花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

キサス・キサス・キサス 

2010-06-21 13:10:31 | 家族
Quizas quizas quizas(ナットキングコール)

昨日は父の日でしたね。昨年は21日が先日あった坂井古城マラソンの日でした。前日に実家に帰り、生きていた父親と最後に会ったのはこの日が最後になってしまいました。最後に見た父の大きかった手と元気に歩いていた頃の足も、細く小さくなってはいましたが、今まで生きて来た集大成でもあるかのようでした。でも、逆に会えてよかったなーと思います。
父はこれと言った持病がなかったのですが、一昨年に義弟が自分よりも8歳も年下なのに亡くなってそれがショックだったからか、急に衰えてしまいこれと言った原因もないのに、寝たきりになってしまいました。その前から、仕事で怪我もしてしまい精神的にダメージが大きかったのかもしれませんが。。。
それから、介護生活が家で始まり、母が世話をしていました。肌が弱くて冬場は乾燥するものだからかゆくて何度も母を起こしたり、足が痛くて擦ってくれと起こしたり。。。結構、甘えてもいたのかしら?と思います。
たばこが好きな父でしたが、70前でやめました。仕事でアスベストを吸っていたことがあったようで、肺が弱く衰弱して亡くなっていったのですが、一応の死因は肺水腫と診断されました。亡くなる直前は痰が詰まって辛そうでもありましたが、母が吸引するまでのことはありませんでした。
体が衰えてくると痰がうまく切れなくなります。タバコを吸われる方は注意してくださいね。肺がんの心配はなくても、痰が詰まって呼吸できなくなり亡くなる方もいるとのことですからね。

でも、母との夫婦漫才みたいやりとりは、相変わらずで行けば父がボケで母が突っ込むのりで、可笑しかったです。一時入院した際に父の洗面器に「ぴーまん」って書いてあるのですよ。「いつもボケたこと言ってるから、わかりやすい」と言って母が書いたのですが、悪気はないのです。元気のない父を発奮させようとわざとするのです。父は、放っておくと「死にたい」とか言い出すタイプで昔から酔うと自暴自棄にもなる人だったので、落ち込まないように母なりの、演出でした。父は「わしのあだな、ぴーまんやってひどいなー」と苦笑いしながら介護の人と話てました。

この夫婦の歴史は、よく観てきていますが紆余曲折しながらもずっと側にいて最後を看取った母もエライなーと思います。父側の周りの勧めるがままに離婚してしまったけど、なんだかんだいいながら父の最後を献身的に世話をした母の愛情の深さは尊敬します。

私が結婚する際に、戸籍をきちんとしてほしいからと父と母が離婚してから、もう一度籍を入れたのが12年前でした。あの時、入れてもらってよかったなーと思います。

今月は何かと父を思い出す月です。動画は父が好きだった、ナットキングコールです。なかなか、こ洒落た父であります。

今日も、ご訪問ありがとうございます。


All For You

2010-06-20 16:34:27 | 日記
All For You


安室ちゃんが小学生の頃から影響を受けたのがジャネットジャクソンだそうです。お兄さんが聞いていたのがきっかけみたいで以前、お母さんが書いた本にそう書いてありました。
結構、おませさんだったのね。安室ちゃんってば。

ジャネットのお兄さんといえば、故マイケル・ジャクソンですね。亡くなり方には不明な点があったし、もうすぐ一年です。
マイケルは10人兄弟姉妹の7番目(6男)インディアナ州ゲーリーのアフリカ系アメリカ人街に生まれました。ゲーリーは住民の8割以上をアフリカ系アメリカ人が占めていて、全米で最もアフリカ系アメリカ人の率が高い都市であり、また黒人たちにとっては最初の黒人市長が1967年に出た誇りの土地でもあります。当時は黒人の自己主張が高まりだしていた頃でした。
父はR&Bバンドでギタリストをしていた経験があり、アーティストの道を諦めてギターを大事にしまっていたそうです。ところがある時、愛蔵のギターを息子たちが勝手にいじりまわして弾いていて、初めはカンカンに怒ったものの、息子たちの演奏がうまいことに気がつき「これはひょっとすると貧困から抜け出す手立てになるかもしれない」と思った父は、息子たちに歌とダンスの訓練を授けようと決意。ジャッキー、ティト、ジャーメインと従兄弟とされていた二人(実は他人)で1962年にボーカルグループを結成しました。

