ミクロネシア 青年海外協力隊環境隊員のブログ

ミクロネシア連邦国において環境分野で活動する青年海外協力隊、シニアボランティアからの報告。コメントお待ちしています。

CAN ART -アルミ缶アート-

2009-10-19 20:52:28 | ヤップ州
   

“YAP Beautiful Island"
アルミ缶で描かれているのはヤップのメンズハウス、ココナッツツリーとストーンマネー。
使用したアルミ缶は5200缶。
これがデザイン図(18-2 PC隊員作成)↓


2008年3月のヤップデーから始まった企画「アルミ缶アート」は1年半かけて2009年9月に完成しました。
目標にしていた7000缶アートにはなりませんでしたが、2008年のヤップデーからクリーンアップや学校からの寄付で集められた空き缶は10000缶を超えました。

組み立てが本格的にスタートしたのは毎年夏休み中にUSピースコー主催で行われる小学生対象のサマースクール「SOSキャンプ」。ピースコーボランティアよりJOCVへの協力依頼があり、昨年同様EPAとして参加しました。(昨年は廃油でキャンドルを作ろう!というテーマで参加。)
1週間に2日、3週間で300人近くの子供たちと、缶の洗浄、穴あけ、繋ぐ作業をしました。


作業前にはアルミ缶のリサイクルの仕組みを図を使って説明。子供たちのなかには興味を示してくれる子もいました。


キャンプで出来たパーツがこちら↓数は1000缶弱。

新学期開始と同時に10校の小学校、COM(短大)のクラスを巡回して缶アートの作業を進めました。
各小学校ごとに100~200缶を分担してもらい、作業終了後は出来上がったパーツとともに写真撮影。

ヤップニュースの取材を受け、作業の様子がテレビ放映されました。
こちらはインタビューを受ける生徒。


土曜日にはユースクラブ、コミュニティーとヤップ隊員とともに残りのパーツとフレームを仕上げて、
 
 

「CAN ART」完成!!


たくさんのヤップの子供たちの手により完成した「CAN ART」は街の中心に1週間展示され、その後ヤップユースクラブによりリサイクル業者へ渡り、換金されたお金はユースクラブに寄付されました。

さいごに。
今回のアルミ缶を使った壁画アートへの参加により、人々のリサイクルへの理解と意識が少しでも上がってくれることを期待しています。
また、協力してくださったみなさんに心から感謝しています。ありがとうございました。

(ヤップ満江友紀)

離任の挨拶

2009-10-19 19:39:18 | コスラエ州
無事、2年間の任期を終え、先月24日に帰国しました。

今コスラエでの充実した濃い2年間を振り返っています、が、なかなか消化できない自分がいます。
少しずつ振り返って、少しずつ消化して、身にして、糧にして、自分の成長につなげていこうと思います。

前半1年は経験や知識がない中で、前も後ろもわからないまさに暗闇の中トンネルを掘り続けた1年でした。
思うように進まない工事、人が足りない、お金がゼロ、すぐ重機が壊れる、炎天下と土砂降りの雨の繰り返し、仕事がない日々。
そして一番つらかったのは自分の存在意義が認めてもらえないこと・・・。

協力隊に参加する前は
ずうずうしくも「自分が問題を解決してやる!」くらいの気合いでした。
任国に来てそんな野望ははかなく打ち砕かれました。
当たり前です。
理想と現実のギャップに苦しみました。
周りと比べて焦りました。
自分の語学・能力不足に呆れました。
自分は何もできない現実に突きつけられました。

