ターザンが教えてくれた

風にかすれる、遠い国の歌

どうしてその仕事をしたんですか。続・テキ屋編

2006-05-23 11:42:19 | モノローグ
夏の祭りには夕立ちがつきもので、
真夏の神社の境内はいきなりの雨に驚いた子供たちが
蜘蛛の子を散らすように右往左往して大混乱です。
露天商の兄ちゃんたちも「こりゃ、どうしようもねえな」
とばかりに、あきらめ顔でポータブルラジオの
野球中継に耳を傾け、大粒の雨は屋台店の
赤や空色のテントをぶるぶると震わせていました。

端から見ると、テキ屋の兄ちゃんたちは口調も荒く
はじめは正直すごく不安だったのだけど、
実際はそれまで会ったどんな人よりも
彼らは親切で暖かで情にもろい人々でした。
お昼におなかが空くのでホットドックを買おうとしても
絶対にお金を受け取らないのです。
何故なら、「ここではみんな家族だから、
身内から金は取らないよ」と言っていましたね。
新参者のイスラエルの浮世絵売りを
みんなは本当に気遣いかわいがってくれました。

いつもしとやかでやさしい眼差しのジバは
好奇心旺盛でやんちゃ坊主みたいなハイムとは
もう本当にお似合いのカップルで、
それは一緒にいる僕から見ても気持ちのいいものでした。
というより彼らに憧れていたんだよね。
自由に世界を飛び回る素敵な彼らに。

ふたりと一緒にいることが大切で、とても心地良かったんです。
同じ風景を走って、同じ夜風に吹かれて、同じ音楽聴いて。
ずっとこの関係が続くといいなぁと思っていました。

ある日、僕らが昼食を食べに町の食堂に行った時のことです。
皿うどんなんかを注文した厳格なベジタリアンのジバは
料理の中からかまぼこの小片を見付け出すのに夢中です。
そんなジバの傍らでハイムは持っていたかばんより
いくつかの写真を取り出すと僕によこしました。
ハイムたちがそれまで巡った世界中の風景、僕の知らない国々。
バリの砂浜で何かの草に酔って波と戯れている
ハイム自身の写真を見せながら
「夏の終わりにはこのバリ島に出発する、
是非おまえも一緒に行こう」って僕を誘いました。

それまでにもハイムが会話の中では
僕に向って"I like you"とは言っていて、
仲間として認めてくれているんだとは思っていましたが、
「これからも世界のいろんな所に一緒に行こう」
との言葉はほんとうに嬉しかった。

その後間もなくすると、もともと単独行動派のアッシュは
ひとり次の目的地フィリピンへと旅立って行きました。
夏の祭りを追いかけながら、ふたりと楽しく日々を過ごした僕は、
結局彼らと一緒に飛行機に乗ることはありませんでした。

明日はもうバリ島へと向うために
これで最後になる浮世絵売りの仕事の帰り、
もう会えなくなるんだなぁと思った僕が
少し泣いてしまった時、
ジバはいつものやさしい声で手紙を書いてねと
イスラエルの自分たちの住所を教えてくれ、
ハンドルを握るハイムは
故郷の歌を大きな声で歌ってくれました。
車内ではひと夏を過ぎても売れ残った浮世絵が
カーブを曲がるたびにカタカタと音を立てていました。

それから出発前の成田より一枚の葉書が届きます。
気が変わったらいつでも僕らのところへおいでと。
君に教えた住所へ手紙をくれれば
僕が何処にいてもわかるようになっているからと。

でもね、やっぱりイスラエルへの手紙は出せなかったよ。
自分には勇気が無かった、
それに、あの時ほんとは僕は・・・。

わからないことは、ずっとわからないままに。
その方がいいこともきっとあるんだ。

その年最後の夏祭りが終わる頃、
僕は2ヶ月ぶりに普段の生活に戻り、
いつの間に高くなった空には
秋の風が吹きはじめていました。


どうしてその仕事をしたんですか。テキ屋編

2006-05-15 15:20:31 | モノローグ
隣町にある氏神様を祭った小さな神社では
毎年盛大な夏祭りが執り行われていて、
今年も全国を駆け巡るテキ屋たちが
軒並み古ぼけた屋台店を並べます。
夕暮れ時になってそれぞれの店に明りが点ると
そこはまるで、昔話から突然抜け出してきたように
懐かしく心浮き立つような夏祭りの情景が出現したものです。

