花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

All For You

2010-06-20 16:34:27 | 日記
All For You


安室ちゃんが小学生の頃から影響を受けたのがジャネットジャクソンだそうです。お兄さんが聞いていたのがきっかけみたいで以前、お母さんが書いた本にそう書いてありました。
結構、おませさんだったのね。安室ちゃんってば。

ジャネットのお兄さんといえば、故マイケル・ジャクソンですね。亡くなり方には不明な点があったし、もうすぐ一年です。
マイケルは10人兄弟姉妹の7番目(6男)インディアナ州ゲーリーのアフリカ系アメリカ人街に生まれました。ゲーリーは住民の8割以上をアフリカ系アメリカ人が占めていて、全米で最もアフリカ系アメリカ人の率が高い都市であり、また黒人たちにとっては最初の黒人市長が1967年に出た誇りの土地でもあります。当時は黒人の自己主張が高まりだしていた頃でした。
父はR&Bバンドでギタリストをしていた経験があり、アーティストの道を諦めてギターを大事にしまっていたそうです。ところがある時、愛蔵のギターを息子たちが勝手にいじりまわして弾いていて、初めはカンカンに怒ったものの、息子たちの演奏がうまいことに気がつき「これはひょっとすると貧困から抜け出す手立てになるかもしれない」と思った父は、息子たちに歌とダンスの訓練を授けようと決意。ジャッキー、ティト、ジャーメインと従兄弟とされていた二人(実は他人)で1962年にボーカルグループを結成しました。

翌年、マイケルは兄マーロンとともに二人の「従兄弟」と入れ替わりにグループに入りました。マイケルは幼稚園時代から唄を歌い、1962年には幼稚園で映画サウンド・オブ・ミュージックのエンディング曲「全ての山に登れ」を歌っていたそうです。マイケルは当時5歳でしたが、父の厳しい特訓を受け、兄弟バンド「Ripples & Waves Plus Michael(のち「the Jackson Brothers」と改名)」の一員として頭角を現しました。

初めてナイトクラブで働いた時の収入はわずか8ドルであり、ほぼ無名の状態でしたが、翌年くらいになるとタレントショーやスーパーマーケットのオープン記念に出演することで地道にではあるが徐々に名前が知られるようになっていきます。

1965年には、地元ゲイリーのルーズベルト高校で行われたタレントコンテストでテンプテーションズの「マイ・ガール」を演奏し、見事優勝。1966年に4人の兄たちと「ジャクソン5」(ジャクソンファイブ)を結成してゲーリーのナイトクラブ、ミスターラッキーでデビューしました。1967年にはニューヨークのアポロ劇場にも進出し、大々的なタレントコンテストで優勝もしました。これによりジャクソン5はシカゴのリーガルなどの名門劇場に出演できるまで成長し(当時はまだまだ駆け出しであったため前座の出演でした)この過程でジェームス・ブラウンなど様々なスターのパフォーマンスを勉強しました。

1969年10月シングル「帰ってほしいの」(I want you back)でメジャーデビュー(マイケルは当初8歳の設定でしたが実際には11歳)。リードボーカルとして天才児ぶりを発揮し、何とメジャーデビュー作であるにもかかわらずヒットチャート全米1位にまで上り詰めました。
幼く可憐な感じでありながらビブラートが掛った声がファンを惹きつけました。その次のシングル「ABC」で見事1位を獲得。続く「小さな経験」(The Love You Save)「I'll Be There」も1位となり、デビューから4曲連続で全米チャート1位に送り込むという快挙をなし遂げました。

少年時代~大スターになるまでのマイケルは、貧困から抜け出すための足がかりからお父さんの厳しいレッスンにも耐えながら、有名になるために努力をしていたのでしょうね。
でも、ダンスと歌が大好きで辛いさを感じるよりも、踊ることが楽しくてその喜びの方が勝っていたような感じがしますね。
奇行やいろいろな噂があり、話題にもなった方ですが、少年時代のことを思うと純粋に歌とダンスが好きで、お父さんやお母さんも喜ぶし、親孝行にもなるからと一生懸命に生きていた姿が本当の彼だったのだと思いたいです。
黒人という差別があるアメリカ社会の中で、努力を重ねて才能を開花させ栄光を手に入れた方だと思います。

ご冥福をお祈りします。