緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初秋の旧麻布区散策:東京ミッドタウンの緑地帯(ミッドタウンガーデン)を散策する1

2012年10月19日 10時47分37秒 | 城南・港区全域


東京ミッドタウンの再開発工事によって整備された緑地帯「ミッドタウンガーデン」の中を散策して都営地下鉄大江戸線六本木駅へ向かいます。ミッドタウン・タワーの高層階に入居しているシティホテル「ザ・リッツカールトン東京」へのアプローチ道路の脇の散策道を歩いていきます。




ミッドタウンガーデンの中心的な存在である「芝生広場」は何かイベントが実施されているためか立入禁止となっていました。この芝生広場は毎年6月の上旬前後、新緑の緑が一番美しい時期に来るといいと思います。今年の夏は例年以上に高温だったためか、芝生の一部が枯れてしまっている箇所も見えました。




ミッドタウンガーデンとガーデンサイド(サントリー美術館やショッピング街が入居している)を結んでいる歩道橋の上にやってきました。この歩道橋はザ・リッツカールトン東京へのアプローチ道路を超えていきます。




歩道橋の上から撮影したザ・リッツカールトン東京のエントランスへと続いているアプローチ道路です。東京都心部において最高級グレードを誇るシティホテルらしく、タクシーやハイヤーが通り抜けていきます。




同じ歩道橋からミッドタウンガーデンを撮影してみました。アプローチ道路に沿って桜並木が外苑東通り方向まで続いています。4月の時期になると桜並木を楽しむことができます。ちなみにこの桜の木々は防衛庁時代に敷地内に植えられていた木々を再開発工事に合わせて移植されたものです。




サントリー美術館などが入居している「ガーデンサイド」。ミッドタウンガーデンに面した区画はレストランや屋外カフェとなっています。本当にここがあの重苦しい雰囲気に包まれていた防衛庁があった場所なのかと思うと感慨深くなります。




今年2012年(平成24年)は東京ミッドタウンが開業してから10周年を迎えていて、様々なイベントが開かれているそうです。




歩道橋の上から撮影した檜町公園の緑地帯です。ミッドタウンガーデンと一体的な構造となっているので、ミッドタウン側からそのまま檜町公園の敷地内へ入ることができるようになりました。こうして見るとまさに公園自体が斜面の上に造成されていることがわかります。




歩道橋を降りて桜並木の散策道を進みます。東京ミッドタウンは東京都心部における都市内再開発の一つですが、敷地面積全体に対して緑地帯の占める割合が非常に多いのが特徴です。数字にしては40パーセント。




檜町公園を含め敷地面積10万平方メートルの東京ミッドタウンの約40パーセントが緑地帯となっていて、防衛庁時代に敷地内に植えられていた大木の木々や日本庭園が再配置されています。再開発工事で緑地帯の存在を重視するという考え方は、これ以降の全国の再開発事業に取り入れられているそうです。




ミッドタウン・タワーとガーデンサイドの間には吹き抜け空間である「ガレリア」が造られています。ここを通り抜ければ外苑東通りまで最短ルートで進むことができますが、緑地帯の散策道を進みます。




振り返ってザ・リッツカールトン東京のエントランス方向を撮影してみました。緑地帯に囲まれた高級ホテルというのも珍しいのではないでしょうか。




なぜ緑地帯というものが都市内の再開発工事において重要視されるようになったのか。それはやはりそれ以前の再開発工事に対する反省の意味もあったのかもしれないです。ここ六本木地区で再開発されたエリアといえば何と言っても「六本木ヒルズ」、そして1980年代に進められた「アークヒルズ」があります。




どちらも高層ビルが立ち並ぶだけの無機質な空間であり、訪れる人々や近隣の住民が楽しめる要素がほとんどないという批判がなされました。また近年はヒートアイランド現象など地球環境に配慮した再開発工事が求められるようになり、緑地帯を設けようという流れになったのだと思います。




ミッドタウンガーデンの敷地内にはデザイン事務所「21_21 DESIGN SIGHT(トゥーワン・トゥーワン・デザインサイト)」の建物が建っています。建築設計は安藤忠雄氏が担当し、緑地帯の雰囲気に溶け込むようなデザインとなっています。




ミッドタウンガーデンの敷地の散策道を除いた痴女の部分はほとんどが芝生広場となっていて、きれいに維持管理がなされていました。




引き続き桜並木の散策道を歩いて外苑東通りを目指します。




東京ミッドタウンの緑地帯の面積は4ha、防衛庁時代の緑地帯の倍以上の面積が確保されています。

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初秋の旧麻布区散策:東京ミッドタウンに隣接した檜町公園を散策する

