2014年3月26日、4月2、7日。 今回のテーマは海洋保護区。州政府が管理しているマリーンプロテクトエリア(MPA)に実際に行ってみて、ポンペイの海の現状について学ぶ。
海に行くということで、安全のために参加するには保護者からの同意が必要だ。事前に予定、目的、そして万が一事故にあった時、学校、スタッフは責任を負わないという条件に同意を貰う。実際、45名のメンバーのうち数名の保護者は参加を認めなかった。
毎回、外部機関に協力をしながらプログラムを実施しているが、今回はConservation Society of Pohnpei ポンペイ環境保護協会というNGO団体にお世話になった。かれらは10年以上ポンペイの環境について保護活動を続けている団体で、資金力もあり、スタッフ数も10名ほどでかなりアクティブな団体である。僕もかれらが行っている学校訪問授業に同行して授業をさせて貰っている。マリーンチームはMPAの管理、モニタリングを請け負っており、今回はスタッフにボートを出してもらい案内をしてもらった。
さて、実施日が3日間に渡ったのには理由がある。毎回、オオミネ小とコロニア小別々にプログラムを実施しているのだが、コロニア小の回に予期せぬ出来事が(4/2)。。。
校長は環境クラブの運営に非常に協力的で、MPAにいくことは課外活動として非常に有意義であるからカリキュラムとして授業時間中に行けば良い、そうすれば時間もたっぷりつかえて良いだろう、と提案してくれた。しかし、僕の考えとしてはそうすると、クラブの子とそうでない子で差ができてしまうし、クラブの活動自体はあくまでカリキュラムの+アルファの位置づけであるため、授業時間を使ってまでは。。。と伝えたが、結局校長の采配により、午後1時から出発することになった。
ちょうどこの日は4半期の第3学期の終わりの週。4半期の終わりにはクラスでピクニックや映画を見たり、自由な活動をするのが恒例である(クォーターエンドセレブレーション)。7年の先生の1人がこのMPA訪問の企画を知り、うちのクラスの子どもたちも連れて行きたいと申し出てきた。というのも彼のクラスには20人中9名のクラブメンバーがおり、1時からメンバーがクラブに行ってしまうと授業ができない。だから、この日に期末の活動としてMPAにピクニックに行く。そうすれば、子どもたちも同じ体験ができて良い。と言ってきた。校長の承認も得てきた彼は、すぐさま保護者の同意書も作成し、CSPからの協力も取り付けてきた。ということで、彼のクラスの環境クラブのメンバーは朝からクラスの友達と一緒に参加し、1時に環境クラブのメンバーがMPAで合流し、彼のクラスの子は帰るという何とも複雑なことになった。
そして、当日、予期せぬ出来事が起こる。
朝10時ごろ、南米チリでM8.5の地震が発生。
ハワイにある太平洋津波警報センターによると津波がポンペイに到着するのはその日の夜8時ごろとの予測。
これなら予定通り行けると判断し、準備を進める。
この時点で一クラスはもう既にMPAで活動をしている。
午後1時前にクラブのメンバーは学校に集合し、スクールバスでCSPの港へ向かう。
ライフジャケットを着て、良しこれから海へ出ようとしたとき、JICA支所から着信が。
「津波が来ないという保証はないので、会場活動は中止してください」と。。。
子どもたちに必ず別の日に行うことを約束し、津波の可能性があるから今日は中止ということを伝える。
「他のクラスの子はいっとるやん」「津波なんか来ない」
とブーブーいうメンバー。
実際、ポンペイ島には津波で被害を受けたという経験が歴史的にないらしい。3.11の時も波が普段と違う動きをしただけで被害はなかったとのこと。地形的にアウターリーフがバリアのように島を囲っていること、島が丸い形のため、波のエネルギーを受け流すことなどが、被害のない理由とされている。
学校に戻り校長に報告をするとそれは中止にして良かった。それなら、今度津波について授業をしてくれ、ということになり、翌週に7年生全員に授業を行った。3.11の被害の映像を見せ、その恐ろしさを伝えた。彼らがポンペイで1000年に一度の被害に合わないとは限らないし、離島、外国で津波に合わないとも限らない。禍転じて良い機会になったと思う。
ということで、いろんなことがあったわけだが、予定が変わるのはポンペイの常。
それでは、MPAでの様子をどうぞ。
ライフジャケットは必須。
ランガル島に到着。ここは日本統治時代に水上飛行艇の離発着所として機能していた。旧日本軍の基地として利用され、いまだに巨大な重油タンクやトロッコ線路のあと、砲台などが残る。
MPAの概要についてCSPのスタッフより説明を受ける。
海洋保護区は貴重な生態系や壊された生態系を回復のため保護することが目的で、ポンペイ州内に10数か所設定されている。
当然禁漁区であり、海上警察がパトロールもしている。
コロニア小のメンバーは時間があったため、島のゴミひろいを実施。
ここで、人一倍熱心にゴミ拾いをするメンバーがいた。彼はのちに「努力賞」を授与されることになる。
先生もゴミ拾い。
ランガル島を出て、MPAエリアであるサプチック島の付近を回り、CSPに戻った。
海の民と呼ばれるミクロネシアの人々。1975年の沖縄海洋博の時にはヤップ州サタワル島から星、波の方向など頼りに進む航海術と伝統的なカヌーで沖縄まで3000kmの航海を成功させている(チェチェメニ号は大阪の国立民族学博物館に保存されている)。しかし、その航海術も伝承の危機にある。ポンペイのコロニアの子どもに至っては、海で泳いだ経験もない子も多い。ポンペイ人として海のことは何でも知っておいて欲しいという日本人の勝手な思いもあって、企画したMPA訪問である。
