わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

マリアさん被爆地へ=広岩近広

2009-08-09 | Weblog



 セミの鳴き声にせかされて、今夏も被爆地を訪れた。何度足を運んでも、その時々に感情を揺さぶられる。

 広島と長崎には、今なお原爆の後障害に苦しむ大勢の被爆者が暮らしている。ある人はがんとの闘いを続け、ある人は放射線の人体への悪影響におびえている。心の傷は深い。それでも懸命に生き続けることで、原爆の原罪を問うている。

 被爆地にはこうした生き証人の他に、負の世界遺産ともいうべき原爆の惨禍を見せつけてやまない資料館がある。感情を揺さぶる力は、広島と長崎に特有のものだろう。

 だから、オバマ米大統領を被爆地に招く運動も盛りあがる。大統領が被爆地に立ち、原爆資料館で一時を過ごせば、原子爆弾は使ってはならなかった、核兵器は地球上にあってはならない--との思いを強くするだろう。私はそう確信している。

 だが、オバマ大統領の広島、長崎訪問となると、そう簡単にはいくまい。極めて政治的な課題になるからだ。

 原爆の日、広島で思った。まず、オバマ大統領夫人のミシェルさんと長女マリアさん、次女サーシャさんを被爆地に招待できないだろうか。

 というのも先月イタリアで開かれたG8サミットの際、11歳のマリアさんが反核のシンボルマーク入りのシャツを着てラクイラの街を歩く姿をテレビで見たからだ。彼女なら被爆地の声を受け止め、発信してくれるにちがいない。

 安易に子どもに頼るなと、おしかりを受けるかもしれない。だが、今まで大人は核兵器を廃絶することができなかった。マリアさんたちの世代が核廃絶の推進力になってくれれば、きっと新たな地平が開けるであろう。(編集局)



毎日新聞 2009年8月9日 東京朝刊


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