もうすぐ、父の日ですね。私の父は昨年の6月に亡くなったので主人の父のプレゼントを用意すればそれでいいのですが、ここのところ父が夢に出て来たり脳裏に浮かんだりします。自分でも不思議ですが、亡くなってその大きさを知るというかそんな感じでしょうか。。。
子供の頃は、よくスキーにも連れて行ってもらいました。冬場は家族で日曜日に医王山とかに行って滑るのが普通になってました。今と違って雪も多かったので、県内でも十分でしたが時々、違うスキー場にも行ったなぁ。。。
先日、走った富山の庄川と神通川の間にある牛岳にも何度か行きました。家族連れが多くて偶然友達に会ったりもして一緒に滑った楽しい思い出もあります。
この牛岳は、大昔に大国主命(おおくにぬしのみこと)が牛に乗って登られた山であることから、その名が付けられたと言われています。頂上の祠(ほこら)には牛に乗った大国主命が御神体として祀られています。有名なお話に、大国主命と因幡(いなば) の白ウサギがありますね。
ちょっとお話を思い出してみます。
『ある日、大勢の神様たちが稲羽の気多の崎を通りかかると、一匹の兎がサメに皮をはがされて泣いていました。神様たちは「海の塩水を浴び、風に吹かれるとよい」と言い兎は教えられた通りにすると、乾くにつれ皮膚がひび割れし、痛みが一層ひどくなり泣きつづけていました。そこへ、後から大勢の神様たちの荷物を入れた大きな袋をかついだ大国主命がやってきて、皮を剥がされ、苦しんで泣いているウサギと出会いました。大国主命は兎に向かってその事情をたずねると、兎は泣きながら話すと大国主命は「真水で体を洗ってから、蒲 の花粉を体にまぶしなさい」と教えました。するとウサギに毛が生えてきて、元の姿に戻ることができた』という話です。
「大国」が「ダイコク」とも読めることから「大黒様」と親しまれてもいるそうですが、あの大きな袋はそう言えば大黒様っぽいなぁ。子の神様でコトシロヌシという神様が恵比寿に習合していることから、大黒様とえびすは親子と言われています。
大国主命の「大黒様」は大黒柱と現されるように食物・財福を司る神様でもあり、恵比寿は「大漁追福」の漁業の神様で時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となりました。
牛岳と聞くと、最近、問題になっている宮崎での「口蹄疫」で亡くなった牛のことが気になります。
先日、長女が奈良に遠足に行ったこともあって奈良の大仏や法隆寺の成り立ちをKちゃんに教えてもらったのですが、大仏が出来たのは当時、疫病が流行り多くの人が亡くなり例年かんばつ・飢饉が続き地震で大きな被害もあったことから社会不安にさらされた時代背景があります。
そのために聖武天皇は、天平15年に奈良の大仏の造像が発願されました。昔は、農作物や病気が流行ると何とか神や仏に手を合わしたり、大仏やお寺を建てたりしたてその不安や国の混乱を鎮めようとしたのですが、現代では難しいお話ですね。
でも、毎年のように人間や家畜などの病気が流行って科学や医療だけでは根本の解決にはならないようなのが現代のような気がします。
これからは、この国の一人一人が、こうして生きていられることやその環境あることに手を合わして行くことが国の安泰に繋がるように思います。平和な世の中であるこそ、自分のことしか見えていないことも多くて、自分や身内だけが良ければそれでいいと言う考えをやめなくっちゃ~と思うのです。
どうしても自分の目に見える人だけのことを思いがちですが、人は元を辿れば先祖は同じなんじゃないかと思います。きっと、親戚ぐらいな関係の人が多いと思います。そのことを頭の隅に置いておくと世の中は親戚でいっぱいですね。そう思うことで、人と人は争いも少なく、思い遣りを持って生きていけるのでは。。。と頭の中で想像していました。
遠い宮崎の農家の方は朝早くから毎日、牛の世話をして病気にかからないように面倒見て来られたことか。。。その管理や育てた年月のことを思うと殺処分とは、どんなに辛いことか、もう飼い主の方にしてみたらどんなに悲しいことかと思います。
