ターザンが教えてくれた

風にかすれる、遠い国の歌

彼の味がする  3

2008-08-20 20:39:36 | 物語という昨日

耕一がアーケードの入り口へ向かって戻って行くと、
途中で一軒の雑貨店が目にとまった。
店の前には木製のワゴンを出して
色とりどりの輸入菓子が山盛りに並べられている。

耕一は開け放されている扉をくぐってその店に入ってみた。

店内に入ってちょうど正面には、
大きな人工のバナナの木が設えてあり、
鮮やかな黄色のバナナの実の形をしたぬいぐるみが
たくさんぶら下げられていた。

耕一は順にその店の中を見てまわった。
外から覗いていたときには
店の中にはこれでもかと言うほどの
たくさんの色彩が溢れていて、
いったいこの店の客は自分の欲しいものを
どこでどうやって見つけて買えばいいのだろうかと
そんなことをぼんやりと思っていたのだけれど、
こうやって間近に商品を眺めていると、
次第にその陳列の仕方に特徴があるのがわかった。

あるコーナーでは薔薇に関するものが集められていて、
薔薇のお茶のセットから、酒、シロップ、石鹸、
そして薔薇の造花までが所狭しとディスプレーされているし、
また、別の場所には、ライムグリーンの子供用の傘を中心に
ライムの酒や菓子はもちろん、黄緑色した外国の洗濯洗剤や、
洒落たグリーンのボトルに入った芳香剤がまとめて並べられていた。

ゆっくりと店内を一周して
ちょうど店の一番奥にあるレジの右の棚に
袋に入ったキャンディーが並べられていた。
耕一はその棚を端から順にパッケージを
手に取りながらひとつずつ丹念に見ていった。
時間をかけて吟味したあとで、
耕一は透明のパッケージに鮮やかな果物の絵と
シュガーフリーと大きく書かれた商品を選ぶと
レジに持って行きその代金を支払った。

レジの店員が店のロゴの入った紙の袋へ入れようとするのを
耕一は「そのままでいいです」と言って断わると、
店員の見ている前で、今買ったキャンディーの袋を
肩から斜めに提げた自分のバッグへ入れた。

彼をこの店に連れて来たら
とても面白がるだろうなと耕一は思った。

お互いにそれぞれの抱える仕事が、
このところにわかに忙しくなってきていて、
しばらく彼と会えない週が続いていた。
今度の週末にはようやくふたりが会えるかなと思っていると、
耕一が急な出張に出掛けることになったり、
また、ある時には彼の方が休みを返上して
仕事をすることがあった。

今週になっても
やはり週末はお互いに忙しく、
ようやく取れた耕一の休みも週の中ほどになった。
彼は耕一に合わせて休みを取りたがったが、
その日はどうしても抜けられない仕事のために
早朝からこの街にある自分の勤める会社にいた。

そして彼は、いつもの手馴れた仕事なので
午前中には十分に終わらせることが出来ると言い、
駅前にあるバスターミナルで待ち合わせをしようと
そう耕一に提案した。
そうすれば遅くともその日の午後には
ここでふたりは会うことが出来る。
耕一も彼のアイデアに喜んで賛成した。


耕一はアーケードを出て駅に向かって歩き出すと、
羽織っていた薄手のシャツを脱いだ。

容赦なく照りつけている頭上の小さな太陽が、
どこまでも真っ直ぐに射し込んで、
汗で光る耕一の肩を熱く焦がした。

彼の肌を覆う淡いブルーのタンクトップが
じわりと濡れてその身体にぴったりと
張り付いているように見えた。
首の付け根から背骨を挟んで肩から脇へと広がり
背中を厚く覆っている強靭に鍛えられた筋肉は、
彼が腕を振って歩く度に収縮を繰り返して
異様な大きさに盛り上がった。

ウエストから膝のあたりにかけて
少しルーズなシルエットにデザインされたジーンズの中では、
まるで人体模型をほうふつとさせるように大きく肥大した筋肉が、
両足全体にくっきりとその形を浮かび上がらせていて、
耕一がゆっくりと大きなストライドで歩く度に、
ジーンズの厚い生地を押し広げてその存在を誇張していた。


