幸福の芽 happy sprout みろく maitri

《心の時代へのパラダイムシフト》 自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

自己保身の心と合わせ鏡

2012-03-03 08:43:00 | みろく神示
※20:55加筆、修正しました。


自己保身の心は自分を守ろうとしてうそをついたり、
誰か身近にいた人のせいにしたり、その環境にいる人のせいにしたり
そうして自分を守ろうとする心です。
または相手を無き者(亡き者)として自分を正当化しようとする心、
自分を守るためなら積極的に人を害してでも自分を守る心です。
非常に悪意があるもので、私はこれを「積極的な悪」と呼んでいます。

以前、知って犯す罪と知らずに犯す罪とどちらのほうが
罪が重いかと書いたことがあります。
この時の知って犯す罪は自分が悪いと知っていて犯す罪、
自分のことを悪者として認識し、そう思われても仕方ないと
思っている人の罪、
知らずに犯す罪はこれは因果の理法と関係があり、
因果の理法で気づきがないとどんどん罪が重くなってしまうと
いうことがあります。
しかし、このどちらも悪としては「消極的な悪」となります。

「積極的な悪」も「消極的な悪」もどちらも間違った行いですが、
人を害しても自分を守ろうとすることは実は非常に重い罪です。
日本という法治国家の中でもそういう内容が多く含まれていると
思います。

合わせ鏡は普通、二つの鏡で自分の姿を映し出して見るものです。
ひとつの鏡で自分を映し、違う角度からもうひとつ別の鏡で
自分の姿を映して合わせ鏡にして自分の姿を見る。

相対する人は自分の合わせ鏡であるということが昔から
言われていると思います。
自分のしている行動を相対する人もしていて同じことを
している自分の姿を現しているということであると思います。
自分が気がつかないで相手の行動をみて自分の姿だと気づき、
ちょうど合わせ鏡で自分を映し出しているように見え、
行動を改めるということでひとつの悟りの縁になると思います。

ここ数年も、それよりずっと長い長い期間も、
私を悪者に仕立てようと裏で動きまわっている人たちがいます。
私のブログにも時々、私に攻撃をしてくる人として
書かれていますが、この人たちはなぜそのようなことをしているか、
それは後ろめたさがあるからです。
何もなかったら長い時間かけて追いかけてまで私を悪者に
仕立てる必要はないでしょう。
私が表に出ると自分たちの悪いことがばれてしまうという
自己保身の心があるからです。そうでなければ長い時間かけて、
そのような行動をすることはないでしょう。
そしてそのような人たちは周りの人を巻き込んでいきますが、
本人の前には現れません。

私がこのブログの2010年7月に書いた私の人生を大きく
変えてしまった事件の人もその人がもっと若い頃にそういうことを
していた人で私は怖かったのです。
私に罪をきせた人もいます。自分を守るために多くの人を
巻き込んでいます。
最近書いた「出会った人」もそうです。自分の過去の罪を言わず、
私のことは自分に罪を着せられないように私の悪口を
言いふらしました。私がこのブログを書き始める前のことです。
長い年月、私を追いかけて悪者にしようとしています。
そして「彼女」は私が「嘲てはいけない」と伝えた後、上の人を
巻き込み、数年間の私の説得を無視してずっと私を排除し続け、
彼や彼らから聞いた悪口を言いふらしました。「彼女」の妹が
そこの所属で何をしたかも顧みることもなく
私を悪く言い続けました。(主エルの指示で書いています)
パンドラの箱を開けてしまったのはこのような心を持つ彼らです。

自分たちが悪いと知っていて相手を攻撃し自己を
正当化しようとする、
その人たちの後ろめたさは相手を攻撃し無き者にすれば
自分が正当化されると思って攻撃している。
その心は醜く、攻撃をしている相手の姿を合わせ鏡で
見ているように見える。この姿は・・。


ではどうすれば良かったのでしょうか。
まず、悪を犯さなかったら良いでしょう。
人は間違うことがある、しかし、悔い改めることもできます。
間違ったときに人のせいにして自己保身に入らないことは
もっとも大切です。
自ら身を整え、日頃においては「寛容さ」を身につけると
いうことも大切なことだと思います。







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