肉や魚には命があり、私たちはその命を頂いてます。頂く時は有難く感謝の気持ちを持つことが大切ですよね。もしかしたら宮崎の牛さんの親戚みたいな牛のお肉や牛乳を私たちは頂いてるかもしれないです。
だから、日頃から食事を頂く時は奪った命はもちろんその作り手や手をかけた人がいることを思いながら、感謝して食することがいいのでしょう。
そして、そうしていい感情で食した、食べ物は目に見えなくてもよりいい感情の栄養ともなり子供や私たちの成長をも促してくれるのではないだろうか?と感じます。
牛岳ですが、5/28に23年ぶりに牛岳山頂の大国主命を祀る牛嶽社で御開扉の神事があったそうです。2005年の大雪で崩壊し、再建した大鳥居の除幕式も行われ、新たなシンボルの完成もあり、富山市山田地区と砺波市庄川両地区の住民ら約4百人に手を合わせられお祝いされたそうです。
何だか、嬉しいです。最近、富山の大会にご縁があったのとスキーでお世話になった山でこんなことがあるなんて~。これで少し、亡くなった牛さんの気持ちが慰められたりやこれ以上口蹄疫が広がらないようになればいいなぁと思います。
地図を見ていて、ちょっと面白いことを発見しました。富山の砺波の南の「南砺市」に「安室」という町を発見しました。ネットで探すと沖縄の他には町名は無いようでなんだか、安室ファンの私にはとっても嬉しい。。。どうでもいいですね。
でも、私も自分の旧姓をネットで調べると沖縄の名護市にその町名があることを発見しました~。漁港の近くなのですが今の実家も港の近くでちょっと不思議な感じもします。
私の、大昔のご先祖様は沖縄にいたのかも?しれない??そう思うと安室ちゃん以外にもとっても親しみがある土地になります。大昔に沖縄から京都まで渡り、今もこうして私や家族の命を繋げてくれているのかと、例えば想像するとそれはアタリマエのようで「稀」なことのようにも感じます。今日もこうして生きていられることに、感謝しようと思うのでした。
いつか。。。家族で行けたらいいなぁ。沖縄。。。
今日も、読んで頂いてありがとうございます。
子供の頃は、よくスキーにも連れて行ってもらいました。冬場は家族で日曜日に医王山とかに行って滑るのが普通になってました。今と違って雪も多かったので、県内でも十分でしたが時々、違うスキー場にも行ったなぁ。。。
先日、走った富山の庄川と神通川の間にある牛岳にも何度か行きました。家族連れが多くて偶然友達に会ったりもして一緒に滑った楽しい思い出もあります。
この牛岳は、大昔に大国主命(おおくにぬしのみこと)が牛に乗って登られた山であることから、その名が付けられたと言われています。頂上の祠(ほこら)には牛に乗った大国主命が御神体として祀られています。有名なお話に、大国主命と因幡(いなば) の白ウサギがありますね。
ちょっとお話を思い出してみます。
『ある日、大勢の神様たちが稲羽の気多の崎を通りかかると、一匹の兎がサメに皮をはがされて泣いていました。神様たちは「海の塩水を浴び、風に吹かれるとよい」と言い兎は教えられた通りにすると、乾くにつれ皮膚がひび割れし、痛みが一層ひどくなり泣きつづけていました。そこへ、後から大勢の神様たちの荷物を入れた大きな袋をかついだ大国主命がやってきて、皮を剥がされ、苦しんで泣いているウサギと出会いました。大国主命は兎に向かってその事情をたずねると、兎は泣きながら話すと大国主命は「真水で体を洗ってから、蒲 の花粉を体にまぶしなさい」と教えました。するとウサギに毛が生えてきて、元の姿に戻ることができた』という話です。
「大国」が「ダイコク」とも読めることから「大黒様」と親しまれてもいるそうですが、あの大きな袋はそう言えば大黒様っぽいなぁ。子の神様でコトシロヌシという神様が恵比寿に習合していることから、大黒様とえびすは親子と言われています。