約束の時間ちょうどに
耕一はバスターミナルへ着いた。

綺麗に整備された駅前の広場は
煉瓦色の四角いタイルが規則正しく敷き詰められていて、
彼の乗った路線バスが到着するターミナルも
ちょうどその一角にあった。

広場の周囲には背の高い街路樹が植えられていて、
ときおり吹き抜ける風が
その大きく張った枝を上下に揺らした。

バスのターミナルには、
すでに人の列が出来ていて、
誰もがバスの到着を黙って待っていた。

耕一はその乗客の列から少し離れた場所に立つと、
肩に下げたバッグの中から先ほど買った
キャンディーの袋を取り出した。
透明の袋の中には一粒ずつ小分けに
包装された飴がいっぱいに入っていて、
耕一はその中のひとつをつまみ出すと
パッケージを破いて中の飴を自分の口に入れた。

街路樹の間を通って来た風が、
広場の中心へ向かって吹き抜けていった。
この街の匂いを含んだ熱く乾いた風は
耕一の焼けた肩を撫ぜたあと、
バスを待つ乗客の持つ華奢な日傘を揺らした。

ほどなくすると、
広場の右端にある信号を通って、
クリーム色した路線バスが進入して来た。
そしてそのまま、
今しがた客を乗せて走り出した
地元のタクシーの後ろについて
ゆっくりとターミナルへ向かって進んだ。

バスを待っていた乗客たちが、
それぞれの荷物を手に持ち直して
自分達の並んでいた列の間隔を詰めはじめると、
耕一の周りには誰も人がいなくなった。

バスはターミナルの手前で限界まで減速した後、
もう一度ゆっくりと前進して止まった。
太陽を照り返すクロームメッキの窓枠が、
鈍く輝きながら小刻みに揺れた。

耕一はバスの乗降口がちょうど正面に見える位置に
両足を大きく広げて立ち
胸の前でしっかりと腕を組んだ。
日差しを白く反射するバスの窓の中には、
ここでバスを降りようとする人の影が
それぞれに立ち上がって中央に集まるのが見えた。

乗客を降ろすために
バスの中ほどにあるドアが開くと、
最初に乗降口近くの優先席に座っていた年寄りたちが
ステップの脇の太い手すりに掴まりながら降りてきた。

耕一は、先ほど頬張った飴をゆっくりと
口の中で転がしてみる。
砂糖とは違う人工的な甘さが口に広がった。

彼は乗客の一番最後にひとりバスを降りてきた。
バスの中からすでに
腕を組んで立っている耕一の姿を見つけていたらしく、
強い日差しの下で彼は眩しそうに目を細めながら
いつもの人懐っこい笑顔で片手を上げると、
耕一へ向かって真っ直ぐに歩いて来た。

背後から強い風が吹いて
彼の着ているシャツの裾を翻(ひるがえ)し、
広場いっぱいに鳴いていた蝉の声は
一斉に聞こえなくなっていた。

耕一は下の顎に力を込めて口の中の飴玉を砕いて割った。
よく熟れた桃の香りがした。

これ以上ないほどの幸せが
耕一の顔いっぱいに広がった。




                 おわり









 -----------------------------------



このような稚拙な文章を最後までお読みいただき
こころよりお礼申し上げます。

最初にもお話したように、
この物語はおそらくこの自分自身にとっての
おとぎ話といいますか、
ほんのひとときの「夢」なのだと思います。

どうしようもなく暑く湿った夏の風の中で
こんなふたりのこんな関係があったとしたら
それはささやかな一服の清涼剤となってくれるのではないか。
そんな事を願いながら
この物語を書き進めていたように思います。

耕一と彼のふたりの関係においては
ドラマティックな場面はどこにもありません。
ただ淡々とふたりの時間が流れてゆくだけです。
でもその生活の中には当然として
嫉妬や喧嘩や我侭な感情なども起こるのですが、
もうすでに彼らふたりは大人なのです、
大抵のことは自分の中で整理をつけることが出きるのです。
そしてその事が結局のところ
お互いの幸せというものに繋がってゆくのだということを
理解しそしてそれを実行する理性というものこそ
本来の意味での大人の男というものではないかと、
そんな希望も込めて書きました。

