写真・鷲尾和彦
中央公論新社
2011年9月 初版発行
123頁
ようやく読めました
東日本大震災の後、五ヶ月の間に新聞や雑誌に送ったエッセーやコラムの内容を再編集したもの
ぼくは震災の全体像を描きたかった
自然の脅威から、社会の非力を経て、一人一人の被災者の悲嘆、支援に奔走する人たちの努力などの全部を書きたかった
津波があと一メートル下で止まってくれていたら、あと二十秒遅かったら、と願った人が東北には何万人もいる
何万人もの思いは自然に対しては何の効果も影響力もなく、津波は来た
それが自然の無関心ということだ
自然は人間に対して無関心だとわかった上で、それでももう少しなんとかしてくれてもいいのではないかという思いを捨てることができない
人類が生き延びても、文明がこれからも栄えても、自分がその場にいないのでは何の意味もない
そういうことを人の心など何も知らない自然が決めてしまっていいものか?
自然は人間に対して無関心、自然に害意はない、の件にはピンときませんでした
自分に実際にあの大地震や津波、大雨、台風等の被災体験が皆無だからと思います
太古から幾度も地震、津波、台風などの災害に見舞われてきた日本人は、それらの記憶を水に流して忘れることをしなければ立ち直ってこれなかったのではないか、という考えには納得させられます
地球誕生からの長い長い時間の中で私たちが生きる時間はほんの一瞬
たまたまその一瞬の地球活動が人間に災いをもたらすのであって、地球に悪意はないのです
しかし、そこで諦めるわけにはいきませんよね
考えて考えて、前に進まなければいけないのです
簡単なことではありませんが…
池澤さんが被災地で見聞きした震災直後の様子もありますが、かなりフィルターがかけられているように感じました
実際はもっともっと悲惨なものであったろうと想像します
物理学を学び、世界中を旅する作家が震災の現実を思慮深く多面的に捉えた秀作と思います
震災以前に発表された、原発の危険、自然と人間の関係、ボランティア、天災、風力発電についての複数の池澤作品を再読したくなりました
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