ミクロネシア 青年海外協力隊環境隊員のブログ

ミクロネシア連邦国において環境分野で活動する青年海外協力隊、シニアボランティアからの報告。コメントお待ちしています。

ポンペイ島、最終処分場の改善工事

2013-06-23 14:27:09 | ポンペイ州



ポンペイ島にある唯一の公共のごみ処分場、タケチックダンプサイト。ここには一日約14tのゴミが運ばれてくる。(ポンペイ島の人口:35,000人)ポンペイにはアルミ缶以外リサイクルがされないため、ありとあらゆるごみ全てがここには運ばれてくる。オープンから16年以上が経っており、もうすでに受け入れ限界に達しているといわれ、数年が経過している。

このダンプサイトとしては初の大規模なリハビリテーション(改善工事)が6月17日(月)~27日(木)のおよそ2週間で実施された。これはJICAが大洋州12か国に対して、5年間に渡り実施している廃棄物対策プロジェクト(通称J-PRISM)の一貫として行われた。このプロジェクトの特徴は「技術援助」を目的としていることだ。工事をドナー国が一方的に進めるのではなく、現地の関係者に実際に工事に参加してもらい、ダンプサイトの改善技術を学んでもらう。そのため、今回はコスラエ州、ヤップ州、チューク州、マーシャル共和国、ポンペイの各村から公共工事、廃棄物関係の人材が集まり、一緒に学び、工事をした。

初日に盛大なオープニングセレモニーがあった。州知事、州議会議員、環境庁大臣などリーダーも列席し、この工事の期待度の高さを感じさせた。というのも、2年前に新規処分場の建設計画があった。アメリカのコンサルタントに依頼をし、はじき出された見積もりは16億円(アクセスロード工事費は別途)。。。途方もない額にみんな思考停止していた。そこにこのプロジェクトがあったため、その期待が高いのも良くわかる。

現場での説明。


初めの一週間はひたすらエクスカベータ2台、ブルドーザー1台でゴミの山を掘り、堤防を作っていく。30m×70mの谷が掘られた。




谷の下流側には浸出液をためる池が掘られた。



翌週からはマンパワーで建設を進めていく。この改善工事は福岡方式(福岡大学より発信)と呼ばれており、途上国の状況に応じた技術が売りだ。

通常、ごみを堆積していくと、下層部は圧密され、空気が循環しなくなる(嫌気性の状態)。そうなると嫌気性発酵進み、メタンガスなどが発生する。これがダンプサイトの悪臭の元だ。これらのガスに着火すると煙が立ち上る。フィリピンのスモーキーマウンテンがその代表的な様子だ。下層部に浸出液(汚染水)を集めるパイプを通し、それらに垂直に穴を開いたパイプ(ベンチレーションパイプ)を接続する。こうすることで内部に空気が送り込まれるようになり、好気性発酵が行われるようになる。分解も早く、悪臭もない。ポンプなどで強制的に空気を送り込む方法もあるが、この方法は自然に空気が循環する仕組みのため準好気性の方式と呼ばれる。

途上国ではお金もなく、資材も揃いにくい。福岡方式は現地にあるもので建設が可能だ。ドラム缶、古タイヤ、現地調達できる岩、パイプも竹で代用可能。廃材利用もすることができ、コストを圧縮することができる。そして、構造がきわめてシンプルなため、知識、技術が特になくともマンパワーで十分に工事ができる。

浸出液を通すパイプの設置。ゴミの荷重に耐えられるように岩で覆う。ここではサンゴの岩を使用した。


ベンチレーションパイプの設置。




3日間炎天下の中、地道に作業を続け完成!




