午後1時にここを出発、2時半現場で打ち合わせ、40分くらいで終了。
その後、昨年からお世話になった、盛岡営業所の所長に会いに行ってきた。
30分くらい福島での話しや、現在の仕事の状況、そして手伝う仕事が
あればお願いしますと挨拶してきた。
その帰りたぶん4時半ころだと思う、「石川啄木新婚の家」と書いた看板を
見つけた。あっと思ったがいきなりUターンは出来ない、信号を2つばかり
通り過ごして引き返した。なぜって石川啄木は私の心の師匠なのである。
私もネット詩人として、彼の人生には一度ふれてみたいと思っていた。
石川啄木は、波乱万丈の人生を歩んだひとです、満27歳で病死しています。
彼が有名になったのは死後です、友人というか仲間達が全集を出版した。
私がここで書いてもなんの感動もないと思うので「ウィキペディア」で、
調べてみてください。何枚か写真を撮ってきたのでUPします。
明治38年5月、処女詩集「あこがれ」を出版した石川啄木は、 東京で
新婚生活をもつという生活設計を変更して、市内の新山小路(現在の中央通
3丁目)に帰り、 年来の恋人堀合節子と結婚式を挙げました。しかし、
父母と妹が同居する新婚生活は窮迫し、そこでの生活はわずか3週間。
同7月に市内の加賀野磧町(現在の加賀野1丁目)に移り住みます。
その時の様子は随筆「我が四畳半」に描かれています。 かやぶきの屋根など
当時と変わったところもありますが、ほぼ当時のまま現存しています。
啄木の書や写真なども展示されています。 引用元
「石川啄木新婚の家」

「新婚の部屋」

「婚約時代の啄木」

「啄木と節子の恋」

「ふるさとの山に向かいて言うことなし」

そうだ、私の実家をリフォームして「時遊人の新婚の家」として開放しようか。
小安峡温泉に来た観光客が、宇宙大橋に行く途中間違って訪れるかもしれない。
だけど問題がある、例の我が家の住人「キツネ」が床下に住んでいる。
我が家はここです。
ここで一言
「ふるさとの 山の境界 わからずに 収め続ける 相続税かな」