そして、それらの成熟した理性というものを
大きく包んでいるものが極度に発達した肉体だとしたら、
その姿は一種のエロスだと言ってもいいのかも知れません。


最後までお付き合いいただきまして
本当にありがとうございました。



 ----------------------------b-minor





ゲイ小説

彼の味がする  2

2008-08-19 20:08:59 | 物語という昨日


通りの脇には所々に街路樹が植えられていて、
そのどれもが青々として分厚く大きな葉を広げている。

陽を受けた葉が幾重にも重なって影を作りながら
道路の上に複雑なグラデーションを映し出していて、
街路樹の下に差しかかる度に、
耕一の身体に歪んだ葉っぱの形の奇妙な影が踊った。

汗が首筋からシャツの襟を抜けて背中へと伝い流れた。
この炎天下をこうして道路沿いを歩いている
人の姿はまばらで、自転車に乗った数人の学生だけが
耕一を追い越して歩道を走って行った。

そうやって耕一が歩いて向かったのは、
すでに目前に見えてきたショッピングアーケード。
大きな屋根の付いたアーケードの入り口には、
もうすぐ開催される夏祭りの催しを知らせる
巨大な横断幕が吊り下げられている。

耕一は左右に続く様々な店の並びを眺めながら
ひとりゆっくりと歩いた。
少し覗いてみようかと思う店もあったが
足を止めることはなくそのまま先へ進んで行った。
通りの両側に規則正しく立っている街灯の支柱には
鮮やかなブルーの花飾りが涼しげに揺れていて、
その花飾りの下には、
それぞれの店の屋号をどれも同じ書体で書いた
大きな看板が並べて掲げられていた。

アーケードのちょうど中ほどまで来ると
大きな呉服屋のすぐ隣に喫茶店があった。

ドア全面に幾何学模様のレリーフを施した
重い飴色の扉を開けて中へ入る。
カウンターの中の女性は、
手元に広げた雑誌から顔を上げて耕一を見ると
「いらっしゃい」と会釈をして言った。

ちょうど窓際にあるテーブルが空いていたので、
そこに座ってもいいかと耕一が指差して伝えると、
その女性は笑って、
「誰もいないんだもの、どこでもお好きな場所へどうぞ」
と言って銀の盆を手にカウンターから出て来た。

エンジ色の硬いソファーに腰を下ろして
テーブルの脇に立っている小さなメニューから
耕一は、当店おすすめスペシャルブレンドというのを選んだ。
そばに立って注文を聞いていた女性は、
「はい、ブレンドね」と言った。
メニューを二つに折って元に戻しながら
その隣に置いてある火の点いていない
大きなキャンドルを耕一は手に取ってみた。
淡い象牙色をしたそのキャンドルは、
顔を近づけると蜂蜜の香りがした。

耕一はコーヒーが出来上がるまでの時間、
女性が運んできた冷たいグラスの水を口にしながら、
薄いレースのかかった窓から外を歩く人並みを眺めた。



耕一と相手の彼の付き合いは
あれからも順調に時間を重ねていた。
付き合い始めた頃のお互いに新鮮な感情は
少しずつ信頼と言うものに変わっていて、
何よりもまたお互いがお互いを必要としているということを
きちんと認識していたと言うことが
これ以上ないほどに耕一自身を
満ち足りた気持ちにさせていた。

ふたりが付き合い始めて間もなく
この街の夏祭りに出向いたことがある。
市内のちょうど真ん中を大きな河が横切っており、
その川原ではこのような地方都市には
不釣合いに思えるほどの規模で盛大な花火大会があるというのが
この祭りの最大の催しになっていた。

待ち合わせの場所へ彼は真っ白なポロシャツに
ジーンズという姿でやって来た。
胸から両方の肩へ向けて筋肉が盛り上がり、
日に焼けた上腕はポロシャツの袖口をいっぱいに押し広げている。
遠目に見ても彼はたいへんに均整のとれた身体をしていた。
このような美しい彼がこの自分の恋人でいいのだろうかと
耕一はひとり思うことがあった。
そんな自分の事などまったく意に介さない素振りで
彼は無邪気に笑いながら耕一に向かって手を振っていた。

