わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

毎日新聞コラム「発信箱」スクラップ 2009・08・01~07まで

2009-08-09 | Weblog
ミステリーとスポーツ=落合博


 恋愛は持ち込まない。トリックは構わないが、ペテンはいけない。天啓や直感、偶然に頼らない……。

 ミステリー(推理小説、探偵小説)を書く上でのルールで、作者による「ヴァン・ダインの二十則」や「ノックスの十戒」が知られている。読者が謎解きゲームを楽しむために作者はフェアプレーに徹しなければならない。数値目標や達成時期こそ明示されていないものの、作者によるマニフェストと言っていい。

 「ミステリーの社会学」(高橋哲雄著、中公新書)を開いて、ミステリーとスポーツの奇妙な取り合わせを知った。19世紀後半の英国で、ミステリーとともに近代スポーツは確立される。競技を統括する組織が設立され、ルールの統一や整備が図られた。

 ミステリーは「ルールブックの文学」でもあるという。二十則や十戒は「べからず集」で、やや窮屈な感じがする。だが、「ミステリーはいかにあるべきか」について、作者たちが考え、自らを律していた姿が見えてくる。

 日本のスポーツ界にも、マニフェストはある。日本学生野球憲章は、野球統制令で国家に介入された戦前を反省し、学生野球界が自らを律するという理念に貫かれている。2年前の高校野球の特待生問題では「現実にそぐわない」との批判を浴びた。

 一方で「なりふり構わぬ生徒集め」は世間の反発も集め、「各学年5人以下」というガイドラインが設けられた。国際水泳連盟が世界記録を連発する高速水着の規制に踏み切ったように「秩序ある競争」はゲームの構成要件だ。

 面白さを保証し、緊張と興奮を高めるための仕掛けとしてルールはどうあるべきか、もう一度考えてみよう。(運動部)



毎日新聞 2009年8月1日 東京朝刊







法王、麻生、オバマ=藤原章生


 イタリアでサミットが開かれた7月は、よく要人を目にした。ローマ法王ベネディクト16世は、麻生太郎首相との会談を終えると、その場にいた10人ほどの記者一人一人と握手をしてくれた。「日本の首相の印象は?」「とてもいい。とてもいい」。交わした言葉はそれだけだったが、意外に小柄な法王の、こちらをじっと見るその瞳に、謙虚さ、温かさを感じた。遠望したり、映像では毎日のように目にする人だが、身近で感じる印象は違う。

 麻生首相も予想外だった。新聞やテレビで見てきた印象に反し、血肉を感じる距離でみた実物は、笑顔も自然で、つき合いやすそうな人だった。ローマでの日本祭りでも、カタコトのイタリア語であいさつを始めた首相に、集まった500人ほどのイタリア人が好印象を抱いているのが手に取るようにわかった。

 印象が変わるのは、こちらの先入観も大きい。麻生氏については過去の差別発言疑惑や世襲の問題などから、その仕事だけでなく人物までも否定的にとらえていたところがある。法王の場合、偉大といわれた前法王ヨハネ・パウロ2世と比べがちだった。

 だが、それだけではない。文字情報を差し引いても、テレビ、写真写りの良しあしはあると思う。逆に実物がパッとしない例も多い。いずれにせよ、映像と実像に多少のずれは生まれる。ただ、ごくまれに例外がある。今回ではオバマ米大統領がそうだった。近くで演説を聴いたが、彼は小さくも大きくも温かくも冷たくもなく、普段目にする映像そのままだった。映像と実像に開きのない人。

 写真写りなどを乗り越えてしまう技量というものがあるのか。そんなことを考えた。(ローマ支局)

 

毎日新聞 2009年8月2日 東京朝刊







ユーラシアの未来=福島良典


 ヨーロッパはギリシャ神話のフェニキア王女「エウロぺ」に由来する。アジアの語源にはギリシャの神プロメテウスの母または妻「アシア」、アッシリア語で日の昇る土地の「アス」など諸説がある。

 そのヨーロッパとアジアの合成語ユーラシアを久しぶりに耳にした。日本に詳しいオランダ・アムステルダム大名誉教授のカレル・バン・ウォルフレンさん(68)からだ。

 日本は対米追従から脱却し欧州などと結び、ユーラシアのきずなを強固にした方がいい--というのが氏の主張。評価する日本の戦後政治家として田中角栄、中曽根康弘両元首相の名前が挙がった。

