匂いと香料が混ざり合って
はじめて自分自身の香りになることを
肝に銘ずべし。。。By ゲランの中の人

会社でさ、それも仕事のことでさ、
人と結構な言い争いをしてさ、
なんだかいやーな気持ちのまま週末に入っちゃってさ、
次の朝起きても昨日の会社でのことが頭に重くてさ、
っていうか、
あれからひとりでいろいろ考えていたらね、
単なる仕事の話を超えて、自分の将来、自分の行く末、
自分はこのままでいいのかなんてことに発展していて
かなりつらい状態になっていたんだ。

だから気分を紛らわそうと思ってさ、
ひと時でもいいから夢中になれる楽しいことしたくてさ、
「よし、こんな時には買い物だ、香水だ」と
自分に言い訳をつくってはね、
隣駅のキムラヤまで向かう道。

水上バスの平らな船を眺めながら橋を渡って、
天神さまの鳥居をくぐったらあたりから、
先ほどまでの憂鬱な気分はずいぶん薄らいで、
頭の中は欲しい香水のリストアップで忙がしくなってきた。
妙に軽い足取りに、よしよしいいぞ
思わず鼻歌まで飛び出してしまいそうですぜ。

大好きなキムラヤの香水売り場で、
どれにしようかと思う存分時間をかけて選んだ後は、
これまた、家までの道のりを歩いて行くんだけど、
さきほどと違うのは帰りは少し早足になってるんだ。
早く家に帰ってこの手に入れた香水をつけてみたいからね。

京葉道路の大きな横断歩道を渡って、
亀戸の駅まで歩いたら、JRの線路をくぐって
向こう側に出なくちゃいけないんだけど。
この線路の下のトンネルがね人が多くてたいへん。
道路脇の違法駐輪の自転車の列が
二重三重になって通路にはみ出しているので、
人ひとりがやっと歩けるような状態。
その狭い隙間を狙って人も自転車も割り込むものだから
交通量の多い日曜日などは一触即発って感じなんだよね。
すぐ目の前には駅前の交番があって
いつでも体格のいい警察官が仁王立ちで見てるのにさ、
彼らはいつでも、
仕方ない、仕方ないよねと言いたげに
諦め顔して通りを眺めているだけだよね。

僕は、今買った香水が入った袋を、
人並みに振り落とされないようにぎゅっと握って歩く。

人ごみを抜けて商店街を過ぎたら
東西へ抜ける四車線の大きな道路に出る。
ここまで来たら後は道沿いに真っ直ぐ歩くだけだ。
カラオケ屋の派手な看板。
その隣は、ウエストに大人5人は入りそうな
すごく大きなGパンを飾ってる洋服屋。
隣は家具屋。
で、その次の店は畳屋。
ここはいつもい草のいい香りがするね。
僕はこの店の前だけはゆっくり歩くことにしてる。

信号をひとつ渡って
亀戸天神の参道を横切ると
有名なくず餅屋が見えてくる。
行楽のシーズンになると観光客でごった返すのだけど、
今日はお客さんいないね。
その次はラーメン屋。
ここはもういつ見ても大繁盛。
店の外に行列が並ばない日は無いもんね。
のれんから漏れてくるスープの匂いから察するに
ここはあっさり塩系かなと思うので、
一度も入ったことは無いです。
僕はとんこつが好みですよ。

そのラーメン屋の先には小さな交番。
実はこの交番の真ん前には、
ほんの3メートル程の短い横断歩道があってね、
それが生意気にも信号機が付いてるのだね。
ま、地元住民はみんな赤信号なんて
おかまいなしに渡ってるんだけどさ。
ワタクシはというと、
いくらなんでもお巡りさんの目前での
信号無視はちと怖い。
しかしこの交番、いっつも留守になっていて、
誰もいないカウンターには、
「御用の方はこの電話でお話下さい。」
なんて立て札にぽつんと電話機が置かれていたりなんかして、
これでいいのか?日本の警察って感じなんだけど。
ま、そんな訳で、交番に誰もいないときに限っての
小心者の信号無視。

少し手前から交番を伺うと人影が見える。
「あーあ、今日はダメだなぁ」と思いながら
赤信号を見上げていると、交番の中から
男がひとり飛び出して来た。

「あ、あのー、ぼ、ぼくのさいふがね、
ぼ、ぼくのおさいふ、わからないの」

びっくりしたよー。
中学生くらいかな、
痩せていて背が高い彼は、
言葉がちょっと不自由らしくて
会話もなかなかおぼつかない。
ひとり誰もいない交番で随分と困っていたようで
僕に向かって懸命に己の窮地を訴えてくる。