花火見物の人並みの中で、
耕一と彼のふたり連れを、すれ違う誰もが振り返った。
それほどに彼らは目立っていた。
耕一はブルーのシャツの袖をまくり、
胸元のボタンも大きく開けたままで羽織っている。
人の動きに沿って丁寧に仕立てられたシャツは、
耕一の体に滑らかに張り付いていた。
その日焼けして浅黒い肉体は一緒に歩く彼に比べて
さらにもう二周りほど大きく筋肉が発達していた。

車の乗り入れが規制されているエリアに入ると、
川岸へと続く道路沿いにはたくさんの屋台店が連なって
どの店にも地元の子供たちが群がっていた。
子供たちの無邪気な横顔も、
それに混じってはしゃぐ浴衣を着た学生のカップルもまた、
屋台店が灯すオレンジ色の明かりに照らされて、
誰もがスローモーションのように映った。

耕一と彼は人の流れに上手く乗って
そのままでちょうど花火会場の川岸の土手へと入ることが出来た。
堤防の上に一家総出で店を構える屋台で耕一はビールを3本買った。
裸で渡された濡れたビールの缶を左の脇に抱えながら、
片手でポケットから財布を取り出すと、
そこで働いている中で一番若い従業員に代金を支払った。
白いタンクトップを着て真っ黒に日焼けした坊主頭の小学生は、
両手で小銭を受け取りながら「どうもありがとう」と言って
耕一を見上げるとにっこりと笑った。

耕一と彼が川岸の草の上へ腰を下ろすと、
夏の夜がふたりをすっぽりと包み込んだ。
ふたりは肩を並べて耕一が差し出した缶入りのビールを飲んだ。
水面(みなも)は風が吹くたびに大きくうねると輝きを増して
その風がひと時止んでしまうと、耕一の右の腕あたりに
隣に座る彼の体温がかすかに伝わった。
声をひそめたさざめきが周り中で聞こえていて
それが尚更に、
これから始まるこの夏一番の花火への期待を盛り上げていた。

対岸から打ち上げられる花火は、
観客を飲み込んでしまうのでないかと思える程の
非常に近い距離で爆音と共に炸裂した。
これ以上もう少し距離が狭まるか、
もしくは花火の規模が大きくなったら
見ている者は恐怖をおぼえるだろうなと耕一は思った。
風向きの具合なのか、
空いっぱいに大きく広がった花火から、
燃え尽きる前の色とりどりの火の粉が
観客の上に降って来ることがあり、
その度に周り中から大歓声が上がった。

連続して盛大に花火が開くと、
観客は一斉に拍手をしてそれに応えた。
その度に彼は、
手に持ったビールを耕一に渡し
自分も一緒になって手を叩いて喜んだ。
耕一は両手に冷えたビールを持ったまま、
空を見上げて歓声を上げた。

工夫を凝らした仕掛け花火が続いたあと、
そろそろ最後の打ち上げが始まるという頃になって、
耕一は彼の手をそっととった。
耕一の大きな掌(てのひら)が強く彼の手を握りしめると、
黄金(こがね)色に輝く夜空を仰ぎながら、
彼は横顔のままゆっくりと目を閉じて微笑んだ。



ぼんやりと窓の外を眺めていた耕一が
店内いっぱいに広がった
香ばしい珈琲の香りに気付いて振り返ると、
すでにカウンターからは手に珈琲の乗った盆を持って
女性は耕一のいるテーブルへやって来ていた。

お待ちどうさま。と微笑みながら、
とても丁寧な手つきで女性は珈琲をテーブルに置いた。

コーヒーカップの乗った皿には、
珈琲と一緒に形が不揃いの小さなクッキーが添えてあった。
耕一がそのクッキーをひとつ指でつまんでみると、
カウンターに戻った女性は、
「それね、私が焼いたのよ。もしよかったらどうぞ食べて」
そう言って耕一がそのクッキーを頬張ったあと、
ゆっくりと珈琲を口にするのを黙って見ていた。