 2人には共通点がある。まず、官僚の使い方を知っていた。「田中さんは官僚との付き合いが天才肌だった。中曽根さんは閣僚を長く使い、官僚との関係を築かせた」

 そして、対米自立の模索だ。田中元首相は独自の資源外交を展開した。中曽根元首相はレーガン元米大統領とロン・ヤスの間柄だったが、「日米関係の問題点を分かっていたから、サミットで他国の首脳から一目置かれていた」。

 日本の対米依存は情報にも及ぶ。欧州単一通貨ユーロが産声を上げた時、米国情報に頼る日本では「ユーロは失敗する」との懐疑論が幅を利かせ、官民の対応が遅れた。

 教訓は生きているか。衆院選の政権公約を読んだ。民主党は「対等な日米関係」と「欧州との連携強化」を並列する。「日米同盟の強化」を掲げる自民党は、対欧関係には具体的に触れていない。

 ユーラシアの両端に位置する欧州と日本。地球環境やエネルギーなどの分野で協力の余地は大きい。この先、日欧関係はどう動くのか。総選挙を通じて見定めたい。(ブリュッセル支局)

 

毎日新聞 2009年8月3日 東京朝刊







夢見る学校=玉木研二


 正岡子規は肺結核に脊椎(せきつい)カリエスを患い、その苦悶(くもん)の病床で読み聞きする話から随筆「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」を新聞に連載する。1902(明治35)年5月に始まり、9月に34歳で没する間際まで続いた。

 その冒頭に<土佐の西の端に柏島といふ小さな島があつて二百戸の漁村に水産補習学校が一つある>と高知県の離島の学校が登場する。

 教室12坪(約40平方メートル)、事務室兼校長寝室3畳敷き。生徒65人。校長の月給は4年間昇給なしの20円。実習で5銭の原料で20銭の缶詰ができ、生徒が漁の網を結ぶと80銭ほど賃金が出る。すべて郵便貯金にし、修学旅行用にしか引き出せなくなっている。

 子規は<この話を聞いて涙が出るほど嬉(うれ)しかつた>と書き、ここで<松魚(かつお)を切つたり、烏賊(いか)を乾(ほ)したり網を結んだりして斯様(かよう)な校長の下に教育せられたら楽しい事であらう>と夢見た。(岩波文庫)

 身動きできぬ東京の病床から南海の子供たちと篤実な校長の学校を想像し、思い募るものがあったのだろう。

 こうした実業補習学校は、小学校を出て働く子供らを対象に補習と分野別に初歩的な実業教育をするもので、戦前まで続いた。教程が不十分だったり、小学校に同居したりと決してバラ色ではなかったが、「学校」は明治期には新しさや希望の響きを持つキーワードでもあった。

 今若者と就職の「ミスマッチ」などによる離職率の高さから、自己に合った就職先、職種に直結するような専門教育をする新種類の大学設立がまじめに検討されている。

 工夫は結構だが、さて、そこから子規をして涙ぐませたほどの「感動」や「夢」が発信できるか。案外これが成否のキーポイントではないか。(論説室)



毎日新聞 2009年8月4日 東京朝刊







勝訴の中の悲しみ=磯崎由美


 裁判長がゆっくりと読み始めた判決は、予想もしなかった全面勝訴だった。「良かったね、勇ちゃん!」。心の中で語りかけようとして、上段(うえんだん)のり子さん(60)のまぶたに浮かんだのは、単身寮で冷たくなっていた息子の顔。歓喜する支援者の中で笑顔を保つのがつらかった。

 7月28日、東京高裁で偽装請負による過労自殺裁判の判決が言い渡された。23歳だった次男勇士さんは業務請負会社から光学機器大手ニコンの工場に送り込まれてうつ病になり、99年3月に命を絶った。特殊な光線と電子音に囲まれた無塵(むじん)室での、ほぼ立ちっぱなしの作業。時間外労働は月77時間に及び、辞めたいと訴えても聞き入れてもらえなかったという。

 当時まだ認められていなかった製造業への派遣。業務請負と言いながら発注元の指揮監督下に置く違法状態。のり子さんの提訴は、今でこそ多くの人が知る雇用の崩壊をいち早く告発した。だが勇士さんが亡くなった年に派遣対象業務は原則自由化され、その5年後には製造業への派遣も解禁された。