この研修で感動したことがある。EPAの同僚であり現地の責任者であったチャールスの働きぶりである。セレモニーではMCを堂々と務め、現場でも率先して働き、スタッフに対するリーダーシップもすごかった。彼がいなければ、これほど上手く進まなかったのではないかと思う。
正直なところ今までJICAの人材育成という方針に懐疑的な目を持っていた。研修で日本に行っても帰国後なかなかそれが本国で生かされることがないと感じていた。しかし、彼は違った。2年前に日本に研修に行っている。そして、今年二月にはヤップ州で行われた同様のダンプサイトに関する研修にも参加している。そこで学んだことを彼は今回存分に発揮していた。

研修最終日の夕方に彼が言っていたこと。
「これでやることが二つできた。一つはダンプサイトにおけるごみの分別の開始。もう一つは美化活動。小学生をここに連れてきて花を植えるんだ。そして学校の名前を古いタイヤにペイントして入り口に並べていく。そうすれば、もっとみんなダンプサイトに感心が湧くだろう!」

この言葉に本当に感動した。ワクワクした!

彼はこの国の自律的な未来を描いている。
数は少ないかもしれないが、確実に人材は育ってきている。

この貴重で素晴らしい時間を提供して頂いたJ-PRISMの面々に感謝したい。
プロジェクトリーダーの長谷山さん。プロジェクトの立ち上げから長期に渡り、本当にご苦労様でした。

J-PRISMチーフアドバイザー天野さんの言葉。
「物は作ったところから古くなっていくが、人はそうじゃない。成長するし進化する。」


24年度2次隊 ポンペイEPA 浜川




2年間の振り返り(チューク州)

2013-06-20 08:51:54 | チューク州
こんにちは。
6月14日にチューク州を去り、首都ポンペイよりいよいよ本日帰国します。今回は5・6月の合併号とさせていただき、最終号として2年間の活動を振り返ります。

1.平成25年5~6月の主な活動
5月10日に行われた地球会議(Earth Conference)。地球環境を考えるための日として世界的に有名な4月22日のアースデイに絡めて、チュークで初めて実施されたワークショップ。ザビエル高校の先生が提案し、チューク青年協議会(Chuuk Youth Council)との協賛で実施されたものです。





アースデイの今年のテーマは気候変動であったことから、これに合わせて関連機関による発表が行われました。ちなみに私もごみに関して発表しました。


生徒が描いた気候変動に関する絵。今ある家が、将来は海に浸かっています


 その後は同僚への業務の引き継ぎ、JICAへの最終報告書の提出、半年後(早くて)に派遣が予定されている後任への引き継ぎ書の作成などを行った他、配属先からの依頼により、八王子市の取り組み紹介資料を作成しました。内容は、「ごみ有料化を始めとしたごみ減量への取り組み」(ごみ減量対策課で昨年タイ政府の研修員向けに発表した資料を基に作成)と「レジ袋削減に向けた取り組み」の2つ。ミクロネシアでも日本とは状況は違えど同様の問題であり、いくつかの取り組みが検討・実施されているため、チューク以外の他州にも共有しました。

 また、チューク最後の一週間は、お世話になった方々へのお別れの挨拶まわり。顔を合わせると、苦労した時期のこと、新たなごみ収集方法を開始するために重ねた会議、調査で一軒一軒訪問したコミュニティ、冗談を言い合って馬鹿みたいに笑ったことなど、2年間の日々が思い起こされ、思わず込み上げてくるものがありました。さらに夜はJICAボランティアの皆さん、配属先の環境保護局、そしてチュークを離れる前日の晩にはホストファミリーが親戚総出でパーティを開いてくれ、最後の楽しい一時を過ごすことができました。


2.環境部会
首都ポンペイでは、ミクロネシア外務省や日本大使館への表敬訪問、JICA支所への最終報告などを行った他、環境部会が開催されました。今回の目的はミクロネシアに対する支援の方向性を確認すること。



まず、環境問題を担当する連邦政府機関のOEEMを訪問。各ボランティアの活動を報告した他、国としてどのようにごみ問題に取り組み、どのような支援を必要としているか等意見交換を行いました。ミクロネシアでは、連邦政府よりも各州政府が実質的に政策を企画・実施するための力をもっています。そのため、OEEMの取り組みとしては、「政策作成支援」、「施設整備支援」、「研修や会議等の実施」の3点に注力し、各州政府における政策との住み分けを行っています。
普段、各ボランティアは州政府で活動しているため、こうした連邦政府の意見を聞けるのは大変貴重です。また、OEEMとしても首都以外の州の情報は入手しづらいため、お互いに取って価値の高い会議となりました。