2012年10月18日 17時49分00秒 | 城南・港区全域


東京ミッドタウンの敷地に隣接している緑地帯「檜町公園」を散策していきます。丁度散策した時間帯は緑地帯の敷地がミッドタウン・タワーの建物の陰の中に入ってしまっているので夕方のように暗かったです。平日の昼下がりの時間帯だと全く人の気配がせず、大人であっても若干の怖さを感じるほどです。




江戸時代に長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷であったこの界隈には檜の木が数多く生えていたと言われています。36800坪の敷地の中に建てられている立派な屋敷は「檜屋敷」と呼ばれていました。その屋敷は外苑東通り寄りの高台(現在のミッドタウンタワーが建っている辺り)に建てられていたそうです。




2007年の東京ミッドタウン開業に合わせて再整備された庭園「清水園」の中を散策していきます。木製の簡易的な扉の奥には日本庭園が広がっています。




池之脇には屋根のついた休憩所である「東屋」の建物が設置されていて、ベンチがあるので座って休憩することができます。




東屋前から撮影した「清水園」の庭園です。麻布台地と赤坂の低地へかけて広がっている緩やかな斜面の上に造成されている日本庭園で、斜面の地形を活かして立体的な広がりを持っています。池の背後にある高台には東京ミッドタウンの巨大な建物が林立しています。




池の脇に目を向けると柳の木々や水草の色鮮やかな緑色の風景を楽しむことができます。




幕末から明治維新にかけて勃発した戊辰戦争によって檜屋敷は壊されてしまう事になりますが、庭園そのものは無事でした。その後は日本陸軍の第1師団歩兵第1連隊の駐屯地として生まれ変わりました。武家屋敷時代の庭園は陸軍基地の敷地内で維持管理がなされていくことになります。




戦後は連合軍によって陸軍基地は接収されて米軍将校の宿舎として利用されました。ここだけでなく国立新博物館のあった日本陸軍麻布基地も接収されていました。これによって六本木・赤坂周辺は外国人が非常に多い場所となり、現在の六本木の外国人向けの繁華街としてこの界隈は発展することになります。




池の周囲の散策道を歩いていきます。




鬱蒼とした緑に囲まれた散策道をミッドタウン・タワーへ向かって歩いていきます。散策道に沿ってもみじの木々が何本か植えられていて、11月の下旬になると真っ赤な紅葉を楽しむことができるようになります。




サンフランシスコ講和条約発効後の1960年(昭和35年)に日本に返還され、陸上自衛隊の駐屯地となるとともに、防衛庁の本庁舎が千代田区の霞ヶ関からここへ移転してきました。同時期にすぐ近くにある青山基地の一部も日本に返還されて東京大学生産技術研究所となっています。




その後外国人が集う繁華街の街・六本木においてここ防衛庁は、華やかな六本木の雰囲気にはそぐわない異質的な存在としてしばらく歴史を歩み続けることになります。防衛庁の敷地の残りの部分が檜町公園として整備され1963年に都立公園として開園し、1968年に港区に管轄が移されました。




防衛庁時代の檜町公園は今以上に人気がなくて物寂しい雰囲気であったことを覚えています。鬱蒼とした木々に囲まれていたことに加えて、何よりも公園のそばには防衛庁の敷地を囲っている物々しい塀の存在が息苦しい雰囲気を醸し出していた記憶しかないです。




高台に通じている斜面には滝が作られていて、庭園の池の中に流れ込んでいます。その奥にはミッドタウン・タワーの巨大な建物が横たわっています。




1980年代後半、日本政府はここ防衛庁の敷地を含めた49の行政機関の移転が閣議決定されます。その後約10年の年月をかけて調査やそれに基づいた答申や議論によって、1999年(平成11年)8月に大蔵省、東京都、港区が合同で「防衛庁本庁舎檜町庁舎跡地開発に関する三者協議会」が設置されました。




2000年(平成12年)5月に防衛庁本庁舎は新宿区の市ヶ谷駐屯地に移転します。翌年4月26日に東京都が「赤坂9丁目地区再開発地区計画」を決定し、翌5月1日には財務省が売却を公示されます。9月17日にはコンソーシアム6社(積水ハウス、全国共済農業協同組合連合会、大同生命保険、富国生命保険、三井不動産、安田生命保険)が落札しました。