りんご飴、金魚すくい、たこ焼き、射的に見世物小屋・・・

そんな中に浮世絵をたくさん並べた店がありました。
デザインだけをコピーして作ったと思われるその浮世絵は
メタリックでキラキラと輝いてとても人工的な代物。
そしてそれらを売っているのは日本人ではないのです。
ほら、ちょうどバブルの頃にはよく道端で絵を売っている
外国人いたでしょ、あれですよ。
でも、その時はまだバブルの気配さえない頃で
その物珍しさに人だかりがしていたのです。
そして、自分もその客の中の一人でした。
売り子であるひとりの男性はにっこりと
片言の英語で僕に話しかけてきます。
浅黒い肌に目尻の下がった大きな瞳、
中近東の香りを漂わせたその男の名はハイム。
その夏を特別なものにするのに十分な名前でした。

彼らの母国は遠い国イスラエル。
そして、もう何年もかけて
世界中を巡っているところでした。
他国でお金が底をつくとこうやって
日本に稼ぎにやって来るのです。

ハンサムで人懐っこいハイム、
とてもやさしい声で話す美しい女性はジバ。
それにもうひとり、
何故か空色のつなぎを着込んだ坊主頭のアッシュ。
少し神経質なハイムとは対照的にゆったりとおおらかで
彼の口癖は「どっちでも、OK!」。

彼らが話すのがカタコトの英語ならば
こちらも負けず劣らずの英語っぷりで
身振り手振りで面白おかしく話すうちに
彼らの天真爛漫な自由さに惹かれた僕は
いつしか、その露天の浮世絵売りの仕事を
一緒に手伝うことになっていました。

彼らには二通りの商売の場所があって
ひとつはこの前みたいな祭り会場、
そしてもうひとつは、夜の繁華街で
気のいい飲み屋の店の前の道路を借りての
言わば路上販売。
酔っぱらいやホステスさんの行き交う街角で
オレンジ色の白熱灯を点して売るのは
あの鮮やかに輝くニセモノ浮世絵。
そこで客を呼び込むイスラエル人たち。
その光景が妙にエキゾチックで
自分にはとても魅力的に映っていました。

週末は各地で開かれる夏祭りに出向き
平日は路上販売という具合で仕事をこなし、
夜は公園に止めた1BOXのレンタカーで眠るのです。

ある日こんな事が起こりました。
路上販売を警察に禁止されてしまったのです。
いきなりやって来て「今すぐに撤去せよ」と
言われるままに並べた絵を車に片付けると
その後ハイムたちは口数少なく肩を落としたまま
いつもの公園へ帰って行きました。
彼らは寒い気候が苦手らしくて
秋が来る前には日本を離れる計画だったらしく
思うように貯まらない資金に
かなりあせっていたようでした。

次の日、これからどうするんだろうと
気が気ではない僕が見たのは
彼らのもう飛びっきりの笑顔でした。
「駄目なものはしかたない、次の手を考えるだけさ」
とばかりに緊急鳩首会議が開かれます。
浮世絵を仕入れている会社に連絡を取り、
近県の神社をくまなくリストアップした後は、
祭り会場一本で稼ぐ事しか出来ないのですが。

この時、僕は本当に驚いたんです。
何年もかけて世界中を旅する人たち。
僕には想像もつかない強い精神の持ち主なんだろう
と勝手に信じていたんですね。
しかし、彼らは何か問題が起こる度に落ち込んだ。
明日をも知れぬくらいに意気消沈していた。
でもね、次の日には復活するんだ。飛びっきりの笑顔で。
未熟な僕はそのとき初めて本当に強い事の意味を
教えてもらったような気がします。
折れないことが強いことではないんだ。
もう一度前を見ることなんだとね。