次に、ちょうどポンペイを訪問していたJ-PRISM(大洋州地域廃棄物管理改善支援プロジェクト)専門家と日本大使館の職員を交えて意見交換。話し合いの内容は、J-PRISMとボランティアとの連携のあり方、現地における人材育成、ボランティアの役割、小型焼却炉導入の是非等多岐にわたりました。「他の国は病院や学校を建てるなどいわゆるハコモノの援助が多い。これは現地の人にとっても目に見えて分かりやすいし、感謝されている。一方で日本の援助は技術協力を主としており、その成果が見えにくい」とのボランティアの声に、専門家からは「プロジェクトは継続していくことが何より重要。そのためには、現地の人材を育成する必要があり、ボランティア派遣などの技術協力は大きな意味を持っている。」との回答。
私が2年間活動したチュークに何が残せたのかは分かりませんが、現地スタッフ自身で今後も継続してごみ問題に対処してくれることを祈っています。


3.この2年間を振り返って
 振り返ってみると、チュークに来る前から、「治安が悪い」、「電気がない」、「道路は最悪」、「食事に野菜は出ない」、「衛生管理の出来ていない病院には行くな」、「すぐ喧嘩になるので現地人とは酒を飲んではいけない」、などと事前情報として悪いことばかり聞かされていました。そして赴任してから3週間後に、近所で起きた日曜昼間の殺人事件。2年間、ここで無事に生活できるのか不安でいっぱいでした。

 そうして2年が経ち、チュークでの最後の日、ホームステイ先からパパの車で家を出て空港でチェックインを済ます。「後で空港に行くからね」と言っていたママを待てども、いつになっても来ない。結局時間が来てしまい、出国審査を済まして待合室へと。最後のお別れも出来ないままチュークを去ってしまうのかと残念に思っていると、空港職員が「こっちに来い」と言う。何かと思うとそこにはママの姿が。そしておばあちゃんとママの兄さん。おばあちゃんの手にはお土産がありました。「最後の最後までチューク人は何て時間にルーズなんだ!」と言いながら、ママに抱き締められていた私の目からは涙がこぼれ落ちていました。

言いたいことが伝えられずに落ち込んだこと、同僚に怒鳴ってしまったこと、友人からの手紙に涙したこと、子どものように無邪気にはしゃいだこと、この2年間、日本にいた時以上に喜怒哀楽の感情が激しく出ていたような気がします。その分、弱い自分、強い自分と向き合うことができました。
これまであまり気にかけることのなかった、太平洋に浮かぶ小さな小さな島国。日本との歴史的な深いつながり、海や山の美しい自然環境、そしてそこで暮らしている人懐っこい人たち。これからの人生の中で、大切となることをこの地で多く学びました。
最後の空港で涙したことで、やっぱりチュークが好きだったんだなと改めて実感。先に聞かされていた悪評も、実際に暮らしてみれば道路が悪い以外はそんなにひどいことはなく、楽しく過ごすことが出来ました。

 私の活動は、私一人では到底できたものではなく、様々な人たちの協力があったからこそ成し得たものだと感じています。日本大使館の草の根無償のスキームのもと、豊川市、現職参加として送り出してくれた八王子市からごみ収集車を寄贈していただいてから、活動は大きく前進しました。JICAの廃棄物管理プロジェクトのもと度々来られていた専門家にも大変お世話になりました。また、配属先はもちろんのこと、現地NGOや短期大学のスタッフ等の協力があったから、コミュニティでのプロジェクトをスムーズに普及させていくことができました。そしてチュークで一緒に活動してきた隊員や、日本や世界から応援してくれた友人や家族。お世話になった方々の名前を全て挙げることはとてもできませんが、この場をお借りして、深く感謝申し上げます。

Kinisou Chapur! (ありがとうございました)
また日本でお会いしましょう!







チューク州環境保護局 平成23年度1次隊 前川健一