24年度2次隊 浜川喬弘
海に行くということで、安全のために参加するには保護者からの同意が必要だ。事前に予定、目的、そして万が一事故にあった時、学校、スタッフは責任を負わないという条件に同意を貰う。実際、45名のメンバーのうち数名の保護者は参加を認めなかった。
毎回、外部機関に協力をしながらプログラムを実施しているが、今回はConservation Society of Pohnpei ポンペイ環境保護協会というNGO団体にお世話になった。かれらは10年以上ポンペイの環境について保護活動を続けている団体で、資金力もあり、スタッフ数も10名ほどでかなりアクティブな団体である。僕もかれらが行っている学校訪問授業に同行して授業をさせて貰っている。マリーンチームはMPAの管理、モニタリングを請け負っており、今回はスタッフにボートを出してもらい案内をしてもらった。
さて、実施日が3日間に渡ったのには理由がある。毎回、オオミネ小とコロニア小別々にプログラムを実施しているのだが、コロニア小の回に予期せぬ出来事が(4/2)。。。
校長は環境クラブの運営に非常に協力的で、MPAにいくことは課外活動として非常に有意義であるからカリキュラムとして授業時間中に行けば良い、そうすれば時間もたっぷりつかえて良いだろう、と提案してくれた。しかし、僕の考えとしてはそうすると、クラブの子とそうでない子で差ができてしまうし、クラブの活動自体はあくまでカリキュラムの+アルファの位置づけであるため、授業時間を使ってまでは。。。と伝えたが、結局校長の采配により、午後1時から出発することになった。
ちょうどこの日は4半期の第3学期の終わりの週。4半期の終わりにはクラスでピクニックや映画を見たり、自由な活動をするのが恒例である(クォーターエンドセレブレーション)。7年の先生の1人がこのMPA訪問の企画を知り、うちのクラスの子どもたちも連れて行きたいと申し出てきた。というのも彼のクラスには20人中9名のクラブメンバーがおり、1時からメンバーがクラブに行ってしまうと授業ができない。だから、この日に期末の活動としてMPAにピクニックに行く。そうすれば、子どもたちも同じ体験ができて良い。と言ってきた。校長の承認も得てきた彼は、すぐさま保護者の同意書も作成し、CSPからの協力も取り付けてきた。ということで、彼のクラスの環境クラブのメンバーは朝からクラスの友達と一緒に参加し、1時に環境クラブのメンバーがMPAで合流し、彼のクラスの子は帰るという何とも複雑なことになった。
そして、当日、予期せぬ出来事が起こる。
朝10時ごろ、南米チリでM8.5の地震が発生。
ハワイにある太平洋津波警報センターによると津波がポンペイに到着するのはその日の夜8時ごろとの予測。
これなら予定通り行けると判断し、準備を進める。
この時点で一クラスはもう既にMPAで活動をしている。
午後1時前にクラブのメンバーは学校に集合し、スクールバスでCSPの港へ向かう。
ライフジャケットを着て、良しこれから海へ出ようとしたとき、JICA支所から着信が。
「津波が来ないという保証はないので、会場活動は中止してください」と。。。
子どもたちに必ず別の日に行うことを約束し、津波の可能性があるから今日は中止ということを伝える。
「他のクラスの子はいっとるやん」「津波なんか来ない」
とブーブーいうメンバー。
実際、ポンペイ島には津波で被害を受けたという経験が歴史的にないらしい。3.11の時も波が普段と違う動きをしただけで被害はなかったとのこと。地形的にアウターリーフがバリアのように島を囲っていること、島が丸い形のため、波のエネルギーを受け流すことなどが、被害のない理由とされている。
学校に戻り校長に報告をするとそれは中止にして良かった。それなら、今度津波について授業をしてくれ、ということになり、翌週に7年生全員に授業を行った。3.11の被害の映像を見せ、その恐ろしさを伝えた。彼らがポンペイで1000年に一度の被害に合わないとは限らないし、離島、外国で津波に合わないとも限らない。禍転じて良い機会になったと思う。
ということで、いろんなことがあったわけだが、予定が変わるのはポンペイの常。
それでは、MPAでの様子をどうぞ。
ライフジャケットは必須。
ランガル島に到着。ここは日本統治時代に水上飛行艇の離発着所として機能していた。旧日本軍の基地として利用され、いまだに巨大な重油タンクやトロッコ線路のあと、砲台などが残る。
MPAの概要についてCSPのスタッフより説明を受ける。
海洋保護区は貴重な生態系や壊された生態系を回復のため保護することが目的で、ポンペイ州内に10数か所設定されている。
当然禁漁区であり、海上警察がパトロールもしている。
コロニア小のメンバーは時間があったため、島のゴミひろいを実施。
ここで、人一倍熱心にゴミ拾いをするメンバーがいた。彼はのちに「努力賞」を授与されることになる。
先生もゴミ拾い。
ランガル島を出て、MPAエリアであるサプチック島の付近を回り、CSPに戻った。
海の民と呼ばれるミクロネシアの人々。1975年の沖縄海洋博の時にはヤップ州サタワル島から星、波の方向など頼りに進む航海術と伝統的なカヌーで沖縄まで3000kmの航海を成功させている(チェチェメニ号は大阪の国立民族学博物館に保存されている)。しかし、その航海術も伝承の危機にある。ポンペイのコロニアの子どもに至っては、海で泳いだ経験もない子も多い。ポンペイ人として海のことは何でも知っておいて欲しいという日本人の勝手な思いもあって、企画したMPA訪問である。
24年度2次隊 浜川喬弘