そんな中、ホームステイという暮らしを通して
現地の言葉を話し、現地の食事を取り、現地の人と共に生活し、
顔を突き合わせることで、見えてくるものがありました。

「価値観」の違いでした。

日本で当たり前だと思っていたことが、島では当たり前ではない。
私たちが「え?」と思ったことは、島では当たり前。
そんな異なる文化になんとか適応した2年間。
そこでは、世界には価値観の違う人がいるということを学び、受け入れることの大切さを学びました。
その価値観、物事にはいろんな背景があり、それは深く文化や社会に根付いている。
「正しい・正しくない」ではなくて、そのことを「理解する」こと。
そこの文化や価値観を受け入れた時に、
現地の人の声、何が本当に必要なのか、何が理由で何ができないのか
(2年だけじゃほんのちょびっとかもしれませんが)
少しだけわかったような気がします。
そのおかげで、仕事やステイ先で理解できないことがあっても、
現地の人を嫌いになることはありませんでした。

国際協力は日本の技術移転「だけ」では成功しない、
もちろん適切な技術移転は必要ですが、それだけじゃない、
その土地の「価値観」を強く意識したものでなければいけないと思います。

後半1年になって、活動にやっ~~~と先の方に光が見えてきた時。
最終処分場が完成したと同時に、州予算が取れたり、日本からごみ収集車の供与が決まったり、
サモア・パラオなどの国外研修にスタッフを参加させたりすることができました。
物事がスムーズに行くこと自体が信じられませんでしたが、やっと活動らしい活動ができ始め
当時、これで島のごみ問題は解決の道を進むと信じてやみませんでした。

今になって思うのは、最終処分場、ごみ箱、ごみ収集車を日本からコスラエに供与したことで
私たちはコスラエのことを助けているけれど、
これだとコスラエの主体性・自主性を育たせることができていないのでは?
本当に良かったのだろうか?と。

あの時専門家の人や周りの人からいただいたアドバイスを
今になって、客観的に考えることができます。

日本側で良かれと考えて押し付けるのではなく、
時間がかかっても現地の人たちに考えさせることが必要だということ、
でなければ日本人がいなくなればまたもとの状況に必ず戻ってしまうということ、
単に機械や重機を入れれば解決する問題ではないということ、
インフラができても、マネジメントができていなければ、余計な仕事と予算を増やすだけのこと。
目に見えないもの「教育」や「現地の人の持つ能力向上」こそが大切であること。
国際協力ってやっぱり難しいし、まだまだ全然わかっちゃいないんだろうけど
これらのことを身をもって学ぶことができました。
今後の自分の土台になったのは間違いありません。

私は最後に配属先に言いました。
「このプロジェクトは日本政府のプロジェクトではない、コスラエ州政府のプロジェクトでもない、
ましてや私のプロジェクトでもない。
コスラエのために、コスラエ人だけで作ったDT&Iのプロジェクトであることを忘れないで。
DT&Iのスタッフの汗が集結したこのプロジェクトのことを、みなさん自身が誇りに思い、
みなさんの仕事に誇りを持って、コスラエのごみ問題に取り組んでいってほしいと願っています。」


最後になりますが、
コスラエ2年間が充実したものになったのは、
毎日温かい気配りと食事を用意してもらったホストファミリーと
笑いあり汗あり涙ありの、かけがいのない仕事仲間のおかげ。
コスラエ語も英語もままならない私に、
いつでも温かく笑顔で優しく接してくれたコスラエ人みんなのおかげ。
美しい空と海と緑が、いつも見守ってくれていた。
そして。日本でいつも励まして支えてくれた理解力のある両親と恋人と友人のおかげです。
関係者の皆様を含め
本当にありがとうございました。

正直、先週くらい前までは毎日のように
コスラエのことを思い出しては感傷に浸い、
現実から逃げていましたが、
コスラエでもらった大切な宝ものは決して失わないように
この経験を次のステップに生かし、社会へ還元していこうと思います。
今が「スタート地点」です。

そして、いつか必ずもう一度、いや、何回でも大好きなコスラエ島を訪れ、
感謝のお返しをしに訪れようと思います

長文失礼しました。

19年度2次隊 コスラエ州 森田理絵 Srue Bolden Abraham