翌年、マイケルは兄マーロンとともに二人の「従兄弟」と入れ替わりにグループに入りました。マイケルは幼稚園時代から唄を歌い、1962年には幼稚園で映画サウンド・オブ・ミュージックのエンディング曲「全ての山に登れ」を歌っていたそうです。マイケルは当時5歳でしたが、父の厳しい特訓を受け、兄弟バンド「Ripples & Waves Plus Michael(のち「the Jackson Brothers」と改名)」の一員として頭角を現しました。

初めてナイトクラブで働いた時の収入はわずか8ドルであり、ほぼ無名の状態でしたが、翌年くらいになるとタレントショーやスーパーマーケットのオープン記念に出演することで地道にではあるが徐々に名前が知られるようになっていきます。

1965年には、地元ゲイリーのルーズベルト高校で行われたタレントコンテストでテンプテーションズの「マイ・ガール」を演奏し、見事優勝。1966年に4人の兄たちと「ジャクソン5」(ジャクソンファイブ)を結成してゲーリーのナイトクラブ、ミスターラッキーでデビューしました。1967年にはニューヨークのアポロ劇場にも進出し、大々的なタレントコンテストで優勝もしました。これによりジャクソン5はシカゴのリーガルなどの名門劇場に出演できるまで成長し(当時はまだまだ駆け出しであったため前座の出演でした)この過程でジェームス・ブラウンなど様々なスターのパフォーマンスを勉強しました。

1969年10月シングル「帰ってほしいの」(I want you back)でメジャーデビュー(マイケルは当初8歳の設定でしたが実際には11歳)。リードボーカルとして天才児ぶりを発揮し、何とメジャーデビュー作であるにもかかわらずヒットチャート全米1位にまで上り詰めました。
幼く可憐な感じでありながらビブラートが掛った声がファンを惹きつけました。その次のシングル「ABC」で見事1位を獲得。続く「小さな経験」(The Love You Save)「I'll Be There」も1位となり、デビューから4曲連続で全米チャート1位に送り込むという快挙をなし遂げました。

少年時代~大スターになるまでのマイケルは、貧困から抜け出すための足がかりからお父さんの厳しいレッスンにも耐えながら、有名になるために努力をしていたのでしょうね。
でも、ダンスと歌が大好きで辛いさを感じるよりも、踊ることが楽しくてその喜びの方が勝っていたような感じがしますね。
奇行やいろいろな噂があり、話題にもなった方ですが、少年時代のことを思うと純粋に歌とダンスが好きで、お父さんやお母さんも喜ぶし、親孝行にもなるからと一生懸命に生きていた姿が本当の彼だったのだと思いたいです。
黒人という差別があるアメリカ社会の中で、努力を重ねて才能を開花させ栄光を手に入れた方だと思います。

