Gerryたん無しには生きられず(おいおい)、映画はお気に入りスターで観るものさーなんて自分でも思っているわたしの、何故かこればっかりは絶対揺らがない一本、「アマデウス」。
モーツァルトの映画かーふーん、なんてぱらっと観ちゃってもう大変でした。
頭がつんと殴られた上に、音楽が細胞にしみこむような編成、モーツァルトの音楽は知っていても、あんな人だったの?とか(もちろん推測と創作ではあっても)、サリエリ??誰???とか思いつつも、巧みな構成に引き込まれてしまいました。特に好きなのは、サリエリがモーツァルトの家に行き、コンスタンツェから楽譜を見せてもらい、次々に楽譜を繰る場面。楽譜を繰る度に美しい音楽が溢れるように流れ出て、その素晴らしさにサリエリが涙する。転じて老いたサリエリの独白になり「小さく仕切られた箱の中に、わたしは完璧な美を見た」というセリフ。モーツァルトの天才を理解出来るのに、同じ作曲家なのに、自分は絶対にモーツァルトの高みへは到達することの出来ないことを知ったサリエリの憧れと絶望が湧き上がる名場面です。
天才と凡人の差は何か、神に愛されるか愛されないかという究極のテーマが天上の音楽と共に降り注ぐ、絶世の一本。
「オペラ座の怪人」で、支配人のひとり、アンドレを演じていたサイモン・カロウ氏がモーツァルトの友人で庶民の劇団を率いるサイモン・シカネーダーという役で出ています。パパゲーノ役になったりしてました。きゃは。
あー、観たいなあ、「アマデウス」も。ディレクターズ・カット版かー。うううう、でもやっぱファントムに行くな。
どうなんだよ、オイラそのあたりの愛の差は。ごめーん!
ああ、それで、「アマデウス」のラストにかかるピアノ協奏曲K466の第二楽章に落涙。悲しいとかじゃなく、しみじみと涙が出ます。涙が押し出される感じ。
音楽の美しさと、人間のはかなさにボロボロと泣けた。
橋本お近い方は、余裕があったら「アマデウス」もご覧ください。
だーーーけど、モーツァルト弾くのは嫌。「トルコ行進曲」でこりごりっす。
もっと難しい曲もあるだろうけど、モーツァルト節についていけないの、凡人だからわたしぁ。楽譜の構成が「こいつ自分は弾けるから無茶書いてるだろー!」っていうか。ムキョーなんです。ってわかんないねこれじゃ。はーとにかく弾くのは嫌。
モーツァルトの映画かーふーん、なんてぱらっと観ちゃってもう大変でした。
頭がつんと殴られた上に、音楽が細胞にしみこむような編成、モーツァルトの音楽は知っていても、あんな人だったの?とか(もちろん推測と創作ではあっても)、サリエリ??誰???とか思いつつも、巧みな構成に引き込まれてしまいました。特に好きなのは、サリエリがモーツァルトの家に行き、コンスタンツェから楽譜を見せてもらい、次々に楽譜を繰る場面。楽譜を繰る度に美しい音楽が溢れるように流れ出て、その素晴らしさにサリエリが涙する。転じて老いたサリエリの独白になり「小さく仕切られた箱の中に、わたしは完璧な美を見た」というセリフ。モーツァルトの天才を理解出来るのに、同じ作曲家なのに、自分は絶対にモーツァルトの高みへは到達することの出来ないことを知ったサリエリの憧れと絶望が湧き上がる名場面です。
天才と凡人の差は何か、神に愛されるか愛されないかという究極のテーマが天上の音楽と共に降り注ぐ、絶世の一本。
「オペラ座の怪人」で、支配人のひとり、アンドレを演じていたサイモン・カロウ氏がモーツァルトの友人で庶民の劇団を率いるサイモン・シカネーダーという役で出ています。パパゲーノ役になったりしてました。きゃは。
あー、観たいなあ、「アマデウス」も。ディレクターズ・カット版かー。うううう、でもやっぱファントムに行くな。
どうなんだよ、オイラそのあたりの愛の差は。ごめーん!
ああ、それで、「アマデウス」のラストにかかるピアノ協奏曲K466の第二楽章に落涙。悲しいとかじゃなく、しみじみと涙が出ます。涙が押し出される感じ。
音楽の美しさと、人間のはかなさにボロボロと泣けた。
橋本お近い方は、余裕があったら「アマデウス」もご覧ください。
だーーーけど、モーツァルト弾くのは嫌。「トルコ行進曲」でこりごりっす。
もっと難しい曲もあるだろうけど、モーツァルト節についていけないの、凡人だからわたしぁ。楽譜の構成が「こいつ自分は弾けるから無茶書いてるだろー!」っていうか。ムキョーなんです。ってわかんないねこれじゃ。はーとにかく弾くのは嫌。