ミッドタウン・タワー前から撮影した檜町公園の緑地帯、森のような雰囲気です。近くにある「六本木ヒルズ」という大規模再開発の成功を意識しながらも設計が進められ、工事は2004年(平成16年)5月18日に始まり、2007年(平成19年)1月に竣工、同年3月30日に東京ミッドタウンは華々しく開業しました。




この次は東京ミッドタウンの緑地帯「ミッドタウンガーデン」を散策していきます。緑地帯の面積の割合が非常に大きいのが東京ミッドタウンの特徴です。

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初秋の旧麻布区散策:檜坂の坂下から檜町公園(東京ミッドタウン敷地内)へ

2012年10月17日 15時37分44秒 | 城南・港区全域


目の前には檜町公園の鬱蒼とした緑地帯が広がっています。東京都心部の中心でこれほど緑が確保されているというのはまさに驚きの光景です。江戸時代の全国の大名屋敷の跡地が緑地帯のベースになっている例は東京都心部の中では多いです。




檜町公園の緑地帯は六本木四丁目の住宅地から赤坂檜町へかけての斜面の上に造成されているので、まるで鬱蒼とした木々に覆われた谷間を見ている感じです。面積的な広さだけでなく、斜面という地形を生かした立体的な緑地帯となっています。




鬱蒼とした雰囲気の檜町公園ですが、歩道部分には緑地帯の木々の枝や雑草などは一切はみ出しておらず、入念な手入れがなされていることがわかります。何も手を加えなければ枝や蔦などがすぐに道路側へはみ出してしまうからです。




檜町公園の六本木四丁目側の入口です。敷地内はほとんど人通りがなく閑散としていました。




前方に「檜坂」が見えてきました。今歩いている道路とT字路状に交差している道路が檜坂です。




緑地帯の木々の間から、これから向かう池べりの休憩所「東屋」の屋根が見えました。じっと耳を澄ましていると、池に流れ込んでいる滝の音も若干聞こえました。




交差点に到着しました。六本木四丁目から赤坂檜町方向へ向かって急な下り坂となっています。この周辺に住んでいる人たちは毎日のようにこんな急な坂を上り下りしているのかと思うと「ご苦労さま」と言いたくなりますね。




交差点脇の坂上には「檜坂」の説明柱が歩道に設置してありました。東京ミッドタウンの再開発工事によってこの説明柱も新しく作り替えられました。ちなみに檜町公園の敷地に面した檜坂の石垣なども再開発工事に合わせて作り直されています。




旧防衛庁・防衛施設庁本庁舎や檜町公園があった場所は江戸時代は長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があり、この界隈には檜の木が数多く生えていたことから「檜屋敷」と呼ばれていました。その檜屋敷の敷地に沿う坂であったことから「檜坂」と名付けられたのです。




交差点脇から振り返って外苑東通り方向を撮影してみました。赤坂方面に通じている檜坂の坂下から坂を上って六本木方面へ抜けていく自動車の数が非常に多かったです。




ズームで撮影してみると六本木ヒルズ森タワーの巨大な建物が正面に見えました。六本木ヒルズがある場所も江戸時代は大名屋敷でしたから、この界隈には大名屋敷が数多く集まっていた地域だったのです。




檜坂の坂下へやってきました。坂下から檜町公園の敷地へ入ってみたいと思います。正面に見える坂道は「港区立赤坂中学校」の敷地へ通じている道路です。この坂道を登っても東京ミッドタウンの敷地へ入ることができます。




振り返って坂下から坂上方向を撮影してみました。中層マンションや住宅地が密集しているのでわかりにくいですが、この辺りは麻布台地から赤坂・溜池山王の低地へ伸びている斜面の上に市街地が形成されています。港区内で本当に平坦で広い土地というのは数少ないそうです。




そもそも東京ミッドタウン自体が広大な斜面の上に作られているといってもいいでしょう。その斜面に作られた階段を上って檜町公園の敷内に入ります。




「檜町公園」、かつて防衛庁の敷地に隣接していた公園でした。東京ミッドタウンの再開発工事によってミッドタウンの緑地帯と一体的に再整備工事がなされ、2007年(平成19年)に新しく生まれ変わった公園です。平日の昼下がりの時間帯の檜町公園、誰もおらず閑散としていました。




