ミクロネシア 青年海外協力隊環境隊員のブログ

ミクロネシア連邦国において環境分野で活動する青年海外協力隊、シニアボランティアからの報告。コメントお待ちしています。

環境クラブ その9-海洋保護区ー

2014-08-28 09:58:02 | ポンペイ州
2014年3月26日、4月2、7日。 今回のテーマは海洋保護区。州政府が管理しているマリーンプロテクトエリア(MPA)に実際に行ってみて、ポンペイの海の現状について学ぶ。

 海に行くということで、安全のために参加するには保護者からの同意が必要だ。事前に予定、目的、そして万が一事故にあった時、学校、スタッフは責任を負わないという条件に同意を貰う。実際、45名のメンバーのうち数名の保護者は参加を認めなかった。
毎回、外部機関に協力をしながらプログラムを実施しているが、今回はConservation Society of Pohnpei ポンペイ環境保護協会というNGO団体にお世話になった。かれらは10年以上ポンペイの環境について保護活動を続けている団体で、資金力もあり、スタッフ数も10名ほどでかなりアクティブな団体である。僕もかれらが行っている学校訪問授業に同行して授業をさせて貰っている。マリーンチームはMPAの管理、モニタリングを請け負っており、今回はスタッフにボートを出してもらい案内をしてもらった。

 さて、実施日が3日間に渡ったのには理由がある。毎回、オオミネ小とコロニア小別々にプログラムを実施しているのだが、コロニア小の回に予期せぬ出来事が(4/2)。。。
 校長は環境クラブの運営に非常に協力的で、MPAにいくことは課外活動として非常に有意義であるからカリキュラムとして授業時間中に行けば良い、そうすれば時間もたっぷりつかえて良いだろう、と提案してくれた。しかし、僕の考えとしてはそうすると、クラブの子とそうでない子で差ができてしまうし、クラブの活動自体はあくまでカリキュラムの+アルファの位置づけであるため、授業時間を使ってまでは。。。と伝えたが、結局校長の采配により、午後1時から出発することになった。
 ちょうどこの日は4半期の第3学期の終わりの週。4半期の終わりにはクラスでピクニックや映画を見たり、自由な活動をするのが恒例である(クォーターエンドセレブレーション)。7年の先生の1人がこのMPA訪問の企画を知り、うちのクラスの子どもたちも連れて行きたいと申し出てきた。というのも彼のクラスには20人中9名のクラブメンバーがおり、1時からメンバーがクラブに行ってしまうと授業ができない。だから、この日に期末の活動としてMPAにピクニックに行く。そうすれば、子どもたちも同じ体験ができて良い。と言ってきた。校長の承認も得てきた彼は、すぐさま保護者の同意書も作成し、CSPからの協力も取り付けてきた。ということで、彼のクラスの環境クラブのメンバーは朝からクラスの友達と一緒に参加し、1時に環境クラブのメンバーがMPAで合流し、彼のクラスの子は帰るという何とも複雑なことになった。

そして、当日、予期せぬ出来事が起こる。
朝10時ごろ、南米チリでM8.5の地震が発生。
ハワイにある太平洋津波警報センターによると津波がポンペイに到着するのはその日の夜8時ごろとの予測。
これなら予定通り行けると判断し、準備を進める。
この時点で一クラスはもう既にMPAで活動をしている。
午後1時前にクラブのメンバーは学校に集合し、スクールバスでCSPの港へ向かう。
ライフジャケットを着て、良しこれから海へ出ようとしたとき、JICA支所から着信が。
「津波が来ないという保証はないので、会場活動は中止してください」と。。。
子どもたちに必ず別の日に行うことを約束し、津波の可能性があるから今日は中止ということを伝える。
「他のクラスの子はいっとるやん」「津波なんか来ない」
とブーブーいうメンバー。

 実際、ポンペイ島には津波で被害を受けたという経験が歴史的にないらしい。3.11の時も波が普段と違う動きをしただけで被害はなかったとのこと。地形的にアウターリーフがバリアのように島を囲っていること、島が丸い形のため、波のエネルギーを受け流すことなどが、被害のない理由とされている。
 学校に戻り校長に報告をするとそれは中止にして良かった。それなら、今度津波について授業をしてくれ、ということになり、翌週に7年生全員に授業を行った。3.11の被害の映像を見せ、その恐ろしさを伝えた。彼らがポンペイで1000年に一度の被害に合わないとは限らないし、離島、外国で津波に合わないとも限らない。禍転じて良い機会になったと思う。