ご冥福をお祈りします。



ワールドカップ

2010-06-15 15:44:49 | 日記
うちのテレビが壊れました。Kちゃんが5才の時に買ったのでまだ6年です。ある日いきなり「バチッ」と言って電源が切れて、入らなくなりました。最初は何事かと思いましたが、私は何となく呑気なので「明日の朝になったら、また観れるかも・・・」と思って子供たちにも「たまには、テレビのない生活もいいやん」と言ってたのです。
が・・・しかし、2日経ち、3日経っても電源が入らず「マジで壊れたん?」とテレビに話しかけてました。本当に壊れてしまいました。
それでも、呑気なので旦那はテレビを観る時間は元々少ないし「しばらく、テレビなくてもいいやん。慣れよう!」と言って賛成してくれた姉妹たち。チビ雄だけは「えーゲームできひん」と言ってむくれてましたが、知らんぷり。しばらく、テレビのない生活をエンジョイしておりました。
なければないで結構、静かだし、集中しやすくていい感じでした。子供たちも部屋で読書をしたり漫画を読んだりして不自由はなかったです。
チビ雄も最初は、ゲームをしたくて友達の家に通ったりしてましたが最近は畑や田んぼに行ってカエルを捕りに行く方が楽しくなって来てゲームのことは、あまり言わなくなったのでホッとしていたところです。
ところが、今週からサッカーのW杯がはじまったので、母は気になってしかたありません。どっちかと言うと、野球よりサッカーやバスケの方が好きなんですね。
何故かわかりませんが、ボールを11人で追いかけて協力しながらパスをして点数を取るのが素晴らしい!!パチパチって思います。サッカーはボール以外に特に道具を必要とせず、ルールも単純なので、経済水準や教育水準が低い国に至るまで広く普及しています。そんなところが、夢があっていいなーと思うスポーツのひとつです。
特に、このW杯は中村俊輔が出ないかなーと気になってるので今度の試合までにテレビが観たくなって修理をお願いしました。中村俊輔は1997年3月8日 ナビスコカップ予選 vsヴェルディ川崎戦にて公式戦初出場して以来、その年のJリーグ優秀新人賞を受賞するなど当時から注目されていた選手でしたね。
特に中村俊輔の熱烈なファンでもないのですが、何となく感じが末の兄に似ているので頑張ってほしいのです。不器用そうで頑張り屋さん的なところが似ています。口数が多くなくてただひたすら、好きなことに集中している感じがします。末の兄は、真面目なんですがまっすぐで、おまけにシャイだったりします。そして、猫がやたらと好きで仕事で何かあると猫と遊んで癒されてました。
人の見ていないところで、コツコツと仕事も真面目にするのですが、職人なので経営者側の上司とぶつかって、最近、仕事をやめました。父も根っからの職人でした。でも、若いうちから親方について回っていたので、つきあいなどにはまだ柔軟な面があったのですが、末の兄は中学を卒業してから定時制の高校を通いながら父の側で技術を身につけて来たので、ガチガチの職人になってしまった。。。(^^;
仕事のやり方を自分なりの考えや方法を持っているので、上から経営中心の上司に言われるとカチンと来るみたいです。それでも、我慢して仕事をしていたのだけど余程のことがあったのか、ある日、道具を引き上げてやめてしまいました。その理由も誰にも話さず猫と遊んでる日が続きました。反省もしたでしょうね。最近はまた、仕事が舞い込みバイトをはじめたそうです。でも、こんなご時世なので建設業界も大変なようで、仕事があったりなかったり。。。今からの時期は割とあるみたいでよかったです。バイトだけどそれでも、まだ働けるだけ有難いことです。
実家の母も「よかった」とひとまず、安心しています。
中村選手はこんなガチガチな職人ではないかもしれませんが、他での評価は高いし経験も実力もあるのに、すっきりした感じがしないので寂しいです。そういえば兄も名前に「俊」がつきます。
おねがーい!岡田監督!ちょっとくらい出してあげてよね~とこの頃、思ってます。

まぁ、どうなるかわかりませんが日本には頑張ってほしいです。2002年の大阪でWカップが開催された時は、近くに住んでいたのでとても賑やかだったのを覚えています。
盛り上がりましたね。スポーツはいいな

ガンバレ~にっぽん!ちゃちゃ

I will always love you

2010-06-14 15:16:15 | 

あなたをずっとずっとあいしてる

作・絵: 宮西 達也出版社: ポプラ社

暫く、ご無沙汰してしまいましたが皆さん変わりないですか?ご訪問、いつもありがとうございます。先日、チビ雄が図書の時間にまたこのシリーズを借りてきました。見たいような見たくないような感じがして、「読んで~」と言われた時に「また泣きそうになるから嫌やなぁ」と言ってしまいました。大人が泣くほど、心に響く物語だと言うことですよね。いい本なので、またあらすじを書かせて頂きます。