檜坂の坂上が地図の中心点になっています。この界隈は南東側の六本木通りが通っている麻布台地から北西側の赤坂側へかけて続いている緩やかな斜面の上に市街地が形成されています。

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初秋の旧麻布区散策:六本木四丁目界隈を抜けて檜坂へ

2012年10月16日 19時51分31秒 | 城南・港区全域


東京ミッドタウンの敷地の東側に沿った緩やかな下り坂の道路を散策していきます。地名的には六本木四丁目地区と赤坂九丁目地区の境界部に沿って歩いていきます。鬱蒼とした街路樹の道路は意外と交通量が多いです。




緩やかな左カーブの先に東京ミッドタウンの敷地と一体的に再整備されている「檜町公園」の広大な緑地帯が広がっています。この辺りは道路に面して高級住宅や中層マンションが密集して建っているような閑静な雰囲気の住宅街となっています。




上を見上げると午後のきつい日差しとともに、ミッドタウン・タワーの巨大な建物に圧倒されます。




カーブを曲がると交差点があって、その先は平坦で真っ直ぐな道路が続いています。港区内は非常に起伏の多い地形の上に市街地が発達していて、このような平坦かつ直線の道路というのはあまり見かけたことがないので驚いてしまいました。




ズームで撮影しても本当にほぼ平坦な道路となっています。とは言っても道路脇の檜町公園は起伏のある地形を利用して造成された公園ですし、反対側の住宅街も斜面の上に形成されています。つまりこの道路は盛り土などによって意図的に平坦な地形となった上に敷かれた可能性が高いです。




東京ミッドタウンの再開発工事によってT字路であったこの交差点は十字路に変更されました。新しく作られた道路は東京ミッドタウンの敷地に併設されている住居地区「ザ・パーク・レジデンシィズ・アット・ザ・リッツ・カールトン東京」の建物につながっています。




交差点を抜けて緑地帯と閑静な住宅街に囲まれている道路を檜坂へ向かって散策を続けていきます。同じ港区内の赤坂地区に隣接している「六本木四丁目地区」は以前は旧麻布区の麻布三河台町と呼ばれていました。江戸時代のこの辺りには越前宰相松平三河守忠直の下屋敷があり、三河町と呼ばれていたそうです。




道路を挟んだ対岸には東京ミッドタウンと一体的に再整備されている緑地帯「檜町公園」の敷地が広がっています。




ズームで撮影してみると、檜町公園の鬱蒼とした緑地帯の先には洗練されたデザインの高層ビルが建っています。ここから北へ約500メートルほど離れた場所の赤坂サカスの敷地内に建っている「赤坂Bizタワー」です。




この日は快晴の青空の中に小さな雲が点々と存在する天気でした。雲一つない快晴な空よりも、空の青さがより引き立つと思います。




前回に六本木地区を散策した時は真冬の時期だったので緑地帯の中は枯れ木が目立つ中の散策でしたが、今回は緑が一番鬱蒼としている時期での散策となります。




前方に横断歩道が見えてきたので渡ることにします。




横断歩道を渡って檜町公園側の歩道を散策して檜坂へ向かいます。左手に檜町公園の濃い緑を眺めながら歩いていきます。




檜町公園の入り口の脇を通り抜けていきます。公園入口の周辺は人通りがほとんどなく、閑散としていました。




道路の歩道も人通りがほとんどありません。ただこの道路は赤坂の繁華街から六本木への抜け道として利用価値があるためか、車の通行料は結構多かったです。




再開発工事以前は、息苦しい雰囲気に満ちていた高い塀に囲まれた防衛庁本庁舎の敷地の脇に、朽ち果てた雰囲気の檜町公園が佇んでいた風景が今でも心に残っていますが、再開発工事によって明るい雰囲気の緑地帯へと生まれ変わりました。

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初秋の旧麻布区散策:国立新美術館前から東京ミッドタウンまで

2012年10月15日 12時49分25秒 | 城南・港区全域


国立新美術館前から再び六本木七丁目界隈の住宅地の中を歩いて旧防衛庁本庁舎跡地である「東京ミッドタウン」へ向かいます。外苑東通りへ向かって約100mほど歩けばミッドタウンへたどり着くことができます。標高20~30メートル前後の丘陵地帯の緩やかな斜面に密集している住宅地の中を歩いていきます。




中層マンションやタワーマンションが混在して建っている高台の住宅密集地の中を少し進めば外苑東通りへ到達できます。交通量はかなり多く、歩道の幅もあまり広くはないので散策するには少し注意が必要です。とは言っても東京の山手の都会的な閑静な住宅街の中を散策するのは非常に心躍ります。