 そして昨年始まった大量の派遣切り。「働くことは、命と直結しているのに」。何年たっても、息子と同じ思いをしている若者たちがたくさんいる。彼らのぎりぎりの訴えを、のり子さんはどれほど聞き続けてきたことだろう。

 間接雇用は労働者の健康や権利を守る責任をあいまいにしてしまった。規制緩和へと一気に進んだ時計の針をどこまで戻せるのか。歴史的な総選挙が迫るというのに、その行方は見えてこない。

 のり子さんはこの勝訴が自分たちだけのものではなく、国の道しるべとなることを願っている。(生活報道部)

 

毎日新聞 2009年8月5日 東京朝刊







仕組みを変える=与良正男


 「そんな提案をしたらウチの次官が手を挙げるぞ」といった言い方を官僚の間ではするそうだ。通常、週2回の閣議前日に各省庁の事務方トップが集まって法案や政令などを調整するために開かれる事務次官会議のことだ。

 「手を挙げる」とは「反対する」の意味だ。会議は全員一致が原則で、1省庁でも反対すればおじゃん。そもそも会議には各省庁の部やら課やら(加えて一部の族議員やら業界やら)の調整を経て決定されたものしか出てこない。かくして閣議には事務次官会議で了承された案件のみがはかられ、閣僚はほとんど議論もなく、書類に署名するだけとなる。

 明治以来の慣習という。実際には首相が会議の結論を覆すことはできるのだが、例は少ない。何かを改革しようと思っても1省庁1部署の利害に阻まれてなかなか前に進まない。行政が官僚主導で進む構造になっていることは分かっていただけるだろう。

 その事務次官会議の廃止を民主党はマニフェストに盛り込んだ。与党議員100人以上が政府に入るという公約より、政策決定システム、いや日本の政治そのものを大きく変える可能性があるように私には思える。

 当然、ここでも官僚に頼らないほどの能力が民主党の政治家にあるのか、混乱するだけではないかという反論が出てくるだろう。一方では「能力」を言い出すのは官僚の思うつぼで、仕組みを動かさない限り結局、何も変わらないという意見もあるだろう。

 子ども手当などの財源論も大切だが、メディアもこうした話をもっと議論した方がいい。仕組みをチェンジできるかどうかは政権交代の本質的論議だと思うからだ。(論説室)



毎日新聞 2009年8月6日 東京朝刊







検証魂=福本容子


 傍聴券を求め、早起きして裁判所前に並んだ。6年前の夏、ロンドン。イギリス人科学者が自殺し、その背景を調べる独立調査委員会の審問が毎日のように開かれていた。

 当時のブレア首相や有力側近、国防相らが証言させられ、傍聴希望の市民や記者の列は200人を超えることもあった。イラク戦争とは何だったのか。英政府はイラクの大量破壊兵器をめぐり情報を操作したのか。真実を知る手がかりを期待していたのだ。

 740ページの調査報告書がまとまった。でも謎は解けなかった。世論やメディアの大ブーイングが起き、すぐ別の調査委員会ができた。前進はあったけれど開戦の真相はここでも明らかにならなかった。

 そして先週、また新しい調査委員会が動き出した。イラク戦争関係では5度目。犠牲になった兵士の遺族も世論もメディアも野党も与党の議員さえ、全然納得していないのである。責任がはっきりするまで検証を続けるのだろう。

 イラク戦争に限らず、「済んだことは」とあきらめ、勝手に納得してしまう日本。イギリスをまねたマニフェストも「これからやります」はてんこ盛りなのに、本場と違い「これまで」の成果や批判がほとんど抜け落ちている。

 4年前、「すべての改革の本丸」として自民党公約の一点豪華主役になった郵政民営化は今回、マニフェストの記述がたったの1文だ。民主党も、国や地方の財政がここまで悪くなったのはどうしてなのか、これまでの「改革」は何だったのか、もっとしつこく、国民にわかりやすく追及したらいいのに。

 過去をていねいに掘り起こす作業は未来のため。納得するまでしぶとく検証、の魂こそイギリスをまねたい。(経済部)

 

毎日新聞 2009年8月7日 東京朝刊


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