語りの夏=玉木研二
ドキュメンタリー映画「嗚呼(ああ) 満蒙(まんもう)開拓団」は全編を残留孤児ら体験者たちの語りで貫いている。監督の羽田澄子(はねだすみこ)さん(83)自身、旧満州大連からの引き揚げ者だが、当時は情報が閉ざされ、開拓民らの惨状は知らされなかった。「ラストチャンス」と意を決して撮られた作品である。
驚くべきことに、戦争の最末期まで開拓団の募集は続けられた。1945年5月26日に山梨から渡った一家がある。海軍は壊滅し、沖縄が落ちようとしていた時である。ドイツもとうに敗れ、日本は文字通り「世界の孤児」だった。
それでも「土地も米もある」とこの世の楽土のように言い、国民を送り出し続けた行政とは何か。役場の吏員に悪意はなく、中央に連なる役人たちも「職務通りにやっただけ」と言い張るだろう。
8月、一家は遅れて家財荷物が届いたその日、団長から「日本は負けた。逃げろ」と言われ、異土に離散した。
20歳だった元憲兵の証言。軍と官庁の高官家族専用の避難列車が仕立てられ、護衛を命じられた。駅頭に一般の難民が続々集まり列車を求めたが、乗せない。その時「何ら罪悪感は感じなかったです。当然の行動だと思った」。
また軍人の息子だった男性は難民をかき分けて行く軍のトラックに乗せられた。軍人家族は最優先だ。「乗せて」とすがる人々の手が振り払われる光景を忘れない。
証言者の多くは当時未成年だった。その後に子供の目に焼き付けた逃避行中の惨劇は聞くにいたたまれない。
そして、かいま見える軍や官庁のノッペリとした非情の顔。個々の構成員に悪意はなくとも全体で大きく誤る、今に通ず不可解でおぞましい組織メカニズムがそこにある。(論説室)
毎日新聞 2009年7月28日 東京朝刊
RIMIの世界=磯崎由美
彼女の名前はRIMI(利美)。生まれも育ちも東京・六本木で、アラフォーのバツイチ。事務のバイトや手話通訳が普段の仕事だ。
7月最後の日曜日、彼女は川崎市の小劇場で舞台に立った。猛暑というのに150人の客席は満杯になった。
自身を「手話パフォーマー」と呼ぶ。手話とダンスをミックスし、流れる曲に合わせ歌を体全体で表す。初めは歌詞を直訳するので精いっぱいだった。今は詞を読み込みどう表現するか考える。美空ひばりもEXILEも、彼女が演じれば「RIMIの世界」になるから不思議だ。ある健聴者のファンは言った。「何気なく聞いていた歌が、こんなにいい曲だったなんて」
先天的な聴覚障害で高音が聞こえていないと分かったのは、小学生になってからだ。「たまご」と「たばこ」が同じに聞こえる。新しい言葉を覚えられず、教科書や友達との会話で意味の分からない言葉が増えた。社会に出ても、障害があると知られてはクビになる繰り返しだった。
30歳を過ぎ、手話を学んでみた。音楽や芝居で自分を表現している多くのろう者たちと出会い、気づかされた。「ミュージカル女優になりたくても、私には言葉が足りない」と扉を閉ざしていたのは、自分自身だった。
客席には聞こえる人、聞こえない人、何度も来ている人もいる。明るい歌の中で、気がつくと私は泣いていた。手話を知らなくても、見るたびに胸にこみあげてくるものがある。なぜだろう。彼女の苦労を知っているからではないことだけは分かった。
あきらめかけたものを自分の力でたぐり寄せた。その誇りと喜びが伝わってくるからかもしれない。(生活報道部)
毎日新聞 2009年7月29日 東京朝刊
「民主政権」の信を問う?=与良正男
変われば変わるものだと思う。民主党の衆院選マニフェストを発表した鳩山由紀夫代表の記者会見には約500人の報道陣が詰めかけ、新聞だけでなくテレビでも大々的な報道が続いている。政権交代が現実味を帯びてきたからだろうが、野党の政策がこんなに注目されたのは今までなかっただろう。
三重県知事だった北川正恭・現早大大学院教授が「何でもやります。でも当選した後は知らんぷり」の従来型公約ではなく、政策を実行するため必要な財源や計画表をきちんと書き込んだマニフェストを--と初めて提唱したのは03年1月だった。
当時は政治記者の中にも「カタカナ言葉に変えただけ」とからかう向きがあった。北川氏や周辺の学者らが「マニフェスト=政権公約」と日本語に訳すのにもかなりの議論を費やしたものだった。
それがどうだろう。今や言葉の意味など説明しなくても済むほど定着した。「民主党は本当に約束を実現できるのか」「財源は大丈夫か」など、まさにマニフェストの本質といえる議論が人々の間でも日常的に交わされるようになった。これは大きな変化だ。
前回衆院選のような刺客ブームといったものがないのも、きっといいことだ。より政策中心の衆院選になる予感がする。というより、自民党が「絵空事だ」「ばらまきだ」といった民主党批判を繰り返すのを聞いていると、既にどちらが与党か野党か分からなくなっている。
何だか「民主党政権」の信を問う選挙のような様相だ。これもまたマニフェストの力かもしれぬ。無論、民主党にとっては、これからますます有権者の厳しい目が注がれるという話でもある。(論説室)
毎日新聞 2009年7月30日 東京朝刊
プリウスの国では=福本容子
日本の少子化について話す機会があった。相手はアフリカなど途上国から研修に来ている政府関係の人たち10人。最近は晩婚や非婚で30代、40代でも独身というケースが増えています、と説明していたら質問が出た。「結婚はしないけど同居って人たちですか」
? 何を聞かれたのか、ぴんとこなかった。「1人暮らしが多いですけど」と答えたら「えー!」となった。「寂し過ぎ。あり得ない」--。「親と同居、もあります」と付け足すと、困惑はもっと深まった。お金の余裕がないから、と言ってみたけれど説得力がない。彼らの国に経済支援している日本だ。「草食系男子」の説明も試みた。だけど本物の草食系がいっぱいのアフリカから来た人には不思議なイメージだったかも。
「結婚しないで同居か」と質問したキヤバさん(35)の国、ザンビアでは親類が集落を作り大家族のように暮らしているそうだ。食事はみんなで分け合い、兄弟の子と自分の子を一緒に育てたりする。子供にとっては「いとこ」と「兄弟」が同じ。「子供がたくさんいることは誇り、自慢です。『誰の子』ではなく、育てられる人が育てます」
1人暮らしを「あり得ない」と言ったアモさん(40)はガーナ出身。3人いる子供のうち1人は、知り合いが貧しくて育てられないというから引き取った。「別に珍しいことではありません」
彼らはプリウスを生産しているトヨタの工場も見学した。最高の技術で世界一多く車を造るまでになったトヨタ。けれどそのトヨタの国は今、どうしたら子供がもっと生まれるのかと悩んでいる。
経済の発展って。どんな思いを抱え、それぞれ家族が待つ国に帰るのだろう。(経済部)
毎日新聞 2009年7月31日 東京朝刊
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