【あらすじ】ある日、マイアサウラという恐竜のお母さんが小さなタマゴを見つけました。「もし、あの恐ろしいティラノサウルスに見つかったら食べられてしまう」可哀想に思ったお母さんは、タマゴを持って帰り、自分の産んだタマゴと拾って来たタマゴを同じように温めました。何日か経つと、パカっと赤ちゃんが生まれました。お母さんは大喜びでしたが、あの拾って来たタマゴは、乱暴者のティラノサウルスの赤ちゃんでした。お母さんは、悩んで「大きくなって自分がティラノサウルスだとわかったら、大変なことになる」そう思い、タマゴを拾った林に眠っている赤ちゃんを置いて帰ろうとしました。その時、赤ちゃんの声を聞き足早に戻って「ゴメンね。あなたは私の大切な赤ちゃんよ」と思いなおしてしっかり抱きしめて、家に帰りました。お母さんは自分の子供と同じように、可愛いがり祈りを込め名前をつけました。マイアサウラの子には[いつも明るいライト]ティラノサウルスの子には[強くても優しい子、ハート]ライトとハートは、仲良く本当の兄弟のようになり、赤い実を食べてどんどん大きくなりました。

そんなある日、ライトがアンキロサウルスのおじさんに出会ったとき「ティラノサウルスに見つかったら危ないよ」と言われました。「ティラノサウルスって誰?」ライトがおじさんに聞くと、「ティラノサウルスは、ずるくて弱い者いじめばかりする嫌われ者さ。爪は鋭くて牙はギザギザ、体はゴツゴツした恐ろしい恐竜だよ」と教えてくれました。ライトが帰ってお母さんに、おじさんとのことを話しました。「何だかハートみたいだね」ライトが笑って言うと、お母さんは恐い顔で言いました。「何を言うのライト!ハートはあなたのお兄ちゃんよ」そう言ってお母さんは、二人を強く抱きしめました。「ごめんね。ハート」ライトがぽつりと言いました。

月日か経ち、ライトとハートはお母さんと同じくらい大きくなります。「今日も赤い実を沢山、取ってお母さんとライトを喜ばせてあげよう」そう思い、ハートが林に向かって歩いていると、岩山の影から目をギラギラさせたティラノサウルスがハートに飛びかかって来ました。ハートを見て[俺と同じティラノサウルスか…マイアサウラのいい匂いがしたのに]ティラノサウルスはがっかりしました。ハートはそのティラノサウルスを見て[このおじさん、ティラノサウルスかもしれない]と思いながら、聞いてみました。「おじさん、誰?」『俺か?お前と同じだよ』[よかった。僕と同じマイアサウラなんだ]『お前はここで何をしてる?』ハートは赤い実のことを思って言いました。「僕はこれから美味しい物を取りにいくんだよ」するとおじさんも『俺もさ。今日はご馳走してやるからついて来い』ハートはティラノサウルスの後について歩いているとおじさんは寂しそうに言いました。『昔、俺のタマゴをなくしたことがある』ハートは、赤い実のことで頭がいっぱいで気づきません。「おじさん、赤い実がいっぱいだよ」すると『こんな実を食わなくても、あの森を抜けた先にマイアサウラのご馳走が待ってるぞ』ハートは驚きながら「おじさんは、ま…まさかティラノサウルス?」『何を言ってるのさ。お前と同じティラノサウルスに決まってるだろ』「僕はマイアサウラだよね?」『その爪と牙、体、お前は立派なティラノサウルスだぜ』「嘘だ!嘘だ僕はマイアサウラの子だ」ハートは激しく怒ると、おじさんがハートを押さえつけて『しっかりしろ!お前は誰が見ても何処から見ても俺と同じ、ティラノサウルスだ』二人の重なった腕と爪はゴツゴツで、そして鋭くてそっくりです。ハートは目を閉じて「違う…僕は違う」ハートは涙をポロポロこぼして、お母さんのとこに向かって全速力で走りました。