中層マンション群の間を見るとこれから向かう東京ミッドタウンの「ミッドタウン・タワー」の巨大な建物がそびえ立っています。




外苑東通り「ミッドタウン西交差点」に到着しました。1990年代のこの辺りは市ヶ谷へ移転した旧防衛庁の重厚な雰囲気の塀が大通りに沿って続いていましたが、現在は跡地に再開発された東京ミッドタウンの巨大な建物が整然と建ち並んでいます。




交差点脇には東京ミッドタウンの広大な緑地帯である「ミッドタウンガーデン」の入り口があり、ここから緑地帯と一体的に再整備され直された檜町公園へ向かうことができますが、今回は外苑東通りを一度六本木通り方面へ抜けます。ミッドタウンの敷地の東側の道路を歩いて檜町公園へ向かってみたいと思います。




ミッドタウンの敷地内の西側に建っているのが「ガーデンサイド」と呼ばれている建物で、「プレッセ」と呼ばれる東急系列のスーパーマーケットや、赤坂見附から移転してきた「サントリー美術館」などが入居しています。




初秋の真っ青な青空の中にそびえ立っているのが「ミッドタウン・タワー」です。東京ミッドタウンの敷地の中央に建つ超高層ビルで地上54階地下4階・高さ248メートルと東京都内では一番の高さを誇ります。建設期間は2004年5月から2007年1月までで、2007年(平成19年)3月30日に開業しました。




比較的高層ビルが少ない六本木地区においては六本木ヒルズ森タワーと並んで、このミッドタウンタワーは大変目立つ存在です。同じ港区内の西麻布地区や南青山地区の住宅街の中を歩いていても、斜面の坂上などに立つとこの巨大な高層ビルが目の前にそびえ立っている風景を何度も見かけることは多いです。




外苑東通りから見てミッドタウン・タワーの西側に立っているのが「ミッドタウン・ウエスト」。地上13階地下3階・高さ67メートルの高層ビルで、隣接しているミッドタウンタワーのデザインに合わせています。東京ミッドタウン完成時に富士フイルムホールディングス(富士フイルム、富士ゼロックス)が西麻布から移転してきました。




反対の東側に建っているのは「ミッドタウン・イースト」。地上25階地下4階・高さ114メートルで、こちらの高層ビルもミッドタウン・タワーのデザインと一体的な雰囲気となっています。 地下1階~11階がコナミを始め、コナミグループ(コナミデジタルエンタテインメント・コナミスポーツ&ライフなど)の本社などが入居していて、上層階はマンションになっています。




東京ミッドタウンは旧防衛庁の敷地という東京都心部においては大変広大な敷地の再開発事業として建設が勧められ、「デザイン&アート」をコンセプトに街造りが進められました。そのため敷地内の建物の配置などはもちろんですが、一棟一棟のビルのデザインを見ても非常に洗練されていると思います。




3つの高層ビルに囲まれている空間が東京ミッドタウンのメインエントランス広場である「ガレリア」です。今回の散策では訪れなかったのですが、今後もう一度六本木地区を散策した時に訪れてみたいと思います。




六本木七丁目界隈の外苑東通り沿いは、以前は旧防衛庁の重苦しい雰囲気の塀や建物に囲まれていて誰も近づかなかったイメージがたいへん強かったですが、東京ミッドタウンの完成後は多くの人たちで賑わうようになり、大通りの雰囲気も一変したと思います。




六本木交差点北バス停の交差点から東京ミッドタウンの敷地の東側にそって続いている道路を進みます。この道路はこの先で緩やかな下り坂となっています。




上を見上げると「ミッドタウン・イースト」や「ミッドタウン・タワー」の巨大な建物がまるで壁のようにそびえ立っています。圧倒されながらも散策を続けていきます。




東京ミッドタウンの巨大な高層ビルと六本木四丁目の閑静な住宅街の間の緩やかな坂道を下っていきます。この道路は周辺の物静かな雰囲気と比べて意外と交通量が多いです。




「東京ミッドタウン西交差点」から緑地帯へ進むことができますが、今回の散策では外苑東通りを六本木交差点へ向かって歩いていきます。東京ミッドタウンや国立新美術館のあった場所は、1990年代まで旧防衛庁や東京大学生産技術研究所など繁華街である六本木のイメージとは正反対の施設が密集していたのです。

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