清見寺に行きたいと思ったのはかれこれ二十数年前のことです。
当時、私はある結社で短歌を勉強しておりました。
その結社の創刊者である方を先師とお呼びしておりましたが
その弟子である私の師が歌会の折などに よく先師のお歌を引き合いに出されては
歌の詠み方を説いて下さっていました。
その先師は万葉学者森本治吉であり、
歌集の最初の頁の旅の一連が清見寺で詠まれたものだったのです。
幾度もいくども読み返し、暗誦し 歌の流れの素晴らしさに浸りつつも
自己の内面を曝け出して詠む歌人の業のようなものをも感じていました。
そして
いつの日か清見寺ヘ行ってみたいと願うようになっていました。
しかし結社の内側ではさまざまな人間が歌を競うのではなく
ねたみや陰湿ないじめなどで常にごたごたが・・・
歌詠みとはこんなものなのかと思うような醜い面が多々あり
それらを身をもって味わうことになったり、
また良く解らない言葉遊びのような歌が増えて来ていて
私の頭ではそんな世界については行かれないと感じ
次第に短歌から離れてしまいました。
それでも清見寺のことや先師の清見寺の歌の一連は忘れられず
胸にくすぶり続けていたのでした。
そんなことがあっての今回の清見寺詣ででありました。
鐘楼
森本治吉短歌
清見寺さんよりのお借り画像
私の写真よりこの絵を見ながらの短歌鑑賞がより味わい深くなると思います。
何事にも 一生懸命に挑戦されるmimoza様、20数年前の短歌結社で感銘した 先師、清見寺の記憶、強く、深いものだったのでしょう。
実現出来て 良かったですね。
つきませんでした、 短歌、和歌の世界
この他人の作品に惹かれる世界は・・
その同人会の維持に・・昔から難しい
長く一つの団体が続いているのは希で
他人の作品はいい所だけを誉めあっていれば
いいというものでもなく・・最後人間関係
ですね
清見寺のいみがよ~く判りました
私は歌とか歴史にも疎いものです。清見寺に行ったときにもっともっと詳しく見てくればと貴ブログで思いました。
私が行ったわけは、臥竜梅を見るためでした。まだ蕾だったのですが、苔むした幹の臥龍梅を見せていただきました。今年は鎌倉の黄梅(黄金梅、鎌倉黄金とも)という梅を見たいと願っております。
願い事叶う・・・
そんなおみくじは引いていませんでしたが。
願い続けていると叶う日が来るということでしょうか。
清見寺鐘楼の下に立ち、昔の教えを思い出していました。
先師の一連の歌はこの先もずっとこころにあって折々に思いだされる事だろうと思われます。
コメントありがとうございます☆
歴史の好きな方にも向いているお寺と思われます。
またワイコマさんのように鉄道好きなかたにも!!
総門から山門までの間に東海道線が通っていると言う
お寺でもあります。
鉄道が開通したためにこのように様変わりしたのですね。
コメントありがとうございます☆
こんにちは。
短歌を勉強されていたのですね。
俳句や短歌はよくわかりませんが、どの世界にもいろいろあるのですね。
ようやく念願がかなってよかったですね。
清見寺鐘楼の真向かいに植わっている臥龍梅ですね。
家康公ゆかりの梅。
まだ花には早かったようでみることはできませんでした。
鎌倉黄梅・・・瑞泉寺さんへ行った時見たような。。?
ずいぶん前の事でたしかではないですが~
コメントありがとうございます☆
他愛無いことでして・・・
でも思いは実現してこそ。。。と
まあ、しつこく願続けて来たものです。
コメントありがとうございます☆