「お財布、どの辺りで落としたかわかる?」

「え、えーとね、ぼくセブンイレブンで買い物して、
その後で、おさいふがないの…」

「じゃあぁ、そのセブンイレブンへ行って見た?」

「う、うんっ。いってみた。無いって、店の人が言ってた」

「あとは思い当たる所はない?」

「あとは、わからない。。。」

「そっかー。じゃあさ、警察の人にお願いするしかないね」

(って、だから彼は交番に来てるんだけどさ。)

「うんっ」

「じゃ、この電話でお巡りさんに話してみなよ」

彼は、近くの警察署へつながる専用電話で話し出すも、
「あ、あの。僕のおさいふが、僕のおさいふがね。。。」
と繰り返すばかりで埒が明かないので、
僕が代わりに受話器をとる。

相手の警察官は、申し訳なさそうに、
とにかく遺失物の届けをしてもらうので、
駅前の交番まで来て欲しいと言った。

僕は彼に、「駅前の交番まで来て欲しいんだって」
と告げると、
彼はちょっと考えて、「うん、いく」って言うんだけど、
その、長身の身体で所在無げに立っている姿がね
なんだかすごく心細いように見えてさ、
結局、その交番まで僕もお供をすることになった。

彼は、育ち盛りの身体にはすでに少し短くなった
色の落ちたジーンズと、これもすこしくたびれかけた
黄色いTシャツを着ているんだけど、
これがどちらも洗濯したてのように清潔に見えて、
彼が動くとほんのりと洗剤のいい香りが鼻をくすぐる。

二人で交番を出て、
駅に向かって今来た道をずっと歩いてゆく。
手足の長い彼の歩調が妙に速くて
こちらが置いていかれそうになるので、
「もうちょっとゆっくり行こうよ」と
声をかけようとするそばから、
突然、彼が駆け出す。
僕がおいおいと思ってこちらも急ぎ足になると、
後ろを振り向きもしないまま彼は、
歩道の交差点に差し掛かる毎に
その足をぴたっと止めて僕が追いつくのを待つ。
背の高い痩せた身体を少し丸めながら、
上下に飛び跳ねるようにして人ごみの中を駆けてゆく姿が、
まるで「操り人形が走ってるみたいだな」
と僕は彼を追いかけながら思った。

道を駆ける彼に追いついては、
また引き離され、
そんな事を繰り返しながら
つい先ほど歩いて来た道を引き返して行く。

ラーメン屋、
くず餅屋に天神様の鳥居、
畳屋、ジーパン屋にカラオケハウス。
こうやって先を急ぐと
駅までの道のりはけっこうある感じがするね。

歩道をごった返す人並みをようやく抜けて、
お目当ての交番へ到着するんだけれど、
やっぱりそこでも彼の説明では要領を得なくて
受付のお巡りさんも困惑顔。
それで、僕が間に入って事情説明。

ところがその話をしている間に、
「この人とあなたの関係は?」って3回くらい訊かれた。
お巡りさんにとっては
よほど妙な取り合わせの二人だったんだろうね(笑)

そんなこんなで
始めは興奮していた彼も、
その場に慣れるにつれて落ち着きを取り戻してきたので
「では、ここで遺失物届けを書いてください」
ということになった。

そのあたりになって自分も気付いたんだけれど、
この狭い交番の中に制服を着た若いお巡りさんが
いっぱいいるんだよね。
なんだかおかしなふたりが財布を捜しに来た、とかで、
奥にいた警官がみんな出て来てしまったらしい。

小さな机に座って
懸命にその届出の書類を書く彼の横で僕は、
数人の警官にぐるっと囲まれてさ、
なんだか変に緊張してしまったよ。
でも、そこはもちろん
「この眺めは、制服フェチにはたまらんだろうなぁ」
なんてこともちゃんと考えていたんだけれどもね。

「おじさん!一緒に帰るからちょっと待っててね!!」
書類から目を離さないままに彼が大声で言う。

( `・ω・´) ん? 何? 誰のこと言ってんのかな?