「おいしいです」

そう耕一が言うと、
女性は、「嬉しいわ、ありがとう」と言って明るく笑った。
本当にその珈琲も手作りのクッキーも
予想を外れて素晴らしくおいしかった。

「それね、中に無花果と胡桃が入ってるのよ」

「たまに気が向くとこのクッキーを焼くの。
 ほのかな無花果の香りが店の珈琲に合うかなと思って」

耕一が感心したように何度も褒めると、
女性は恥ずかしがってしまって、
大袈裟に品をつくりながら自分の手で顔を隠した。
女性の笑い声につられて
耕一も一緒に大きな声で笑った。

残りの珈琲を飲んでしまうと、
耕一は席を立った。

ポケットの財布の中から
小銭を代金ちょうどに揃えて
カウンターの端に置いてある皮でできた小皿に乗せると、
「よかったら、またどうぞ」と女性は言った。

耕一は「ごちそうさま」と珈琲の礼を言い、
店のドアをゆっくりと外へ向けて押して開けた。

熱い夏の風が足元から耕一を包んだ。



               つづく
 




ゲイ小説

彼の味がする  1

2008-08-18 21:17:02 | 物語という昨日

夏はまだ盛りで、
高気圧の渦は小笠原沖に居すわり
少しも動く気配のないままに
今日もまた記録的な猛暑だったと
夕方のテレビのニュースは伝えます。

身もこころもとろけてしまいそうな
そんな季節の中に、たとえば
こんな関係があって、たとえば
こんな彼らがいたら
「なんかちょっと、素敵やん?」(笑)

少しばかりむさ苦しい
おとぎ話ってやつですれども、
もしよろしければしばしお付き合いを。。。


----------------------------b-minor






「 彼の味がする 」



私鉄電車の駅から客を乗せた路線バスが、
信号が変わると同時に飛び出して行く他の車より
ちょうど一拍ほど遅れて動き出した。
左手後部にある大きなエンジンは
低くうなるようにその回転数を上げてゆき、
クリーム色したバスの巨体を激しく震わせた。

排気ガスと共に猛烈な熱い風を
焼けた道路に叩きつけながら、
バスは彼が歩く歩道の脇のガードレールを
ぎりぎりのところでかすめたあと、
ゆっくりと車の流れに向かって発進して行った。

真夏の太陽は高く頭上から照りつけていて
足元にはほんの小さな影をつくる。
熱い空気がどこまでも身体にまとわりついて、
彼の肌からは珠のような
大粒の汗が浮き出ては流れ落ちる。

耕一は自分のジーンズの後ろポケットの中を確かめた。
ちょうど掌に納まるほどの小振りの財布は
いつものようにちゃんとジーンズのポケットにあった。
焼けたアスファルトから立ち昇る熱気を
少しでも避けるように早足で歩きながら
交差点をふたつほど越えた先に見える
通り沿いの大きな銀行へ向かった。

よく磨かれて鏡のように街の風景を映している
一枚のガラスでできた大きな自動扉が開くと、
中からは程よい温度に調整された室内の空気が
ひとかたまりになって耕一の脇を吹き抜けた。

入り口を入ると、
お客様案内係りと書かかれた腕章をつけた
年配の女性行員が、入ってきた客の
ひとりひとりに丁寧に話しかけては、
客の希望する手続きの内容によって
大きく番号の書かれた窓口か、
壁際に並んだATMを利用するように促していた。

「あいつはそろそろ仕事が終わる頃だろうか」
耕一はATMの順番を待つ長い列に並びながら思った。

エアコンの効いた銀行の中は
冷房機特有のちょっと埃っぽい匂いがしていて、
それが今の季節を尚更に感じさせる。



耕一は、
自分が初めて相手の彼の家へ行った時のことを思い出していた。
それはまだ7月に入ったばかりだというのに
午前中からぐんぐんと気温の上がった日で、
約束の時間に彼の部屋を尋ねたころには
頭からすっかり汗だくになっていて、
笑って出迎えてくれた彼の部屋に入ると
耕一が最初にしたことは
冷たいシャワーを借りることだった。

彼が案内した風呂場の中には、
身体を洗うための石鹸やブラシ以外には
余分なものが一切ないために
少しばかり殺風景に見えたが、
それは日頃の彼の
何事にもあまりこだわらない
簡素な暮らしぶりをうかがわせた。