「グォーン!」ハートの叫び声にびっくりしたお母さんは、ハートをギューっと抱き寄せました。ハートは泣きながら「お母さん、僕はティラノサウルスなの?僕はお母さんの子じゃないの?」お母さんは、ハートを力いっぱい抱きしめて言います。「あなたは、私の大切な子。私の宝物のハートよ」ハートは真っ赤な目でいいました。「ありがとう、お母さん。僕はハートだよね」そして、振り返るとティラノサウルスが目をギラギラさせて近づいて来てました。ハートはティラノサウルスに向かって走り出し「お母さん、赤い実をいっぱい取って来るからね」振り向いて笑顔で言いました。グォーンと吠え再び走り出してティラノサウルスに会うと【ガブリ】ハートはおじさんの体を咬んだまま動きません。『なぜ…同じティラノサウルスなのに』「違う!僕はハートなんだ」目からいっぱい涙をこぼして言いました。おじさんはハートに咬まれたまま、ただただじっとしていました。ハートがおじさんの顔を見ると、おじさんの目からも涙がこぼれています。ハートは咬むのをやめました。[このおじさん、もしかしたら…僕の]その日から、ハートがお母さんとライトのところに戻ることはありませんでした。お母さんとライトは、毎日、毎日、ハートを捜しました。ある日、お母さんがハートと出会った林に行くと、赤い実が山のように積んで有りました。「ハートあなたには、もう会うこともないのかしら…あなたが例え何処にいても、いつまでもあなたを愛してる。ずっとずっと愛してる。」そう言ってお母さんは、赤い実を口の中に入れました。

少しのつもりが、ほぼお話を書いてしまいました。書いてる途中にも涙が出ます。最近、涙もろいのです。ハートの実の親と育ての親との間で揺れる気持ちを思うと、酸っぱいレモンを食べてるような感じです。レモンは酸っぱいけど、ビタミンCが豊富です。

お母さんの子供でありたい気持ちと、自分がマイアサウラではないことの事実と、お母さんを守るために本当の親?を咬まなくてはいけない優しい心が涙をそそります。本当の親の気持ちを思い遣るこのハートの心とそして、咬まれたまま何かを悟るおじさん、また、このお母さんの海のように深い愛が、暖かみを増すので心が洗われる感じです。

本当の親も育ての親もハートもライトも、皆、思い遣りに溢れているお話です。童話ですけど、自分の子供と同じようにティラノサウルスを育てたこのお母さんの愛情の大きさはスゴイですね。「乱暴者」と言われているティラノサウルスを、こんなに優しいいい子に育てました。

今は、一度、悪いことをしたり大きな失敗をするとかなり厳しい世の中のような気がします。難しいこともあるのは事実ですけど、育て方・やり方次第で、いい方向に行く可能性はあるのだと思うのですが、結果や過程を評価しすぎてしまうと望みを断ってしまう道もあるので、気をつけなくてはいけないこの頃だとも思います。時間が流れるのも早い最近ですし、子育てをして仕事をするお母さんも多いので何となく余裕もなくなりやすいのかもしれません。それでも、子供の持つ素直な優しい心は、何処かに必ずあると信じて成長を見守りたいものです。 このお母さんのように、愛されていることにもっと気がつくことも大切だとも思います。言葉にして伝わって来ることがなくても、親だけでなく環境や自然、見えなくても私たちを創った大きな「源」ともいえる存在に「ずっと愛している」と言われていると。。。太陽のような陽だまりの存在をイメージして感じるだけで生きていく活力を見いだせるような気がします。

このお母さんにとって、もっとも嬉しいことは何か想像すると、子供が健康で幸せで笑顔でいてくれることでしょう。他には見返りはないと思います。子供としてその思いに応えるには「生んでくれて、この世に出してくれてありがとう」の気持ちではないかと思います。

 チビ雄は私が泣くのをニヤニヤして顔を覗きこんでました。この日はそれに、妙にベタベタもして来て保育園児に戻ったかのような。。。「また、このシリーズ借りてこよう!」って言うので私は、当分、毎週ハンカチを用意しなくてはいけないかもです。

  [いつまでもあなたをずっとずっと愛してる]

エーン 今日も長文になりました。最後まで読んで頂いてありがとうございます。