おそらくこの僕はそんな風な顔をしていたんだと思う。

おじさんってここにはいないじゃん。って思いながら
僕は周りを見回してしまったもの。
でもさ、中学生くらいの彼から見たら
この僕も立派なおじさんなんだよね。
おじさん、とはまた何ともくすぐったい響きですな。

それで、この彼のご要望通りに、
彼が届けを書き終わるのを待って
「どうぞよろしくお願いします」と
担当のお巡りさんへ頭を下げたあと、
交番の中から駅前の雑踏へ一歩出た時、
彼がすっと手をつないできた。
子供が親の手を握るみたいに、
躊躇なくなんとも自然な感じでさ。

僕の一瞬の戸惑いを感じてか
彼は急いでその繋いだ手を離して
「ごめんなさい」って言う。
多分、家族と出かけたときにはそうしているんだろうね。
緊張した交番から出てほっとしたところで
ついいつもの習慣で手を握ったんだと思う。

僕は、そんな彼がほほえましくてさ、
「いいよ、いいよ、帰りは手を繋ごう」って言ったら、
すごく嬉しそうに再び僕の手をしっかりと繋いだ。

背の高い無邪気な中学生と、
この、おじさんとも兄ちゃんともつかない
微妙な僕は、
しっかりと手を取り合って商店街を歩く。

手を繋いでいることで
何だかかとても安心して親近感が沸いてくるのは
彼も同じみたいで、
先ほどまでとは違いずいぶん気さくに話しかけてくる。

「名前はなんていうの」

「としはいつく?」

「今日はどこまでかえるの?」

矢継ぎ早にいろんなことを訊いてくる。

僕が答えるごとに「ふぅ~~ん」って大きく頷いて
そのことを何度も繰り返していたね。

人に質問だけをしたのではいけないと思ったのか、
次に彼は、自身の個人情報とやらをいくつか披露してくれた。
彼の家ははじめの交番のすぐ近くにあって、
普段ひとりではあまり出歩かないこと。
同じ街にある養護学校に通っていること。
今日家に帰ったら、交番で書いた届出の控えを
ちゃんと家の人に渡さなきゃいけないと思っていること。

そんなことを、彼は手を繋ぐ僕に教えてくれる。

そうしているうち、文房具屋の店先で突然彼が立ち止まる。

彼の一心に見つめる先には、
アンパンマンやケロロ軍曹なんて書かれた
ぬりえ絵本のブックスタンドがあるんだよ。

僕が「これ好き?」って訊くと、
「うんっ!」ってにっこりと頷くからさ、
「じゃぁ欲しいやつを買ってあげるよ」って言ったんだ。

「ううん、いい。」って頭をぶるんぶるん横に振るからさ
なんか不味いことを言ったのかと思ってると、
「今度お母さんに頼んで買うからいい」って言いながら、
再び僕と手を繋ぐとすたすたと歩き出すんだ。
多分、ものすごく欲しいものなんだよね、彼にとっては。
それで思わずそれを見つけたとたんに立ち止まってしまった。
でもおそらく彼の親からは、
人に何かを買ってもらったりしてはいけないって
言われているんだろうね。
何度も言われているんだろうね。

「僕はちゃんと言いつけを守るんだ」
っていう顔をしながら彼は歩く。

こうやって手を繋いで一緒に歩いていても
なんだか弾むように頭を上下して歩くのは変わらず、
横で見ていても操り人形みたいだなぁって思うよね。

僕達は手を繋ぎながら過ぎてゆく。

ここはカラオケ屋、
次がジーパン屋、それから家具屋、
隣の畳屋はもう夕方には店仕舞いでシャッターが降りちゃった。
少し行って、天神様、
くず餅屋にラーメン屋。

そしてその先には、相変わらず人気のない交番。

さぁここまで着いたねぇ、って言いながら
僕が彼を見ると、
目をしっかりと閉じたまま横に立っているんだ。
彼の顔には夕暮れの陽が当たっているので
どうやらそれが眩しくてそうしているらしい。

「ここからひとりで帰れる?」

「うんっ」って目をちょこっとだけ開いて彼は答える。

「じゃあね」と僕が、

「うん!、じゃあね」と彼が、

それだけ言ったら、
くるっと回れ右して、そのまま河辺の道を走り出す。
黄色のTシャツを着た操り人形が、
頭を上下しながらひょこひょこと走って行く。
僕はちょうど横断歩道を渡ったところにある橋の上から、
しばらく見ていたんだけれど、
結局一度も振り返らないまま彼の姿は見えなくなった。

家までの道を、僕はまたひとりで歩き出す、
手に持った香水の袋を握り絞めながらね。

都営団地の角を曲がって裏通りに入ったら、
左手に郵便局の大きな看板を見ながら
後はうちのマンションまで真っ直ぐに歩くだけだ。

僕は、山吹色した道を
彼を真似してぴょんぴょんと走ってみた。

袋の中で香水が揺れた。


------------------------- 2007 春 ---










去年の暮れ、
このキムラヤの店舗は他の店に変わり、
今はもうこうやって
亀戸への道を歩くこともなくなってしまいました。
ほんのしばらく見ない間にでも、
通りも街も変わって行きます。
でもね、
この次にはそこにどんな新しい風が吹くのかを
楽しみにできる自分でいたいなぁと、
そんな事を思いながら・・・