 ということで、いろんなことがあったわけだが、予定が変わるのはポンペイの常。
 それでは、MPAでの様子をどうぞ。


ライフジャケットは必須。






ランガル島に到着。ここは日本統治時代に水上飛行艇の離発着所として機能していた。旧日本軍の基地として利用され、いまだに巨大な重油タンクやトロッコ線路のあと、砲台などが残る。


MPAの概要についてCSPのスタッフより説明を受ける。
海洋保護区は貴重な生態系や壊された生態系を回復のため保護することが目的で、ポンペイ州内に10数か所設定されている。
当然禁漁区であり、海上警察がパトロールもしている。


コロニア小のメンバーは時間があったため、島のゴミひろいを実施。
ここで、人一倍熱心にゴミ拾いをするメンバーがいた。彼はのちに「努力賞」を授与されることになる。


先生もゴミ拾い。

 ランガル島を出て、MPAエリアであるサプチック島の付近を回り、CSPに戻った。
 海の民と呼ばれるミクロネシアの人々。1975年の沖縄海洋博の時にはヤップ州サタワル島から星、波の方向など頼りに進む航海術と伝統的なカヌーで沖縄まで3000kmの航海を成功させている(チェチェメニ号は大阪の国立民族学博物館に保存されている)。しかし、その航海術も伝承の危機にある。ポンペイのコロニアの子どもに至っては、海で泳いだ経験もない子も多い。ポンペイ人として海のことは何でも知っておいて欲しいという日本人の勝手な思いもあって、企画したMPA訪問である。


24年度2次隊 浜川喬弘









 

 

環境クラブ その8-コンポストー

2014-08-27 10:42:41 | ポンペイ州
 2014年3月21、24日。環境クラブ8回目の今日は「水」シリーズ第三弾、コンポストである。水とコンポスト(堆肥)がなぜ繋がるのか?それはポンペイのライフスタイルと密接な関係がある。これまでにお伝えしてきたようにポンペイで最も重要視されるものの一つに豚がある。その豚小屋から出る糞尿が水の汚染源の一つなのである。この糞尿を水質汚染せずに有効利用するのが「ドライリターメソッド」(僕なりに訳すと「乾式豚糞処理方式」)と言われるコンポストの生成法である。
 
 子どもたちはスクールバスに乗り込み、一路コンポストを作るテストサイトがあるミクロネシア短期大学農業科へ向かう。
 車内は完全に遠足気分である。

 このスクールバス。日本から供与されたもので、幼稚園で使われていたもの。車内はケロケロケロッピのシートが配置されファンシーな雰囲気。ボディには「○○幼稚園」とネームが入っている。
 30分ほど走り、丘の上に建つ短大に到着。


 豚舎にはたくさんの豚が。


 豚舎はわずかに傾斜があり、谷側に木質チップが供給される。豚の糞尿は自然とチップと混ざり、谷側に切られた溝に自然と落ちていく。溝にたまったチップと糞尿は養生するための区画に移され発酵していく。発酵段階に応じて順に隣の区画に移されていく。一つの区画が10日から2週間ほどで、4つ区画を進む。およそ2月ほどでコンポストの完成となる。


第一区画では発酵熱が大きく、空気を取り入れるためのパイプに手をかざすと蒸気が立ち上ってくるのがわかる。この過程で糞尿が滅菌され、衛生的な堆肥となる。ポンペイでは生活用水として河川の水を使っていることが多いため、糞尿をそのまま河川に流すと菌よる感染症が起こることがあり、最近このことが問題視されている。そのため、このシステムは水を汚さない、衛生的である、堆肥を得るというまさに一石三鳥の方法なのである。



 
 できたコンポストの匂いを嗅ぐ。糞尿のにおいは全くない。



 子どもたちは一人一本枝を持ってきた。木質チップを作るチッパーに枝を投入し、チップ作りを体験する。このチッパーまたもや日本から供与されたものである。機械はメイドインカナダである。



かなりの騒音、大きな枝でも一瞬でチップにするチッパーに子どもたちも興奮。



 現状この方式は、アメリカの援助によりポンペイの数か所に試験的に導入されているのみである。豚舎を新設しなければいけないこと、チップの供給の問題があり、市民レベルにはまだ広がってはいないが、ポンペイにおいて非常に有効なものであると思う。作成したコンポストは販売もされており、そこそこ売れているらしい。現金を手にすることができるという点でも魅力的な方法である。