             続・「テキ屋」編へ続く。

どうしてその仕事をしたんですか。照明さん編

2006-05-11 16:09:27 | モノローグ
もともと照明さんを目指したわけではないのですよ。

昔ね、うーんと昔なんだけど、
好きな歌手のコンサートに行ったら、
座った席がPAミキサーの後ろだったことがあって
「うわっ、これは面白そう」と興奮して眺めたのが始まり。

いつしかコンサートの音響さん目指して
ようやくその世界に飛び込んだのはいいけれど、
これがまぁたいへん。
きつい仕事なのはわかっていたんだけど、
10mの巻かれた重いケーブル運べない。
ばらしたスピーカー大きすぎて持てない。
本番前は緊張でおなか痛くなるし、鼻血も出した。
「なんだか、自分には向いてないのかなぁ…」
なんて意気消沈していたんだよね。

舞台の仕込みには順番があって
大道具さん、照明さん、音響チームで時間を割り振る。
自分たちの出番を待つ間、音響のチーフなんかは
いろいろとその場で変化する状況に対応して
プランを細かく調整したりする仕事で忙しそうなんだけど、
なにせこちとら下っ端、着々と出来上がってゆく舞台を
遠巻きに眺めるしか仕事はありません。

舞台の仕込みの中で一番目を引くのが照明さんなんだよね。
全身真っ黒ないでたちで鮮やかな色のライトを自在に操って。
特にその最終調整の時などには
会場の灯り、非常灯も全部消して真っ暗の中、
ライトをひとつひとつ点してゆく様は、
もうね、空色、ピンク、赤、ビリジアン、紫色した
色とりどりの透明のゼリーだね。もぅほんと綺麗。

その頃の自分にとって音響とは自分を鼓舞させ興奮するもので、
正直少しそれらに疲れていた頃に見た舞台照明の明かりは
とても綺麗でなんだかすごく癒された感じがしたんです。

でね、とらばーゆしちゃった、照明さんに。

田舎の小さな照明屋の出向く先は
九州を3ヶ月かけてくまなく巡る演歌歌手の「どさまわり」。
これはねもうすごいよ。
真夏の村の体育館なんてのから、
町の税金使って建てた立派な公民館の巨大ホールまで
もう状況のレンジがすっごい大きいの。
自分的には社会科見学だと思ってやってた。
どの看板さん(主役)も名の通った人なんだけど、
TVなどのマスの人気と
リアル・ローカルな人気は全然違ってたりしてね。
水前寺清子と瀬川瑛子がタッグを組んでも
「岸壁の母」の二葉百合子にはかなわないんだよねー。

つくづく日本人は涙が好きなんだと思った。

僕は主にピンスポットが担当だったんだけど、
これらの看板さんたちのオーラにはびっくりしたね。
ピンスポットっていうのは、ホールの天井近くから
ステージを狙う手動の大きなスポットライトでね、
ちょっと大きな会場だと投光の距離も長く
その分かなり強力な光を当てるんだけど
この人らはそれを跳ね返すの。バンッ!って。気持ちで。
で、自分で輝き出すんだよね。良くも悪くも。
これはほんとうにすごいよ。
そんなオーラを持っているからプロなんだけどさ。

照明の光の粒は自らの重さをを持っていて
その粒がものに当たって発光する様が面白かった。

今でもねライブ会場では本番前にはそわそわしてしまう。
もちろん自分は客なんだけどね。
ホールの上の方とんでもなく高いところに
スタンバってるピンスポさんには心の中で労いの言葉を。
で、1ベルが鳴るとこちらも急に緊張して
胃がきゅーっとなったりしてね。
「どうぞミスがありませんように」って祈っちゃう。
僕にとっては、演奏間違い、歌詞忘れなんかよりも
音響、照明のミスの方が残念度が大きいもの。

舞台芸術っていう魔法にかかってるんだよね、きっと。
演者も裏方も、そしてお客もね。
日常とは切り離された空間で
日常では出来ない何かを起こせるかもしれない、
という思いに自らのエネルギーを注ぐ人々。
そんな人たちを僕はかっこいいと思った。
限られた時間だったけど
自分もその人たちの中に居た事を幸せだと思うよ。
・・・すごくね。