大国主命の「大黒様」は大黒柱と現されるように食物・財福を司る神様でもあり、恵比寿は「大漁追福」の漁業の神様で時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となりました。
牛岳と聞くと、最近、問題になっている宮崎での「口蹄疫」で亡くなった牛のことが気になります。
先日、長女が奈良に遠足に行ったこともあって奈良の大仏や法隆寺の成り立ちをKちゃんに教えてもらったのですが、大仏が出来たのは当時、疫病が流行り多くの人が亡くなり例年かんばつ・飢饉が続き地震で大きな被害もあったことから社会不安にさらされた時代背景があります。
そのために聖武天皇は、天平15年に奈良の大仏の造像が発願されました。昔は、農作物や病気が流行ると何とか神や仏に手を合わしたり、大仏やお寺を建てたりしたてその不安や国の混乱を鎮めようとしたのですが、現代では難しいお話ですね。
でも、毎年のように人間や家畜などの病気が流行って科学や医療だけでは根本の解決にはならないようなのが現代のような気がします。
これからは、この国の一人一人が、こうして生きていられることやその環境あることに手を合わして行くことが国の安泰に繋がるように思います。平和な世の中であるこそ、自分のことしか見えていないことも多くて、自分や身内だけが良ければそれでいいと言う考えをやめなくっちゃ~と思うのです。
どうしても自分の目に見える人だけのことを思いがちですが、人は元を辿れば先祖は同じなんじゃないかと思います。きっと、親戚ぐらいな関係の人が多いと思います。そのことを頭の隅に置いておくと世の中は親戚でいっぱいですね。そう思うことで、人と人は争いも少なく、思い遣りを持って生きていけるのでは。。。と頭の中で想像していました。
遠い宮崎の農家の方は朝早くから毎日、牛の世話をして病気にかからないように面倒見て来られたことか。。。その管理や育てた年月のことを思うと殺処分とは、どんなに辛いことか、もう飼い主の方にしてみたらどんなに悲しいことかと思います。
肉や魚には命があり、私たちはその命を頂いてます。頂く時は有難く感謝の気持ちを持つことが大切ですよね。もしかしたら宮崎の牛さんの親戚みたいな牛のお肉や牛乳を私たちは頂いてるかもしれないです。
だから、日頃から食事を頂く時は奪った命はもちろんその作り手や手をかけた人がいることを思いながら、感謝して食することがいいのでしょう。
そして、そうしていい感情で食した、食べ物は目に見えなくてもよりいい感情の栄養ともなり子供や私たちの成長をも促してくれるのではないだろうか?と感じます。
牛岳ですが、5/28に23年ぶりに牛岳山頂の大国主命を祀る牛嶽社で御開扉の神事があったそうです。2005年の大雪で崩壊し、再建した大鳥居の除幕式も行われ、新たなシンボルの完成もあり、富山市山田地区と砺波市庄川両地区の住民ら約4百人に手を合わせられお祝いされたそうです。
何だか、嬉しいです。最近、富山の大会にご縁があったのとスキーでお世話になった山でこんなことがあるなんて~。これで少し、亡くなった牛さんの気持ちが慰められたりやこれ以上口蹄疫が広がらないようになればいいなぁと思います。
地図を見ていて、ちょっと面白いことを発見しました。富山の砺波の南の「南砺市」に「安室」という町を発見しました。ネットで探すと沖縄の他には町名は無いようでなんだか、安室ファンの私にはとっても嬉しい。。。どうでもいいですね。
でも、私も自分の旧姓をネットで調べると沖縄の名護市にその町名があることを発見しました~。漁港の近くなのですが今の実家も港の近くでちょっと不思議な感じもします。
私の、大昔のご先祖様は沖縄にいたのかも?しれない??そう思うと安室ちゃん以外にもとっても親しみがある土地になります。大昔に沖縄から京都まで渡り、今もこうして私や家族の命を繋げてくれているのかと、例えば想像するとそれはアタリマエのようで「稀」なことのようにも感じます。今日もこうして生きていられることに、感謝しようと思うのでした。
いつか。。。家族で行けたらいいなぁ。沖縄。。。
今日も、読んで頂いてありがとうございます。