 因みに、豚のし尿よる水質汚染の解決策として中国が援助、展開しているメタンガス発酵槽がある。し尿を集め嫌気発酵をさせ、メタンガスを生成させ、ガスとして使えるようにしたものである。ガスはガス灯やガスコンロとして使われている。これも一部の家庭に数か所導入されているが、導入後のフォローがなく、広がりを見せていない。


 次回のテーマは「海」。ポンペイの自然について学でいく。


 24年度2次隊 浜川喬弘

環境クラブ その7-廃油キャンドルー

2014-08-27 09:07:55 | ポンペイ州

 2014年3月12日、18日。環境クラブ7回目の今日は廃油キャンドルを作る。テーマ「水」シリーズの第2弾。前回は水の汚染について学び、今回はその汚染源の一つ、台所から出る廃油を使ってキャンドルを作った。冒頭、油がどれくらい環境に悪いのかを知る。油の中では生物、微生物は呼吸ができないため窒息死する。それではコップ一杯の油を環境にダメージを与えないようにするにはどれくらいの水で希釈する必要があるのか?


 当初、廃油キャンドルではなく、廃油石鹸を作ることを考えた。ココナッツ油から石鹸を作る会社から硬化剤となる苛性ソーダを分けてもらい試作した。しかし、なかなか固まらない。いろいろ調べてみると油の種類、状態によって硬化剤の適正量はシビアに異なり、集めた油で作るのは難しいことが分かった。どうしようかと思っていると、ポンペイにあるではないか!「固めるテンプル」!日本からの輸入物資を扱う「ヨシエ」に。恐るべしヨシエ!(ちなみにヨシエには日本のおなじみの品が何でもある。カラムーチョ、ポッカのコーヒー、洗剤のアタックなどなど。他州の隊員はポンペイに来るとヨシエで日本食を大量に買い込んで帰る。)

 さて、子どもたちに小さめのビンと家庭から出る廃油を持ってきてもらう。作り方はいたって簡単。キャンドルに色を付けるために好きな色のクレヨンを削る。凝固剤を溶かした廃油をビンに流し込み、芯となる紐を割り箸ではさみビンに入れる。あとは温度が下がれば、廃油が固まりキャンドルの完成。

クレヨンを削る。




EPAのスタッフが廃油を温めるのをサポート。


オオミネ小のJICAボランティアとピースコーボランティア。


冷えるのを待つ。


一晩待って、完成の図。


 この廃油キャンドル作りの良いところに、キャンドルを通して家庭との交流が生まれることがあると思う。持ち帰ったキャンドルは実用的であるし、なぜこれを作ったのかを伝えることで、家族を巻き込んでいくことができる。
 しかし、ポンペイでの実践は良い面と難しい面があることが分かった。まず、良い面とは停電がたびたび起こること、離島では電力供給もなく明かりがとれることから実用的であるという点。知り合いのポンペイ人に作り方を紹介したところ、実際にデモを頼まれ、彼女は離島でのワークショップでこれを紹介したいと息込んでいた。
 一方、難しい面とはポンペイのライフスタイルに関係する。そもそも台所からでる廃油がかなり少ないのである。揚げ物が大好きなポンペイ人。ホームステイ先でも毎日のようにフライドチキン、揚げ魚、揚げバナナがでる。油がかなり古くなっても使う。さらに古くなった油は炒め物に回される。実際、子どもたちが持ってきた油の中には、白くなり個体化した脂肪のようになったものもあった。このように家庭では徹底的に利用されている。当初レストランからは大量に廃棄されていると思い、レストランに廃油を貰いに行った。しかし、全てのレストランで廃油は決まった日に従業員がまとめて持ち帰るようになっていた。見た目かなり黒い油が引き取られていく。
 このような現状を知るに至り、ポンペイでの実践的な導入は難しいと感じた。しかし、教育的側面から見れば、廃油が環境に悪いものだと認識してもらうための体験学習として十分に意味があると思い実施した。


 廃油キャンドル作りについてスタッフと相談していると、こんなもの↓を見せてくれた。お隣の国パラオで昔使われていたランプ。土の器にヤシ油を入れ、火をともすことができる。


 次回は水シリーズ第三弾。コンポスト。


24年度2次隊 浜川喬弘