うだるような外の世界と打って変わって、
心地良く冷房の効いた彼の部屋は快適で
耕一はパンツ一丁のまま胡坐をかいて座り込み、
相手の彼はその姿を見て笑った。

一ヶ月ほど前にふたりは共通の友人を介して知り合い、
その後はもっぱら外で会うばかりだったので、
そうやって耕一が彼の部屋を訪ねるのはそれが最初だった。
初めて会ったときから耕一は彼の事を
とても好ましく感じていて、
コーヒーショップのテーブルでも、
向かい合わせに彼といるというだけで、
胸の鼓動が次第に早くなってゆくのがわかった。

彼も同じ気持ちだったのか、
別れ際に今度の週末どこかへ遊びに行かないか
という耕一の誘いを彼はにっこりと笑って承諾した。

「あの時、耕一が誘ってくれなかったら、
俺の方から申し込んでいたんだろうなぁ」
窓一杯にブラインドを降ろした寝室のベッドで、
彼はそう耕一に言った。

ふたりでいる部屋の空気がとろりと微睡んで
横たわる彼の呼吸に合わせて
その陽に焼けた肩が少し動いた。

やはり自分の勘は正解だったんだなと
このとき耕一はあらためて思っていた。
こうやって側に一緒にいるというだけで、
自分と他人との間にある薄い境界線のようなものが、
ゆっくりと溶けてなくなってしまうのを感じた。

泊まっていけばいいのにという彼の言葉に
耕一は、「じゃあこの次はそうさせてもらうよ」と
今夜は帰ることにした。
またほんの近いうちにこうして彼の部屋へ
やって来るだろうとは思ったが、
今夜のところは一度自分の家へ戻りたかった。
このままなしくずしに明日の朝までいてしまうことを
どうしてもしたくなかった。

「じゃあ、またな。電話するよ」

そう言いながら靴を履いて顔を上げると、
耕一は側に立っている彼を正面から抱きしめた。
骨格のしっかりした彼の身体は、
相手に合わせて上手く力を抜いたまま、
耕一のまわす腕の中にすんなりと納まっていた。
その感触をとても嬉しく思っているところで、
耕一は先ほどからずっと鼻をくすぐっていた
甘くいい香りの正体を見つけた。

桃の香りのするキャンディー。
それを彼は頬張っているのだ。

その男らしく端正な顔立ちにして
甘い飴とのコントラストに
耕一は彼の顔を覗き込んで笑った。
そして、
耕一は彼の口の中から
舌先だけで器用にその飴を自分の口へと奪った。

今度は、彼が声をたてて笑った。

耕一は彼のマンションを出ると
最寄の駅へ向かう道をひとり歩き始めた。
こんな夜になっても一向に気温は下がらず、
そのぬるく湿り気を帯びた風は、
耕一の着ている服の生地をすり抜けながら、
もうすぐそこにまで本格的な夏が来てるということを
はっきりと知らせていた。

耕一は先ほどの飴を舌の上でゆっくりと転がしてみる。
とたんに口の中に広がる
甘くとろけてしまうような果物の香りは、
これ以上ないほどに耕一の気持ちを惑わせて、
そして、すぐにでもまた彼に会いたいと、
そんな風に強く思っていた。



耕一の順番が来たので、
一番奥に並んでいる「お引き出し」と書かれたATMを使って
手早く手続きを済ませると、
いまだに続いている長い行列の横を抜けて
出口にある自動ドアへ歩いた。

銀行の入っているビルから一歩外へ出ただけで、
瞬く間に暑い風が襲ってきて、
歩き出した耕一の身体中から
みるみる汗が噴き出して来る。

4車線ある大通りを向こうへ渡るために作られた歩道橋が、
今、耕一がいる場所からは随分と遠くに離れて見えた。

車の流れはあるひとまとまりの間隔ごとに、
上下線共に走行車のいない瞬間ができていた。
耕一は眩い太陽を遮るために
自分の額に片手を当てながら
左右を確認すると道路の向こう側へ一気に横断した。

額から手を下ろして腕の時計を見ると、
約束の時間までにはまだ随分と時間があった。

耕一が駅とは反対の方向に向かって歩き出すと
足元で焼けた砂埃が舞った。



               つづく





ゲイ小説